「月に雪雲、花に暴風雪」
第十一話「月に雪雲、花に暴風雪」
(一)
格納庫に平手打ちの乾いた音が響いた。
「半平!何で、何であいつを助けることができなかったんだ」
半平の胸ぐらを駆け寄った継は細い腕でねじ上げた。
「すいません……僕が……僕が悪いんです……」
「良い、悪いじゃない!何で助けてくれなかったんだよ」
継の大きな目から涙がこぼれている。
「ノー……半平は悪くない……それは私が……」
両脇を看護兵に支えられタラップから降りてくるジョーの姿は痛々しく、クロヒョウのような機敏な動きは失われていた。
「黙れ!裏切り者!お前が……」
継は半平を突き飛ばし、ジョーへ迫った。
「やめなさい!誰が悪いんじゃないの!しょうがなかったのよ!」
和賀が二人の間に立ちふさがって、興奮しながら泣く継をいさめた。継は恥も外聞も忘れたように膝をくずし、幼児のように大声でその場で泣き崩れた。
「ジョー、あなたにはあなたの仕事があった……それは理解できます、ただ、彼女の哀しみだけは受け取ってあげてください……看護兵の皆さん、すぐに治療を受けさせてください」
「ソーリー……」
ストレッチャーにのせられたジョーの左の顔半分は血で染まり、腕にはいくつもの金属片が刺さったままの状態になっている。
二人の看護兵は、ベルトでジョーの身体の固定を終えると、医療室へ足早に搬送していった。
「継さんの『アオサギ』と私の『シラサギ』、フランソワの『ルクレール』三機、補給を終えた二時間後、第四ラインまで出撃とのことです。ルルさんの『セキレイ』と蝶子さんの『チドリ』は甲に換装、同時刻、第三ラインまで前進せよとのことです、半平さんの『オジロ』は修繕完了次第にルルさんたちと合流」
会話の隙を見計らって、ヘルメットを左手に持ったままカネトは和賀に報告した。
「ただ、和賀さんの『トキ』の命令が抜けているので、もう一度確認します」
「カネトちゃん、分かってる……私はシロガネから下ろされたのよ」
「えっ」
和賀の言葉は皆を驚かすのに充分であった。
「彩胡さんの『玉梓』の壁が割れちゃったんですもの、当然のことじゃないかしら」
自分のヘアスタイルをコンパクトで確認しながら、蝶子は言う。ただ、それを持つ手は小さく震えていた。
継は、まだ泣いている
「和賀さん、僕は和賀さんに『唄』を聴いてほしくない……みんな、先輩や彩胡姉が死んだって決まった訳じゃないんだ……生きている……先輩は僕に必ず戻るって約束したんだ」
半平は継に叩かれ赤くなった頬を触りながら言った。
「和賀さん……大丈夫です、私たち、できるだけのことはします」
それまで黙っていたルルが口を開いた。
「命令なら仕方ありませんね、私は奴らの姿をまだ見ていないから興味があります。でも……私は……いえ、何でもありません」
カネトは何かを言いかけてやめた。
だが、フランソワだけは沈黙を続けている。彼女は顔には出していないものの瀕死のジョーの姿を見て動揺していた。
「みんな……ありがとう……五十分後、再出撃の詳細な確認をパイロットルームで行います、みんな遅れないで」
和賀は目を少しだけ潤ませたが、気丈にふるまった。
「『シロガネ』パイロット月形、至急ブリーフィングルームアルファへ上がれ、繰り返す……」
格納庫に彼を呼ぶ緊急放送のアナウンスが流れた。
(二)
楕円の形をしたテーブルを囲むようにして、半平は座らせられた。この部屋は主に上級士官が使用する部屋なので、彼らは初めての経験に戸惑った。
彼の席の前には、モニターと兼用した小型の立体投影装置が据えられている。
「起立」
士官の一人が力強いかけ声を発した。
それから時をまもなくして、年配の副長に続いて艦長が入室してきた。
「座りたまえ」
艦長である小栗大佐はそう言い、半平に手で指図した。
「艦長はお前の話を所望している、月形、わかっていることを……」
「副長、私が直接話す」
副長の説明を軽く遮った小栗は、両手を机上で組み、獲物を狙うフクロウのように半平を見ている。
「月形、奴らとの戦闘の感想を聞かせてくれ、今、機体の記録を分析中だが、その前に直に聞きたかった」
半平は緊張しつつも小栗の質問に答える。
「はい、まだ、詳しいデータをお話しすることはできませんが、シミュレーションで知っていたよりも遙かに高い運動性能を持っていると感じました、何て言ったらいいか……まるで、小動物のように動き、隠れ、襲ってくる……それが、すごく統率されているように感じました、相手の武装もレーザー兵器だけでなく、弾薬を使用した大口径の武器も使用していると思います……アイギス(盾)が破壊されるまでのスピードも計算以上です」
「今も進化している……そう考えていいのだな」
「はい……武器も何もかも……」
「『玉梓』の状況分析は?」
「彼女の言うことに間違いはありませんでした、もし、彼女のダミーの動きがなければ、『トキ』と同士討ちのようになって……僕は……殺されていました」
「『唄』を聞いた髙森機がすぐに動き出した?」
「はい……接触してすぐに攻撃してきました」
「パイロットの意識は途切れていない、そう考えて良いのだな」
「はじめは、他の例でも聞いていたように失神していると思っていました……僕は、コクピットを開けて彩胡姉、いえ、髙森を救助しようとしてすぐのことですから」
二人が会話をしている中、副長の携帯端末に先ほどの交戦記録のデータが送信されてきたことを告げるコール音が鳴った。
「艦長、分析終了です、こちらの部屋に転送します、月形はいてもかまいませんな」
「ああ、ちょうど良い、月形、お前には特に知っておいてもらいたい」
立体投影装置に、戦場の地形と半平をはじめ各機体の位置が小さいモデルとなって映しだされた。半平は最前線一帯を濃淡のある紫色の光が渦を巻くように広がっているのに気付いた。
「この紫色が何を示すか分かるか?」
「いえ……」
「劇場だ……」
「劇場?」
「奴らの『歓喜の唄』を堪能できる特別な場所、特に月形、お前が一番前進した地点は、通常の者であればとっくに廃人となっているレベルだ」
半平は、聞かされていなかった事実に驚いた。
「廃人……ですか」
「言葉を換えれば狂人だ」
どちらにしても嬉しいことではないと半平は思った。
「お前のシロガネ『オジロ』を見てみろ……」
半平は自分の機体の周囲だけ、ポカリと穴が空いたように見えた。
「穴が空いています……」
半平から少し距離をおく山川の『ハヤブサ』やジョーの『ヘル・パーシング』の位置の方が、紫色がはるかに濃い。
「『オジロ』に搭載された『玉梓』と、搭乗員である月形の同調レベルはマックス……お前は特に好かれている」
「『玉梓』に……ですか?」
「そうだ」
「だ、だって機械にそんな相性があるのですか?好きとか……嫌いとか……」
艦長や士官を前にしていた半平であったが、つい思っていた言葉を口から漏らした。
「月形、『玉梓』はお前に嘘をつかない」
「人間……『玉梓』って……人間なのですか?」
「お前が戦っているモノと同類だと今は理解しておけ……」
「どうして……どうして僕なんかが選ばれたのですか、もっと相応しい人だって……」
「選んだのは我々だ、その理由をお前は知る必要がない……お前をここに呼んだのは次のミッションに特別にかかわってもらうためだ、時間がない」
「特別なミッション……」
これ以上いったい何が自分に出来るのか、半平は少し不安になった、
「艦長、お話の途中ですが、準備完了しました」
「投影しろ」
半平が戦っている敵の機影、一機、一機が立体的に細かい凹凸の一つ一つまで表現された。
「これが『タイプBツー』、明らかに進化していますな」
(醜いケンタウロスだ)
半平は、一目見て、自分が教えられていた敵の形とはまるで異なっていることに驚愕した。
「基板の『ビッグ・ウィリー』の痕跡すら残っていませんな……接合部分から上は生体部位がだいぶ増殖している、特に紋章は以前よりもはっきりと表出している」
副長は、胸部中央にある腫瘍にも見える箇所を指で指摘した。
「マテリアル(素材)は誰か分かっているのか?」
「照合結果から、オーストラリア兵空軍第八部隊に所属、ジョン・スタッドレー大尉」
「二十五歳……無慈悲だな」
「次のタイプCの派生形は……」
士官と副長の会話を聞き、半平は、心のどこかで答えを想像していた疑問をぶつけたくなった。
「艦長……あの……僕たちが戦っている敵って……」
艦長の小栗は、質問をする半平の目を見据えて短く言った。
「聞いてどうする」
「僕らはオリンピックなようなものだと言われて集められました、でも、実際にはみんな競技なんてしていない……競技の相手と一緒になって敵と戦う……だけど、戦う相手の本当の正体さえも分からない……みんな……みんな争いの中で死んでしまっていく……僕らが……僕らが戦っている敵って何なのですか……どうして戦わなくてはいけないのですか?」
「月形、その言葉、艦長に失礼だ」
士官が、椅子から立ち上がりかけた半平を一喝した。
艦長は士官を左手で制し、月形に言った。
「月形……お前はすべての答えを知った上で戦い続けることができるか?」
「は……はい」
本当は自信があまりない半平ではあったが、知りたいと思う気持ちをおさえることができず、つばを飲んで、大きくうなずいた。
「我々が戦っている敵は……」
艦長の答えた言葉、それは半平が最悪の場合を想定していた通りのものであった。
(三)
ルルとカネトはパイロットの待機室にいかず、格納庫の片隅に設置された椅子に並んで座り、作業員や整備課の同級生が忙しそうに行き交うのを放心したように眺めている。
「時山先輩……」
カネトの小さい呼びかけの声にルルは我に返った。
「えっ、あっ、ごめんなさい……何かぼうっとしちゃって」
ルルは、少しだけ作り笑いをしながら返事をした。
「先輩はとても落ち着いているように見えます、私にはその落ち着きがわかりません、……私は、先輩がすごくおっかながりで……悩み症なのかなと一人で勘違いしていました……私は自分が戦っている存在にとても興味があります、命令だったら何でも従います……なぜなら私はできるだけ冷静に物事を考えなさいと小さい頃からいつも厳しい父に言われてきました……でも……何か……あれ……」
カネトは自分が話しながら涙を流していることに気付いた。
「分かる……分かるよ……カネトちゃんは、とっても普通の優しい女の子だっていうこと」
ルルは羽織っていた上着のポケットからティッシュを出して、カネトの頬を流れる涙を優しく拭いた。
「私は現実だけを見る人間だ……人の感情も全て自分でコントロールできると思って……だけど……」
カネトの言葉は泣き声に混じって語尾が消えていた。
「カネトちゃん、ごめんね……本当はみんなに謝らなくちゃならないのは私なの……」
「どうして先輩が謝るのですか、論理的におかしいと……思います」
うつむくカネトの肩へ、ルルはそっと自分の右手をのせ静かに言った。
「私は知っていたの……こうなるってことを……だから自分から『シロガネ』に乗ることを選択したの……父に頼んで……でも、カネトちゃんや半平くんは、くじで選ばれたんじゃなくて、乗ることは生まれてすぐに決まっていたの……」
「それ……初めて聞きました……先輩、私はこのまま何も理解せずに死にたくはありません、教えて、知っていることを全部教えてください」
ルルはカネトの肩から手を下ろし、一度祈るように格納庫の高い天井の向こうにある見えない空を仰いだ後、いつものようにゆっくりと、そして小さな声で話し出した。
(四)
ヨーロッパ連合のWMT『ヤークト・レーヴェ』を中心とする主力部隊は、『ビッグモス』の爆撃があった地点にいち早く急行した。
偵察使用の『モスキート』二十八機は、熱で溶けたものが再びかたまった刃のように突き立つ氷の中を慎重に前進している。
氷柱の間を風が抜ける度に汽笛に似た音が氷原を渡る。
二足歩行兵器が地面を踏みしめる度、雪が舞い上がり白い帯を引いていく。
たった数時間で激戦の場が静寂の場へと様変わりしていた。
「敵の死骸を五十三体めを確認しました、周囲の数値は安定しています、歌曲用防御システムにも以上はありません、このまま偵察を続行します」
「二体追加、味方の機体もあります……機体識別番号は破損がひどく確認できません」
次々と指令本部に入るパイロットの声は少年や少女のものであった。
「これでみんな帰れるね」
「ああ、クリスマスにも間に合うな」
どの少年たちの声も予想以上の戦果を確認し、皆、明るかった。
「『ビッグ・モス』一匹に俺たちの仕事、みんな持ってかれちまったよ」
「日本の『シロガネ』は二機も撃破されたようだぜ、噂だけで大したことなかったな」
WMT最大の巨大砲塔をもった『ヤークト・レーヴェ』隊の面々は、前進しながら口々に軽い悪態をついていた。
「外周の月の山脈を含めた着弾地点周辺の衛星からも敵機、機動反応確認できず、やりました、我々の勝利です」
再び雪雲がかかりはじめる。
ヨーロッパ連合の機動部隊は、着弾の衝撃でつくられた氷上のクレーターの一端まで、何事の異常も無く予想以上のはやさで到達した。
「外周二キロの範囲、発熱で生じた小規模な穴が確認できます、死骸さらに百四十七追加、前進継続します」
氷上に敵の死骸の突き出た脚や上半身が意図的に配置されたオブジェのように整然と並んでいた。その中をWMTの隊は索敵を続けるべく前進する。
一時期止んでいた雪が次第に強くなり、地吹雪も加わり、視認範囲が落ちていった。
(捨てられた姫よ、貴女を絶望という名の深淵から救おう)
力強い響きをもつイタリア語を少年たちは一瞬耳にした。
「誰だ、嬉しいからって鼻歌にしちゃでかすぎる」
「懲罰くらっちまうぞ」
冗談を言いながらも、パイロットの少年たちはいつもと何か違う気がした。
「違う……これは……」
周辺に集まっていた機体に備えられた『唄の力』を示す計器は一瞬で全て紫色に染まった。最初低音だった防御システムの音はグリッサンドしながら高音部へと上昇していく。
「唄が……唄が……!」
先頭を進む『モスキート』の少年はクレーター周辺に空いた穴から、ゾロゾロと虫のように這い出してくる敵の姿を見た。
「ああ……神様……」
「レーダーは何も反応していなかったんだぞ!」
「遠距離無線がエラー?馬鹿な!たった今まで使えていたんだぞ!」
混乱し、停止した『モスキート』隊を取り囲むように氷が割れていく。後方の『ヤークト・レーヴェ』隊もまた同じ状況であった。
「でかい!こんなの見たことないぞ!」
「助けて……ママ……」
最後に彼らの正面モニターに映ったのは、鎧のような装甲をもち部位のいたる所に人面が付いた巨大な半獣神の姿であった。
(五)
「あら、お二人で内緒話?」
ルルがカネトに話そうとした時に、ヘルメットを脇にかかえ長い髪を巻き上げたままの蝶子があらわれた。
「蝶子さん……」
ルルが声をかける前に蝶子はきつい口調でルルを責めた。
「あなたが彩胡さんと山川さんを殺したのと同じよ、何が安全な機体よ、あなたのお父様の会社はみんなに言われているとおり、本当に死の商人ね、どうせみんな壊して……そして殺してしまうんでしょ、それでもあなたのお父様の会社はまた兵器を製造して儲かるのだもの、この危機に乗じて濡れ手に粟……いやな人たちの集まりだわ、ジョーやフランソワと同じネズミがずっと一緒にいたなんて」
ルルはうつむいた。
「そうやって、あなたはまた黙って逃げてばかりの良い子のふり?ふふっ、おかしい……結局は安全な位置にいて、みんなの中で情報だけとって生き残り、次の隊に移って、また情報集め、そしていっぱいお小遣いもらうんでしょうね、私知っているんだから、あなたが『シロガネ』に乗っている理由も……何、黙ってんのよ、何か言いなさいよ」
「蝶子さん、やめてください!」
カネトは立ち上がって、蝶子と座ったままのルルの間に分け入った。
「こうなる前もずっとそうよ、あなたのお父様の会社のために、どれだけの家族がつらい思いをしたか知ってる?それはそうよ、お父様の弟や親戚が国会議員ですものね、合法のふりしてやりたい放題だわ」
蝶子はルルを冷たい目で見つめる。
黙ったままのルルの態度に蝶子は怒りをつのらせた。
「もう一回言うわ、あなたがみんなを殺したんだから!」
「やめてください!こんな時に蝶子さん!」
カネトはしがみつくようにして蝶子を止めたその時、ルルは急に立ち上がった。
「そうよ……私が殺したのと同じ……このままだと次に死ぬのはあなたよ蝶子さん、そんな未熟なあなたが大切な『シロガネ』に乗るなんて……私は乗ってもらいたくなかった、あなたのような意地悪な人やカネトちゃんや半平くんなんかの低い能力値の人に、だって、開発機関へフィードバックできる情報なんてほんの少しもないもの……」
ルルとは思えないようなトゲのある言葉を聞き、カネトは驚くとともに、強い衝撃を受けた。
「時山先輩……」
「あなた!」
予想していないルルの反論に蝶子は怒りにまかせたまま、右手で彼女の頬を叩こうとした。しかしその行為は、ルルの左手で軽く遮られた。
「私は自分でこうなることを知っていて『シロガネ』に乗ったの、中途半端なあなたたちと一緒にしないで」
カネトは蝶子を止めたまま、ルルが冷たい目をしながら自分たちに放った言葉を聞き、止められない悲しみの感情がわき上がった。
「いやだ……いやだよぅ……みんな、おかしくなっちゃう……みんな、おかしくなっちゃうなんて……いやだよぅ」
涙で何も見えなくなったカネトは顔を両手でおおい、その場にしゃがみ込んだ。今まで蝶子が見たことのないような複雑な顔をしたルルは、戸惑う二人を残し『シロガネ』の格納庫へ駆けていった。
(六)
「何で、何でつながらないんだよ!」
『シロガネ』アオサギ機のコクピットには、興奮する継が反応のない計器やスロットルを何回も続けて操作している。
「『玉梓』の動作が不安定なままで、システムが上手く走りません、原因は今調査中、出力上昇値はノーマルの半分、このままだったら、生身で猛獣の檻に入っていくようなものです、」
「畜生!早く動かせ!奴らを、奴らを全部ぶっ殺さなきゃ、気がすまないんだよ!」
「気持ちはわかりますが、もう少し時間が必要です」
エラーメッセージが流れたままの『シロガネ』のモニターを継は思い切り拳で叩いた。
「継さん!余計エラーの原因になります、今、急いで究明しているので落ち着いてください」
苛立ちを押さえ切れない継を整備班のサツキは、何とか慰めようと声をかけ続ける。だが、復讐心というマイナスの感情にとらわれた継には全く無駄な行為であった。
整備室では、スタッフが『玉梓』の不安定な原因を探るべく作業にあたっていた。
「他の『シロガネ』は?」
「まだパイロットが搭乗していませんが、アオサギ機にみられるようなトラブルは生じていません」
「畜生、まだ返事は来ないのか!」
一番年長である整備長は、本部から報告の返答待ちの状態のまま、行き詰まる自分の不甲斐なさを嘆いた。
緊急を示す通信端末のコールが作業音を切り裂くように鳴った。
「整備長!」
整備員に言われるまでもなく、自分のヘッドフォンマイクと直接通信回路を接続した。
「え!何だと、医療班を?」
通信兵の正式な回答に整備長は、はじめ耳を疑ったもののやむを得ないと判断した。通信を終え、整備長は近くの者たちにいくつかの指示を与えた。
それからしばらくして、興奮したままの継は駆けつけてきた医療班により麻酔剤を打たれ、『シロガネ』アオサギ機から強制的に降ろされた。
「アオサギ機、全システムを停止、装甲板の全面改修と各部メンテナンスを今のうちに済ませておけ」
そう言い終えた整備長の前を搬送用ストレッチャーに乗せられた継が医務室に運ばれていく。
(お嬢さん、すまねぇ……俺たちにゃ何もできねぇんだよ、だがな、死ぬのが確実な子供を乗せるほど、俺たちは馬鹿じゃねぇんだ)
気を失ったままの継の頬に残る乾いた涙の痕を見て、整備長は壁を一度自分の拳で叩いた。
(七)
日本有数のショッピング街を通り過ぎていく人々は、何も変わらぬ日常を満喫している。
各国の敗北の情報を伝えるショーウィンドーに展示された大型テレビの映像を見る者は誰もいない。全マスメディアは他の世界大会のように喧伝をすることもなく、ごく一部の練習試合の情報として、南極での大会をひっそりと伝えていた。
各店舗でクリスマスケーキの予約が始まったことを伝えるCMが流れる。
何人かの人々がテレビの前で足を止める時は、芸能人の不倫交際のスクープをワイドショーで報じている時くらいのものであった。
ベビーカーを押す若夫婦や、ブランド名の入った大きな袋を持った女性、今日の夕食の場所を楽しそうに選んでいる大学生、時折、足早に歩道をすり抜けていくサラリーマン風な男など、いつも流れている時間と生活がそこに存在している。
今は片隅でかつて留置所があったことを伝える石碑がある公園では、小春日和のベンチに座る老人の周囲に鳩が集まっている。
老人が紙袋に入った餌を取り出すと、鳩の他にもおこぼれをあずかろうと、今はだいぶ数の少なくなった雀たちが遠巻きに見ていた街路樹の枝から滑るように降りてくる。
ネオンの光、途切れることなく続く高架橋の上を走るトラックの音。
(クリスマスプレゼントは、かわいい猫ちゃんが欲しい)
(あいつ、何が欲しいって言っていたっけ?)
(えぇっ?その日、ヘルプですか!勘弁してください、もう約束入れちゃったんですけど)
ここで生活をしている者たちにとって、半平たちのいる南極は本当に遠い世界の小さな出来事であった。
(八)
ヨーロッパ連合本隊の情報がクガネの乗員に伝えられた。数体の未確認の敵によって重装備の最新兵器群が全滅したことを知らせる内容は、兵士や士官の顔を一様にこわばらせた。
「小栗艦長、一時撤退命令が出ました。が、我がアメリカ軍は次の手を打つようです、そのためにも貴軍の協力がどうしてもほしいと……すなわち兵器『シロガネ』の提供です、何をいまさらとお思いでしょうが……」
個人端末で連絡を取っていた白人の青年士官は通信を終えるとすぐに、小栗へ状況を伝えた。
「実験場の下見のつもりで見物をしていたが、一番苦しくなった今の状況になって、せっかく温存していた兵器を使わなければならなくなった……アメリカという尊大な国にむしろ同情をおぼえる……だが答えは……」
「断る……そう言うと思いました、我が国も奴らを甘く見ていたのです、だからこういう事態になった、強力な武力を手にしているとそれだけで目がくらむのでしょう、戦力の逐次投入は負けるという一番基本的なことを忘れ、また愚行を繰り返そうとしている、この後、日本国政府に直接に我が国から接収命令が下ることは確実です、ここで艦長が断ろうとも結果は変わりません……だが、オグリ……あなたがここで終わらせるとは私は思っていない……あなたが考えている本当の作戦、どんなものかお聞かせ願えたら嬉しいのですが、それによって私が上官へと報告する内容が変わってきます、これは私とあなたとのあくまでも個人的な交渉事項としますから、ご安心を」
青年士官はかぶっていた軍帽をとり、うやうやしく自分の胸にあてた。
「お前も狐だな……」
小栗はそう言って大型モニターに自分が遂行しようとしている新たな作戦図を投影した。
(九)
「みんな決まっていたことだったんだ……」
小栗艦長との話を終え、ブリーフィングルームを出た半平の足取りは重かった。小栗艦長が語った言葉に希望はなく、そこにあるのは現実だけであった。
(生物の進化の過程で弱い種の絶滅は必然であった)
警告を発した宗谷の最初の未確認生物。
独自に進化を続ける生命体。
(支配する側か支配される側か、我々人類にはその二択しかない、今、世界の大多数の人間がこの質問をされたらどう答えると思う)
皆に決して知られてはならない事実。
今でも日本にいるほとんどの者が、つくられた世界の中で安穏と暮らしている。
(細胞の『共鳴』、奴らはそれを学び、彼女がその能力を高めた)
慌ただしく若い乗組員が艦内の狭い通路を駆けていく。
(別ゲノムの中に共鳴されにくい一部遺伝子をもった子供、そのうちの一人がお前だ、だが、それは成長と共に消滅し、普通の人間となっていく、そして、その中でも一番適した者が……となる……)
格納庫まで向かう廊下は長い。
「やらなきゃならないんだ……」
振り返ると情けなかった自分がいた。しかし、半平は最後の艦長の言葉を聞いた今、『シロガネ』に再び乗らなければならないと決意している、むしろすぐにでも乗りたいと思っている。
格納庫に近付くにつれ、整備作業の音が徐々に大きくなっていく。
「怖い……いや怖くない……でも、やれるか……いや、やんなくちゃなんないんだって……うわっ」
廊下の曲がり角で半平がぶつかった相手はルルであった。
ルルは半平の顔を見るや哀願した。
「半平くん、乗らないで、『シロガネ』には乗らないで、死んじゃうから、もう乗らないで、もうみんな乗らないでほしいの!」
ルルの目から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
「どうしたんだい」
「お願い、お願いだから……もう、みんなが死んじゃうのがいやなの!!」
おとなしいルルが半平の手を強く握って子供のように泣く。その姿に半平は戸惑った。
「そんなに泣くなよ、僕が死なせない、みんなを死なせない、そのために僕は『シロガネ』に乗るんだ、ううん、乗らなくちゃいけないんだよ」
ルルは半平の顔が最初の出撃から帰ってきた時と異なり、とても優しくなっているのを見た。
「作戦が変更になるんだ、艦長はもう時間がないって……僕も教えてもらってそう思った……ルル、僕はやるだけのことはやってみる……だからそんなに泣いちゃだめだよ、ルルたちが出る前に僕が何とかする、いや、僕にしかできないんだ」
「半平くん、何、馬鹿なことを言っているの……そんなことできない……できないのよ!」
「だから、その間だけ、『クガネ』を守っていてほしい……ここを失う訳にはいかないんだ…、ここには僕たちにとって大切なものがありすぎる……」
「何言ってるの……」
「じゃあ、先に出るから」
半平は、ルルの肩を軽く叩き少しでも彼女を慰めようと笑った。本当はもらい泣きしそうになったのだが、ここで絶対に涙を見せる訳にはいかないと強く思った。
半平はルルに背を向け、通路の壁にかけてあった自分のヘルメットを取り、サンバイザーを確かめるようになでた。
「ルル……山川先輩も言っていたよね……僕も絶対に帰ってくる」
格納庫の扉が開き、整備を終えようとしている『シロガネ』オジロの機体が半平の目の前にあらわれた。換装が間に合わなかった装甲の一部には、先の実戦でついた傷跡がまだ深く残っている。だが、いつでも起動できる状態を示すか機関部からのエンジン音は格納庫内の全機材を震わすほど高まっていた。
半平は自分のシロガネを仰ぎ見て言った。
「待たせたね……ピリカ……」
半平の言葉に反応するかのように、『シロガネ』の瞳に淡い光が灯った。
(十)
『鋼のペンギン』と題されたある一本の十五分ほどの映像が国際的な動画サイトに掲載された。それはある戦場の前線からリアルタイムで録画された形を成しており、冒頭から破壊された兵器群と装甲を持つ奇妙な生物の死骸から始まる映像を見た大多数の一般人は、SF映画の予告編ではないかと第一印象をもった。
悲鳴を上げ怯えるパイロットと緊張する司令部との会話や、機体が発する警告音などは、リアリティにあふれ、軍事マニアと言われる専門家にも非常に良く再現されていると賞賛のコメントがあふれた。
時間が経つにつれ、時折入るパイロットの名前や通信の中に出て来る様々な単語が、実在する人物や名称を表しているとの声が次々とあげられた。
騒ぎが大きくなり始めるや、その映像はサイトから削除された。また、リンクを張ったり、複製した映像を掲載したサイトは理由も無く運営企業側の一方的な理由で次々と閉鎖された。
しかし、その動きはネット世界では逆効果で有り、その裏に各国政府が真実を隠しているのではないかと疑問の声が瞬く間に拡散していった。
時を同じく、一人の男の怒鳴り声が超高層ビルの広い一室に響き渡る。
「なぜ、娘を戻さない!えっ、クガネの艦長から拒否だとぉ、ふざけるな、軍隊でそのようなことが許されるのか!小栗、小栗だな、すぐに拘束しろ、えぇい、 お前じゃ話にならん、総理を出せ!えっ、会議?何を言っているんだ、私からの急用だと伝えろ、いいなすぐに、すぐにだ!」
ルルの父親は、日本にいる。
自社のもつ裏の情報ルートからヨーロッパ連合軍の全滅を知った父親は、娘をすぐにオーストラリアに設置された後方部隊へ転籍させるべくあらゆる手をつくしていた。
「できない?いいか、はじめに言ったはずだ、娘を危険な任務に就かせるなと、何、既に前線にも出ていた?聞いていた話とは違うではないか!何ていうことだ!お前、そのような大臣の椅子に座っていられるのも今のうちだけだぞ」
通話先の政府関係者を大声で恫喝する父親は、髪を油できれいになでつけ、高級スーツを着てはいるものの、その剣幕たるや一流企業の代表とはいえないほど、醜いものであった。
ルルの父親が経営する企業は、政情不安定な世界情勢を好機に、軍事産業の分野で彼とその父親が二代で急成長をさせた。現在ではその豊富な資金をもとに、重工業のみならず、化学工業など、有名企業を次々と買収し、その傘下に収めている。
共同開発とは謳ってはいるものの、『シロガネ』の設計や製造のほとんどは、彼の企業が手がけている。
『シロガネ』の搭乗員の話が出た時、噂を聞きつけた彼の娘「ルル」は強く自分が乗ることを希望した。母をある事件で亡くしてからふさいでいた彼女が父親に言ったわがままともいえる願いはそれが最初であった。
日頃からそういうことを一切言わない娘の言葉に、父親は、すぐに了承した。が、軍や政府関係者には、あくまでも通常の少年、少女が搭乗するための情報収集を目的とした特別搭乗員とすることを前提とするようきつく言い渡している。
(『玉梓』システムは彼女に不要だ)
特に小栗が進めていた『玉梓』システムへの実験には決して参加させることのないよう申し入れていた。だが、小栗が、そのような通達を無視し現地で彼女に も他の少年や少女たちと同じようにシステム同化の実験を行っていることを父親は全く知らない。また、なぜルルが自分から『シロガネ』に搭乗を希望したの か、本当の理由は誰も知らない。
暴君のように社員に恐れられている存在の父親、ただ、娘の安否について、普段人には見せないほどの動揺は、彼にまだ、親の心が残っている証拠でもあった。
(十一)
(まだ陣取り遊びのつもりでいる)
小栗は、辟易している。
地域の開発優先は優勝国に与えられる、これが表向きの理由であったが、ある意味それは真実でもあった。
(奴らを倒した国が南極の資源を支配できる)
喜望峰方面から進出したヨーロッパ連合軍が壊滅したのを受け、アメリカとロシア、中国といった大国はようやく重い腰を上げた。
「はじめから領土三等分の密約をしていたことはわかっていた……さすがはおとりの使い方が上手い、のせられたヨーロッパやアジアの国の不満をどう受け止めるのかね」
アメリカ軍の青年将校は小栗にそう言われ、少しだけ不快な顔をしたが、すぐにいつもの薄ら笑いの表情に戻した。
「それは私の決めることではありませんし、むしろ『シロガネ』を提供しない日本国の行為が非難されています、日本政府関係者もあなたの独断を許さないでしょう、軽くて終身刑、重くて銃殺、どっちもそれまでに国が残っていればということでしょうが……」
小栗は眉一つ動かさず、彼の話を聞く。
「もうすぐ迎えのヘリが来ます、これであなたとの楽しい時間も終わりです、フランソワーズを連れ帰りたかったのですが、確かめた結果、彼女の行動選択肢は 『戦い』しかありませんでした、先ほどの戦闘で友人や恋人が一瞬で亡くなったようなので、その気持ちは理解できます。だが、怒りで見えなくなった彼女を 待っているのはもう『死』だけです。編入継続の点は上層部から許可をとっていますので『ルクレール』ごと置いていきます、玉梓の乗った『シロガネ』があれ ば必要ないとは思いますが……そして……」
青年将校は言葉を一瞬止めた。
「三国合同の作戦開始は、これより十二時間後と決まりました。小栗……あなたはその間に無謀でクレージーな作戦を成功させなければなりません……それではご武運を、個人的には私たちの国が消滅しないためにもあなたの作戦が完遂することを心から祈っています」
青年士官は冗談交じりにそう言い、敬礼をした。
「貴君こそ無謀な命令で大切な命を落とすことのないように、家族が悲しむ」
敬礼を返す小栗の似つかわしくない言葉に、青年将校はあなたも冗談を言うのですねと笑った。
それから程なくして、ロス海沖に停泊していたアメリカ軍の空母から、地上攻撃用無人機が『ケンタウロス』の出現した氷の湖を目指し、全機飛び立っていった。
一方、最大戦速の『クガネ』はたった一隻で、航路を湾の最奥部へと進めている。
「艦長、まもなく時間です、ご命令を」
副長は首にぶら下げている金色の懐中時計から視線を上げ、小栗へ言った。
「全速前進、主砲、副砲、対潜迫撃砲、発射準備、航路を妨害する氷はぶち破れ、最も湖に接近できる場所を本艦の最終目的地点とする」
艦中央部への司令室に移動を促す下士官の言葉に耳を貸さず、小栗艦長は、外部がよく見渡せる最上部の第一艦橋で直接指揮を執り始めた。
「艦長、『シロガネ』格納庫より報告、月形機への推進用バックパック換装を完了したとのことです。続けて報告します、月形搭乗員を除き、他搭乗員の感情値 上昇、『玉梓』システムとの交感値が不安定とのことです、唯一、降ろした立見搭乗員のみが正常交感値の三十パーセントを維持しています」
「かまわん、システムはそのまま機動を継続、月形機除く全機を最終到達地点の『クガネ』周辺に展開、本艦の護衛をさせろ、また、寿賀、立見も『シロガネ』に再搭乗、フランソワーズもだ、これからの戦闘、乗っている奴らも多少狂っているくらいの方がいい」
「はっ?」
「復唱はどうした」
「玉梓の機動継続、月形機を除くシロガネ全機及びルクレールは最終到達地点で本艦の護衛任務!」
一瞬、言葉を失ったものの下士官は、小栗の命令を復唱した。
けたたましい警告音が艦内に響く。低い衝撃音と共に艦内全体が鳴動し、『クガネ』の船体は大きく揺らいだ。
「攻撃開始」
「攻撃開始!」
艦上に据え付けられた対潜迫撃砲は、艦の周辺に爆雷を大粒の雨のように振りまいた。大きな氷を帽子のようにのせた水柱が立ち上がっていくのを小栗は冷静に見ている。
(氷下の深いゆりかごの中で息を潜めていたモノ共よ、お前たちの求める理想郷はこの地上にはない)
(十二)
シロガネのコクピットに半平は座り、左右のメインスロットルをそれぞれの手で握っている。蛍色に光る機器が次第に増えていく。
(僕は知らなかった、ずっとこうして君に守られていたなんて……)
「月形オジロ機、カタパルト移動完了、射出角度最終調整終了、半平、カウントダウンを始める、何回も言ってるがな、舌噛むんじゃねぇぞ、彼女とキスするときに困るからな」
(僕は知らなかった、君は僕よりもずっと重い事実を背負っていたなんて……)
「既に交戦中だ、相手は遠距離砲撃だが射出時に注意しろよっていっても、こればかりは、どうしようもないもんな」
(僕は知らなかった、君はそのことをずっと隠していたなんて……)
「システム同期、最高の数値だ、頼むぞ月形、無事に帰ってきたら、裸のかわいい姉ちゃんがいっぱいいる良いところに連れてってやる、もちろん俺と軍曹のおごりだ……いくぞ、五秒前……三……二……」
(僕は知らなかった……ピリカ……君が……君が『玉梓』の『玉』だってことを……僕はもう怖くないよ……ピリカ……)
「月形、オジロ、出撃します!」
力強い半平の声を合図にオジロ機のバックパックから突き出た長い推進用ノズルから閃光が放たれた。