「這ってもシロガネ」
第十二話「這ってもシロガネ」
(一)
彼がその真実に触れてからもう一年以上も経つ。
それは一通の手紙から始まった。
ペーパータイプの薄いメモリーカードが一枚だけ封入されたその封筒には差出人の名前が書かれていなかった。
新聞『新日本』の編集長、正岡の所にこのような類いの手紙が届くのは珍しいことではない。夕方の会議の資料を作成し終えた後、正岡はいつも通り眉唾物だと感じながらも、カードを自分の端末に挿入した。
だが、彼はそこに記されていた内容を確認するや、斜め前に座る副編集長が驚いて振り向くほど、うめき声に似た大きな声を上げた。
(これが本物だと確証が得られないうちは……)
彼は夕方からのスケジュールを全てキャンセルし、すぐにごく一部の関係者を緊急会議として招集し、
詳細な検証を行った。
この情報には、『シロガネ』の試作型『天底』がどのようにして開発されたか、何を目的として『シロガネ』に強力な武装を施されたか、そして、発展途上国で起きた児童の大量誘拐とその行方が、様々な画像や映像によって詳しく説明されていた。
また、この情報の隠蔽に荷担している関係者の氏名、所属や機関の所在地、パスワードなどが膨大な資料と共に添付されていた。その関係機関の情報にネットでアクセスすると、数分の間に全ての通信網が切断された。そして、それが社のネットワークにまで影響を及ぼし、全てが使用不能になった。
すぐ正岡に対し、社の重役から呼び出しがあった。総務省から緊急の連絡があったらしい。
他の部屋では、原因不明のシステムエラーで混乱を極めていたが、会議室の中だけは通夜の席のように皆一様に押し黙っている。この資料の真贋について誰も疑うことはなかった。
南極で行われる予定の世界競技の華々しいその裏側で、新日本新聞社内では、すぐに極秘プロジェクトを立ち上げた。
(一体、南極で何が行われるのだ)
正岡をチームとするプロジェクトのメンバーはそれから慎重に情報の裏取りを進めていった。
(二)
出撃までの時間がメインモニターに映る。『シロガネ』のコクピットに待機するルルはうつろな表情で見ている。サブモニターの一つに自分の正面から映しだされた映像が流れた。
(自分のこの顔……どこかで見た……そうだ……あの子だ……あの子と同じ顔だ)
思い出したくない時ほど、いやなことは後悔の囁きと共に心の中で滲んでいく。
まだ、小学生だったルルは、父に連れられ乗用車のテストコースを模して造られた広い兵器実験場にいた。
(すごく大きな人形)
コースに並べられた五機の人型戦闘車両『天底』試作機を初めて見たルルの感想であった。腕や胸部の装甲板は外されていて、数え切れないほどのチューブやコードが各部に接続されている。また、五機の頭部の形状は全てが異なり、赤や青など機体がそれぞれの色に塗り分けられていた。
高級乗用車から降りた父とルル、そしてルルの身の回りの世話をする従者の一人、霧立の三人を背広や軍服に身を包んだ多くの大人たちが出迎えた。その大人たちは、少女のルルに対しても、うやうやしく頭を下げた。
「お待ちしておりました、今日はお嬢様にも素晴らしい人類の英知を知る素晴らしい日となることでしょう」
「うむ、娘の前で恥をかかせることのないように」
父はルルから見ても尊大な態度で、簡単な挨拶をすませるとすぐに案内役と思われる男に『天底』の説明を求めた。
既に到着していた父と顔見知りの政府高官は、父の到着に気付き、握手を求め、座席を立ち上がった。
「この兵器は、あなたの力無くしてはできなかったことです」
「技術大国の日本とトキヤマを象徴する一日だ」
そこに同席していた者たちは口々に父を褒め称えた。
「ルルお嬢様、こちらへ」
老侍従の霧立はすっかりと白くなった頭をルルの前で丁寧に下げ、一人になった彼女を観覧席の方へと誘った。霧立の丸眼鏡が陽の光に反射した。
移動する途中、ルルはヘルメットを左脇に抱え、『天底』試作機の前で整列する五人の少女の姿に気付いた。年は自分とたいして変わらないが、肌や髪の色が皆、異なっていた。
少女たちもルルの姿に気付いたようで、無表情の一人を除いて、皆、子どもらしく明るい笑みを浮かべていた。ルルは少し照れながら彼女たちに軽く会釈をした。ただ、無表情な少女の視線だけ、どこか遠くを見ているようにルルは感じた。
「あのような子供たちに操縦適性があるとは信じられんな」
「ご心配なく、戦災孤児でもある彼女たちをこの日の為に専門機関オルファンホームで養ってきたのですから」
「それだけの対費用効果に見合っている……ということだな」
「その通りです」
怪訝な顔付きで質問するルルの父親に、側に立っていた案内役の男は自信ありげに答えた。
少女らの横に並んでいた軍服姿の青年の片手を上げた合図で、ヘルメットをかぶり、搭乗専用重機のバケットから、それぞれの胸部にあるコクピット内に身を滑らせた。
甲高い音がエンジンから聞こえてくるとすぐに、それぞれの『天底』試作機が、水の中を進む人間のようにゆっくりと演習場の中央へ移動を始めた。
「それでは、大型モニターと合わせてご覧下さい」
観覧席に横付けされたトレーラー上の大型モニターには、コクピットで操縦する少女や、近距離から撮影されている『天底』が映しだされている。
「演習開始、全機、所定位置まで移動!」
管制塔の大型スピーカーから、男性将校の勇ましいかけ声が流れる。
声に従う『天底』の動作は機敏とは言えなかったが、ルルがイメージしていたよりもスムーズに、隊列を組んだり、ライフルを持ったまま戦闘隊形に散開した。
「続いて貫通弾を使用して、東稜線に設置したターゲットボードを破壊します」
先頭の機体のライフルから青い光を伴う弾丸が撃ち出されると、すぐに土煙と共に小さく見えていたボードが粉々に破壊された。
その動きを観察していたルルの父は、それまでの表情を一転させ、満足げに頷いている。
最後の一機が射撃の体勢に入った。搭乗者は無表情の少女であった。
「ホ号射撃準備完了」
スピーカーからの声が会場全体に響く。
その瞬間、ルルは全てがスローモーションの世界に飛び込んだような錯覚に陥った。
ルルの脳裏に一瞬だけ、無表情だった少女が嬉しそうに笑う幻が浮かんだ。
五機めの『天底』は命令を無視し、ルルたちのいる管制塔前の広場に銃口を向け、発砲した。
アスファルトが剥がれ、破片が空高く飛ばされていく。モニターを載せたトレーラーは炎上をはじめ、テントの布は白煙の中に切り裂かれた。
ルルは誰かに抱えられたまま、地面に叩きつけられるようにして倒された。
何か生温かい液体が自分の頬にしたたっていることにルルは気付いた。
「!」
守るように重なっていた軍服姿の男には頭部がなく、煙に曇る空が仰向けに倒れるルルの目に飛び込んだ。生温かい血がルルの頬を濡らす。
緊急を告げるサイレンに混じり、兵士の怒声が聞こえてくる。
「お嬢様、お嬢様」
ガラスやプラスチック片が針山のように全身に突き刺さったまま、従者の霧立は這ってルルに近付く。
ルルは周囲を見ようと思ったが、身体が思うように動かない。唯一、右の方にだけ首を少しだけ回すことができた。
無表情の少女が搭乗していた『天底』の残された無骨な残骸が、演習場に転がっているのが見えた。ルルの視界が、遠のいていく意識に歩調を合わすように黒い煙によって次第に遮られていった。
「月形機、出撃完了、各『シロガネ』各機、及び『ルクレール』順次カタパルト移動」
ルルは現実に引き戻された。
あれからどれだけの子供たちが命を落としたのだろう。
(私も同じ顔……)
『シロガネ』に搭乗するルルのためいきは途切れることがなかった。
(三)
正岡が情報を収集している頃から、彼の所に無言電話や脅迫めいたメールが届くようになった。当然、警察には被害届けを提出したものの、犯人に直接つながるような情報は何も知らされることがなかった。
むしろ、通信会社と警察だけに伝えた連絡先にすぐにかかってくるような状態が続いた。
身の危険が迫っているのではないかと彼を心配する同僚もいたが、元来、頑固者の正岡である。余計に意固地となり、いつもと変わらない生活をあえて続けた。
「俺を監視しているのはテロリストじゃありません……我が愛する日本国ですよ」
彼は注意を促す上司にそう答えていた。
正岡は今、わずかな休日の時間、昔から通い慣れているファミリーレストランの席に座った。入り口から一番遠いこの席もお気に入りの場所である。
「正岡さん……このまま静かに聞いて欲しい」
ウェイトレスが運んできたナポリタンとコーヒーに手を付けようとした時、突然、背中合わせで座っていた男が声をかけた。
「私がこれからトイレに立つ時に、あなたに渡します」
「何をですか……」
「あなたが望んでいる物です、ただし、決して私のことは詮索しないでください」
正岡は聞きながら周囲に悟られないように、出来るだけいつもの姿を装ってナポリタンを口に運んだ。
「よいしょ」
後ろで立ち上がったのは老人であった。
杖をつきながら、奥のトイレへ向かおうとした矢先、杖を滑らせ、正岡のテーブルに手をついた。
「大丈夫ですか」
「おや、ご親切にどうも、大丈夫ですよ、ご迷惑をおかけしました」
礼を言う丸眼鏡をかけた老人の顔には、古傷が目立っていた。
老人はトイレに行った後、何事もなかったように会計を済ませ店から出て行った。
テーブル上のフォーク入れに、マイクロメモリーカードが入っているのを正岡は気付いた。それは職場に送られてきた物と同じ種類の物であった。
彼は、はやる心を無理矢理押さえ込み、いつも以上にゆっくりと食事を済ませ、職場へと向かった。
特別に用意されたプロジェクト室の端末に映しだされたのは、南極の最前線での戦闘をしている動画であった。
ヨーロッパ連合の二足歩行兵器と戦闘車両が雪原を進んでいく様子、モニター越しで狂ったように救援を求める少年たちの表情と悲鳴、目を開けたまま動かない兵士。
「俺は政府に……いや、全世界の国家によって封じられている秘密を今見ているのだ」
彼は映像を見ながら、プロジェクトメンバーになっている記者を事前に決めていた言葉で呼び出した。
「正岡だ、動物園の取材許可が下りたぞ、早版に回したいんで、雑観を取ってこれるか」
「動物園ですね、キャップ、絵解き、とばしておいてください」
答える彼らたちの声に力が入っていた。
(四)
蝋燭の炎が金色で装飾された祭壇に揺らめく影をつくり、少女のささやきのような賛美歌が流れる。
祭壇のある部屋を抜けると、また、同じようなつくりの部屋があり、それは延々と続く。
彩胡は軽く痛みの走る右のこめかみを押さえながらこの不思議な教会の中をさまよっている。
(私はどうしてここにいるの……)
彩胡は、いつから自分がこの場所を歩いているか分からない。
ただただ、いくつもの扉を開け、いくつもの部屋を通っていく。
どこか遠くで鐘が澄んだ音色を響かせた。
彩胡が扉を開けると、木製の長椅子の列の向こうに修道服を着た女性が一人、背を向け祭壇に祈りを捧げていた。
(すいません……ここはどこなのか教えてくださいませんか)
彩胡は修道女へ遠慮しがちに声をかけた。
「ここはあなたがつくりだした世界……」
「私が?」
「あなたたちは『歓びの唄』を最後まで一緒に歌ってはくれなかった……生命は一つの大樹から分かれそして繁栄し、様々な力を得て、また一つの大樹へと還る……その摂理をあなたたちは受け入れようとはしない」
修道女は背を向けたまま話を続ける。
「同化を経験することで、大樹の進化する道がまた拓かれるはずだった……」
「あなたは誰なのですか……」
「私たちは理解した……あなたが……守られているってことを……そして、逆に私たちを飲み込もうと画策していることを……」
「守られている……飲み込む……?」
いつの間にか、彩胡の前に少女が修道女の間を遮るようにして背を向け立っている。
「銀色の人形になった少女たち……あの人が創造したのでしょう……最後に邪魔をするなんて……」
「あの人?」
目の前に立つ少女の姿が消える。
修道女がゆっくりとふりかえった瞬間、彩胡は多数の若者が集う講堂の一番後ろの通路に立っていた。
壇上には一人の西洋人の若者が熱弁を振るっていた。
「追い詰められつつある我々には次世代への進化が必要だ、人類の生命の多様性は危機的な状況にあって、急激に拡大していく!そう我々のマスターともなるあの生物は、氷の中から語りかけてくれている!躊躇している時間はない」
聴衆の中には、熱狂的な拍手をおくる者がいる一方、明後日の方向を向いている者もいた。
(日本人かしら?)
そのあくびをする少年の顔はどこかで目にしているようだが、彩胡は思い出せない。通路の手すりを本能的につかもうとした時、スルリと掌を通り抜けた。
(!)
彩胡は自分の足が床から浮いていることに気付いた。
「何なのよ!」
驚きの言葉を発した彩胡を振り返る者は誰一人としていない。
(私……死んでいるの?)
「進化の風に乗ることのできない者たちは『死』の時を待つしか無い、私たちがこうして世界から集められた理由、それは潜在能力を開放し、次世代の扉を開く役を我々が任されたということなのだ、潜在能力とは……」
西洋人の若者がそう言って右手を前にかざすと、演台上のコーラの缶が泡を噴き出して宙へ飛んだ。そこにいる若者は、皆、大きな声を上げて驚いている。
「このようなことだって簡単にできる、次にそこにいる者たちにだけ天使の歌声を聴かせてみせよう、ただしこのような力は、君たちを驚かせるためのただの見世物にしか過ぎないが……」
若者が聴衆席の中段に座る者たちを指さした。
「何だ、この声はどこから聞こえるんだ」
「何てきれいな歌声なの!」
複数の者が、声の出所を探したが分からない。
「続いて、そっちの君たちにも」
左翼に座っていた者たちも、その不思議な声に首をかしげた。
「乗り遅れた者たちの『死』の鉄槌は必ず振り下ろされる、進化しうる者たちだけに偉大なる……」
「くだらないなぁ、いつものみんなの個人研究発表の方がずっと面白いよ」
言葉を遮るように前列に座る東洋人の少年が声を上げた。
「レオン、稚拙なマジックと氷付けの新種の生物を理由にジェノサイドの奨励かい、君の主張はまるで旧世代の独裁者やカルト指導者の思想そのものだ」
ほとんどの者は席から立ち上がって、少年の言動を批判した。
「テル、お前にも聞かせただろう、この世界の現実を、個が個であり続ける限り、その呪縛からは逃れることはできない、お前はそのことに対する解決策を一つでもここにいる者たちに説明することはできるのか?今、こうして我々が息している時間に、まさに一つの種はその寿命を終わらせようとしているのだ、だが、マスターに帰依した私はその解決の道筋を堂々と示すことができる」
レオンと呼ばれた壇上の青年は、騒ぐ者たちを制止し、努めて冷静を装った口調で話を続ける。
「私は、お前の言う詐欺師とは違う、金や宝石に囲まれた生活などは少しも望んでいない、それこそ私の最も嫌う『愚の行為』だ、砂漠に迷い込んだ哀れな蟻のような人類を、奇跡の力で、より良いオアシスへと導きたいのだ」
「その蟻ってさぁ、蟻だってあいつらなりに一生懸命生きているんだけどなぁ、そういう何でも見下す言い方をする奴に伝道師はむかないよ、群れをつくる性質の生物たちは動物界にもいっぱいいるということは否定しないさ、特に危険にさらされる率の高いものたちはね、でも、彼らは彼らなりに多産とかさぁ、集まって大きく見せるとか、色々工夫しているよ、それも長い時間の中でね、君のように奇跡的な力を神に授かった、だから、すぐに進化をしようなんていう行為は荒唐無稽という言葉にピッタリだと思うよ」
「テル、言い過ぎだぞ!」
「あなたには夢がないのね!」
「テルの方こそ、稚拙な意見だろ」
テルという少年へ皆からの批判の言葉が殺到する。
「みんな、やめたまえ、この黄色い日本人の少年の屁理屈を真に受けるだけ、時間の無駄というものだ、私の個人スピーチの時間は終わりだ、マスターの話の続きを知りたいもの、人類の進化を共に求めたいものは、この後すぐに私の個人研究室まで来てほしい、それではご静聴に感謝する」
大きな拍手が、聴衆からわき起こる。
彩胡は見ていた、聴衆の中で拍手をしていない二人、それはテルと呼ばれる少年と……。
(あなたなのね……でも、さっきは何で同化に誘う言葉を私に問いかけたの……)
目の前の修道女の姿をした少女であった。
彩胡はシロガネのシートに座っていた。
動力システムはまだ、正常に作動していたが、外部映像や位置情報を示すモニターにはエラー表示が点滅していた。
「まだ……生きている……生きているの……どうして……?」
「彩胡ノ覚醒ヲ確認、警告デス、コノママコクピットニテ待機ヲ継続シテクダサイ」
玉梓の声であった。
「玉梓、破壊されていなかったの!ここは、みんなは!今、どうなっているの!」
「本機ハ外部装甲ニ損傷ガ認メラレマス。次ノ質問ニツイテ、全テノ外部情報ヲ遮断シテイルノデ不明デス、最後ニクレバスニ落下シタトコロマデハ記録ニ残ッテイマス。今ハ、シールドモードデ起動中デスガソノ他ノ活動ハ、全テ停止サセテイマス、彩胡ノ身体ニ異常ハ認メラレマセン、タダ、脳波ニ若干ノ乱レハアリマス」
「敵の攻撃は」
「不明デス」
「一体、どうなっているの、みんなの所に戻らなきゃ」
「今ハ無理デス、演奏会場ニアロウト思ワレルピンホールヲ別システムデ捜索シテイマスガ、全テ妨害サレ、メモリーエリアノ破壊ト復旧ヲ交互ニ行ッテイルトコロデス」
「どうしたらいいのよ」
「ドウモデキマセン、時ヲ待ツシカナイデショウ、アナタハ仮ニモリーダーナノデスカラ、慌テルコトハ禁物デス」
暗いコクピット中で彩胡は色々と試そうとしたが、玉梓から返ってくる言葉はどれもつれなかった。
(五)
深夜とはいえ、新聞社の明かりが消えることはない。ただ、その夜だけは違っていた。
「火事デス、火事デス、落チ着イテ避難ヲハジメテクダサイ」
火災報知器のベルが社内に突然鳴り渡り、防災装置の発する男性の録音された声が社員の緊急避難を告げた。それはまさしく明日の朝刊一面に載せることが決定し、徹夜の編集作業が終了しようとしていた矢先の出来事であった。
正岡らは場所を特定すべく部屋から飛び出し、窓に近付いた。
いつもだったら見える街の明かりが消えていた。だが、それは棟続きの印刷所の窓という窓から吹き出る黒煙によって隠されていただけであった。
「すぐに避難しろ」
新聞「新日本」の本社、支社をつなぐ回線も遮断され、各地域にある印刷所へ原稿データも送信できなくなっていた。不夜城と呼ばれたビルの明かりが消え、外の消防車と救急車の発する赤い光が部屋の中に影をつくる。
正岡らの手によって発行されようとした記事は、紙面に載ることはもうない。
正岡は自分と対峙している深い闇の深さにむしろ感心した。
次の日の朝、消防署と警察による現場検証が行われた。幸いにも避難が早く、最後に避難した現場責任者もも軽いやけどですんでいた。
配送業者のトラックに積まれた大量の荷物が発火の原因と発表された。複数の警備員の共通した証言は、見慣れない顔のドライバーであったというものであった。また、通行許可証は間違いなく本物であったことが警備システムの記録に残っていた。
その他の詳細はまだ不明だが、時限的に発火させたことは疑いようのない状況であった。
「正岡さん、まさか自分たちのヤサを記事にするとは想像もしていませんでした」
後輩の自嘲気味の言葉に、正岡は軽い相槌を打った。
幸いにも正岡たちのいる階まで火の手は回らなかったのだが、スプリンクラーが作動し、書類の山はまだ水をしたたらせている。上司はこの状況の中、例の情報に関する全資料の提出を正岡に求めた。
(やはり、俺たちの動きはつかまれていた……誰だ……誰なんだ)
こうなると皆が疑心暗鬼になるのもやむを得ない。それは正岡自身が一番感じていることであった。
「次長が呼んでいます」
正岡はまだ、その命令に応じていない、自分の隠し持っているマイクロメモリーカードをどうするかだけを考えていた。何人かの同僚が、データを自分に預けてほしいともちかけてきたが、正岡はどれも断っている。
(俺の行動は監視の目をくぐり抜けることは無理だ……残りの手の内は一つ……だが、こいつは賭だ……)
「うわぁ、すいません」
通路を挟んだ前席の高浜が、彼自身の机上の書類を、ばらまくようにして床に落とした。持っていた山のような濡れた書類で前方が見えなかったためである。高浜は濡れた床に這いつくばるようにしながら、書類を懸命にかき集めている。
正岡は腰をかがめ、片付けを手伝うふりをしながら、高浜に近付き、小声で話しかけた。
「高浜、折り入って頼みがある、こっちを見るな」
「何すか、鬼記者の正岡さんが情けない声を出して」
正岡は、ハンカチで自分の顔を拭くようにしながら、メモリーカードを器用に取り出した。
「こいつん中に入っている映像をネットで拡散して欲しい、責任は俺が……」
「俺が取るなんて言わないでいいっすよ、正岡さんが、これで引っ込むとは思いませんからね、まぁ、幸いにも俺、独身なんで家族養う心配ないし、今回の件で何か記者魂ってもんにタッチすることができましたよ」
調子の良い男だと正岡は思ったが、彼の陽気な言葉に少しだけ心が救われるように思った。
「やってくれるか……」
「ぶちまかしてみせます」
机の下で、彼にメモリーカードを手渡す前、正岡は少しだけ躊躇した。
彼はスパイなのかもしれない、果たして本当にこのまま信じて良いのか、もし、これが政府の手に渡れば事実は全て封印されてしまう、彼の頭の中の思いは、まるで沸騰した水の泡のように次から次へと湧いては消えていった。
彼の拳に一瞬だけ力が入る、だが、もう後に戻ることはできなかった。
メモリーカードが滑り落ちるようにして高浜の手の中に収まった。
それから数時間後、日本国内のみならず全世界にその映像は配信され、事態は急転した。
(六)
「ああ、また泣いてるよ!」
「弱虫だなぁ」
僕は幼い頃、いつも泣いてばかりいた。
扁桃腺を腫らして入院することが多く、時代が時代なら、とうの昔に亡くなっている子供だと親戚をはじめ周囲から揶揄されていた。
近所に住む奴らは、僕の顔を見るや追いかけてきて、小枝や石を投げ、狩りのまねごとを始めた。僕は親と買い物に行くことさえもためらうような気の弱い子供であった。
「君ハ強イ『力』ヲ欲シクナイノカ」
僕に家に雑種の子犬がやって来た。
雨の日、いやな学校から帰ってきた僕の家の玄関の前で震えていた。僕は無視するわけにもいかず、だからといってすぐに家の中に入れることもできず迷っていた。
「そこどいてよ」
そういう僕に子犬は鼻を鳴らし、自分の存在を気付いてくれたことを喜ぶように近付いてきた。
「勘違いしないで、僕は君を飼えないよ」
言葉が通じないことは分かっていた。その子犬はなおも僕に甘えてきたというよりもすがってきた。僕はそいつが自分と同じように情けない顔をしていたので、なぜか急に怒りが湧いてきた。
「どけよ、ここはお前の家じゃないんだ」
子犬は尻尾を後ろの足の間に入れ、腰を抜かしたように後ろに下がっていった。そして、玄関の扉にぶつかり、ヒーヒーと怯えた鳴き声をあげた。
僕は、今までなかったほど心が揺れた。受け入れたい自分と拒否する自分がそこにいた。でも結局、僕は泣きながら子犬を抱きしめていた。
両親も特に反対することなく子犬はうちの家族になった。
彼は一人でふせぐ僕を心配するようにいつも寄り添ってくれた。だけど、彼も弱虫で雷や大きな音がしたりすると、ベッドの下や物陰に飛び込んで震えていた。
「君ハ強イ『力』ヲ欲シクナイノカ」
僕が彼と散歩をしている時、四人の同級生の奴らが僕をからかいながら自転車で取り囲んだ。そいつらは僕と彼を輪の中から出さないようにし、足で蹴ってきた。
でも、彼は本当は怖くてしょうが無いくせに僕の周りを回りながら、そいつらに向かって一生懸命吠えた。
「君ハ強イ『力』ヲ欲シクナイノカ」
一人の足が彼の脇腹に深く入った。彼はキャンと一声泣いて泡を吹いてアスファルトの上に倒れた。
「君ハ強イ『力』ヲ欲シクナイノカ」
(僕は強い『力』が欲しい!)
そこから先は、断片的にしか覚えていない。
だけどすごく気持ちよかった。
自転車を蹴倒して、転がった一人の奴の腕にかみついて肉を食いちぎった。しょっぱい味が僕の口の中で広がった。他の逃げようとした奴の自転車の荷台を掴 み、横に引き倒した。僕は乗っていたそいつの股間を蹴り上げた。苦しむそいつの姿は奇妙でとても面白かった。倒れたやつの頭を思いっきり僕は踏みつけた。 そいつの頭はアスファルトににぶい音を響かせた。
僕は自分が鬼になったような気がした。
(こんなに気持ち良い……血がこんなにきれいな色をしていたなんて)
気が付くと僕の前には制服を着た警察官が座っていた。
「ソウ、モウ君ハ強イヨ、ダカライジメラレル僕ラヲ助ケテホシイ……山川クン」
(七)
実験棟で物質変化の定時観察を終えノーノとテルは機械実験専用のラボの横を歩いていた。幾人かの学生を除いて皆、宿泊棟やホールで夜の自由時間を楽しんでいた。
「テル……私はあれが嫌い」
実験機材に半身を埋もらせた『ビッグ・ウィリー』を指さしながらノーノはテルに言った。
「どうして?」
「生物学的じゃないのよ、デザインもコンセプトも……ただの人形じゃない」
「へぇ、俺はかっこいいと思うけどなぁ、災害とかでも便利なんじゃない、危険な所にもどんどんいけるしさ、何でそんなに嫌うんだい」
「こんな道具を使うようになってしまったら、人間にはもう進化の可能性が無くなるの、生物って、過酷な環境に適応していくことで、本来持っている生態を変化させてきたの。こういった人形とか機械とかある所までは便利な存在、私は車や飛行機を全部否定する訳じゃない、でも、人の形を模することで人間はそこに 違う役割を課そうとしてしまうの……その役割って何だか分かる?」
「難しいな」
「生物どうしの生存競争……簡単に言えば『兵器』よ、最初は別の生物を殺すでしょ、そして互いに殺し合う、愚かで単純すぎる展開、そして最後に進化するのは人形と人間よりももっと上手く操ることができる人形師だけ……あれのような……」
「話が飛びすぎだよ、ノーノ、こんなのただのネジだと思えばいいんじゃない、でかいネジ」
「あなたも愚かで単純ね」
ノーノはテルの本気ともつかない冗談に笑った。
「私ハ強イ『力』ガ欲シイ」
『ビッグ・ウィリー』は日を追うごとに改良が加えられ、金属製の薄い外殻が上半身を覆った。操縦系統には、脳波による動作の補助も装備された。そちらをメインに設定すると、操縦者が操縦桿で動かすよりも段違いに高速で動いた。
システムをいじっていたジョアンの言葉はテルを驚かせた。
「相性?機械と人間に?」
テルの疑問にジョアンの横にいたカレルも真顔で頷いた。
「脳波のリズムの癖っていうのかな、新型のバイオコンピューターは面白いね、ほんの小さな傾向まで拡大的に分析してくれる、人間の脳波の違いがより明確に反応する現象、それがつまり相性だね」
「自己成長をプログラムに組み込むことで、より良い判断を『ウィリー』自身が選択することができる、当然、彼の好みに合った者が、操縦者にふさわしくなるって訳、人間が操っているうちに、『ウィリー』に操られちゃうなんてことも理論上では可能ね」
「自立型の『最高の兵器』にも化けるこいつが完成したら莫大なマネーが動くし、俺たちの就職先も安泰だよ」
カレルの目が輝いた。
「『兵器』?馬鹿なこと言わないで、世界平和に使うのよ、善の心をもつ人が使えば、救世主にさえなることだってできるんだから」
「悪いテロリストを殺すことは善いことだと思わないか、ジョアン?」
「そんな屁理屈を言う人、この子嫌いになるはずよ」
(進化の椅子に座るのは人間ではなく、機械と人間よりも優秀な操り人形師……)
テルは、二人の言葉を聞きながら、表情を暗くしている。
「私ハ強イ『力』ガ欲シイ」
山川の目の前では、大きな人型機械の周囲にいる若者たちが古めかしい八ミリフィルムの映像のように暗闇に投影されている。
(俺……何見ているんだ)
山川は古い映画館の中央の席にいた。彼の周囲には誰もいない、カラカラと映写機が回る音だけが、狭い館内に響く。
先程までの映像は、若者たちが静止した状態で突然終わった。
投影された映像に少女の顔が映った。見たことのない顔だった。
「お兄ちゃん、私ね、迷っているの」
少女はそう言ってニッコリ笑った。
「このまま、この銀のお人形の中で、お兄ちゃんと苦しむのか、それとも、歌の上手なお姉さんと遊ぶのか」
山川は、はじめはフィルムの中だけの話だと思っていたが、次の少女の言葉で、それは自分に対しての問いかけだということに気付いた。
「山川のお兄ちゃん、大事なワンちゃんも守りたいでしょ、私ね、苦しいの嫌いなの、この銀のお人形の中はとても苦しいの、でもお姉ちゃんと遊ぶと苦しくなくなって、すごぉく可愛くなって、そして……」
少女は言葉を止めた。
「強い『力』を持つことができるの!」
少女の口から出てきた声は野太い男性の声であった。
(八)
(どうして僕はまたこんな格好をしているのか)
半平の『シロガネ』オジロ機は、ゴキブリのように雪の山肌に這いつくばっている。
「ショウガアリマセン、彼ラノ唄ヤレーダー波ヲ中和シテイマスガ、視覚ダケハ誤魔化スコトハデキマセン、『ケンタウロス』タイプノ兵器ヲ五機確認シテイマス」
這いつくばりながらも、オジロは目的となる地点への距離を少しずつ詰めていった。
「クガネノモウ一人ノ私ハ、半平サント私ノ信号ヲ待ッテイマス」
「分かっているよ、失敗はできないんだって聞いているから、こうやって近付こうとしているんじゃないか、ピリカ」
「ピリカ……ドコカデ聞イタコトガアル言葉デスネ、デモ私ニトッテ重要ナ言葉デハアリマセン」
(僕が、それが重要な言葉だってこと、必ず思い出させるよ)
「半平サン、脳波ニノイズデス、余計ナ思考ハ極力ヒカエテクダサイ」
半平機のすぐ側を警戒中の『ケンタウロス』が一機、雪煙を上げながら姿を見せ、また、雪煙の中に消えていった。
「ふぅー」
一週の緊張の後、半平は安堵しつつオジロ機をさらに進ませていく。
サブモニターの一部が警告表示を示す赤色に変わった。
「どうしたんだ」
「見ツカリマシタ……敵機、高速デ接近シテイマス」
「えっ?どうして?何で分かったんだ?」
オジロ機の側に着弾をあらわす雪の柱が高く伸びた。
「ソレハ、私タチ自身デスカラ」
「何のこ……と……うわぁ!」
半平は赤外線映像をノーマル状態に変色させた映像を見て声を上げた。
「山川先輩、生きていたの!でも……どうして……」
半壊状態のモニターに映る山川のハヤブサ機は、半平のオジロ機をライフルで狙っていた。
半平の反応より早く、『玉梓』はオジロ機の出力を最大に上げた。
左にかわしたオジロ機の横に山川の放ったライフル弾は雪を溶かし氷塊を粉砕した。
「コチラヲ拒絶シテイマス」
「拒絶って?」
「原因不明デス、作戦ニ支障ヲキタシマス、破壊ヲ提案シマス」
「そんなの……」
オジロ機は運動性優先の機動タイプに換装しているため、被弾すると通常装備時より被害が大きくなる、だが、半平は、この状況をまだ受け入れられないでいた。半平が山川への通信回線を開こうとパネルに触れる寸前にスイッチが自動的に切れた。
「通信回線ハ開カナイデクダサイ、『唄』ガ直接流レコンデキマスノデ勝手ナガラ遮断サセテモライマシタ」
「うわっ!」
「避ケスギデス、ハヤブサ、ターゲットニ対シテノ命中率ハ三十パーセント以下ト推察シマス」
ハヤブサ機の弾道があまり正確ではないことに半平も気付いた。
(あそこにいるのは本当に山川先輩が操縦しているのか?)
『ケンタウロス』タイプBツー二機、左前方ヨリ接近、再提案シマス、デキルダケ距離ヲ広ゲ、目標地点マデノ到達ヲ優先サセマショウ」
「僕もそれなら賛成だよ、逃げるのなら得意だ」
「ソノカワリ、生存ハアキラメテクダサイ」
「いやだ、僕はあきらめないって、うわっ、危なすぎる」
弾道がオジロ機の右脇をかすめていく。
「相変ワラズ半平サンハ強情デスネ」
「ピリカほどじゃない」
「半平サンノ答ハ、ワタシノ感情レベルヲ少シダケ変化サセマシタ、奇妙ナ『ノイズ』デス」
オジロ機のあげた雪煙は、強風にあおられ大きな渦を巻き、辺りを白色に塗りあげた。
(九)
「ペンギンほど、空を飛ぶのが上手い鳥はいない」
講義は教授のその一言から始まった。
モノクロの世界。
静かだった講堂内にクスクスと笑い声が漏れる。
「ペンギンたちは大空を自由に飛び回っていたことが化石で証明されている、ペンギンは南極に全ていると勘違いしやすいが、南極に生息する主なペンギンは『皇帝ペンギン』と『キングペンギン』、『アデリーペンギン』だ。それ以外はその他の範囲と考えて間違いは無い。そこで君たちに質問しよう、なぜ彼らは南極の厳しい自然環境で生きることを選択したのか、なぜ彼らはその空飛ぶ翼を捨ててしまったのか、わかる者は?ノーノ、君のことは前もって指名しないと言っておく」
教授は、壇上で画像をスクリーンに投影しながら説明を加えている。
彩胡は、講堂の一番後ろの同じ場所に立っていた。
(また、この場所……)
古代のコロシアムのように演台を囲み並ぶ席には整然と多くの聴講生が座っている。その中の一人、が挙手した。
「テル、答えなさい」
はじめ少年に見えた姿は、小栗大佐に変貌した。軍服に身を包む小栗は、その場に立ち上がり答えた。彼にだけスポットが当てられたように色が付いた。
「はい、気候の急激な変動と追い詰められた結果です」
「単純な答えだが、間違いでは無い。と、すると追い詰めたのは誰だ、これは質問するまでもないであろう、外敵。すなわち自分の生命を脅かす者だ、南極が温暖な気候であった時代、彼らにとって、そこは至極の新天地であった、南極環流に乗り、いくつかの個体は様々な地域へその生息範囲を広げていった、だが、皆も知っている通り、気候変動によりそこは氷の世界と変わった。南極で安穏と暮らしていた生物は長い時間の中で楽園から追放されていった、ほとんどの種は環境に適応できず絶滅、だが、したたかなペンギンは自らの形を変え、進化することによって生存の可能性を見出した。どうだ、このペンギンの無駄の無い見事なフォルムを」
皇帝ペンギンがスクリーンに大きく投影された。
「進化できずに絶滅を間近にしていた物を自分の進化のために利用する特殊な生物もいた、それが……こいつだ」
教授がポケットから取り出したのは透明な直方体であった。教授の手元が拡大投影されると、直方体の中に『クリオネ』に似た形状の小さな生物が硬質プラスチックのような物で固められていた。
「人の親指ほどしかないこの生物は『寄生』という生態に、驚くべき能力をプラスしていった、ノーノ、君はもう見ているね、その能力を皆に教えてあげてくれ」
「はい」
次に立ち上がったのは、あの女性であった。彼女はすました顔で教授の質問に返答した。
彼女にもどこからか光が当てられる。
「『思考と感情の支配』」
「その通り、彼らはその宿主の能力を吸収し、知能を高めていくことが可能であった。このような生物は、この地球上ではいない、彼らの原種は……」
会場が静まりかえった。
「隕石という二等列車に揺られ、宇宙から降りてきたのだ、今、私の手の中に収まっている死骸が、もし生きていたらとうの昔に私、いやここにいる者たちは全員、彼らの忠実な僕となっている。次に見せる映像は、東側諸国での軍事基地内の実験室で撮影されたものだ、さぁ、彼らよりも劣る君たちの脳皺に刻み込むようにして見たまえ、天敵のいない人類にとって神から天敵という役割を与えられた生物の能力を!」
自分が幻影か彼らが幻影かその境界を知ることのないまま彩胡は、そこで映し出された哀れな被験者の姿にただ絶句した。
(何なのよ……あなたたちは何を私に見せようと言うの?何を伝えようと言うの!)
暗い講堂には小栗とあの美しい女性しか立っていない。二人は、彩胡の反応を確かめるように見、そして微笑した。
(十)
吹雪が止んだ。
南極は白く荒れた肌を白夜の造り出す蒼一色へと粧う。
高山に囲まれた中心に満月のように見える真円がある。
広く平らな雪原、その形は、かつて真円が湖であったことを物語っていた。湖を見下ろすようにそびえる山の狭隘の地に修道着姿の若者が十人ばかり立っている。普通であれば数分で凍死してしまうような過酷な環境の中においても、彼らはまるでそこが春の草原のごとく表情も変えず集っている。
「主よ!」
断崖の一番側に立つ背の高い青年はそう言って、両手を大空に広げ、かぶっていたベールを脱いだ。
レオンであった。年月を経ても彼は小栗テルと出会った当時の青年の姿をしていた。その他の者たちも次々と顔をあらわにした。全てが今、対峙している小栗と同じ学校に所属していた生徒であった。しかし、そこにはノーノの姿はない。
「死に最も近いこの全天の中心の地で静かに時を待つのもこれが最後となりぬ、時は来たれり、怠惰にむさぼる生命を覚醒せしめ、進化の大樹に新しき実を付けんことを……」
地鳴りが響く。
「我らの聖霊よ、愚鈍なる生あるものたちを導き給え!」
白い真円が彼の言葉を受けたかのように雪と氷を噴火したかのように空へ高々と吹き上げていった。
(十一)
「水中から人型の機械生命体!ル・トリオンファン級原子力潜水艦がマテリアル(素材)です」
フランス海軍に所属していた不明艦である。
「爆雷投下継続、追尾魚雷システム開放、全弾射出」
「システム開放、全弾射出!」
兵士の声をかき消すかのように『クガネ』艦内の警告音は狂い続ける。
「正面、中央氷原より敵……いえ、欧州連合の残存モスキート機です、本艦へ急速接近中」
「こ……これは……」
副長は命令の言葉につまった。敵に思考が支配されているとはいえ、操縦しているのは、数時間前までは同じ人間として存在していたものである。
「くっ……」
「奴らは敵だ、『シロガネ』全機、攻撃を」
艦長席に座る小栗は、珍しく狼狽する副長とは対照的に冷静に命令を伝えた。
「殺してやるんだ、みんな殺してやる!」
継は、薬でもうろうとしながらもスロットルを握っている。搭乗するときに、サツキや整備長はこぞって命令に反対をしたが、軍という体裁をとる組織には無駄な抵抗であった。
敵機接近を告げるアラートと共に継のメインモニターには、白夜で蒼く輝く嵐のおさまった雪原が映り、被さるようにして赤いターゲットマーカーが無数点滅している。
「まだ……遠すぎる」
ルルが『シロガネ』セキレイ機のコクピットでつぶやいた時点で、継と蝶子の操る二機は砲撃を始めていた。
「これだと、囲まれる!みんな展開して!」
「はい、逐次前進します」
和賀が指示する前に、ルルのセキレイは行動を始めていた。
「時山先輩!」
カネトは単機で進撃するルルを見て思わず声を上げた。
「平気……カネトちゃんは支援を、和賀さん、B八二ポイントの屈折点をおさえます」
「ルルサン、ソレハ得策デハアリマセン、物量ガ違イスギマス」
「黙っていて」
ルルはセキレイの『玉梓』の言葉を否定した。
「私の周囲に敵が集まれば、艦長は私ごと撃ってくれる、さっきのように」
「自暴自棄デスカ、ソレハサラニ確実ナル自滅ヲ意味シマス、アナタト私ガ無クナッタッテ、コノ状況ハ変ワリマセン、ムシロ、全滅ガ早マルダケデス、ホラ……モウ崩壊ガ始マッテイマス」
ルルのセキレイ機の後を蝶子のチドリ機が続いていた。
「蝶子さん!下がって!」
「何よ、あなたが私に命令?、笑っちゃうわ、あいにくだけど、あなたにだけは負けたくないの」
高速異動するチドリ機とセキレイ機の後を追うように、敵機の砲弾が降り注ぐ。
「あなたたち、愚かです……でもそういう私も友人に砲を向けるイディオット(大馬鹿者)」
フランソワも自嘲しながら『ルクレール』の背面にある砲塔の仰角を上げていった。
(十二)
「通信クリア!各エリア通信可能!」
『クガネ』のオペレーターは、予想もしていない状況に大声を上げた。それは妨害している『唄』が止んだことを意味している。
レーダーを兼ねた大型パネルには、南極を中心に配備された各国の連合艦隊や航空兵器の位置が光点となって投影された。
「我々の作戦が……月形は成功したのか」
この状況に副長は思わず声を上げた。
艦長席の小栗は、首を横に振った。
月形の『シロガネ』オジロ機は撃破されていないものの、無数の敵に包囲され、目標地点の半分にも進んでいない。
「なぜだ、なぜ彼らは唄を止めたんだ」
近くの乗員たちも誰へと言うことなくその理由を求めた。
「緊急一斉入電です!回線は全ての軍事通信用のチャンネルを占有しています……発信元は一週間前、消息不明となったアメリカのC130ZJ2、経路は……同国の軍事衛星がハッキングされています」
「無理もなかろう、奴らにはこの世の知が凝縮しているからな」
副長の嘆息に表れているように、それは南極周辺にいる軍隊の通信を全て傍受していることを意味していた。
「相手はもう分かっている」
小栗は動じることなく、その表情に笑みさえも浮かべていた。
「忘恩の罪にまみれ、愚鈍なる生あるものたちに告ぐ」
白い景色を背景に浮かび上がるように映ったのは、修道服姿のレオン本人であった。
(馬鹿は馬鹿のままか)
スクリーンから聞こえてきた声に小栗は針のように目を細めた。
「哀れなお前たちは、我らのうちにおられる聖霊に気付くが良い、主の力は我らに働き、主の助けによって事を進めることができるのだ。我らができる以上のことが主によって成し遂げられ、我らに成せなかったものが成すこととなるのだ、主に不可能なことはない、聖霊がお前たちの上に臨まれる時、その力が与えられ、地の果てまでその証人となる」
「副長……」
小栗は、スクリーンに見入っていた副長に声をかけた。
「耳を傾ける価値もない聖書のくだらない受け売りだ、それよりもC級乗員を魄エリアへ移動させてほしい」
魄エリアは動力機関とは隔絶された一部の者以外は立ち入りを禁じられている場所であった。副長はこうなることを予測していたかのように頷く。
「『シロガネ』搭乗員を除く実習生は、全て持ち場を離れ、『クガネ』魄エリアに避難せよ」
艦内放送を入れた後、副長は小栗を見た。
「間に合わなかった、いや、勝利する可能性が最小値になったわけですな」
「その低い数値にかけてみるのもゲームとしては楽しいものだろう、結果によっては残った者たちの方が我々よりも地獄を見るかもしれない、不幸にも選ばれた『シロガネ』に乗る彼らのように」
小栗の指さす白夜の艦橋の強化透過鋼の向こうでは、交戦による光が星のように瞬いていた。
「艦長、失礼だと思いますが、じじいの最後の戯言だと思ってくださって結構です、あなたは私が考えていたよりも軍人には向いていないようですな」
「副長、あなたも軍人なら気付くのが遅い」
今までの小栗にはない柔らかい返事であった。
(十三)
「何で、こんなに待ち伏せしているんだ」
半平は小栗の指定した地点に届いていないことに焦りを感じている。
「ソレハ、彼ラニトッテ、ソコニ大切ナモノガアルカラデス」
「何だよ、その大切なモノって」
「多分、半平サンニトッテモ同ジヨウナ存在カモシレマセン」
「ピリカ、もう少し分かりやすく言ってくれ」
「確定シテイナイコトガ多イ条件ニツイテハ解析ノ時間ガ必要デス、正面敵デス」
オジロ機の前のクレバスの一部が割れ、欧州軍の戦闘機が頭部に載る、四足歩行兵器が現れた。
「新型デス、『マテリアル』ハ、『グリペンJAS四一B』、欧州連合所属機デス、命名シマスカ」
「何言ってんの!」
「分カリマシタ『ナニイッテンノ』デ登録シテオキマス」
「ちょっと待ってくれよ、うわっ」
敵機のリボルバーカノンが火を噴いた。
「今ノ反応値ハ、トテモイイデスネ、トップスコアデス、サスガ半平サンデスネ」
「今、褒められても嬉しくないよ」
「弱点ト思ワレルポイントヲ、示シマス、生体部トノ接合部デス」
半平は機体を移動させながら、メインモニターに投影されたターゲットマーカーの同期と収縮を待った。たった一秒未満のことだが、今の半平にとってはとても長い時間のように感じた。
『玉梓』による補正も入り、ライフルの全弾は敵の機体を貫いた。黒煙を上げた敵機はクレバスに片足を落としたまま動きを止めた。
「パイロットが乗っていたんじゃないか」
「不明デス」
半平は打ち消すように首を振ってから、前進するためにスロットルを開こうとした。
「通信、クリアニナリマシタ」
『玉梓』の言葉の通り、モニターには遠隔地の状況の様子が次々と投影されていった。
わずか後方に、山川の機影が近付いてきているのを半平は見た。それ以外の情報を読み取ることは焦りを見せる半平には無理というものであった。
「一斉通信」
見たことのない青年が、野外で何かを言っている。
「どうしたんだこの通信は、何で今になって『唄』が止まる?」
「コレニツイテハ、大佐ハ予想シテイマシタ、考エラレルコトハ二点、一点目ハ敵ガ自死スル時、モウ一点ハ、全人類ヲ殺戮スル行動ニ移ル時、彼ノ言葉ヲ訳スルト全人類ニ対スル宣戦布告デスネ、ヨッテ、二点目トイウコトデス」
「つまりどういうこと?」
「今、南極ニイル以外ノ者モ彼ラノ攻撃対象ニナッタトイウコトデス、予定ヨリモ早イデスネ」
半平の額に冷たい汗が流れる。
「結論、半平サン、時間ハモウアリマセン……ソシテ……」
半平の目の前に『ケンタウロス』型の敵機が迫ってきていた。
「囲マレテシマイマシタ……ドウシマスカ?逃ゲマスカ、ソレトモ……」
クリアになったレーダーとサブモニターには、『クガネ』の周辺に展開している『シロガネ』の機影、その横のモニターには損傷しながらも迫る山川の『シロガネ』が映る。
「戦うよ……ピリカ、バックアップを頼む」
「了解」
半平は右手の人差し指を、スロットルについたライフルのトリガーに静かにあてた。
(十四)
各国のマスメディアは、ネットで既に流れた情報とあわせ、一斉にこの放送についての真偽を確かめるべく、各社が一斉に動き始めた。官公庁の回線は人々からの問い合わせで強制的に規制を入れざるを得ない状況となり、一部の国民による商業施設での買い占めの動きが出始めた。
『南極の真実』にかかる事態の説明に対応するため、日本政府も緊急閣僚会議を開くこととなった。
正岡の新聞社の上層部も今までの対応について、掌を返すように変え、南極での出来事を報道する姿勢を明確にした。
謎の青年の演説が終わると、ものの一時間もせず各局も特別番組に切り替え、事態の推移について放送を始めた。日本代表選手として、ルルや半平の顔写真が映り、現在、彼らとは音信不通であることも、番組のキャスターは伝えている。
どこから聞きつけてきたのか、正岡の所にも出演依頼が相次いでいた。だが、編集部の焼け跡の中で、正岡をはじめとした関係者は口をつぐんだままであった。
正岡は、新聞社に近い駅前広場のベンチに一人座っている。緊急車両のサイレンの音がいつもよりも多くビルの間をこだまする。
(動き出した民衆の波を止めることはできない、しかしその波は尊い命を奪う津波となってはならない……だが、俺はこの社会の混乱をどこかで求めていたのかもしれない)
大きな鞄をもつ人々が足早にコンビニエンスストアに集まる様子をすぐ近くで見る正岡は、自分が行ったことが果たして正しかったことなのか、今になって迷い始めていた。
その頃、一部のアマチュア天体観測者の中で、不気味な噂が流れ始めていた。
それは、人工衛星の軌道が大きく変わり始めたというものであったが、各国の天文台はまだ黙秘を貫いていた。
(十五)
「彩胡サン、今ナラ移動可能デス」
彩胡は『玉梓』の声に目を覚ました。
(また眠ってしまっていた……)
「『唄』ガ止ンデイマス、周囲ノ状況モ分カリマシタ、近クノ敵ニ見ツカル可能性ガ高クナルノデ、通信ハクローズシテオキマスガ、『セキレイ』『チドリ』各機ガ前線ニ展開ヲ始メテイマス、合流ヲ優先スルコトヲ提案シマス」
「分かったわ……ねぇ、『玉梓』、教えて、今、戦っている敵と小栗艦長には、どんな関係があるの?」
「『クガネ』ノ艦長トナルノニハ、敵ニ対シテノ一番ノ理解者デアリ、関係者ガ条件デス、私ガ答エラレルノハココマデデス」
「知ってるけど言えない?」
「イエ、知ラナイカラ言エナイデス」
彩胡の脳裏には、まだ美しい女性の姿と小栗艦長の並ぶ姿が残っている。
「ココヨリモ南極点ニ近イ所デ、『オジロ』ト『ハヤブサ』ガ接触シヨウトシテイマス、『オジロ』ハ機体信号ガ正常デスガ『ハヤブサ』ニハエラーガデテイマス」
「どういうこと?」
「『ハヤブサ』搭乗の『玉梓』ガ『唄』ヲ防御シキレズ一部同調シタノカモシレマセン」
「ここからは遠いの?」
「今イル地点ハ『セキレイ』ト『オジロ』トノ中間地点デス、タダシ合流前後ノ生存確率ハ計算スルマデモナク……」
「すぐに半平くんの所へ!」
背面砲塔や装甲板の破損の目立つ彩胡のシロガネ『キジ』は、雪を排出風で巻き上げクレバスの隙間から機体を起こした。
「了解、進行報告、敵機一デス、ライフル残弾数確認、エラー検出サレズ、発砲可能デス」
彩胡の『キジ』は再び戦いのための羽根を広げていった。
(十六)
看護班の伊庭や整備班のサツキらは、上司に見送られるようにして『クガネ』の魄エリアに移動していた。
移動命令を聞いたとき、各班の少年たちは、一様に驚いた。自分のタグを預けながら、「もう会うことはないかもしれないな」などと冗談を言う兵士もいたが、将校らは理由も言わず粛々と命令を伝えただけであった。
八十人ほどの少年や少女らは、命令に従い何層にも重なった防護扉を通過していく。
(何で、私たちはこの場所に急に行かされるんだろう)
そう疑問の念をもつ者がほとんどであったが、誰もその言葉を表だって口に出す者はいなかった。
最後の扉には、中心に大きな勾玉の模様がレリーフされている。
扉が開いたとき、サツキたちは皆、言葉を詰まらせた。
ドーム状の魄ホールには蒼い液体の詰まった九つのガラスケースが、奥の壁に整然と縦に並べられている。
ケースの中には、裸の少女たちが、下半身と頭部を覆う生命維持装置を付け浮き、光のシグナルがケースの上部を周回するように流れ、外部の装置が呼応するように点滅する。
「いやぁ!」
その中の一人の少女の顔を見て、伊庭は思わず声を上げた。
一番中央のケースに入っているのは死んだように蒼い水の中に漬けられたピリカの姿であった。彼女の全身の肌からはチューブが虫のように飛び出ていて、それが複雑に絡み、ケース下部の装置に接続されている。
(ミンナ、大丈夫)
(ココハ、唄ガ聞コエナイ)
(私タチガミンナヲ守レル場所)
(『クガネ』ガ沈マナイ限リ、ミンナハ安全デス)
(デスカラ、コノエリアカラハ出ナイデクダサイ)
伊庭たちの頭の中に聞き慣れない少女たちの声が響いた。
ただ、整備班のサツキはその声が誰の者なのかすぐに分かった。
「『玉梓』……ピリカちゃんたちが……『玉梓』なのね……それが……」
九機のシロガネの補助システム『玉梓』の事実を知ったサツキは、両手で顔を覆って、その場に泣き崩れた。