「毒をもった蛙の頭の中には宝石が輝いているのかな」(最終話)
第十三話「毒をもった蛙の頭の中には宝石が輝いているのかな」
(一)
「アメリカ、中国、ロシア空軍、敵と接触、複数艦による巡航ミサイル射出を確認、陸上部隊も上陸を始めています」
通信兵の言葉は、別方向からの各国軍の侵攻を伝える。
「彼らはなぜ今『唄』が止まっている理由を知っているのか」
モニター前に並んで座る青年兵はそう言って頭をかきむしった。
「焦っているだけだ、頭上の玩具がいつ落ちてくるか分からないからな、奴らが玩具をもて遊んでいる間、南極全域に『唄』は流れない、むしろ奴らの兵力が適度に分散してこちらとしては好都合だ」
腕を組む副長の視線の先に大型モニターがある。
そこには残存する『ビッグモス』を含めた人工衛星の軌跡が現在と通常のラインから大きく外れていることを示していた。
「卵が落とされるのは?」
「衛星の軌道から早くて四十分、既に迎撃ミサイルが配備の終了した模様」
「メジャーリーガーの投手の剛速球に対し、十個しかない小石をお前は真横からぶつけられるか?」
「無理ですね」
副長の皮肉に、青年兵は肩をすくめた。
会話を遮るようにして、レーダーを担当していた兵士が声を上げた。
「月形機、会敵。こ、これは『シロガネ』型です、しかし、こちらからの『玉梓』にかかるシステム信号は受け付けません」
「生き残っていたのか!どっちだ、『ハヤブサ』か『キジ』か」
副長は通信兵の席まで駆け寄った。
レーダーのノイズが深くなっていく。
「情報取得できません、月形機周辺の敵は唄い始めました」
「くそっ!」
「奴らは『卵』を落とすふりを見せ、我々の生態を面白がって観察しているだけだ……奴らが今、手に入れたいのは連合国の兵器、地球上に生息地を広げるための大切な手足だ」
悔しさをにじませる副長に艦長席の小栗の言葉は冷静だった。
(二)
(モウ、僕ヲイジメナイデ、山川クン、僕ヲタスケテヨ)
山川の目には、半平の『オジロ』が子犬をなぶった少年の姿に見えている。
肩で大きく息をする山川の顔は、少年たちを血祭りに上げた狂気の顔に変貌している。
「今、殺してやるよ」
横に避ける半平の『オジロ』を追うように弾着した煙が舞い上がる。
ライフル弾の空になった弾倉を雪原に落としたハヤブサは、右脛に装備していた弾倉を器用に取り付けた。
「命中精度上昇中、デキルダケ距離ヲアケテ」
『玉梓』の言葉に口をきつく結んだ半平は頷く。
半壊していることが信じられないほど、山川の『ハヤブサ』の動きは機敏だった。
だが、半平はもう気付いていた、ほとんど無傷の自機の『オジロ』とは、明らかに機動差があることを。
半平の記憶の中にいる山川はとても優しい。
三笠班のみんなの気分が沈んでいる時でも、自らが道化となって場を和やかにした。
(先輩、悩みなんてあるんですか?)
「あるに決まってるじゃねぇか、こういう奴ほど心の中では泣いているんだよ」
(そ、そうですか……すいません)
「なんて、嘘に決まってるだろ、俺なんて単純なだけだ、だから、こうして知らない間に選ばれたんだな、で、周りにかわいい子がいっぱいいると、ラッキーだと思わねぇか、うわっ頭痛ぇ!」
半平の記憶の中の山川はそう言って頬張っていた氷菓子を口から離し、こめかみを押さえた。
(先輩、僕の方が単純だったかもしれません)
相手の失敗を本気になって責める山川の姿を半平は見たことがなかった。
「気にすんなよ、仲間だろ」
逆光の太陽の中に、手をさしのべる山川の白い歯が輝く。涙を流しながら半平はターゲットマーカーを『ハヤブサ』のコクピットに合わすが、微妙にマーカーが揺れる。
(僕は、仲間を……みんなを……守るために……でも)
「ぐわぁぁ!」
(アナタハ優シイ人……ダカラ、イジメル人ヲ殺シテ……私タチヲ守ッテ)
ライフルのトリガーを引きっぱなしのまま、山川はコクピットの中でわめき続ける。
「『玉梓』、ハヤブサの通信回路をオープンに!」
「ソレハ危険デス」
「命令だ!」
「ショウガアリマセンネ」
半平の正面モニターの右下部に、山川の顔が映った。
「先輩!」
呼びかけられた山川は、両手でスロットルを持ったまま、一度大きく後ろにのけぞり、カメラに顔を近付けた。だが、瞳には狂気の色が浮かんでいる。
「お前らは許せねぇ!許せねぇんだよ!」
「僕です、半平です!気付いて!気付いて下さい!」
だが、半平の必死の呼びかけは山川には届いていない。
「『玉梓』ぁ!こいつ命乞いしてやがる!すぐに潰してやるよ!」
山川の口から唾が雨のように吐かれる。『ハヤブサ』の放った無数のライフル弾は、『オジロ』を執拗に追いながら空中に四散する。
「気付いて!」
『オジロ』の背後に『ケンタウロス』の接近を告げる『玉梓』の声とアラートが鳴り響く。『ハヤブサ』に気を取られていた半平が気付いた時には、衝撃と共に機体が空に吹き飛ばされていた。右背部の姿勢制御翼が千切れ、むき出しになった接続部に蒼い火花が流れる。
地面に落ちた反動で、半平は胃液を嘔吐した。
「せ……先輩……」
「半平サン、損傷十二パーセント、出力低下、機体バランス修正シマス」
半平は、スロットルを前に押し出し、背部のブースターの推進力に吊られるようにして、機体を起こした。その間に、左肩の装甲板が『ハヤブサ』のライフル弾で剥がされていく。
「修正完了シマシタ」
「!」
半平の撃った弾は、雪煙を上げて再度突進してくる『ケンタウロス』の眉間を貫く。だが、その隙に『ハヤブサ』は急接近し、ライフルの銃口を『オジロ』の背中の中心に突きつけた。
半平はその動きに全く反応できない。
(や……やられた)
半平が目をつむった時、半平の意識に賛美歌のような旋律と唄声が激流となって流れ込んできた。
それは今までに聞いたことのない甘美でありながら、哀しさに満ちあふれた女性の唄声であった。
(三)
ベッドで横になった半平の顔に、カーテンの隙間から射し込む朝の光が揺れ動く。
うっすらと目を開けた半平は、そこが亜蘭丘学園の寮の自室であることに気付いた。机の上には作りかけの模型や、ペットボトルが並び、床にはテレビゲームのコントローラーが無造作に転がっている。
半平は自分の寝汗に驚いた。
(夢……)
口では言い表せないような長い悪夢、起きたばかりだというのに倦怠感が半平の身体を包んでいる。
ベッドから起き上がった半平は、窓に近付きクリーム色のカーテンを開けた。
木々に囲まれた校舎の横にはグラウンド、海を隔てて半島の蒼い山並みが朝日の透明な光に輝く。
(僕は何をしていたんだ)
窓枠にかけていた右手を自分の顔に押し当て、何かを思い出そうとするが、何も脳裏には浮かばない。
「半平!起きたか!」
大声と扉を強く叩く音に半平は我に返った。
時を待たずに飛び込んできたのは、子犬を抱いた山川であった。
「最高の天気だ!こんな日が休みなんて、俺たちはラッキーだぞって、まだ散歩に出かける準備していないのか」
「散歩?」
「ほら、半平、こいついつ見ても可愛いだろ」
山川に抱かれた子犬は嬉しそうに山川の頬をなめた。
「寮で犬なんて飼っていいんですか?」
「えっ?前から俺の中で飼ってたぜ、お前、知らなかったっけ?」
山川の手を離れた子犬は床を走り半平の周りを嬉しそうに駆け回った。
「お兄ちゃん、早く!早く!彩胡姉ちゃんもルルちゃんも待ってるよ」
子犬が半平の後ろに回ったとき代わりに笑顔のピリカが現れた。
彼女を見た瞬間、半平はどこか胸の奥がキリで刺されたように痛んだ。
「ピリカ……」
「あれぇ、お兄ちゃん、何、泣いているの?」
半平がうるむ目をこすり、視線を戻すと、扉が開いたまま部屋から二人の姿が消えていた。
「あれ……先輩……ピリカ……」
窓の外は青空から厚い雲の中で稲光の走る曇り空に変わった。
半平は着替えもせず廊下に出ていくと、『クガネ』艦内の廊下であった。
奥に立つ廊下には両手を顔で覆ったルルが一人で立っている。
「ルル……」
ルルは泣き顔で半平の顔を見た。
「私は私の理由で死にたいの……でも、みんなを巻き込むことになっちゃった……ごめんなさい」
「巻き込むって?」
「巻き込む理由ですか、私は大会に参加するように言われただけです、月形先輩も同じではないですか、時山先輩だって、たまたま武器商人と言われる職業をもつお父様を持っただけで、先輩が望んだわけではありません。たしかに不条理な論理の一部は既に破綻していると思います、でも、命令だったら私はお父様の言うことだって、大佐だって、月形先輩だって、命令は全て聞きます、そうすればみんなから良い子ってほめられますから、良い子が良い子であり続けるためには、自分の悪い心は良い子が殺さなければなりません」
タブレットを胸に抱いたカネトが半平の横に立っている。
「カネトちゃんの気持ちは理解できる……ただね、自分の心を殺すと、そこに大きくて深くて黒い暗闇ができてしまうの、暗闇に巣くうのは救世主の姿を借りた虫……それでも彼らも生きるために必死なの、だって、それが生きるということだから、相手の生命をもらって自分の命につなげていくからこそ新しい生物としてこの世界に存在できる……でも、このままでもいけない、私たち選ばれた生徒が暗闇に光を照らすために動かなければ何も進展しない、それが私にしてもルルちゃんが気になる半平くんにしてもね、これは憎しみの争いじゃなくて、生命愛が動かしているってことだから」
「生命愛?」
「自分を殺したことへの復讐は何か愛するものがあるからこそ成立する」
ミーティングルームのテーブルに座る彩胡は、その場に立ち尽くす半平に語りかける。
「そうね、確かに人を愛することは大切なことだわ、それが不幸な結果になってもその過程は半平君自身が成長する糧になる、それがルルちゃんであっても私であってもね……あ、私を好きになってという意味ではないからね」
和賀は自分の言った言葉に照れたのか、彩子の横で頬を赤らめた。
「今頃みんな気付いたの?私は自分を救ってくれる白馬の王子様をずっとずっと望んでいたの、口ではいくらでも上手いことは言えるわ美しいだの可愛いだのって、でも、そんなのすぐ口に出すのはサイテーの男よ、私の美とお金の香りに集まってくる蠅ね。でも、半平様、あなただけは違う、あなたは自分の命を私だけを救うためにかけてくれた……ずっと寂しくて一人だった私を救ってくれた」
蝶子は、半平の指に自分の指をからめて、背中にしなだれかかる。
「蝶子、誰だってみんな寂しいよね」
継であった。
校庭のルルと二人で座ったベンチに一人で座っている。
学園の制服姿の彼女は、日頃の乱暴な言葉を使っている時とは別人のようであった。
「私もそう、山川はどんなことしても、私を許してくれた、私が悪いってわかっていても、それが相手に対する自分の甘えだと知っていても、でもね、もう見えないの……もう、どこにもいないの……はじめからこんなに強がらなければよかった……もっと素直になっていれば良かった……私が寂しくなかったのは、山川がいてくれたからって言えば良かった……」
「継、そんなに泣くなよ、俺もさ、上手く言えないけど、お前のそんなところが……えっと、続きは何て言えばいいのか?」
「馬鹿……」
幸福そうに泣き笑う継の後ろの山川は嬉しそうに継の首に自分の腕をからませた。
継の姿は、山川の抱えていた子犬に変わった。
「半平、すまない、ちょっとだけ俺は迷っちまったようだ、力だけじゃ何も守れやしねぇってことがわかっただけでも賢くなったのかもな、心配すんなって、俺たち仲間は最後までお前を絶対に見捨てな……」
子犬は山川の姿と溶け合うと、山川の額から血が滝のように流れ出す。その痛々しい姿はだんだんと暗闇に同化していった。
「頼むぞ月形、『玉梓』を彼女と接触させれば、奴らの全てが終わる」
「お願い……もう、私は私でいられなくなるの……助けて、テル……」
漆黒の空間の中で小栗と美しい女性は手を携えて半平を見つめる。
「『玉梓』って……あなたは……」
「目覚めなさい、あなたは一人じゃない」
美しい女性が半平に細い銀色の左手を差し出す、美しい女性がシロガネ『オジロ』機となって見る間に巨大化した。
「お兄ちゃん!」
ピリカの叫び声が暗闇の中で大きく反響した。
そこは暗闇ではなく、蒼い雪原であった。
半平の『オジロ』は、振り向きざま『ハヤブサ』の頭部と胸部を撃ち抜いていた。蒼い火花を散らしながらゆっくりと山川の『ハヤブサ』は雪原に沈む。
『ハヤブサ』が発砲しなかったのか、残弾がなかったのかは半平には分からない。『ハヤブサ』はライフルを落とした右手を挙げたまま息絶えたように動かなくなった。
「うわぁぁあぁ!」
半平の苦痛の叫び声を切り取るように『オジロ』のコクピットに『玉梓』の声が流れる。
「同期、撃破共に完了、次ノ目標ニ移行シマス」
「僕は先輩を……山川先輩を……」
「感傷無用、『唄』ノレベル上昇中デス、外縁ノ『クガネ』ニモ被害ガ生ジルレベルデス、急イデクダサイ、半平サン、ココニハアナタシカ、イナイノデスカラ」
『ハヤブサ』の残骸を背に、半平は泣き叫びながら、目標地点に向け自分の『オジロ』を進める。
小栗が告げた、時を氷の中に止めた『湖』、そこが半平の目指すべき最後の場所であった。
(四)
『唄』の波はかつてない勢いで押し寄せてくる。
国際連合軍は、拡大する波に翻弄される笹舟であった。
空を埋め尽くすほどの戦闘機や爆撃機は、失速したまま墜落し、雪原に何本もの黒いキノコ雲を生やした。最前線を進んでいた戦闘車両や二足歩行兵器の部隊も、何もしないまま先頭から停止していく。
南極周辺に展開していた部隊の混乱は、酷いものであった。
目と耳がふさがれた状態で入ってくる情報は、あまりにもあっけなく重厚と信じられてきた指揮系統を狂わせていく。
どのような優秀な兵器でも、プログラムする人間が存在しなければ、ただの玩具である。尋常ではない『唄』の力を前に、ようやく人類はその力のなさに気付くこととなった。
南極海のはるか沖合に停泊していた旗艦に最後に届いた無人偵察機からの映像は、氷結した湖から突き出すように空へと伸びている黒い建造物であった。
細い建造物の先端は亜麻の花びら似た丸い形状となっており、中心に人影が映る。
兵士らは確かめることもできずに活動の手を止めた。彼は既に『唄』に魅せられた泥人形にすぎなかった。
(五)
「範囲、敵機体を中継し、急速に拡大、『唄』の大波、一分後、本艦に到達します」
レーダーに張り付いていた兵士たちは、表情を変えずに報告を続けた。
パネルに投影された『唄』を示す赤い色のエリアは、獲物を見付けたアメーバーのように広がっていく。
「自動砲撃を継続、残弾数は残り一割を切りました」
「だが我々には、まだあいつが残っている……」
「そうですね、畜生、見たかったな」
「みんな同じだよ、ドラマの一番良いところで電話がかかってきたようなもんだ」
「いや、彼女とやる瞬間に彼女のママが部屋に入ってくる」
兵士たちの笑い声や口数が多くなる。
「小栗艦長、情けないことに我々は志なかばとはなりますが、ご武運をお祈りいたします、私いやここにいる者たちはあなたの言う地獄の中に明日が来ることを皆信じております……」
副長はそう言って、小栗の方に身体を向け、姿勢を正し敬礼した。
その動きに合わせ、兵士たちも持ち場の位置から、小栗の方へ向き敬礼を続けた。どの顔にも後悔の色はない、むしろ、自分たちでできることはやり遂げた自信に満ちたものであった。
小栗は一度だけうなずき、返礼した。
その瞬間、空間が大きく左右に揺れた。
立っていた副長は身体の力が抜けるようにして、その場に崩れていく。座席に座っていた兵士たちも眠るようにして、計器に伏せていった。
だが、小栗だけは『唄』の影響を全く受けていない。
彼は副長をはじめ、兵士が皆、動かなくなったのを悲しそうに見、そして自分の右後頭部の髪をゆっくりかき上げた。彼の後頭部の半分はガラスのようになっていて、その下には電子部品が隙間なく詰まっていた。彼は、コンソールのスイッチをオンにした。
艦長席のシートの横からケーブルがいくつも伸び、彼の後頭部に自動的に固定されていく。
(『玉梓』システム最終同期終了……月形……頼む……お前が我々、人類最後の希望なのだ……)
小栗の身体から発した蒼い光は『クガネ』の艦橋内に広がっていった。
サツキたちのいた『魄』エリアにも少しの変化があった。
「あ、頭が痛い……」
看護班の少女の言葉をきっかけに、年端のいかない兵士や実習生は頭を抱えて苦しみだす者がいた。だが、気を失うほどではなく、その場で、床に腰を下ろしたり、友人同士で身体を支え合ったりした。
「『唄』ガ聞コエマス、ソレモ今マデナイホドノ強イ唄ガ……デモ、コノエリアニイル限リハ大丈夫、ソシテ、今モウ一人ノ友達ガ仲間ニナッテクレマシタ……」
「仲間?」
「ハイ……私タチハ彼ヲ信ジテ……遠イココマデ生キテキタノデスカラ」
サツキたちは、何も術がないまま、『玉梓』の謎の多い言葉を信じるしかなかった。
(六)
「フランソワさん!フランソワさん!どうしたのですか!」
近くで共に砲撃していたカネトの呼びかけにも全く反応せず、『ルクレール』の動きが止まった。
「無理デス、アノ機体ニハ私タチ『玉梓』ハ同乗シテイマセン、コレカラ敵ニ操ラレルコトモ予想サレマス、武器、及ビ機体ノ破壊ヲ提案シマス」
「そんなのできない、私にはできないよ!いやだ、出して、出して!もう、いや!いやだ!」
カネトはスロットルから手を放し、頭をヘルメットの上から押さえて叫んだ。
「カネトサン、戦イナサイ、アナタナラマダデキルハズデス」
「いやぁ!できないよ!もう私はできないの!」
「ヤメ……」
『玉梓』の止める言葉も聞かずにカネトはコクピットの防御シールドを緊急解除した。強化ガラス越しにコクピットの中で空を見上げるカネト。
白夜の蒼い空に黒い煙が一筋どこまでも高く流れていく。
「もう帰りた……」
あとは言葉にならず、カネトは口を二、三回動かし、目を見開いたまま動かなくなった。
「カネトちゃん!」
和賀が気付いた時には、カネトの『シロガネ』も動きを停止していた。
「だめよ!何でよ!カネトちゃん!」
いつも冷静な和賀も狂ったように何度も何度も呼びかけた。
返事はない。
「ああ……何てこと、何であの子が……何であの子が!」
胸が切り裂かれたような痛みが和賀を襲う。
「だから、仇をとるんだよ……みんなの……」
継は、沈んだ目をしながら、砲撃を続けていたが、数発後には砲口から弾は出なくなっていた。
それでも継は無表情にスロットルのトリガーを引き続けた。
無機質なクリック音だけが、コクピットに響く。
「仇を……とらなくちゃ……みんなの……山川の……」
風切り音が近付く。
「継ちゃん!」
和賀は、敵の放ったミサイルが継の『シロガネ』に直撃するのを見た。
後方に大きく吹き飛ばされた機体は仰向けの状態のまま、着弾の痕跡が広がる雪原上に墜ち白煙を上げる。
「!」
和賀の手の震えは止まらない。
「だめ……だめ……私が頑張らないと……みんなが……大事な友達が……一人もいなくなっちゃうじゃない!」
悲鳴のような和賀の叫び声を聴いているものは『シロガネ』の『玉梓』だけであった。
「和賀サン、照射サレテイマス、移動ト射撃ノ継続ヲ」
『玉梓』の声は、このような中でも全く変化はなかった。
「だめ、何やってるの……負ける……負けちゃうよ……彩胡……私はあなたの真似はできない……できないのよ!」
和賀の機体の背中に装備されていた遠距離砲が敵機の直撃弾によって縦に引き裂かれていく。炎が拡散した瞬間、残った弾頭が誘爆し、辺りの雪と岩とが空に巻き上がっていった。
(七)
(そこに行けば何があるのか)
半平は目指すべく所を考えながらも、脳裏に山川の顔や『ハヤブサ』の破壊された機体の残像が占めている。
半平はその度、打ち消すように頭を何度も横に振る。
だが、片翼が破損していながらも『オジロ』の移動速度は落ちることはない。線香花火のように火線がまばゆく引かれる中、白い雪煙の軌跡は、遙か後方に流れていく。
消えていくはずの雪煙は、積乱雲のようにさらに高くなっていく。
獲物を見付けた虫のように『オジロ』の後を執拗に追う敵の兵器群であった。
「残弾数四、現在、確認済ミノ敵百二十、更ニ増エテイクコトガ予想サレマス」
半平は頷きながら、視点は無理矢理に前方を集中させるようにしている。
「右二時、敵、五、左九時、敵四、『唄』ノレベルモ更ニ深クナッテイマス」
推進装置の出力以上を告げるアラートは鳴り止まない。
「右二時ハダミーデス、正面ニ出現!」
氷床を吹き飛ばし、五機の見慣れない二足歩行兵器が前に立ちふさがった。
「欧州型ノ旧式デス、初期ノ交戦時ニ捕獲サレタモノデス、ウィークポイントヲ表示シマス」
モニターを通じHUDに『玉梓』からの情報が映される。
「立つな……僕の……」
敵の射撃する弾を横滑りで回避しながら『オジロ』機に蒼い光が走る。
「立つな、僕の前に!」
『玉梓』の補正は完璧であった。
敵の旧式機は一瞬で破壊され、最後の一機の胴体には、『オジロ』の弾切れしたライフルの銃身が突き立たれた。
黒煙の間を『オジロ』が高速ですり抜けていく。糸を引くように『オジロ』にまとわりついた黒煙は、白い雪煙と交わり消えていく。
小高い丘陵を越えると白い壁のように見える山が目前に立ちはだかる。
「半平サン、コノ向コウデス、『唄』トハ違ウ、モウ一ツノ『声』ガ聞コエテキマシタ」
「何て言っているの……」
「私ノ言葉ヲ受ケ取ツテクレテクレテアリガトウ……ト言ッテイマス、誘導スルトノコトデス」
「魔女の罠……」
(あいつは魔女だ……だが、魔女にこそ光が必要なのだ)
最終目標の地点を告げた大佐はそう言って言葉を切っていたことを半平は思い出していた。
「ドウシマスカ」
「ピリカ……僕は信じる……もう僕はみんなを信じることしかできない……」
「半平サンナラ、ソウ言ウト予想シテイマシタ、『声』ノ誘導ニ従ッテ前進シマス」
「ありがとう……」
雪のかぶった岩々は番兵をする巨大なスノーマンの集団のように半平には見えていた。
(八)
ルルたちのいる地点への砲撃は止んだ。着弾でえぐれた地形を塹壕のように使っていた蝶子は、隣にいるルルの『セキレイ』に接触回線を開いた。
「砲撃が止まった……もしかして『クガネ』が沈んだのかもしれない」
砲撃が途切れても、敵を示す赤いマーカーは、二機の『シロガネ』にジリジリと距離を狭めてきている。
「蝶子さん、私が前に出ます、その間に退却を……」
「あなた、まだそんな馬鹿なこと言っていますの?私は一人で逃げるなんて卑怯な真似はしたくありません、あなたこそお逃げなさい」
「蝶子さん!」
「はぁー、何でこんなことになってしまったのかしら、私も変に思い残したくないから言っておくわ……時山さん、いつもつらいこと言っていてごめんなさい……」
「蝶子……さん……」
「私、うらやましかったの……あなたや、半平様やみんながいつも楽しそうに笑っていたことを……うわべだけでなく、本当の兄弟か家族のように……どうしてそんなに短い時間に人との関係がつくれたのだろうかって……私の知っている世界のつきあいとはまた違って……」
蝶子の言葉にルルは涙を流した。
「そんな……そんなに……」
(ここを失う訳にはいかないんだ…、ここには僕たちにとって大切なものがありすぎる……)
ルルの脳裏に力強く、そして優しいまなざしの半平が笑っている。
その幻影を破り、上空に多方向から放たれた砲弾が集中するのをルルは見た。
「だめ!」
ルルの『セキレイ』が蝶子の『チドリ』を守るように覆い被さった。機体のぶつかる軽い衝撃があった後、凄まじいショックが蝶子の『チドリ』に伝わった。
「時山さん!」
立ち上る黒煙の周囲には銀色の破片が散らばっていく。
(そうか……私には半平くんが……みんながいてくれたのに……今になって……)
ルルの意識が遠くなっていく。
(僕も絶対に帰ってくる……)
「半平くん……私も今になって……ごめん……ね……わたし……」
ルルの『セキレイ』は羽根がもぎとられ頭部や腕部、脚部が失われていた。
「時山さん!馬鹿よ、やっぱりあなたって!やらせない!これ以上、あなたを……そしてみんなを守ってみせますわ!」
蝶子はルルの機体を、氷の壁に引き寄せて隠すと、接近してくる敵に向かってライフルの照準を合わせた。
二機の『モスキート』型を墜とした瞬間、『チドリ』の頭部にミサイルが直撃した。頭部を失った状態のまま、蝶子は補助カメラを使用し、射撃を継続したが、翼に次々と敵機の放った銃弾が刺さっていく。
「半平様……助けて……もう……私は……戦えそうにありません……」
後続の『モスキート』の銃弾が直撃したとき、蝶子が搭乗する『チドリ』の羽根が雪原に散った。
(九)
凍結した湖を守る城壁のような山が外輪を形作っている。
半平は尾根沿いに機体を進ませていくが、敵の姿は見えない。
(静かだ……静かすぎる)
湖は白い真円であった。
その中心部に花のめしべを模した建造物が突き出ていた。
「アレガ出会ウ場所ダト彼女ガ言ッテイマス」
「彼女?」
「『声』ヲ発シテイルノハ女性デス……アア、アナタデスネ……」
(切れた絆の輪は再び天でつながるのでしょうか)
「誰がいるんだ?」
一度、機体の歩みを止め、半平は周囲の様子を伺った。
コクピット内が急に赤い警告色に包まれ、警報音が高鳴った。
「!」
氷上が網の目のようにひび割れ、大きな穴が開いた。
「いけない!」
『玉梓』の警告はなく、半平の『オジロ』は何もできずにそのまま氷壁を滑り落ちていった。
地に足を付ける前に『オジロ』の四肢に強烈な力が加わった。半平がサブモニターを確認すると、腕と足に大型の『ケンタウロス』が食らいついている。
「くそっ!」
根元しか残っていない背中の制御翼にも小さな装甲車両に生体部が合体したような不気味な形状の生物が何匹も食らい付いている。その姿はまさに断頭台へ引き出される直前の罪人と死の時まで血を貪ろうとするダニそのものであった。
「お前の言語は日本語だな」
流暢な日本語がスピーカーから流れたと同時にメインモニターには金色の髪をもつ青年の顔が映った。
「誰だ……」
半平のいる場所に『唄』は聞こえてこない。
半平は西洋人の男の目の瞳孔が開いたままになっているのを見て、通常の人間との違和感をもった。
「この銀の人形は誰が創造したのだ……いや……分かる……あの裏切り者だな」
半平は自分の考えていることが読まれていると思った。
「小栗テル……醜い生物である人類の中の更に醜い存在」
「僕たちが醜い生物……ふざけんな!お前たちが何だって言うんだ」
「我々は醜い生物たちが自らのつくった罪によって滅する来たるべき日まで、その猶予を与えていた……むしろ我々は多くの生命を借り、愚行を止めてさえもいた」
島教授の話していた巨大海洋生物の幻が半平の目の前を泳いでいく。
「だが、醜いモノ共は、自らの欲の赴くまま、海や空、地を破壊し、数多の神の子である生物たちをその血に濡れた手にかけて殺していった……我々はそういう深い、あまりにも深い恨みをもち消えていった生命の代弁と救済の使命を神から与えられたにすぎぬ」
半平は声に詰まった。
「だからって……簡単に人を殺していい理由にはならないはずだ!」
「互いに殺し合っているのはどちらかな……神に選ばれたものだけが進化が許されるのだ、それはお前たちのような醜く哀れな存在ではない、他と共生し真に同化していく行いこそが命への光が届く言葉なのだ」
「未来を選ぶのはお前たちの神じゃぁない!」
半平の直情的な反論に青年は眉一つ動かさず、半平に視線を向けている。
「哀れな虫のざわめきは所詮、その虫同士にしか伝わらぬ」
「!」
黒く大きな塊のようなものが半平の心にぶつかってきた。心臓が直に触られねじ上げられる感覚が半平をおそう。
「うげっ」
半平は鼻の奥に強い痛みをおぼえた。すぐ口いっぱいに錆びた味が広がっていく。ヘルメットの内側に蝶の羽根のような模様が半平のはき出した血で描かれた。
機体の破損を告げるアラートがコクピット内で一段と大きくなった。敵の兵器の牙や鋭利な部品は『オジロ』の機体の各部にさらに深く刺さっていく。血しぶきのように赤い潤滑油が『オジロ』の破損部分から噴き出していく。はじめに右の下肢が、次に左の下肢が飴細工のように伸ばされ、引きちぎらた。
武器をもたない『オジロ』は青年の言うとおり、動けない人形同然であった。
「ピリカ!」
システム周辺の蒼い光が激しく明滅を繰り返す。だが、半平の呼びかけに『玉梓』は深い沈黙を続けていた。
暗闇は半平の命のすぐ傍らにまで迫っていた。
(切れた絆の輪は再び天で……)
(十)
機械と融合した異形の生命体の群れは、『オジロ』の切断された脚部を放り投げ合い、狂乱した。
青年をはじめ若者の集団は岩場からその聖絶を冷ややかに見下ろしている。
「やられる……でも、だめだ、だめなんだ!」
半平が力を入れて繰り返し動かそうとしてもスロットルの反応は鈍く、後部のバーニアは二度ほど炎を噴き出しただけで、ノズルが収縮した。
「僕はこんな所じゃ……僕はこんな所で死ぬ訳にはいかないんだよ!」
もがれた『オジロ』の頭部を、『ケンタウロス』は鋼材の先に突き刺し天に向かって高く掲げた。
首から垂れる赤色のオイルは鋼材を伝わり、ケンタウロスの身体に血の花のような斑模様をつくった。
コクピットの警告はガラスを引っ掻くような不快な音に変化する。
半平はエンジン出力をオーバーさせて自爆を試みたが、数値は上がらない。
「畜生……何も……何も……」
ルルや山川、楽しい時間を過ごした三笠班のみんなの顔が半平の脳裏に走馬燈のようにあらわれては消えていく。
「僕は何も……できなかった……」
(僕は夜店のくじや年末の福引きで、欲しい物が当たったことはない。ガチャガチャだって、ジュースに貼られたシールを集めたって、貯金箱に入っていたお小遣いが消えていくだけだった……お金だけじゃない……夢や……希望や……そして大切な友達も消えていく……)
(お兄ちゃん……)
赤い警告灯の色に包まれたコクピットの時間が止まった。
(ピリカ……)
「目標ト接触スルコトガデキマシタ、全システムヲ開放シマス……ココマデ私ヲ私タチヲ連レテキテクレテアリガトウ……半平サン、ウウン……オニイチャン」
それまで黙っていた『玉梓』が急に再起動をはじめた。
「えっ?」
(大佐と私とみんなで守ってあげるね)
『玉梓』とは違うあのかわいい小鳥のさえずりのような声が半平の頭の中を駆け抜けた。
「ピリカ!」
半平が叫んだ時、捕らえられたままの『オジロ』の胴体の中心部分からまばゆい銀色の光が広がっていった。
(十一)
半平と山川が交戦していた場所に彩胡は、出力値が激減している機体でようやくたどり着いた。中・遠距離レーダーの画面は『唄』の壁に遮られ、エラーコードを点滅させている。
いつもの吹き荒れる南極の風は嘘のように、まだ止んでいる。
「返事を……返事をして」
雪原に戦いの激しさを裏付ける破片や砲撃によって出来たクレーターの痕だけが彼女の視界を占めた。
「どこ……半平くん、山川くん……『玉梓』教えて……どこにいるの?みんなはどこに行ったの?」
「!」
彩胡の頭の中に澄んだ鈴の音が一つ響いた。
彩胡は周囲の様子に警戒しながら、その鈴の正体を確かめようと、数少ない正常に起動している外部モニターに注意をはらった。
「聞コエル……私モ唄イマス……銀ノ鈴ノ音ノ唄ヲ……」
「鈴の音?」
彩胡は突然、意味不明なことを言い出した『玉梓』にすがるように聞いた。
「教えて、何を言っているの!二人がどこに行ったか!みんなは!」
蛍が発する蒼い光の柱がコンソールから放射をはじめた。
(十二)
『クガネ』は外部装甲が敵の攻撃により破損が目立っていたが、徐々に迫り来る敵機に対し、自動制御された艦砲射撃を続けていた。
艦橋の強化ガラスには蜘蛛の巣のようなひびが広がっていく。
「月形……よくやってくれた」
小栗の後頭部は艦長席の背もたれに結合されている。
脳から『玉梓』システムに直結した小栗の思考は、『クガネ』に最後の命令を下した。
(君が亜麻の花であれば必ず咲くだろう)
『クガネ』の後部甲板の一部がスライドし、四連装の垂直発射装置があらわれた。数秒とたたぬうちに弾薬庫と発射機を兼ねたミサイル・セルから火と白煙を噴き上げながら、数十ものミサイルが発射された。しかし、ミサイルの全ては地面に着弾することなく、半平がいる湖のはるか上空で自爆を始めた。
弾頭に積まれた妖精の羽からこぼれ落ちるような銀色の粉が弱々しい白夜の光を反射させながら空を覆い尽くすように拡散していく。
(絶滅するかどうかの結果は誰が決めるものではない、未来の子らが教えてくれる……)
(十三)
白い……ただ白いだけの世界に、ノーノはいた。
どれだけ誰かを待ち続けたのだろうか、この出口のない部屋は彼女に希望という気持ちを奪い取っていた。
食べることも寝ることも、そして死ぬことも全て否定されるこの世界は異質なものであった。
「心の声」で呼びかけてはみても、誰も返事をしてはくれない。
そして、その声は時折、おぞましく暗く何かをつぶやいている。
自分の意思ではない、自分の心の声。
気の狂いそうな時間は、このまま永遠に続くとノーノはもう諦めていた。
諦めるという感情さえも失いかけている。
東洋の薄墨で描かれた消えそうな情景に立つ一輪の花、それが自分という存在そのものであった。
「ノーノ……」
空間に座るノーノに子供の声が聞こえてきた。初めは一人、そして、二人、その数は湧き出す泉の水のように増えていく。
うなだれるノーノの目の前には、多くの少年や少女が立っている。
(あなたたち……どこから……)
「過去から……生物から……遠くて近い安らぎの時から来ました、ノーノの感情は、もう一つの生命によって浸食されています……それは、気持ちが良くなって、自分の本能のままに生きることが出来る素晴らしいものです……そして、とても悲しいものです」
(素晴らしくて悲しい?)
「でもここでもう一度考えてみてください、なぜ、生命に感情という無機質なものが生まれたのでしょうか、本能のままに生きていけばよいモノに……その答えを私たちはここにもってくること……ノーノに話すことはできません……」
(どういうこと?)
「それは、ノーノ自身が理解しなければならないからです、自らの感覚で気付かなければならないのです……あなたは本能のままに生息範囲を広げる生命の奴隷ではありません」
ノーノは、立ち上がっていた。
(生命の奴隷?)
「私たちはずっとノーノ……あなたをさがしていました……あなたの消えそうな導きの声を……だからここまで来ることができたのです」
(そんな声は出していない)
「かすかな声だったのが近くに来てようやくみんなに届きました……あなたの、迷い、苦しみ、そして絶望の悲鳴を……」
(そんな声は……)
少女たちの身体は蒼く光っている。
「ノーノ!」
力強い声に振り返ると、少年時代のテルが立っていた。
「迎えに来たよ……遅れてきちゃってごめん……少し、時間がかかっちゃった……」
彼の顔を見たノーノの瞳が涙であふれた。
(私にはまだ感情が残っている……)
「当然だろ、でも、まだ君がここにとどまっていてくれたから、僕は君を見付けることができた……だから、こうして迎えに来ることができたんだ」
テルは走り、ノーノの身体を抱き上げた。
「僕たちには、心がある……そして、感情がある……おおきな間違いをしたって……繰り返さないという感情がまたどこかで芽生えてくる……だから、僕たちはこうして、この地に生を受け続けることができてきた……そして、それが許されてきたんだ……殺したり、憎んだり、君臨しただけの生命は栄華を極めたとしても、時はそれを許してはくれない……生きていく、生命をつなげていくということ……それは僕らができる力で人を信じたり、できる力で優しくしたり、できる力で何かつながりを持とうとしたり……ううん、もっと簡単なことだよ泣いたり、笑ったり……」
(あなたの言っていることが……また、わからない……)
「そしてね……」
テルはノーノを力強く抱きしめ、彼女に口づけをした。
ノーノは自分の残っている力でテルの心をしっかりと抱きしめた。
白い世界が消え、半平の胴体しか残っていない『オジロ』は黒い塔の土台にぶつけられる。
その衝撃で塔の最上段が大きく揺れた。
最上段には人の形を模したガラスケースが置かれていた。
花びらの中心にあるケースには、脳と脳幹の部分だけが黄色い液体の中に浮いている。ケースの下部は機械が複雑に組み合わされ、それが塔の中心部とつながっていた。
空に一番近い塔のその場所に銀色の粉が降りかかる。その粉がケースの上に落ちてぶつかるたび鈴の音のような金属の打つ音が辺りに響いた。
「これは……テル!奴は何をした!」
銀の粉を手にとったレオンからその余裕の表情が消えている。
「我々が波に……呑まれる……」
レオンの周囲の若者たちは右往左往し始めた。
『オジロ』のコクピットを守る防御シールドや装甲板が自動的に外れた。防寒装備のある搭乗服を着ていても南極の冷気は気を失いそうになる半平を目覚めさせた。
「寒い……」
顔を上げた半平の前にレオンが立っていた。
「お前がこの銀色人形の『プッペンスピーラー(人形師)』か……このような子供に我々の主がこうも簡単に……」
「お前が……お前のようなやつがみんなを苦しめ……」
レオンは、衣服の中から剣を取りだし、寒さに震えながらもにらみつける半平の頭上にその刃を振り上げた。
半平は自分が当然のように切られると思った。
だが、顔を上げた時に見えたものはレオンやその周辺にいた青年たちが『ケンタウロス』の大きな角に身体を貫かれ命をおとしていた哀れな姿であった。
その巨大な『ケンタウロス』の正面の顔は、半平を静かに見下ろしていた。
半平にはその人間の顔が泣いているように見えた。
「あり……がとう……ございました」
半平の言葉に『ケンタウロス』は悲しそうに咆哮した。他の『ケンタウロス』や生物兵器もその声に合わせるように鳴いた。
その声は半平の胸をしめつけた。まるで自分の変わった姿に気付いた鬼が泣く昔話の世界が目の前にあった。
戦闘機と融合した生物兵器の一機が、半平の目の前でコクピットシールドをゆっくりと開いた。
(十三)
主力部隊の壊滅という想像できなかった事態に、総司令部も手のうちようがなく、全ての機関は混乱の体を極めていた。
だが、そこに一つの変化があった。
「逆流?」
『唄』の届くエリアからかろうじて逃れていた連合軍は、『唄』の強さを示す波状グラフが不安定になっている現象の原因をつきとめるべく、情報の収集にあたっていた。
「何だ……この現象は?」
「まるでアマゾン川の『ポロロッカ』のようです、『唄』のレベルが反転していく……」
ポロロッカとは潮の干満により引き起こされる大量の川の水が遡る現象である。
「どこから出ているんだ?」
「日本国所属の『クガネ』……」
「黄色いジャップは、また忍術でも使っているのか」
「その他の妨害となる電波障害も消滅しています!」
人を操る『唄』のレベルが消える現象を疑いながらも軍の上層部は次の命令を下した。
「南極近海のイージス艦に告ぐ、長距離ミサイル発射準備、目標は『唄』の中心部、座標……」
イージス艦から発射されたミサイルは轟音を上げ、白夜の空に何本もの光跡を描いた。
最終話「遠くまで探したペンギンって本当はすぐ近くにいたんだね」
(一)
空にはヘリ、海には多くの砕氷船が『クガネ』の周囲に集まり、回収作業を進めていた。
ヘリは南極の氷原を昼夜問わず飛び回り、生存者の確認や収容にあたっている。パイロットらは初めて見る南極の無残な光景に言葉を失った。
民間人を含めたそのほとんどの者たちは、この場にいたとしたら間違いなく死神に魂を奪われていたと恐怖した。
『クガネ』の艦橋に数名の兵士に守られながら、政府の関係者が調査を進めていた。
「残存兵器は、掃討作戦も進み、ほとんどが破壊されたそうです、奴らのコントロールシステムはもう使用できません」
「これで開発を進めることができますな、何しろ我が国あってのこの世界ですから」
「調査官のおっしゃる通りです、ここからは私たちの仕事ですね、科学者を中心とした一部の過激派組織によるテロ……もう、全世界共通のシナリオも出来上がっていますしね、しかし民衆というのは本当に白痴ですね、彼らにとっては真実も嘘もそんなに違いはないのでしょう」
「その通りだ、だからこそ我々のような立場の者がいつの時代にも必要なのだよ、聞いている、君もあの学校出身なのだろう」
「はい」
兵士や政府関係者は、調査の合間に流されてくる連合国からの情報に満足していた。
調査官とは離れたところで、防寒着に身を包んだ若い科学者は凍り付いた『クガネ』の艦橋で呆然としていた。
「マイクロ増幅装置を拡散、同じ波を同調させ、より力強い波で相殺する……口で言うのは簡単なことだが……その波の先端をどのようにして見付け出すことができたのか……大佐は私たちにまた大きな課題を残していった……私たちは彼に要求されたモノをつくり、そしてそのタイミングのきっかけすら残してくれることなく……」
「人を困らせるのは奴のいつもの手口だ……奴なりの配慮じゃろ……未成熟な我々にこれ以上人心をもてあそばせないための……」
背を丸めた老人はそう言って、若い科学者の背を叩き、機械類がむき出しになった艦長席に向かって歩いて行った。
嶋之教授であった。
「だが……お前のひねくれた根性に我々は救われた……ひねくれたと言うのは語弊があるな……お前なりに……考えていたのだろう……苦しんでいたのだろう……何かを追っていたのでだろう……よくやってくれた……全てを誤解していたわしはお前に心から謝らなければならない……すまなかった」
嶋之教授は霜で白くなった艦長席を撫でながら涙を流した。
彼の落とした涙は、背もたれから飛び出たコードの束上に小さな円をいくつも描き氷の輪をつくった。
(二)
僕の頭上を一羽のペンギンは悠々と飛んでいく。追いかけるようにして少し身体の小さなペンギンがまた一羽、僕を見下ろしながら羽ばたく。
水の揺らめきは青空から射し込む太陽の光との戯れ。
光の帯は十六分音符が延々とつながるピアノの音のように、時には近くなり時には遠くなって、僕の目を霞ませる。
僕がここにいるってことは、僕を生んでくれた親、そしてそのまた親、その輪がつながってきたからなのだろう、気の遠くなる時間を旅する中で、色々な心を拾い、色々なモノを捨ててきた。彼らの大空を飛ぶ翼もその時間の中に置いてきたのかもしれない。
見上げる僕の顔の上でペンギンは大きく円を描いて飛んだ。
円のようにまたつながっていくのか、この命の輪は。
「あっ、ここにいたぁ!」
鈴の音のような声が聞こえ、僕の背中は軽く押された。
水を通す透明な光と違って、僕はとても温かく感じた。
「もう、お兄ちゃんったらぁ、みんな外で待ってるよ、早くシロクマとレッサーパンダを見に行かなくちゃ」
伸び始めの髪を隠すようにして帽子をかぶる笑顔のピリカだった。
僕はどこかでピリカに背中を押されていたのかもしれない、彼女のぬくもりをとても懐かしく感じた。
「ごめん、ごめん、今行くから、そんなに押すなよ」
「だめ、ピリカが連れて行くってみんなに言ってきたもん、あ、でもまだ早いかなぁ」
ペンギン舎の水のトンネルは、親子連れであふれていた。ガラス張りのトンネルを歩く僕の横を、ペンギンたちは陸上の鈍重さが嘘のような速さで気持ちよさそうに泳ぎ続ける。
ピリカに背中を何度も押されながら、僕は出口に立った。
暗い場所から外に足を踏み出した瞬間、光の中の白い世界が僕の前に現れたような気がした。
観光客や遠足に来ている小学生たちはペンギンのプールの前で楽しそうに笑ったり、写真を撮ったりしている。
ペンギン舎の先の広場に普段着姿のみんながいた。
「半平、遅いぞ、飯を食うのが遅い奴は時間も遅れるってのは本当のことだな」
「飯がはやくても、時間に遅れる奴はここにいるけどな」
車椅子に座る山川先輩とそれを押す継先輩
「半平様のような殿方はやはり堂々とした最後がお似合いですわ」
普段着とは思えないきらびやかな服を着た蝶子
「実は時山先輩が一番心配していたようです、私もそのような心を左右させる対象物を発見したいものです」
「カネトちゃん、何言ってるの」
頬を赤くして否定するルルの顔を冷静に観察しているカネト
「人、それぞれに理由があるからね、誰でもミスはつきもの、あら、思ったよりもおいしいです」
和賀さんだけは先に一人でソフトクリームを食べている。
「さぁ、みんな揃ったし行こうか、先導はピリカちゃん、また、お願いね」
彩胡姉はそう言って動物園の坂の上に向かって歩き出した。
「うん、次はもっともっと面白いところなんだよ」
ピリカはその場で手を広げて一回ジャンプし、みんなの笑顔に見守られながら先へ、先へと走ってまばゆい光の中へ消えて行く。
「あ、待ってよ……みんな……いくのが……はやいよ……僕も……僕も連れていって……」
これからの答えなんて僕にはまだ分からない……でも、僕にはこんなに楽しい仲間がいる……僕は僕の……いや、みんなの信じる幸せのために、……銀の鳥『シロガネ』のように大空を羽ばたいていこうと思う。
この絆の輪がいつまでも続く限り
切れた輪もいつかはつながると信じて
でも……僕は……今、どこにいるのだろうか……。
振り注ぐ太陽の光は、木々の葉を一層蒼く染め上げ、単色の山々を複雑な色をもった世界へと変え、人々のさざめきは葉ずれの中に久遠の響きとなってこだまする。
人の波に消えていく半平たちの姿を見つめるものがいた。
それは、活発に泳ぎ回るペンギンたちから離れ、プールの片隅に一羽でたたずんでいた皇帝ペンギンであった。
燕尾服姿の似合う彼はそれまで微動だにしていなかったが、半平の姿が見えなくなると、黒くつぶらな瞳を絹糸のように細め微笑した。
「南極にはペンギンより鋼が似合ふと彼女は言った」
おしまい