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「大きな出来事ほど針の先のような小さな失敗からはじまる」

第十話「大きな出来事ほど針の先のような小さな失敗からはじまる」


(一)


「テル、いつまで寝てるんだ、そろそろ到着するぞ」

 窓にもたれかかるように寝ている少年は、隣の座席に座る同じ年頃の少年に揺り起こされた。

 眼下には北の海特有の深く暗い海が見える。

「まだ、こんな高いところ飛んでるんじゃないか、もうちょっとだけ、頼む……昨日、ずっと提出レポートを書いていたんで」

 少年は揺り起こす友人の手首を軽くつかんで、ゆっくりと戻した。

 小型ジェット旅客機は、海岸沿いの平地に造られた一本の滑走路に滑り降りていく。管制塔のそばまでゆっくりと誘導された機体は、長旅で一息つく旅人のように、エンジンの音を弱めた。

 旅客は、修学旅行生のような学生服を着用した少年たち五名と、引率の教師の他は、多数の一般外国客で占められている。彼らはシートベルトの解除を告げる機内アナウンスを合図に一斉に、その場に立ち、慌ただしく手荷物を降ろしていく。

 テルと呼ばれた少年は、まだ席から立たず静かに寝息を立てている。隣の座席の少年は、あきれれながら、テルの荷物を自分が座っていた座席におろし、機体前方の出口へと向かった。

「こら、いつまで寝ているんだ」

 見回りに来た男性教師は、すぐにその様子に気付きテルの耳元に近付き大きな声を上げた。

「あっ、先生……」

「お前、ダラダラしてると、今日も追加のレポートを提出させるぞ」

「あ、はい、すぐに準備します……あれ、みんなはどこに行ったのですか?

 教師に起こされたテルは、機内には、その教師と男性客室乗務員の姿しか目に入らない。

「馬鹿たれ、みんなとっくに降りてる!」

 あわてて飛び起きた少年は、荷物をかかえ教師の前をネズミのように走り抜けていく。

 駐機場には既に移動用の専用バスが準備され、皆、係員の案内に従って座席に座っていった。

「遅れました!」

タラップを駆け上がった少年は車内の教師や少年たちに頭を下げた。

「何やってんだよ!」

「お前、いつも寝てばかりだよな」

 頭を下げ続けるテルに、少年たちは、一斉にはやし立てた。テルは頭をかきながら、空いている一番運転席に近い座席に座った。

 バスの車窓から見える景色は、晴れて青空が見えているとはいえ、どことなく建物や車両、岩の薄ぼんやりしているようにテルには見えた。

 全員が乗り組むと、助手席に座っていた若い金髪で肌の白い青年が立ち上がり、流ちょうな日本語で挨拶をした。

「日本の皆さん、はじめまして、私がこれからあなたたちをご案内する『レオンハルト・ニューバード』と申します。私のことは気軽に『レオン』と呼んでください、これから専用の検問所で入国手続きを一人一人行います、パスポートはいりませんが、指紋と網膜登録が必要になります、細かい手順は着いてからもう一度説明します、それが済むまで、少しの間、トイレやその他の用事は遠慮願います、全て終わったら、またこのバスに戻ってください」

「どうしてもトイレが我慢できなかったらどうしますか?」

 一人の少年が冗談交じりに質問した。

「あなたたち以外の国の皆さんは一人もそういう人はいませんでした、ですので私にはその答えを話すことができません」

 その言葉に皆の顔が少し緊張したが、一人だけ顔をしかめた少年がいた。

 尿意を既に我慢しているテルは、機内でしておけばよかったと今更ながら後悔していた。

 しかし、入国審査は、皆が予想していたよりもはやく、一人につき、わずか数秒で終わった。十本の指をガラス板の上に置き、視力検査機のような形状をした機器を覗き込むだけの行為であった。

「こんなのでいいの?」

 生徒たちは驚いていたが、もぞもぞとしているテルは一秒が一時間のように感じていた。

「入国を許可する」

 係員に出口へと促されたテルはようやくトイレへと駆け込むことができた。


(二)


 テルは今、目にしているドイツの港町と自分が小学生の頃まで住んでいた日本海沿岸の港町と雰囲気が異なっていることに驚いている。

 道が細く入り組む坂の多い自分の故郷の街とは違い、似たような石造りの三階建ての建物が広い石畳の道の両側に沿うようにして並んでいる。行商人の軽トラックなどもなく、テラスの先には、避暑を楽しむ多くの旅行客が会話や読書を楽しんでいた。

 バスが漁船の係留された海に面した道を走り、ようやくここが港町だと気付いた者さえいた。テルもさっき渡った橋の下を流れる大河が実は海だと知って驚いた。

 守衛の立つ大きな検問所を通り過ぎたバスは、コンクリート造りの近代的な建物の前でようやく停車した。

 生徒と教師は、レオンに案内されるまま、その建物の中へ入っていく。受付やその場にいた西洋人は、東洋人の子どもたちの集団を見ると、珍しそうに眺める者や、愛想良く手を振る者もいた。ロビーを通り過ぎた所に、大人三十人ほどが一度に乗り込むことができるほどの大きなエレベーターが三機も備えられていた。

エレベーターは最上階に止まった。扉が開くと前面ガラス張りの向こうには、タンカーや旅客船が行き来するバルト海が広がっていた。

「この奥の大会議室で皆さんがお待ちです」

 レオンが廊下に急ごしらえで設置された受付に座る女性に書類を手渡し、早口なドイツ語の会話を終えると、大きな木製のドアの片側一枚を、手前に力強く引っ張った。

 演台を取り囲むように設置された座席には、ざっと見て二百人はいるであろう様々な人種の少年や少女が座っていた。彼らはテルたちの姿を見ると、歓声と拍手で出迎えた。

 レオンが、英語の軽いスピーチをし、順を追って五名の日本の生徒は自己紹介を英語でさせられた。

 この時をもって、国連加盟国から科学をはじめとした能力に秀でた生徒が集められた研究機関の付属学校『3IS』に全ての生徒の入学が認められた。



(三)


 テルは、その入学生の中でも異色の存在であった。彼は特段、数学ができるとか、語学、機械工学、運動に秀でているというものではない。どこにでもいる高 校生である。『ワールド・オブ・バトル・マシン』という、世界中でヒットした家庭端末専用戦争シミュレーションゲームで五年連続世界トップランカーになっ たことが、選抜された理由である。他にもチェスをはじめとしたボードゲームやシューティングゲームなどで選ばれた生徒も各国に所属していた。彼らは『Gクラス』と、学力で選抜された者たちよりも一段低いランクで見られていた。

 普通であれば、周囲に引け目を感じるところであるが、元来、無頓着な性格のテルは、どこ吹く風といった体で、観光気分を楽しみつつ、いつの間にか、日本人の中でも、短期間の間に一番友人を増やしていた。

 『Gクラス』には十名の少年と少女が在籍し、授業は、ほとんどが『B(生物学)クラス』とのシミュレーション、『S(スポーツ学)クラス』とのシューティング、そして『C(化学)クラス』とのパズル理論など、ゲーム好きのテルには半分、遊びのような授業ばかりであった。

 特に気に入っている時間は、ユーロ各国の軍人が講師となる実戦を想定したシミュレーションであった。過去の数多の戦場地形をモデルに講師の示した兵器や兵站などの条件は、大体があり得ないほど最悪なものである、それを引き分けまでに持ち込めば勝利というチーム戦で行うこの学習は、テルの最も得意とするものであった。

 そのいくつかの事例では、引き分けどころか、勝利を収めたものもいくつかあったが、テル自身はたまたま上手く偶然が重なっただけだと、友人に自慢するような素振りがまるでなかったことも、親しまれる要因の一つであった。

 今日は日本から招かれた講師が出した旧世紀の戦争『K会戦』をもとにした事例であった。史実ではA軍が上層部の命令により撤退しB軍が辛勝するのだが、ここではB軍を殲滅させるまで撤退しないという条件がA軍側に与えられた。このシミュレーションにあてられる時間は午前六時から午後六時までの十二時間を三日間続けて行うという厳しいものであった。

 それぞれのチームは、会戦一月前からのデータをそれぞれの部隊を表すコマに入力し、攻撃力や守備力などを設定する。

「奇跡でも起きなければ不可能だ……」

キリバス国出身のチームフレンド、『タバイ』は、チームごとのミーティングタイムが始まった瞬間、そう言って頭を抱え込んだ。

「必ず何かあるはず……でも私にも想像できない」

 小柄な紙を三つ編みにしたフィリピン国出身の少女『ジョアン』も、それぞれの携帯端末に映されたデータを見てため息をついた。

「大丈夫、俺たちのチームにはテルがいる」

ジュニア水泳選手でオランダ国出身の『カレル』のダッチなまりの言葉に、皆はうなずき、鼻くそをほじっているテルを一斉に見た。

「えっ、世の中、そんな上手くなんていかないよ、奇跡に頼った時点でもう負けだね……でも、試してみたいデータなら一応あるんだ、みんながその入力を手伝ってくれるならだけど」

 テルの口調は初対面の人間だったらたいして重みを感じるものではないが、チームの者にとっては、非常に重要な意味をもっていることを理解している。

 彼らは、その夜からNPC部隊の兵一人一人にテルの示した数値を加味していった。



(四)


 演習当日、早々にテルが所属する以外のチームは敗北となった。しかし、テルの采配した布陣は、多数の仮想の犠牲者を出したものの、時間切れまでぎりぎり持ち込むことができた。

 同じチームのタバイやカレルは、その結果に喜びながらも、なぜ引き分けにまで持ち込むことができたか、不思議であった。他のチームは、あっという間に要塞の陣地の一角が崩れ、包囲していた敵がなだれ込み瞬時に勝敗がついたが、テルに言われたとおり、兵の能力数値を割り振ったところは決して崩れることはなかった。むしろ、包囲する軍の一部は後退する動きまでも見せていた。

「テル、あなた最高よ」

 ジョアンは、椅子に座るテルの後ろから抱き付き、頬にキスをした。

「そこにいる兵の性格だよ、『窮鼠猫を噛む』っていう前漢の時代の言葉がある」

 詳しい説明をテルは言わなかったが、この演習を観察していた教官らは理解していた。補給路を全て断ったことで後顧の憂いを無くしたこと、籠城する兵士の性格をやや臆病にして、迂闊に反撃を行わなわせなかったこと、戦闘力の数値が高い者は籠城させず全て少数行動させ、敵軍の線路や道の橋などをできるだけ、奥から順に破壊したこと、包囲軍の兵士に不安をもたせるように仕組んだことなどである。

「愚策だ、兵は消耗品ではない」

 だが、日本から招聘した白髪交じりの軍事講師は、その結果を知るや吐き捨てるように言った。講師の言うとおり、少人数の別働隊は、全て戻ってくる者はなく、生存を示すライフの数字はゼロであった。また、籠城していた兵士の生存率も五パーセント未満であり、降伏したり、退陣した他のチームと比較しても死傷率は桁違いであった。

「敗北の判定とする」

 講師が最後に言った言葉を聞き、生徒たちの間からブーイングの声が上がったが、テルは全く気にしている素振りさえ見せてはいなかった。

「何なんだよ、だって、持ちこたえたんだろ、なぁ、テル」

 カレルは不満そうにののしった後、テルの顔を覗き込んだ。

「えっ、判断するのは相手だからね、気にしない方がいいよ、それよりも今日のランチのメニュー表を見るのを忘れてきちゃってさぁ、今日は何だっけ?」

「日本人はクレージーだ、俺には分からん……だが、たいした男だよ」

 呆れ顔のカレルは、晴れやかな顔をしながら鼻をほじるテルを見た。

 結果は敗北となったが、教官らの間でも、彼は特別な少年という評価を得ることとなった。この一件もあり、テルの友人たちからの評価もまた一段と上がった。



(五)


 この施設にテルが来て既に半年あまり過ぎていた。

 授業や研修が終わった後のプライベートタイムは、学生の者たちが一番心待ちにしている時間であった。男女別の相部屋の中で、彼らは慣れない英語でありながらも、若者らしい会話に興じていた。

「なぁ、『ノーノ・マイネリーテ』のことどう思う?俺、あいつに告白しようと思って」

 カレルは二段ベッドの上から、下段で寝ながらコミックスを読むテルに話しかけてきた。

「何だ?俺はてっきりジョアンが本命だと思っていたぜ」

 机に座りながらヘッドフォンを付けていたタバイは、頭から外し、会話の中に割り込んできた。

「お前、音楽聴いていたんじゃないのか?」

「気になる奴の名前が出てきたからさ、それは俺にとっても重要なことだ」

「何だ、お前もか!」

 タバイとカレルの会話にテルは笑った。

「何だよ、二人とも、あの子のどこが良いんだよ」

「えっ、テル、お前には分からないのか?彼女の素晴らしさを、亜麻色の瞳、つややかな髪、チェリーのような唇、透き通るような白い肌、全てが完璧だ、まさにベラルーシの魔女だよ」

 そう言ってカレルはベッドから飛び降り、向かいのタバイのベッドに腰掛けた。

「うーん、分からないなぁ、挨拶くらいでろくに話したこともないし」

「挨拶したって?」

「廊下で『ハロー』くらいだぜ」

 カレルとダバイは顔を見合わせた。

「で、向こうは?」

「えっ?『ハロー』くらいだけど、ああっ、でも日本のこと何か聞かれたなぁ、フジヤマじゃなくて、サムライじゃなくて……えーっと、何か聞いたことのない船のことだったなぁ」

「テル、お前、何した、どうした、何でそんなことができたんだ」

 カレルは腰を浮かし身をぐいと乗り出してきた。

「えっ、どういうことだい?」

 テルは、読んでいた本を枕元に置き、上半身を起こした。

「あの子なぁ、男子には絶対、話かけてこないんだ……それを会話したって、お前……」

 ダバイの目は沈んでいる。

「ちょっと待ってくれ、俺は何もしてないし、興味も無いし、告白なんてするつもりないぞ、ダバイ、頼むからそんな目で俺を見ないでくれ」

「他に何を聞かれたのか!」

「いや、船のことだよ、あっ、そうだ南極観測船のことだったなぁ、でも、俺は知らないって答えたよ」

「それで……」

「もっと、日本のことが知りたいから、話を聞かせてくれって言うから、時間ができたらなって……」

 テルは二人からの冷たく刺すような視線に気付いた。

「わかった……断る……時間ができないって言う……」

 『ノーノ・マイネリーテ』はベラルーシ出身のテルと同じ年齢の少女で、生物工学に長けているということだけは知っていたが、テルにとっては本当にどうでも良いことであった。


(六)


 次の日の特別講義は『生物学』であった。

 昨晩の大騒ぎの原因であった少女は、テルから見て左前方下の一番、講義場所に近い位置に座っていた。よく見ると、たしかにカレルの言うとおり、身長はあまり高くはないが、美しい顔立ちをしている。

 今もカレルたち以外の男子の視線は噂の少女に注がれている。

(まさに魔女だな)

 テルは、持っていたペンを一回転させ、タブレットのディスプレーを軽く叩いた。

 広い講堂の中心には、生物学の教授が小さな石が収められたガラスケースをテーブルの上に置いた。

「この石の名前を知っている者はいるか?そこの君、これは何だ?」

 指名された白人の少年は、少し考えて答えた。

「火成岩のようですが、色から見て玄武岩ですか」

「近いがノーだ、他に、あっ、君」

「溶岩」

 東洋人の少女の答えに教授は首を振った。

「他に」

 教授の問いに一人だけ答えた者がいた。

「『エイコンドライト』、その形状の特徴から『アラン・ヒルズ八四00一』です」

 ノーノであった。

「正解だ、さすがだな、君の名前は」

「ノーノ・マイナリーテ」

「噂に聞く、生物学の天才少女は君か、それなら次の質問に答えてくれ、この石の特徴は」

 額が大きく、ややはげ上がった教授は、石が彼女からよく見えるように机を動かした。

「はい、炭素十三が少量であることから有機物が生化学反応と考えられること、炭酸ナトリウムが生命活動に適した温度で生成されたと考えられること、また、磁性粒子がバクテリア由来のものであること、隕石内の鎖状の痕跡はバクテリアの痕跡に近いことが主なものとしてあげられます」

「その通り、完璧だ」

 教授は大きく頷いた。

「君たち、これは石にして石ではない、生物の根幹にかかる根源と疑問がギッシリと詰め込まれた宝の石なのだ」

 テルにはどうしてもただの石にしか見えない。

「そして、もう一つ見せたいものはこれだ」

 教授の後ろのスクリーンに、見たことのない結晶やバクテリアが映った。

「ノーノ、君にはもうこれが何だかわかっているね、答えてくれ」

「はい、湖で採取された鉱物片の結晶と無機物を栄養とする化学合成独立栄養バクテリア群です」

「君にはもう教えることがなさそうだ、いつでも退席してくれて結構、この講義の単位は保証しよう」

 ノーノの知識に生徒たち感心の声が上がる。

「この二つには共通点がある、ノーノ、もう君には聞かない、そこの上から二段目、右から三列目の半分眠りたそうな東洋人の君、分かるか」

 テルであった。

「はい、それは……」

 返事はしてみたものの、テルに、そのような答えは分からない。だが、何か視線を感じた。ノーノが自分の方を見ている。

(南極……)

 頭の中に、一つの単語が急にはっきりと浮かんだ。

「南極」

「正解だ、さすが世界から選抜された学生たちだ、今日の講義は君たちにとっても、私自身にとってもたいへん有意義な時間となろう」

 テルの答えは自分が考えたことではなく、何かから伝えられたような力をどこかで感じていた。

(誰だ……あいつを見た時……いや、そんなことって……)

 ノーノは微かな笑みを浮かべ、教授の方へ静かに向き直った。




(七)


「このカルシウム結合タンパク質、『カルモジュリン』は、我々の生命維持活動に重要なタンパク質の中でも、結合を支配する最も重要な役割を果たすものだ、この南極の氷下に閉じ込められた湖の微生物の細胞内には、特に多く発現している」

 らせん状の立体構造図投影されたスクリーンの前で、教授は淡々と説明を続けている。

「『馬のたてがみ虫』、君たちの中には実生活の中で見たことがあるのではないか?この水生生物は、美しい女性以上にすがった相手の心を溶かしてしまう不思議な力を持っていることで知られている」

 焦げ茶色をした長い髪の毛のような生き物が水中で、身をくねらせている映像があらわれた。

「彼らの一生は複雑怪奇だ、だが、その生息域の拡大ということが主な使命であると言えば、多くの者が納得するであろう、そこの前列の君、君はどのようにしてこの講堂に来たのかね」

「徒歩です」

「生まれ育った場所からずっと徒歩なのか」

「いえ、『ポートモレスビー』からは飛行機で」

「君はニューギニア人か、その飛行機は自分で操縦したのか?」

「いえ、免許は何も持っていません」

 指名された少年をはじめ、多くの者は教授の言葉に笑った。

「では、二列目のレディ、君は好きな相手の心を自由にできたらと思ったことはあるか」

「好きな人は今までいません」

「異性が嫌いか?」

「あまり興味がないわ」

「この場にいる男性諸君、この美しい彼女の心を奪う者がいたら、私は世界で一番尊敬する、そのような無謀な挑戦者が生まれることを期待しよう、では、君は?」

「僕は、そんなことができたら最高だな」

「正直でよろしい、だが、君への忠告だ、あとで必ず痛い目に遭うぞ」

 テンポの良いスピードで話す教授の講義は、聞く者の関心をどんどんと惹きつけていく。

「本題に戻ろう、名前の通りこの馬のたてがみのような生物のはじめの旅は、水の中でカゲロウの幼虫に水と一緒に吸い込まれること、そこから全てが始まる、普通であれば、その最初の宿主に一生寄生するのが効率としては良い、だが、その寄生された幼虫はある昆虫に自らの身を捧げる、悪女に搾り取られる哀れな男性のようにな、そして次の宿主は……」

 カマキリが両手の鎌を振り上げている画像が映しだされる。

「君たちの中にも、小さい頃、ちょっかいをかけた者がいるのではないか?そう『マンティス(カマキリ)』だ、彼らは虫の中でも凶暴だ、我々のような彼らにとって巨人のような存在のものにさえ、恐れを抱くこともせずに威嚇をはじめる、人間にとってこのような生物が小さくて幸いであった」

 自分の故郷にはこの虫はいなかった、このように面白い反応を示す虫だったら子供の時であれば、毎日捕まえて遊んでいたのだろう、そうテルは思った。

「マンティスは、何の苦労もなくカゲロウの幼虫を捕食する、何の苦労もなく、ここが第一のポイントだ、腹を満たしたマンティスは満足だろう、もっと満足なのはこの『たてがみ虫』だ、彼らはマンティスの中で自らの身体を成長させていく、だが、もとは水生生物だ、水の中に戻らなければ交尾もできないのだ、さぁ、新しい彼女に巡り会うために、彼らはどのような手を使うか、ちなみに彼らが陸上にそのままの姿でいると、すぐに干からびて動くことなどはできなくなる」

 映像は最初のタンパク質の画像に戻る。

「わかりません」

「水の中に戻るための動きなんて、そんなに都合良くいくのですか」

 この事象を知っている数名の学生を除き、他の者たちは皆、首をかしげている。

「マンティスは自ら川魚が待ち構える危険な水辺にフラフラと近付くのだ、既にマンティスの命は自分の命ではないのだ、マンティスの意思は自分の意思ではないのだ……」

 教授はそれまでのユーモラスな口調を変え冷たく言った。

「つまり……奴らは、マンティスの脳を支配するのだよ、このタンパク質を利用してな」

 それから、この講義は二時間続いた。

だが、誰もその場を離れることはできなかった。

 そこで学生は自分たちがなぜ、この場に世界中から集められたのかという理由の一端を知ることができた。しかし、その内容は学生たちにとってあまりにも深刻であり、残酷な話であった。

 講義が終了した後、学生は誰もが口をつぐんだ。ただ、テルはいつもと変わらず大きなあくびをして、教授が会場を去ったと同時に立ち上がり、自分の部屋に戻ろうとした。

「あれ、みんな帰らないの?」

 テルが聞いても、ほとんどの学生は机に顔を伏せたり、互いに慰め合ったりしている。テルは、それ以上、声をかけることもせず会場を後にした。

 エントランスに抜ける廊下の先には、自分よりも早く会場を出た学生の姿が見えた。

ノーノであった。

 彼女は、テルの気配を感じると振り返り、ニコリと笑い話しかけてきた。

「テル……私の言葉を受け取ってくれてありがとう」

 テルは、すぐに気が付いた。やはり、あの時、自分に答えを教えたのは魔女と噂されるこの少女だったのだと。


(八)


入口から一番奥まった窓際の一角の席で二人は向かい合っている。

 施設内のカフェテリアには、時間的に人がおらず、二人を見ているのは、小さな中庭に植えられた花の間を軽やかに飛び回る二羽の蝶であった。

「私、あの映像の時に現場にいたの……」

 先ほどの講義で学生たちが気分を悪くした映像のことであった。この映像が流れた後の教授の言葉に多くの者がショックを受けていた。

「ああ、東欧の実験室って言っていたからね、特別席で見ていたんだったら、あの続きだって知っているんだろう」

 テルはそう言って、紙コップに入ったココアを一口飲んだ。

「あの死刑囚はすぐに焼却処分された……残された骨も強酸で溶かされて何一つ残ってない、生前の行いから当然の報いでしょうけどね」

 両手でテーブル上の紙コップを持ったまま、ノーノはガラス窓越しに蝶を見ている。

「教授の教えてくれたモノが俺たち人間の最大の天敵になるって、本当かなぁ?いくらでも合成できるスナッフムービーだけじゃ、ただ危機意識をあおって結束をかためようとするカルト集団と変わらないと思うけど」

「随分さめてるのね」

「違うな、思慮深いんだ」

「面白い……でも、あの事象は本当よ、もう私が所属している研究機関の話だけではなくなっている、その証拠が私たちのいるこの場所なのだから」

「天敵に対抗するための特別組織の教育機関、大げさだな」

「あなたの心にいつも嘘はないわね」

「違うな……単純なんだ」

 テルの冗談ともつかぬ言葉にノーノは微笑んだ。

「それよりも俺にどういうトリックで、答えを教えてくれたか、それが一番、気になる」

「トリック?ふふ……」

 ノーノは飲み物を口にした。

(このコーヒーはあまり美味しくないわ)

「ああ、だから俺はココアにした……ん、君は話していない、腹話術か何かかい?傑作だね、ベガスに行けば多分良いギャラがもらえるよ」

「この声を聞くことができるのは神様から選ばれた人……大きな幸運を得た人だけ……それが、私であり、テル……あなたもその一人」

「宗教の勧誘にしては安すぎないか?俺の国ではクリスマスも除夜の鐘も初詣も好きだよ、神様もそこら中にいる……で、答えは教えて……くれる訳ないよね、だってマジシャンがタネをばらしてしまえば、ただの売れない道化師だ」

「ほら、あの戯れている二羽の蝶を……あの『歓びの唄』を人はきくことができない……」

「へぇ、『歓びの唄』かぁ、君ってロマンチストだねぇ、俺と大違いだよ」

「いえ、同じよ……心が冷たいところもね」

「前言撤回、君ってリアリスト(現実主義者)だねぇ、俺もそこは異論無く同意する」

「鯨やイルカは互いに海中で話をしているって、聞いたことがある?」

「超音波を使って会話するってことなら……」

「それは嘘よ……超音波は、せいぜい狼の遠吠え的な役割をしているだけ、本当は彼らが『唄』を歌っているの……もっと小さくて大きいところで……」

「小さくて大きい?」

 ノーノの言葉は全て謎めいている。

 会話が途切れたとき、ノーノ、テル、それぞれのルームメイトの姿が見えた。

「みんな、私たちのことを探しているよう」

「あ、それなら俺はこれで失礼するよ、色々うるさい奴がいるんでね、楽しかったよ、君との話」

「テル、また私とつきあってくれる?」

「生まれてから女の子にそう言われたことがないからね、歓迎さ」

 テルはノーノから距離をとるまで、無駄な抵抗だとは思いつつ、わざとなるべく物事を考えないようにした。

『サトリ』、昔、本で読んだ妖怪のことをテルは思い出していた。山の中で出会った男が、自分の考えていることを全てサトリに読み取られ困るという笑い話だ。そのようなモノに似ていると言ったら彼女はどのような反応を示すだろうか、テルは部屋に戻ってから、一人、思い出し笑いをした。


(九)


「お前、どんな汚い手を使って彼女と近付いたんだ!説明しろ!説明してくれ!」

 ルームメイトのダバイに首を絞められるテルである。

 ダバイもカレルもノーノに冷たい表情で交際を断られていた。この二人だけではない、それ以外の多くの男子学生もあっけなく突き放されている。

「近付いていない、それは誤解だ、別に交際を申し込んだりなんて、俺からはしていないぞ」

「俺からはしていない?テル、それは向こうから申し込んできたというのか、この大嘘つき野郎め」

「お前はむち打ちの刑だ」

 ダバイに身体を押さえられているテルの脇腹を、カレルはくすぐる。

「わかったぁ!俺が悪いんだ、全て俺がいけないんだ」

「罪を認めたか悪人よ、最初からそう謝ればいいんだ」

 ベッドに倒れ伏すテルを見ながら二人は、ようやくふざけるのを止めた。

「それでは尋問を続ける、キスをしたのか」

「してない」

「手をつないだのか」

「してない」

「なら、何をしている」

「生物学の話」

「嘘つけ」

「嘘じゃない」

「他には?」

「どうしたら奴らをこの世から一掃できるかということ」

 急にダバイとカレルは真顔になった。

「俺たちは生き残れるのか?」

「そのために俺たちはここで勉強してるんだろう、彼女だって真剣だよ、俺は彼女にどうやって奴らの所に攻めたら良いかを教えている」

「わかったよ、俺たちが悪かった」

 テルは嘘をついていた、彼女はテルにだけは色々なことを話している、自分の家族のこと、自分の国の美しい街並みのこと、専門の生物学のことについては忘れてしまいたいかのように、少しも話すことはない。

(それと自分の能力のこと……)

 彼女は自分自身や動物たちのもつ不思議な力を『唄』と称していた。

 自分が幼い頃からもつ力、それは子供どうしではあまり通じず、大人の考えていることは、意識を集中させれば手に取るように分かると彼女は言っていた。

「みんな、私をいやらしい目で見る……最低よ」

 彼女がそう吐き捨てるように言った時、テルの脳裏に幼い半裸のノーノが泣きながら素足で林を逃げ回る姿が浮かんだ。

「いつか殺してやるの……」

「物騒だな」

「自分を殺したことへの復讐はいけないことなの?」

すまし顔で言うノーノの言葉をテルは思い出していた。


(十)


「けっこう近くによると大きく見えるんだな、すげぇ、かっこいいなぁ」

 初めて開発中の人型兵器の実物を見たカレルは大はしゃぎであった。身長が三メートルほどの金属の骨組みの周囲を細いケーブルが血管のように取り巻くその兵器は、テルは気持ち悪いと思った。

「ちょっと動かしてみるね」

 少女ジョアンは、少し離れた場所から座席型の端末を操作した。端末には二本の操縦桿とモニター、パネルスイッチが付属している。

人間の理想的な動きを模したという兵器は、すぐに置かれていたその場からなめらかに歩き出した。

「停止からそのままの姿勢で後退、元の位置で停止」

 その兵器はジョアンが動かしているとおり、大型センサーしか付いていない頭部を少しだけ動かし、後退をはじめ、指示通りに止まった。

「こいつの歩き方、Sクラスのジェフに似ていないか」

「そう言えば、呼ばれて振り向いた感じが何となく似ているなぁ、きっとあいつの動きをトレースしたんだぜ、こいつの水中行動パターンプログラムはカレル、お前のだって噂だもんな」

 テルの指摘に皆、笑った。

「でも、この『ウィリーくん』のプログラムはまだ少し不安定ね、これだと雪上でのバランスが急激に落ちると思う、当日までにどれだけ修正できるか、DNAタイプのコンピュータは複雑すぎるのよね」

 ジョアンは鼻に落ちたメガネを直し、パネル上で流れるように映るデータを投影式キーボードで修正し始めた

『ビッグ・ウィリー』、この冬に行われる人型兵器実験用試作品を使用したアイスランドにおける演習が彼らの学習であった。雪原に設置された目標を近距離で破壊するというもので、時間と行動内容が主な評価の対象となる。

「テル、お前の先祖はサムライなんだろう、忍者ブレードを持たせたらいいんじゃないか」

「サムライ?今の日本人の純粋な家系じゃ、一パーセントもいないと思うけどね、そんな短い刀よりも長い槍の方がいいんじゃないか、ボクシングだってリーチが重要だろ?」

「やっぱり斧だって、破壊力なら一番だぜ」

「槍とか、刀とか、みんな原人レベル、ちょっと静かにしていてよね」

 ジョアンの一言が一番強力な武器であった。

「こんな配線むき出しなままだったら、一回、滑って転んだら終わりだな、悪天候ならなおさらだ」

「ビニールシートじゃ風で吹き飛ぶからなぁ……おっ、他の班から見学に来たぜ」

 隣のエリアから、他班の生徒が『ウィリー』を動かすジョアンの様子を見学に来ている。それくらい、ジョアンのデータプログラミングの能力は高い。

「テル、ノーノだぜ、何か話しかけてやらなくてもいいのかい?」

「今、彼女と話す材料はないな」

 テルはとうに気付いている。

(機械に頼るなんて……こんなの無駄な時間よ)

 ノーノの声はテルに届いていた。


(十一)


 カフェテリアの一番奥の席、そこがテルとノーノの指定席になってから三か月あまり過ぎていた。もう飛び回る蝶の姿もなく、塀越しのシナノキの枯れ葉が花の消えた地面を覆っていた。

「テルは将来、他のみんなのように軍人になるの?」

「僕にはそんな体力ないよ、鬼教官に後ろから銃床で尻を叩かれまくられるのが目に見えているからね、とりあえず来年の就学期間ギリギリまで考えようと思う、未来を考えると、何て言うかなぁ、面倒くさいんだよなぁ、そういう君こそ、機関のラボが手ぐすね引いて待っているもんな」

「私は行きたくない」

「どうして?」

「何の解決策にもならないと思うから、生物の進化の過程で弱い種の絶滅は必然だわ、『ビッグファイブ』が『ビッグシックス』になるだけのこと」

 ビッグファイブとは、酸素や隕石の衝突などが原因で、多種の生物が絶滅した歴史上の事象である。地球が誕生してから五回、大きな生物の集団絶滅が確認されている。

「へぇ、俺は死ぬのはイヤだなぁ、だってさぁ、楽しいことができなくなるよ、美味いもの食べたり、こうして……」

 テルは自分でも驚くような言葉が口から漏れた。

「君と話すことができなくなる」

 ノーノは、目をちょっとだけ見開いて、横を向いた。

「嘘……そんなこというあなただとは思わなかった」

「ごめん、ごめん、でも、こうして話している時はとても楽しいよ、心を読まれるスリルもあるしね、北極とか南極とか寒いところじゃなくてさぁ、アフリカのようなあったかい所に行ってさぁ、のんびりしたいなぁ、そういう未来だったら想像するのが面倒くさくないんだ、君も動物とかいっぱいいるよ」

「みんな絶滅しちゃうのに?」

「絶滅はさせない」

「変なの……できっこないわ」

「できる……俺と君だったら……」

 ノーノは前に振り向き、テルと目を合わせた後、微笑を浮かべた。

「あなたには似合わない……わたしのような……」

「その結果は俺たちが決めることじゃない、アフリカのライオンの子供が教えてくれるよ、約束だ……」

「テル……さっきからあなたの言葉は矛盾だらけ……でも嬉しいかもしれない」

 ノーノは自分の右手の薬指にはめていた銀色の指輪を抜き、テーブルの上にだらしなくのっているテルの右手を取り、そっと握らせた。

「銀色は私の国では魔を払う力があるの……あなたにはずっと幸せでいてほしい……でも、私には付いてきてほしくない……何、自分で言っているんだろう……私にもわからなくなる」

「わからないままでもいいよ……」

 その後、テルの記憶は途切れている、ただ、彼女の花のような髪の匂いがいつもよりもずっと近くに感じたことは確かだった。


(十二)


 深夜、研究センターからの緊急報告の電話は、基地各部署に緊張をもたらせた。

『バイオセーフティレベルフォー』と最高度に安全が格付けされている実験室で、その事故は起こっており、すぐに関係エリアは研究者や学生、職員がいるいないに関わらず強制的に隔絶遮断された。

「何があったんだ」

 学生たちは少ない情報の中から、例のモノが実験室から流出したと噂した。

 避難を告げる放送とけたたましいサイレンは、近隣の市街地の暗闇にも響き渡る。

「ノーノ!」

 宿舎を飛び出し、基地の外へ避難する人の波に逆らうようにして、テルは走っている。ノーノが昨日の夕方から行われる生体実験の助手をするという話をテルは聞いていたからだ。

 突如、大音響をたてて前方の建物の後ろから火柱が上がった。

「何?」

 基地内のヘリポートから飛び立った軍事用のヘリは、『マーク八二』というアメリカ製の焼夷弾を、実験施設を大きく囲むようにして落としていた。

 施設に通じている道路のゲートは、武装した兵により通行を制限されている。

「どこかないか」

 駐車しているワゴン車の後ろに身を潜めたテルは、ノーノの意識に呼びかけた。

(どこだ、どこにいるんだ)

 しかし、閃きのようないつもの頭の中を走る信号はなく、重い闇だけが心の中で広がる。

(ノーノ!)

 けたたましい銃声と閃光がテルのすぐ側で起きた。テルが顔をボンネットの影から少しだけ顔を出すと、ゲートを守っていた兵が、施設内に発砲している。

「奴ら、みんなを殺す気か!」

 目の前のワゴン車には鍵がかかっていて、ドアは開かない。

(何もない俺には何もできない!)

 テルは、自分の得意とする軍事ゲームは、所詮、遊びの一環であったことを痛感した。

 突然、発砲音がなくなり、兵は地面へどうと倒れ伏した。ライフルで武装していた集団が施設内から出て来るのが見えた。

「レオン!」

 炎に照らされた集団の先頭に立つ男は、この施設にテルを案内した『レオン』であった。後ろから従者のように付いてくるのはカレルやジョアン、その他にも自分と席が同じ学生たちであった。

 『ハーメルンの笛吹き男』、テルは一目見てそう思った。

「みんな何やっているんだ!」

 テルは飛び出してレオンの前に立ちはだかった。

 彼らは何も言わない、無表情にテルの顔を見つめた。

「奴らに……」

 基地の外から打ち込まれた一発の砲弾が、ライフルを構える学生の列に飛び込み炸裂した。血だまりと肉片が施設の塀に、複雑な模様を描く。

 施設後方では、格納庫から動き出した数十体の『ビッグ・ウィリー』が無人暴走をはじめ、避難する人々を襲い、多くの犠牲者をだしていた。

 ビッグ・ウィリーの投げたコンクリートの破片が、焼夷弾をばらまく戦闘ヘリのローターを直撃した。ヘリは空中で横回転をしながら、地面へ落下し、炎の渦を広げていく。

(ありがとう……)

 低い灌木に吹き飛ばされ、気を失いかけたテルの心にノーノの声が届いた。

「ノーノ!どこだ!どこにいるんだ!」

 テルの足を直径二センチはありそうな鋼材が地面まで貫いていた。テルは痛みを我慢し、鋼材を引き抜いて、燃えさかる施設へと這うようにして近付いていく。

「ノーノ!返事を!返事を!」

 空気を切り裂く音と共に爆発がテルの横で起こった。

(ノーノ……)

脇腹に強い痛みを感じた後、彼はそのまま気を失った。

 幸福の銀色はテルにはもう見えなくなっていた。





(十三)


『ビッグ・モス』の卵が生じさせた爆風が消え、戦闘空母『クガネ』の船体の揺れが次第に収束していった。甲板には白い海氷のかけらが山のようになって固まっている。

「『クガネ』被害ありません、『シロガネ』月形機、『ヘル・パーシング』の回収を確認しました、敵目標の大半は消滅しています」

 兵の報告を聞きつつ大佐は、リアルタイムで送られてくる落下地点の状況画像を確かめていた。

「ブラボーです。『モスキート』や『シロガネ』を餌に、集まってきた奴らを直接攻撃で一網打尽、大佐、命を軽視してきた日本人のあなたが考えそうな作戦です」

アメリカ海軍の赤髪の青年が席を立ち、拍手をしながら隣に近付いてきた。

「天才揃いの機関第一期生の中で、唯一、生存していた人だけのことはある……『テル・オグリ大佐』、あなたが敵でなくて我が国は幸せだ」

 大佐は彼の賞賛の言葉に返事をせず、反対側に立つ副長に命じた。

「補給、装甲換装を終えた『シロガネ』から再出撃、奴らは本気を出して反撃をしてくるはずだ、各部隊にも戦線を下げないように伝令せよ」

 赤髪の青年将校は大佐の命令に驚いている。

「奴らはまだ来る……あなたはそう考えるのですね」

「我々が絶滅するまでな……それが魔女の願いだ」

 青年将校は、この戦いの中で大佐が初めて冷たく微笑むのを見た。


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