表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

「神頼みの一発勝負は、だいたい負ける」

第三話「神頼みの一発勝負は、だいたい負ける」


(一)


「ほう、三笠が本気を出した、これは見物だな」

 高級家具が備えられた広い部屋の奥の椅子に軍服姿の男が座り、木目の浮き出た大きな机を挟んだ位置に少女の後ろ姿がある。

「はい、突発的行動が目立つ三笠と全てが統率のもとに計算しつくされた大和、どちらが勝ったとしても大佐を満足させる結果になることは間違いありません」

 少女の声は、大佐と呼ばれる男の前でも臆す気配は見せなかった。

 大佐と呼ばれる男は報告書の文書が流れる携帯端末を操作しながら、表示される内容にうなずく。

「それはお前がこの件に関与しているからな、頼もしいと言っていい類いのものであろう」

「私にはそこまでの力はありません」

「否定しなくてもいい、そのためにお前という存在があるのだから、どのような結果になろうとも、計画は実行できそうだ」

 少女の左手の小指の先が少しだけ動く。

「大佐、お願いがあります」

「何だ」

「例のモノを早速この実戦に投入したいのですが」

 少女の申し出に、大佐は口の右端を少しだけ上げて微笑んだ。

「南極のアレか……いいだろう、私もその結果を早く知りたいと思っていたところだ」

「ありがとうございます」

 少女は大佐と呼ばれる壮漢に一礼して、部屋を出ていった。


(二)

 

東の空から太陽が昇るのにはまだ時間がある。

辺りが薄暗い中でも、和賀と彩胡の部屋はカーテンの隙間からすでに蛍光灯の明かりが漏れている。

「ずいぶん、今日は早く集めますのね、休日ですし、みんな起きることはできるのでしょうか」

 パジャマから制服に着替えながら和賀は、ドレッサーの前で髪をとかす彩胡に言った。

「起きるのも何も、作戦変更にならざるえなくなっちゃった、和賀、私の机の上の紙を見てみて、昨日の夜に届いたやつ、庶務部からって書いてある」

「これですか?」

 そこには職員室からの「試合での出場機種は一切問わず」と短く書いてある。

「あっ、和賀、そっちじゃない、プリンターの側にあるほう」

 言われたとおりに印刷された文書を一目見た和賀は目を丸くした。

「予算上の関係から今週の模擬弾の供給は無し……これは、練習で弾はもう使えないってことでしょうか」

「書かれている通り、確かにうちの班はお荷物で、無駄弾を使っていたのは事実だけど、まさか、こんな大事な時にやられるとはね、計算違いだったわ」

「裏で誰かが手を回しているのかもしれませんね、大和班とか大和班とか大和班なんて、確か、庶務の係長が大和班の三年生の一人にご執心だって、ふしだらな情報を耳にしています」

「私もそれを考えてみたけど、弾をいっぱい使っているのは事実だしね」

 髪を後ろに縛り上げた彩胡は、和賀の方に向き直った。

 和賀はすぐに自分の机まで戻り、上にある携帯端末を操作した。

「残弾は……この量でしたら、通常の練習で一分ももちませんね」

「そっ、まずもたない、だから少しでも早く違う練習をしたいの」

「もう、素晴らしい考えをおもちなのですね、さすがです、彩胡さん」

「素晴らしいか、素晴らしくないか、とりあえずやってみなくちゃね」

「はい、期待していますわ」

 東の空が白みがかり、小鳥のさえずる声が次第に増していった。



(三)


 休日の朝、普段であればまだみんな寝ている時間ではあるが、その日は珍しく皆起きて会議室に参集している。いや、まだ机の上でヨダレを垂らしている山川先輩とピリカ、かねとを除く。

(山川先輩のヨダレは机の上まで流れているよ、何か机の上がアマゾン川のようになってるよ、三角州のようなものまでできあがっているよ)

ミーティングは、決意を新たにした僕たちにとって大事な時間になるはずだったが、これではどうにも先が思いやられる。

「まだ、夢の世界にご旅行中の方もいるとは存じますが、彩胡さんから今日の練習についての発表があります」

 教壇に立った彩胡姉は僕たちの反応の薄さを知って、和賀さんに指で何かを指示をした。

「かしこまりました」

 彩胡姉の横に立つ和賀さんが制服のポケットから爆竹の束の入った袋を取り出す。それから十秒もせず、ピリカや山川先輩の周辺は異国の旧正月のメインストリートのように賑やかになった。

「何だ!何だ!」

「次」

「はい、中華風目覚めの儀式、継続します」

 爆竹は、驚くピリカたちの頭上で延々と炸裂する。僕は充満していく火薬臭に満ちた煙にたまらず、窓を開けた。

「彩胡さん、儀式終了です」

 和賀さんは爆竹の入ったビニル袋を手際よく輪ゴムでしばり、また、制服のポケットに入れた。

「これから今日の予定について話します、みんな、寝ていることなんてないよね」

「はい……」

 彩胡姉に睨まれたまま、さっきまで寝ていた三人は身体を小さくしている。

「今日からの模擬戦からは『ウズラ』なし、全部『シロガネ』で行います」

 彩胡姉の言葉に僕をはじめ皆、自分の耳を疑った。

「オールシロガネ戦ですか、一昨日の最初のミーティングでは、そんな話出ていませんでしたけど、だいいちそれだったら小隊の指示は誰がするかまで決めなきゃ」

 僕はたまらず質問をした。

「昨晩遅く、職員室から各班のリーダーのところに出場機の選択は班で決めていいという連絡が回ってきましたの、各機への指示については、彩胡さんの作戦を聞いてくださいね」

 彩胡姉の代わりに和賀さんが僕に答えた。

「そういうこと、細かいことはあとから、まず、これからの作戦を言うわね、みんなホワイトボードを見てくれる?」

 彩胡姉は、ホワイトボードにスタート地点からの各機のルートを青色のマーカーで引いていく。その地図は真ん中が真っ白くなっている。

「この窪地を流れる川岸で遭遇と仮定します。ただし、どのルートを使うかは、チームでこの後、検討すること、そして指示役もね、指示役は班で自由に決めてください」

「それなら私も命令できるの?みんな言うことを聞いてくれるの?」

 この話にすぐに飛び付いてきたのはピリカである。

「そう、誰でも指示できるようにするのもこの練習の目的の一つ」

「相手にこちらの手中を読ませない……でも、こちらも読めないのでは意味がない」

 かねとが言うのももっともである。

「読めるようにするのが、今日からの練習で身に付ける力、次にチーム分け、それじゃ和賀お願い」

「はい、ではチーム分けを発表します、このチームは大和班との実戦まで固定します、はじめにリスさんチームから、ピリカちゃん、そして半平くん、以上。残りは全部キツネさんチームです、リスさんチームはキツネさんチームに狩られないように頑張ってくださいね」

 再度、自分の耳を疑う場面が来た。

「頑張ってくださいって、二対六なんて無理じゃないですか」

 和賀さんはにこりと笑って、もう一度ノートを見た。

「それじゃ発表し直しますね、キツネさんチームは彩胡さん、山川くん、継ちゃん、ルルちゃん、かねちゃんにわたくし、残りは全部リスさんチームです、リスさんチームはキツネさんチームに狩られないように頑張ってくださいね」

「六対二か、これなら……って、何も変わってないじゃないですか」

「変えるつもりはないもの、ピリカちゃん、半平くんはあなたのナイトになるのよ、嬉しいでしょ」

「うん、苦しゅうない、よきにはからえ」

 時代劇言葉?ピリカ、お前は何時代の人間か、どこから覚えてきたんだっていうか、それ以上に彩胡姉のこのドライさは何なんだ。

「んな、面倒なことどうでもいいや、早くぶっぱなそうぜ、弾がいっぱい撃てないとフラストレーションがめちゃめちゃたまっちゃうんだよね、半平のドタマに思いっきりぶちかませば少しはすっきりすると思うんだ」

 継先輩の猫のように細くなった瞳は、僕を真正面に見据えている。

「使い放題……って言いたいところだけど、各機とも模擬貫通弾一発だけ、各機の『シロガネ』の頭部に当たったら、その機体は破壊されたものとみなします、ああ、半平くんとピリカちゃんには大サービスで三発ずつプレゼント」

(大サービスの三発って……条件が同じになっただけじゃないか)

 みんなが驚きと不満の声を上げたが、彩胡姉はまったく気にしていない。

「これからの練習のテーマはこれ」

 教壇から一枚のフリップを出し、みんなに見えるように力強く置いた。

 フリップには筆字で大きく『かくれんぼ』と書かれている。

「かくれんぼ……くだらない」

「ピリカ、かくれんぼ大好き!」

「何で、そんなガキの遊びをしなくちゃなんないんだ?」

 反応は三者三様である。

「演習場は午前中までしか、借りられなかったので、今から二時間後のゼロ九時にスタートします。それまでには定位置についておくこと、いいわね」

「ええーっ!」

 不満を言った継先輩と山川先輩の頭の上で、和賀さんの投げた爆竹が再び華やかに炸裂した。


(四)


 はじめにリーダーとなった僕は、と言っても二人しかいないが……スタートの合図と共に、演習場の中で一番起伏の激しい山側ルートを選んだ。

「お兄ちゃん、次の試合では、ピリカに命令させてね、私ね、前の学校でかくれんぼが一番じょうずだったんだよ」

「でも、今度は大きなシロガネだから、そんな簡単に隠れることなんてできないよ、ジャミングとステルスモードを使ったってレーダーで一発だしね」

「大丈夫、じっとしてればいいんだよ、継ちゃんと山ちゃんなんて我慢できなくて向こうからすぐに飛び込んでくるから、その二人を倒したら、また場所を変えればいいんだよ、それじゃ私ここに隠れるね、お兄ちゃんは、向こうのくぼみに入れると隠すといいと思うよ」

ピリカはそう言って小山の間にある窪みに自分の機体を隠した。

「そんな簡単にいくのかな」

 いつの間にか僕はピリカに指示されていた。

 最初にレーダーに山川先輩の機体ハヤブサの反応、すごい勢いで突入してきたのは予想通りだった。僕のオジロは、樹木の間からライフルの筒先だけ出した。

「へっ、びびってやがるな!こらぁ、半平!正々堂々と勝負だ!」

 音声オンリーモードに切り替えている通信機から、山川先輩の威勢の良い声が聞こえる。

「ちっ、ここじゃねぇのかなぁ」

 山川先輩のハヤブサの頭部が稜線越しに見えた。

「お兄ちゃん!」

 僕は、ピリカの言葉と同時にライフルのトリガーを引いた。

「何!」

 山川先輩のハヤブサに、僕の撃った弾が命中した。山川先輩は、あっと言う間に第一ステージから離脱した。離脱した機体からは通信がすべて遮断されるのがルールだ。

「お兄ちゃん、すごい!」

 向こうのチームの残り数は五機になった。僕たちのいるエリアはまだ特定できないはずだ……いや、はずだった。

「ピリカさん、おやつの時間です、朝早かったから特別のようですよ」

 突然、無線からかねとの声が響いた。

「はぁーい!おやつー食べたぁーい!」

 ピリカは窪みから隠していた機体を出し、元気な返事をした。

 ピリカのチドリにかねとの長距離砲が直撃した。僕のチームは十分もたたないうちに一人になった。

「何事もできるだけ単純な方がいい……ただし単純にしすぎてはならない」

 かねとの格言は無情だった。

 僕は、山の陰に隠れながら谷沿いへと迂回した。

 機動性に劣るシラサギやトキだったら逃げることができる自信はある、でも、問題はルルのセキレイだった。ルルが乗るセキレイの俊敏さは班の中でもダントツ、もし、発見されたらルルの攻撃をかわしたとしても、他のみんなに集中砲火、ゲームオーバーは確実だ。

「おぉーい、半平、ここにエッチな本あるぞ、早く出てこい」

 継先輩の単純な手にのる訳がないと伝えたかったけど、僕は我慢してマイクを切っている。時々、レーダーが北と東エリアに反応しては消えることを繰り返している。

谷がまた一段と狭くなってきていた。

(追い込まれている……)

 僕は逃げているつもりだったけれど、実は相手チームに包囲されていたことを、ここにきてようやく気付いた。

「半平くん、手加減しませんことお伝え申し上げます」

 和賀さんの声だ。ジャミング波の一番深い方向なので、複数機がいるに違いない。みっともないけれど、僕のシロガネ「オジロ」の地面を匍匐ほふくしている姿は、這い回るゴキブリそのものだ。僕は奥に向かわず、途中の斜面にある大岩の後ろに隠れた。

 継先輩の「アオサギ」が木立の向こうに現れた。

「半平!コソコソしてんじゃねぇぞ」

 山川先輩と継先輩は本当の兄弟じゃないかと思うくらい性格が似ている。凶暴さは継先輩がはるかに上だけど。

 僕は「オジロ」で大石の近くに倒れていた枯れた木の幹を谷の向こう岸に投げた。落ちた幹は生い茂った樹木の梢を大きく揺らした。

「見付けたぞ!」

音を聞き付けた継先輩の「アオサギ」は魚を見付けた鳥のように谷に突入してくる。

 僕の二発目の弾は真横から継先輩の「アオサギ」に命中した。自分は天才じゃないかと思ったほど、完璧だった。僕は機体をすぐにゴキブリ姿勢に戻し、下がりながら位置を変えた。

「やるわね、半平くん、でも見付けちゃった」

 僕は彩胡姉の通信を聞いて、急いで自機の周囲をモニターで確認した。

 ルルの機体「セキレイ」が山頂近くから、僕の機体を捕捉しているのが見えた。

 弾数を意識して慎重になっているのだろう、ルルはすぐに撃ってこない。

「みんな、半平くんのオジロを照準に入れて」

「了解」

 了解ったって、人の都合はおかまないなしなのはわかる、でも、この練習はあまりにも不公平だ。横からのジャミング波の反応はさらに強くなっていく。レーダーはまったく役に立たない。

 僕は、ルルの「セキレイ」を照準の中心に捉えた、いや捉えようとした。

(消えた!)

 どうやら僕がおとりに引っかかったようだ。

「もらいました」

 和賀さんの機体「トキ」が眼前に迫っているのが見えた。僕は、瞬間的にノズルを全開にし、空中へ機体を飛ばした。追尾ミサイルじゃない限り、急激な動きにライフル弾は命中することはない、でもその条件だったらこっちも同じだ、一か八かに僕はやってみた。

「!」

 運良く僕の三発目は和賀さんの機体に命中した。

 着地地点にルルの「セキレイ」がいた。僕の頭は冴えている、揺れ動く照準がルルのセキレイに重なった。

「ルル!」

「半平くん」

 僕とルルは意識のどこかでわかり合えた……ような気がしただけであった。僕のライフルは弾切れだった。ルルと彩胡姉の二発は、僕の「オジロ」をあっけなく墜とし、今日の実戦練習は終わった。


(五)


「それでは今日から夜の練習として選抜したメンバーだけに特別メニューを追加します、半平くん、いいわね」

 朝のミーティングと場所は同じだが、山川先輩も継先輩も元気だった。かねとだけは、寝ぼけた状態で話を聞きながら、身体を大きく揺らしている。

「特別メニューって何ですか……」

 僕の名前が呼ばれたということは、僕はその選抜メンバーに間違いなく入っているのだろう、彩胡姉の特訓はいつも厳しい、これはつらいことになるのでないか、僕の心中はおだやかではなかった。

「これよ」

 彩胡姉が取り出したフリップに筆字で大きく書かれた言葉は「平常心」だった。

「どんな時にも冷静に判断し考えることのできる精神、誘惑に負けない心、これが大切なことなのはわかるよね」

「はい……」

 僕は過酷な山の暗闇の中で一人逆さに吊されるとか、日も差さぬ洞窟の奥で蟻を全身に這わせられるのではないかと、考えてはいけないような状況を想像した。

「和賀、説明して」

「はい、半平くんは、大和班との実戦の日まで女子と一緒の部屋で寝起きを共にしてもらいます、ルームメイトは私とルルちゃん」

「えぇっ!」

驚くふりをしながら僕の妄想は宇宙の果てまで広がった。しかし、ちょっと待てよ、そんなにうまい話はあるわけがない。

「それはいかん!俺が……俺が全身全霊をもって阻止、いや交代する!」

 山川先輩の申し出はすぐに却下された。

「ピリカが一緒に寝るのぉ!」

 ピリカの申し出は、彩胡姉の一にらみで終わった。

「どんな時にも平常心、わかるわね、お風呂とトイレ以外はいつも一緒にいてもらいますが、万が一のため、責任をもって監視カメラで私が監視をします、質問や異議は受け付けません、私と和賀で決めたプロジェクトです」

 彩胡姉の笑顔の下に鉄仮面のようなかたい表情が見えた。

「監視……」

 やっぱりとんでもないことだ、俺の一部始終が見られることになるなんて、これは想像できない。ピリカと山川先輩はふくれっ面、かねとは睡眠中、継先輩はにやつき、ルルはうつむいて顔を真っ赤にしている。

「半平くん、ルルちゃん、着替え、生活用具をもって二階の和室に午後七時までに集合してね、そこがあなたたちの修学旅行部屋です。はい、今日のミーティングは終わり」

修学旅行?修学旅行で女子と一緒に寝起きするなんてことあるわけないじゃないか。

「半平、ルルに何か変なことしたら射殺だぞ」

 拳銃を指でつくった継先輩の指先が、僕のこめかみにあたる。

「変なことって……」

これから僕にとって長い……あまりにも長い夜が始まるのであった。



第四話「触るなと書いてあるものほど、なぜか触りたくなる」


(一)


班ごとに並べられた『シロガネ』を見下ろす特別室で、三笠班の窮状を笑っているのは大和班であった。時間外の夜だというのに、彼女たちの機体の周りを整備課の学生が行き交っている。

「あの子たちも三笠班の方たちと同じ虫ね、ほらご覧なさい、服をあんなに汚して、美しくないのね、臭いし、ベトベトするし、何であんなのが好きなのか信じられないわ」

 学生の着用している服に付着する油のシミを見付けた蝶子は、うすら笑いを浮かべた。蝶子に促された女子生徒は、彼女と同じように口に手を当てて一生懸命に汗を流す学生の姿を笑った。

「あの人たちは私たちとは一生同じステージに立てない日陰の子たち、あわれみさえ感じてしまいます」

「お優しい蝶子様、彼らのような者への同情のお言葉、もったいないことです」

「蝶子様、そのようなところではなく、こちらへ……茶会の準備が整いました」

 白いクロスがかけられたテーブルの上には、菓子や紅茶が並べられている。

「こんないっぱいのお菓子どうしましたの」

「蝶子様をお慕いするおじさま方からの貢ぎ物です」

 その言葉に蝶子は、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。

「そうですか……せっかくのプレゼントです、いただきましょう。でも、皆さんプロポーションの維持には気を付けるのですよ、醜いのは私たち大和班にふさわしくありません」

「私も蝶子様のような美しい身体になりたいです」

「身体だけでよろしいのですか?」

 部屋の中にクラシック音楽と少女たちの笑い声が満ちた。


(二)


「夜遅くまでご苦労さま」

 機体を整備をしている下級生に声をかけたのは、大きな紙袋を抱えた彩胡であった。

「彩胡さん、こんな時間にどうしたんですか」

 頬に油を付けたポニーテールの少女は、彼女の顔を見て嬉しそうに笑った。

「いつもうちの修繕ばっかりですまないわね、今日はお詫びに差し入れもったきたのよ、みんなで食べて」

 紙袋を受け取った少女は、他の整備している子たちに声をかけた。

「みんな、彩胡さんがまた差し入れ持ってきてくれたわ」

「私だけじゃなくて、三笠班のみんなからお詫びのしるし、うちの班がダントツで一番壊しているし、本当にごめんなさい」

「気にしないで良いよ、三笠班のバックアップデータ見ると、色々変わった使い方してるから、いつもみんなで楽しんでるんだ、今日なんてゴキブリのような動きでよくあの距離をっていうくらいだし」

 帽子をかぶった色黒の少女はチョコレートを頬張りながら、半平の機体を指さした。

 その言葉に微妙に笑う彩胡。

「今度の大和班との実戦演習、絶対勝ってくださいね、私、三笠班を応援してます、なんなら大和班のシロガネに細工しちゃいますかぁ?」

「サツキ、そんなことしたら退学になっちゃうよ、でもその気持ちは非常に分かる」

 ポニーテールの少女を押しとどめた背の高い少女も大きくうなずいている。

「気持ちだけ、受け止めさせてもらうわ」

 夜間照明の光を反射しシロガネのボディーがキラキラと輝いている。

「きれい……」

 彩胡は思わず口から感嘆の声を漏らした。

「でしょ、宝石のようなんだ、この子たちって、だからかわいいんだよ」

 色黒の少女の言葉に彩胡も同じ思いをもった。


(三)


いいのか、いいのか、いいのかぁ、こんなことが許されていいのかぁ、ほとんど制服やシロガネの搭乗姿でしか見ていないのに、いきなり和賀さんとルルのパジャマ姿かぁ!それもこのガラステーブルは透けてる、透けてるじゃないか、二人ともきれいな足の小指じゃないか、えっ、足の小指、そんなのに興奮する僕は馬鹿か、いや馬鹿だ、馬と鹿のパレードだ、馬も鹿も動物、野生、野生の王国じゃないか、そこにいる僕は野獣、野獣か?野獣になるな俺の心、虎だ、虎になるのだ、いや虎も野獣だろ、だめだ!平常心、平常心と言われたじゃないか

 床に置かれたこのガラステーブルを挟んで僕と二人がいる。向こうはホットミルクとココアを飲みながらテレビを見ている。画面の中では、子猫が犬になついている様子が映し出されていて、二人とも「かわいい」なんて言葉を連発している。

僕は、「気にしないでいいよぉ」なんて言って授業の宿題の残りをやっているのだが、いっこうに進まない。この環境で進む訳はないのだ。

「あら、漢字の勉強ですか、いっぱい書いてますのね」

 気が付いたら、和賀さんは僕のノートを不思議そうにのぞき込んでいる。僕は自分のノートを見て驚いた。無意識のうちに「忍」という文字をページ一面に書いていた。

これはお経?ノートがまるで耳なし芳一和尚の全身のようになってるよ、僕の身体には怨霊が乗り移っているよぉ。

「い、いや、この書き順が難しいと思って、下の心の字のバランスが……」

 ごまかしてみたけど、下の心?下心、違うこの部首名は心だ、下心じゃない、下心なんてもっていないはずだ、僕は……。

「どれどれ、うーん、そんなにバランスが悪くは見えないけど」

 僕の顔のすぐ前に和賀さんの頭が近付いた、トリートメントの花のような甘い香り、花畑だ、僕が蜂だったら例え和賀さんが食虫植物でも捕らえられたい。

「ねぇ、ルルちゃん、この字を見てどう思う、私はおかしいとは思わないんだけど」

 ルルは、僕のノートを見て驚いている。

「おかしくはありませんが、半平くんがすごい努力家なんですごく驚いちゃった」

 一番驚いているのは僕自身だ、努力なんてしてないよ、知らない間に勝手に書いていただけなんだよ、和賀さん、もう漢字はいいから、その話題はいいから、そんなルルまで巻き込まないでくださぁーいって言っても、心の声だから聞こえない、聞こえないよね。

「半平くん、ちょっと鉛筆持ってみて」

「は、はい」

「ここをこうして、点の向きをちょっと変えてみたら?」

 和賀さんは、僕の後ろに回って右手を上から包み込むようにして握り、次のページの一マスに新しい字を書いた。

「ほぅら、うまく書けた」

 柔らかな胸が頬にあたる、この感触、下着、もしかしてパジャマの下に下着を付けていないんじゃないか!いやそんなことはない、僕は夢を見ているんだ、見ちゃいけない、とても見てみたい夢の中で、この時間が流れているんだ。

「和賀さん、教え方上手ですね」

 ルルは、こちらの幸せで苦しい状況を知らず、しきりに感心している。漢字なんてどうでもいい、どうでもいいんだよ、僕がやっていた宿題は数学なんだ、漢字じゃなくて関数なんだ。

 携帯電話が鳴った、この着信音は彩胡姉だ。

「はい、月形です」

「半平くん、脈拍、呼吸数が今まで見たことのない数値になってるほど高くなっているじゃない、何か緊急なことあったの?まだ格納体育ヤードにいるんだけど、アラートがすごく鳴ったから」

 僕の手首には、彩胡姉から付けるように言われたリストバンドが巻かれている。これが言っていたモニターの一つか。

「だ、大丈夫です、今、夜のマラソンをして帰ってきたばかりですから」

「彩胡さんから?誰かマラソンに行っていたの?」

違うルル、お願いだからこの話に入ってこないでくれ、僕は今、心の中で全力疾走しているんだよ。

「あ、いやぁ、グラウンドがグラウンドで、マラソンしてまして」

 ああ、また何を言っているんだ、グラウンドがグラウンドって何だよ、自分が言っている言葉が何か変だよ。

「大丈夫だったらいいわ、もしかして変な気持ちを持ったのかなぁなんて思ったから、半平くんなら、山川くんと違ってそんな心配もないもんね、また異常があったら連絡するわ、あと、リストバンド、勝手に外したらアラートがなるから、気を付けてね」

「僕を信じてください」

 そう言う、今の僕の目は血走っていると思う。


(四)


「お兄ちゃん、大丈夫かな?」

 談話室のロングソファーに寝転び漫画雑誌を読んでいたピリカは、起き上がるやいなやかねとに話しかけた。

「ピリカ、心配はいらない、半平さんは、間抜けだがそれほど常識外れな男ではない」

 背中を向け、戦車のネットゲームに一人興じているかねとは小さい声で答えた。

「違うの、お兄ちゃんがルルちゃんや和賀姉ちゃんに、ギュッてされるんじゃないかが心配なの」

 モニターの中でかねとの戦車が一台の敵の重戦車を撃破した。

「くだらない、無駄な心配だ」

「だって、かねとちゃん」

「気が散る、すでに結果が出た話ほどつまらないものはない」

「もう!かねとちゃんの意地悪、それなら継ちゃんか山ちゃんに聞くもんね」

 ピリカが継や山川の姿を探したが、どこにもいない。

「あれ、二人どこに行っちゃったんだろ、かねとちゃん知らない?」

「用事があると言っていた」

「んもう!」

 頬をふくらますピリカは顔の上に雑誌をのせて、ソファーに再び寝転んだ。


 その頃、継と山川は和室をのぞき見ることのできる木の上にいた。

「見えたか、継」

「くっ、やはりカーテン越しに見ることは難しい、が、まて、こんなこともあろうかと、学校の教材室から赤外線サーモグラフィー付きソナー疑似映像透視ゴーグルを持ってきた」

 継は腰にぶら下げていた大きなゴーグルを自分の頭に装着した。

「継、俺にも早く見せろって」

「うるさい、準備をしていないお前が悪い……ん、内部に三人の反応、えっ、二人の姿が重なっているぞ」

「緊急事態だ!継よこせ!ん、うぉ、わっ、わっ」

 無理矢理、継のゴーグルを取ろうとした山川はバランスを崩し、太い横枝から落ちそうになっている。

「馬鹿!何をしている」

「助けろ!」

「お前が悪いんだろ!」

 二人はもつれるようにして枝から落ちた。

「誰かいるのですか」

 外の物音に気付いた和賀が窓を開けて、辺りを見回している。

「誰かいたような気がしたのですけど……」

 異常がないことを確認した和賀は窓を閉めた。山川と継は木の後ろの地面に絡み合って倒れている。

「痛たぁ、山川、お前は何をしてるんだ」

「継、助けてくれるんなら、もっとうまく助けてくれ」

「私がお前のような奴を助ける訳が……」

 偶然に山川は継の胸に手をのせているが、本人は気付いていない。

「んっ、この感触、ここに落ち葉でもたまっていたか、違う、これは板の上のそば殻枕……いや、もうちびっと柔らかいなって……うわっ!」

 ようやく山川は継のけっして大きいとは言えない胸をつかんでいることに気付いた。

「殺す」

「やめてくれ!」

 飛び跳ねるように起きた山川は、継の側から脱兎のごとくその場所から逃げだした。


(五)


 はじめは緊張していたルルも今は布団一枚分を開けた向こうで静かな寝息を立てている。何もない、何もある訳はないと。

「!」

 僕は布団から上半身を起こした。だめだ、何で僕の方がこんなに緊張しているんだ、和賀さんもルルもどうしてそんなにこの状況で寝ることができるんだ?おかしい、おかしいだろ?

 ルルの天使のようなこの無防備な寝顔を見ることができるなんて、うーん、違う違うんだよ。平常心なんて無理な話だ!

 僕の分身は「平常心」と書かれた半紙を豪快に破り、ルルの身体を抱きしめようとしている。

 はっ、だめだ、だめだよ、平常心がこの訓練の目的だと彩胡姉は言っていたじゃないか、ただでさえ、モニターされているんだ、カメラも僕の知らないどこかに設置されているに違いない、落ち着け、落ち着くんだ、半平。

 僕の分身は破かれた「平常心」と書かれた半紙を、再びごはんをつぶした糊で貼り合わせている。

「半平くん、眠れないのですか」

 冷や汗をかいている僕を見ていたのだろう、和賀さんが心配そうに声をかけてきた。

「あ、いや、変な夢を見て」

 変な夢じゃない、変態の夢だ。

「半平くんもなの、私も時々見るようになっているので、わかります」

 もちろん和賀さんの夢は変態の夢じゃないことはわかる。

「大丈夫です……すいません、和賀さん」

「いいのですよ、もし、怖かったら私の横で良かったらどうぞ寝てください、小さいころの私の弟も時々そうして寝ていました」

 だぁーっ、そんな小さい頃の無垢な弟と野獣に変貌しつつある僕とじゃ、生物学的に別物ですよ、しめ鯖とブルーハワイぐらいのさわやかさの違いがありますよ、和賀さん、いけません、いけないと言ってくださあぁい!

「ご、ごめんなさい、平気、ほんと平気なんです」

「うふ、半平くんを見ると本当に弟を思い出しますわ、半平くんにどことなく雰囲気が似ていたの、優しくて、笑顔が可愛くて、ちょっと不器用なところもありました……」

「和賀さんの弟って、どこの学校にいるんですか」

 僕は当たり障りのない質問をした。

「十歳……ずっと十歳のまま……今も生きていれば半平くんと同じ年」

 和賀さんの言葉が少し暗くなった。何てことを聞いてしまったのか、僕はこれ以上質問することなどできるはずもなく、後悔の念におそわれた。

「あっ、半平くん、ごめんなさい、私そんなつもりで……」

「いえ、僕こそすいません!すいませんでした!和賀さん、明日からも僕、練習がんばりますから!」

 僕はそう言って布団を頭からすっぽりかぶり、無理矢理にでも寝ようとした。いや、本当に寝なければいけないと思った。


(六)


 次の日の朝、ランチルームで顔を合わせた山川先輩を見て僕は驚いた。

「どうしたんですか、そのけがは?」

 包帯や絆創膏だらけの身体と顔は見ているだけで痛々しかった。

「たいしたこっちゃない、特訓だ、俺の熱い特訓の証明だ、お前の方こそどうなんだ、そのうらやましい環境は」

「いえ、普通通りですけど……」

「嘘をつくんなら、もっと上手い嘘をつくんだな、昨日、和賀さんとぴったり身体を寄り添っていたんじゃないのか」

 いや、あの後は僕は寝たはずだ……僕は先輩の言っている意味がわからなかった。いや、待てよ、もしかしたら、あの漢字騒動の時かな……。

「ああ、漢字を習っていました」

「何ぃ!何で漢字の勉強で身体を!聞かせろ!いったいどんな練習をしたんだ!ハネぇとかトメぇとか上になったり下になったりしてたんじゃないだろうなぁ!」

 身を乗り出してきた山川先輩を押しとどめたのはトレイを持って現れた彩胡姉だった。

「あらぁ、山川くん、聞いちゃったわよぉ、昨日の夜、継ちゃんのかわいいおっぱい触ったんだって?」

 僕は愕然とした。彩胡姉は何を言っているんだ、いや、いつも熱く青春を語る山川先輩がそんなふしだらなことをするはずがない!

「山川先輩……」

「うわー、嘘だ、嘘、嘘、触るなんてあり得ないだろ、いや、偶然、偶然なんだよ」

「山川先輩、偶然にでも触ったんですか……」

 僕の冷ややかな目に、いつになく山川先輩はオドオドとしている、こんな山川先輩は見たことがない。

「事故、事故あれは単なる事故なんだ、だって、あんな小さいんだぜ、コンビニの肉まんの方が大きいくらいだし、もし、俺が本気で触るなら、和賀さんか、看護科の伊庭……」

 直径が肉まんくらいもあるBB弾が僕の目の前をかすめ、山川先輩の眉間に勢いよくヒットした。

「山川ぁ!貴様だけは、許さん!」

 エアガンの弾は山川先輩の包帯や絆創膏の隙間に見事なほど次々と命中していった。

 言うまでもなく射手は継先輩だった。


第五話「一緒に走ろうねと言い出す奴ほど、最後に裏切る」


(一)


 広大な敷地をもつ学園は、青森県陸奥湾を中心にフロートと埋めたてによってできた地にある。

臨時の国債が数度にわたって発行されるほどの大国家プロジェクトにより、東京湾がそのまますっぽりと入るほどの海上都市が驚くべきほどの短期間で建造された。

大型輸送船が入港できる港とCXシリーズと呼ばれる三つ柏重工製の大型戦略輸送機が離着陸できる空港、学園を擁する小さな市街地をのぞき、面積のほとんどが『シロガネ』の演習場として使用されている。

複雑に入り組むようにして建てられた十もの校舎棟の廊下には、学生よりも制服姿の自衛隊員や白衣をはおる研究員の姿が目立つ。

八四マル一日本国特務機関は、ここ亜浦丘学園の職員棟地下五階に設置されている。地下フロア全体が一つの部屋となったここ会議室には、五十名を超える学園と日本国政府の主要関係者が集まっていた。

会議室の一面を占める大きな耐圧ガラスの窓は海中に面しており、光に集まるプランクトンを食べにいく種類もの魚たちが群れをなして泳いでいる。

そのガラスを背に書類を読み上げる男の言葉に、各席に備え付けのモニターと書類を同時に見ている者たちは、皆、落胆のため息をついていた。

「みずほ基地は、緊急閉鎖、冬季ではありますが関係者の人命を優先させます、同じく南緯七十度以下ではありますが、東オングル島の昭和基地も一月後には一部を除く職員を帰還させることが、先ほどのマンハッタン世界会議での結論です、すでに東ボストーク基地に犠牲者が出ている状況下において、やむを得ません」

「事態はそんなに深刻なのか……」

 内閣府から派遣されている職員の男は、そううめき絶句した。

「時間がない……ということは、この実践演習の勝者の班を向かわせるしかないということですな」

 教壇に立っている時には決して見せることのない暗い面持ちで教授の嶋之は説明する男に質問した。

「はい、それが決定した事項の一つです、もし、万が一の場合でも、残った者たち、ここでいう敗者の班が次に送られるだけのことです、補充の心配はいりません、輸送空母クガネも艤装が終了し、いつでも南極へ出航できる状況です」

 男の言葉に感情はない。

「これがクガネか……」

 映像で初めてクガネの船影を見る関係者の一人は、その巨大さに声を出して驚いた。

「しかし、技術的にも未熟なあの子供たちに、どれだけのことができるというのか」

「それは我々でも同じことですよ、教授」

 教授の言葉を遮ったのは、周囲から大佐と呼ばれる軍服姿の男であった。

「我々ができるものならすでに行っている、しかし、できないという地点から、この計画はスタートしているのです、一時の憐情を潰さなければ、遂行などできないのは言うまでもなくご存じのことでしょう?子供らに同情など、鬼の左近もすっかり年老いたものですな」

 大佐はそう言いながら笑った。

「この場で笑うのは不謹慎じゃないかね」

 議長役の老人は、笑顔のままの大佐を厳しく押しとどめた。

「これは失礼、話を進めてくれて結構です、どうせ行う実戦ならば、子供だましの演習などではなく、実戦はもっと早い方がいい、それがこの場にご参集の皆さんに対する私の意見です」

 教授は、うなだれながら部屋の隅に飾られたオレンジ色の船体の後ろにヘリポートが付いた南極観測船「宗谷」の模型を悲しそうに見つめた。

(あの頃からすでにはじまっていたとは……運命とはいえ悲しいとは思わないか)


(二)


 特別訓練は、確実に僕の身体と精神を蝕んでいる。

特に注意しているのは朝のこの時間だ、元気になっているのを見られてまずい元気なものが、元気になっているのは阻止しなければならない、だが、見てみろ、普段では想像できない寝乱れた和賀さんの姿を、パジャマの第二ボタンまで外れてるよ、グランドキャニオンよりも深い、あまありにも深い谷間ができてるよ、鞭を持ったジョーンズ博士が谷間の奥から宝を探し出せそうだよ、こんな状況で元気にならないはずがないだろう。

しまった、シーツに鼻血が一滴、二滴、ティッシュ、ティッシュの箱はどこだ。ルルの頭の上の位置じゃないか、何でそんな所にあるんだよ、ああ、花粉症、花粉症って言っていたな、届かない、手を伸ばせばもうちょっとだ、顔が近付くけれど、少しくらい顔近付けても大丈夫だよね。よし届いた、鼻の穴に詰めてっと、これで大丈夫だ。こう見るとルルの寝顔もめちゃめちゃかわいいじゃないか、あれ、息してるの、息してるよな、

ああっと!ルル何してるの!ルルの手が僕の首にからんできちゃったよ!何で僕はルルに抱きしめられてるの!

「お母さん、熊のぬいぐるみとてもかわいいね」

 わあぁーっ、寝言いってるの!ルル、まだ夢見てるのぉ?熊のぬいぐるみ?僕はお母さんに買ってもらったぬいぐるみですかぁ?ぬいぐるみじゃないんですけどぉ、普通のいたってアブノーマルいや、ノーマルな男子高校生ですけどぉ!あぁあ、ルルの髪の良い匂いが、僕、匂いに弱い、弱いんだよね、肉じゃがの匂いにひかれるねって、ああもう、このままぬいぐるみ、ぬいぐるみになってしまってもいいかもしれない、縫い目が体中にできてもいいかもしれない、熊だろうが、トカゲだろうが、ツチノコだろうが、いや、だめだめ、そんなことは考えちゃいけない、僕の元気なカナヘビがアナコンダになっちゃうじゃないか、彩胡姉のリストバンドが送っちゃいけない信号を送っちゃうじゃないか、平常心、平常心だよ。

「あ……」

 薄目を開けたルルが僕に気付いたようだ。死んだふり、死んだふり、ぬいぐるみの熊なら死んだふりだ、いや、熊が死んだふりしてどうするの、死んだふりするのは人間じゃないのぉ、でも、死んだふりはヒグマには聞かないって知ってた?違う、誰が動物番組の司会者になってるの、そんな場合じゃない、今、緊急事態でしょ、でもこっちも薄目を開けておかないと状況がわからない、まぶたカタパルトオープン……。

 ルルは顔を真っ赤にしている、あっ、僕の鼻の穴のティッシュに気付いた、照れながら笑っている、笑っているよ、かわいい、すんげぇかわいい天使の笑顔じゃないか、つられて十字架に張り付けられている僕も笑いたく……あああ!だめだ、笑っちゃいけない。

 ルルは僕の首に巻いている腕をそっと外している、ああ、身体を僕の布団の方にそっと押し戻してくれているんだな……僕が変態行為をしていたとは思っていないようだ、違う、変態行為なんてしているわけないだろう、いつから僕は変態さんになっちゃったのよ。

「きゃっ」

 ルルが支えている腕を滑らせ、羽根のように軽い上半身を僕の上に重ねた。

 ぐぅわー、心臓の鼓動が直に伝わってくるよ、あったかいことコタツのごとく、柔らかいことマシュマロのごとく、気持ちいいこと、最高なこと……やっちまえ!このまま抱きしめちまえ!僕はこれから子ヤギを食べるオオカミになっちゃうもんねぇ!

 突然、聞き慣れないアラートが部屋中に鳴り響く。

うわっ、やべぇ、とうとうリミッター振り切ってしまったかぁ!

「何があったの!」

 和賀さんもルルも僕も飛び起きた、いや僕もルリも起きていた。アラートは校内放送からであった。

「緊急警報、生徒に連絡、シロガネ各班は搭乗待機せよ、整備班、医療班、情報作戦班はそれぞれの持ち場に待機せよ、これは訓練ではない、繰り返す……」

 放送の声は今までとはまるで異なり、緊張感が伝わってくる。それを聞いて僕の浮ついた気持ちはどこかへ消えていった。


(三)


「『天底二号』を破壊するのが今回の君たちの任務じゃ、目標は輸送途中にコンテナを破壊、実戦演習場に潜んでいる。今、流しているデータで示す通り、この機体は人工知能によりコントロールされる開発中の実験機である、今は自己防衛システムが誤作動したままの非常に危険な状況のため、発見次第、破壊してもらいたい、この機体には光学迷彩及びステルス性能を強化しているため、視界距離には十分しなければならない」

 僕は天底二号がシロガネと同じような人型をしていることを初めて知った。情報が重なるモニターに映る左近教授は、サイコロを博徒のように振る時とは違い、暗く真剣な顔をしている。

「武器は装備していないが、素手でシロガネの外部装甲を破壊できるほどの戦闘力を持っている、けっして油断をしてはならない」

「つまり俺たちのシロガネより強いってことね」

 別モニターに映る山川先輩は教授とは真逆に嬉しそうだ。

「君たちシロガネ各機の武器には実弾を搭載した、くれぐれもその扱いには注意してもらいたい」

「そんな聞いたことがない……実弾演習なんて、行ったことがないのに……」

「実弾!ぶっぱなせるのか!すげぇ!」

 喜ぶ継先輩や山川先輩とは違い、彩胡姉と和賀さんは言葉を失っている。

「お兄ちゃん、実弾ってなぁに?そんなにすごいの」

 ピリカ、ピリカはまずい、当たり所が悪ければ……、こんな実戦に参加させる訳にはいかない。

「教授、ピリカも出撃させるんですか」

 僕は思わず教授の言葉の合間に声を上げた。

「三笠班の月形か……全機出撃じゃ、最悪なことにならないよう、お前自信がどうにかするのじゃ、わかるな」

「お兄ちゃん、どうしたの?どんなルールなの?」

「ピリカ、今日はリスさんチームのかくれんぼはしないよ、僕たちのずっと後ろにいるんだ、この試合は僕や彩胡姉よりちょっともでも前に出たら負けだからね」

 僕は無邪気なピリカの笑顔に負け、嘘をついてしまった。

「わかった!」

「半平くん、それでいいわ、和賀はピリカちゃんと同じく後方で前衛部隊の援護、私と継ちゃん、ルルちゃんは左の丘陵から、山川くんはかねとちゃんと右のガレキ場から、半平くんは……」

「中央模擬市街地から偵察しつつ突貫します」

 彩胡姉が対大和班戦のために前から立てていた作戦だった、でも、もうばれるとかは言っていられない。

「三笠班の皆さん」

 教授の顔が消えたモニターに待っていたかのように映ったのは、シロガネのコクピットシートに座る大和班の蝶子だった。

「私たちと共闘を組みません?一斉攻撃は多い方が良いでしょう、総合の戦闘指示は彩胡さん、大和班はあなたに従うわ」

「いいの?」

「私たちだって死にたいとは思いませんもの、決まりましたわ、私たちの二班で、この泥くさい補習を終わらせましょう、月形さん、私たちの目になってくださいませ」

 口に手を当てながら蝶子は笑っている。僕も人数は多い方が良いと思うけれど、何か腑に落ちなかった。


(四)


 地下の会議室では、機関の多数の関係者が事態の成り行きを静かに見つめていた

「大佐……謀ったな」

 指令を伝え終えたばかりの左近教授は、空いている大佐の隣席に座り低い声で言った。

「教授、もう日常のゲームは終わりですよ、遅かれ早かれ、彼らはこうなることに決まっているのですから、この機会を逃さず、来る日のために貴重なデータ集めをしておくのですな」

「それが君のやり方か……」

「いえ、私は機関の犬ですから、主人の言葉に尻尾をふって忠実に行動することが務めです、それよりもご存じですか、各国の状況を、ドイツはヴィルトシリーズを、イギリスはインセクトシリーズ、中国はピンインシリーズの開発を終えたそうです、まるで旧世紀の第二次世界大戦の再来、面白いとは思いませんか」

 大佐は教授の方に顔を向けることもせずに、演習場に展開されていくシロガネの動きを目で追っている。

「私はクガネの艦長に就任することが内定しました、教授も学園でのご指導を継続してください、あなたは軍人よりも人の才能を見抜く職業に向いています、私は今でもあなたに感謝しています」

 演習場に備えられた中継カメラは、無防備に突入していった三笠班、大和班以外のシロガネが天底二号によって次々と破壊されていく様子が映し出されていた。

 人工知能で制御された天底二号の動きは鋭い。

「破壊された機体搭乗員の生体反応値が急激に下がっています、多数の負傷者が出た模様、搭乗員回収の見込みはまだ立っていません」

 通信指令室からのアナウンスが、この惨状を冷たく伝える。

「何をやっているんじゃ!」

「自然の摂理で淘汰されているだけのこと、単機の二号程度に潰されるようなら、ここでリタイアしてもらった方があの子たちのためにもいい、この計画に弱者と敗者は必要ない」

 今、またシロガネが一機、模擬市街地の建物に上半身をのめり込ませた状態で破壊された。


(五)


「お馬鹿な方たちでしょう、まるで突進するしか脳のない猪ですわ」

「蝶子様のおっしゃる通りです」

 大和班の女子たちは、蝶子の冗談に笑っている。

「山川、お前のこと言ってるぞ」

「何で俺?継、お前のことだろう」

「両方です」

 二人の会話に、かねとがポツリとつぶやく。

「彩胡さん、あなたって見かけによらず慎重なのですね、でも、こんなに慎重ですと、お味方の方から芋と言われません?」

「こんな慎重な作戦をされていたら、私たちは飽きてしまうかもしれませんね」

「それでも味方にボロボロにされた所の美味しいところだけをいただくなんて、あなたたちらしいといえばあなたたちらしい作戦ですね」

「なにーっ!さっきまで黙って聞いていたら、この糞豚トンコツ野郎!」

「いいの、山川くん、もう予定の時間だわ」

 押し止めた彩胡は、大和班の戯れ言に一切耳を傾けていない。ただ、偵察している半平の射撃信号だけを逃さないように瞬きの回数を減らしターゲットスコープを見ている。

(頑張って、半平くん、あなたが頼りなの)


(六)


(やっぱり彩胡姉の言った通りだ、単機だと思ってなめてかかると、簡単にやられる……向こうには見えているんだ僕たちの動きが……送信回線を全て遮断しているのも正解だった、多分、交信を盗んで大まかな位置をつかんでいるんだ)

僕のゴキブリのような機体の動かし方はしっかりと板に付いたと思う。ちょっとした稜線の窪みや遮蔽物を見付けるのも前ほどは苦労しない。何よりも緊張はしているんだけど、前よりも隠れている時に緊張していないって言ったらいいのか、自分の特訓は無駄じゃなかったと心から思っている。

(特訓……なぜ、こんな時に朝のルルとの出来事を思い出しているんだ、馬鹿、馬鹿、僕の馬鹿)

 僕は、稜線の向こう側に六機まとまって動く陸奥班のシロガネに気付いた。

(だめだ、多分、天底はあの建物の陰にいる……でも、何で通信指令室から映像が送られてこないんだろう、演習場カメラはどこにでも設置されているはずなのに)

 先頭にいた僕と同型機のシロガネが天底のライフルを使った攻撃に沈んでいくのが見えた。

 (武器を奪ったな……ん?雨だ……さっきまで晴れていたのに)

 強く降る雨は僕のオジロの装甲に付いた土や枝をきれいに流していく。視界が全く見えなくなっていく。

(まずい!)

左右にライフル弾の閃光が流れる。

 僕はオジロを立ち上がらせ、山岳地帯から市街地へ一気に移動させた。

(あの射撃方向だったら、ここは死角だ、いくら高性能だってその時間はない)

 陸奥班のシロガネが二機、ほぼ同時に破壊されていく。僕は、その隙を突いて模擬市街地に入った。

(高い場所……高い場所)

 また、一機破壊されるのを見ながら、僕は少しでも有利になる地形を探した。だけど、オジロが潜めるほどの高台は当然見つからない。唯一、高いのは教会を模した建物の鐘楼だった。僕はオジロを建物の陰にできるだけ隠し、携帯用の無線機を持って鐘楼への石階段を駆け上がった。実弾がすぐ側を通り過ぎた時の鼓膜の痛さは、ヘルメットをかぶっていても耐えがたい。

(どこだ、あいつはどこにいるんだ)

 残り二機のうちの一機が黒煙を上げて、膝を崩すようにして倒れていく。その機体にさらに追い打ちをかけるようにして天底の撃った弾丸が貫通していく。

(どこだ……近くにいるんだろ……どこに……あっ!)

 見付けた……あれだけの攻撃を受けていても破損のない天底に、僕は恐怖よりもあこがれに近い感情をもってしまった。データで教えられた画像で見るよりも、ずっとそれは小さく見えた。

「彩胡さん!」

 流れ弾にあたるかもしれないという不安感はもうない、ただ少しでも早く攻撃して欲しいと願いながら僕は射撃信号を送信するリモコンスイッチを押した。


(七)


「撃て!」

 大和班と三笠班の砲撃が一点に集中した。目標に命中した信号が各機に送られてくる。

「大和班全機進撃!やっておしまい!」

 蝶子の声だった。

 大和班の全機はすでに行動することが打ち合わせ済みだったかのように模擬市街地へと整然と突入していく。

「まだ、連絡が!半平くんからの連絡がないでしょ!」

「ここからは、私が指揮します、彩胡さん、こうしてあなたの指示に従ってみましたが、やっぱり私の方があなたよりふさわしいと思います、あの子だったらもうお亡くなりになっているのではありません?」

 彩胡は一瞬あぜんとしたが、すぐに命令を続けた。

「ルルちゃん、山川くんは半平くんと左右から合流、絶対に直進はしないで、他のみんなは砲撃を継続、横ラインを維持しつつ前進」

「了解!」

「半平!今行くぞ!」

「半平くん、すぐに行くから!」

 山川のハヤブサとルルのチドリは、背面の安定翼を立て、演習場の交戦エリアに向かった。


(八)


土埃と化学薬品のような鼻をつく臭いで僕は目を開けた。

 何分、何時間経ったのか、僕は気を失っていたようだった。でも、なぜか雨は身体にあたっていない、僕は不思議だった。目を開けた僕は何か大きな物に包まれていた。

「あっ!」

 僕の目の前に、天底の大きな顔がある。天底は僕を両手で流れ弾から守っていた。

「お前……」

「キケン、ココニキテハダメデス」

 少女のような機械音声であった。

「お前、話すことができるのか、どうして、何で戦っているんだ」

「ミンナノタメ」

「みんな……?」

「ナンキョクニキテハダ……」

 天底の言葉にノイズが混じり、僕は最後の方は何を言っているのか聴き取ることができなかった。

 雨のように砲弾は降り注いでいるけれど、その着弾ポイントに僕と天底はいなかった。

「ヤクソクデス……」

「約束……何の……?」

 天底は、何かを感じ取ったように、すぐに立ち上がって模擬市街地の中心部へ向かっていった。

 強い雨が僕の顔をうつ。

 僕は彩胡姉にすぐに連絡を取りたかったが、持っていたはずの無線機はどこかで落としてしまったようであった。

「オジロに戻らないと……痛っ」

 僕の踏み出した左足に激痛が走った。骨が折れたのかもしれない。だけど、僕はここでじっとしている訳にはいかなかった。


(九)


「蝶子様、まもなく目的のポイントです」

「陸奥班も武蔵班も全滅ですか、可愛そうに、でもそれがこの方たちの実力ということです」

 大和班のシロガネは、全て黒一式型である、紫色に染められた機体は、それだけで見る者に統一された美しさを感じさせた。

「蝶子様、左右に移動する機体反応が出ました……あっ、道路上で停止しました、動きもにぶくなっているのを見ると、先ほどの攻撃で破壊まではいかなくても大きく破損しているようです」

「それでは、皆さん攻……」

 三角形を描くような陣形の頂点の機体は、蝶子が命ずる前に墜とされた。

 雨でぼやけたモニターには、両腕でライフルを構えて立つ天底の姿があった。天底のライフルから薬莢がはじけ飛ぶごとに、無防備に近い大和班のシロガネは次々と溶けるように沈んでいく。

「何なのよ!何でやられてないのよ!」

 蝶子は悪夢を見ているようであった。天底の装甲ははがれていたり亀裂が入ったりしているが、大和班の射撃をかわす動きは、まだ、駆動装置が安定していることを蝶子に教えた。

 天底の姿が消えた。

「光学迷彩?どこに……」

 蝶子の機体は左からの衝撃に吹き飛ばされ、石造りの建物にぶつかった後、はずむようにして地面へ倒れた。

「!」

 被さるようにして立つ天底は近接距離から蝶子のコクピット部分を狙っていた。この距離は即死を免れないことが明白であった。

「いやぁ!」

 蝶子は受け入れられない事実に叫んだ。



(十)


「だぁっ!」

 僕はシロガネを狙う天底の腕を撃った。天底のライフルの弾が近くの建物の二階を吹き飛ばしていくのが見える。

「攻撃を止めろ!聞こえるんだろ!理解できるんだろ!すぐに止めるんだ」

 近付く僕のオジロの攻撃を天底は軽々とかわしていく。

「ダメだ!当たらないか!」

天底のライフル弾は僕の機体をかすめながら、周囲の建物を崩していく。僕はそれでも天底の光学迷彩が効かない間合いを維持した。

 偶然に僕の撃った弾丸は装甲がはがれていた背部の推進ノズルに命中した。その部分から蒼い炎と白煙が大きく吹き上がった。

 でも、天底が姿勢を直し振り向いた時、僕のライフルは弾切れのアラートを発した。訓練で弾の重要さを教わっていたのに……僕はうかつにも、そのことをすっかりと忘れていた。

 挟むようにして左右から光弾が天底に集中した。

 運動性能は間違いなく低下しているようであった。

「半平!大丈夫か!」

「半平くん!」

 ルルと山川先輩だった。

「危険です!あの機体は普通のシロガネとは違います!」

「半平!そんなのは知ってらぁ!いくぜ!」

 天底の左腕が、山川先輩の攻撃で破壊された。

「全機、砲撃!」

 彩胡姉の声が僕のコクピット内に響いた。無数の砲弾が空と左右から吸い込まれるように天底に着弾していく。

「やったぜ!」

「やったぁー!」

 三笠班のみんなは歓声を上げた、でも、一番近くにいた僕はそこに信じられない天底の姿を見た。

 赤い光が黒焦げになった天底の機体の装甲を舐めるように走る。天底は自らの装甲板を吹き飛ばし、内部装置がむき出しの状態になったまま、今までよりも数倍のスピードで移動を始めた。



第六話「ライスカレーと言うとどこか昔のような感じがする」


(一)


 僕は攻撃をかわそうとしたが、無理だった。天底の放ったライフル弾は僕のオジロの両脚部を細い枝を折るように破壊した。血のように噴き出したオイルは、熱を帯びた天底のむき出しの機械の上で音をたて蒸発した。

 動けなくなった僕のオジロを尻目に、接近する山川先輩のハヤブサの安定翼をその高い命中率で、四散させた。

「先輩、下がって!」

「うるせー!正義の味方ってのは、ここから逆転す……うわっ!」

 天底は全身を赤く発光させ、ハイスピードを保ったまま、ルルの攻撃をかわし、ライフルの銃身でハヤブサの頭部を貫いた。

 一瞬、ピクリと痙攣するように動いたハヤブサはそのまま沈黙し、地面に倒れていく。

「ルルちゃん!下がって、単機では無理!」

 彩胡姉の叫び声が僕のコクピットの中で反響する。

「継ちゃん、かねとちゃん、私たちと合流して!」

「何であれだけ撃ってんのに当たんねぇんだよ!」

「天底は私たちの砲の着弾位置を正確に予想、人間の反応速度でないことは間違いありません、勝つ確率は一パーセント以下です」

 継のどなり声や冷静に戦況を分析するかねとの声は、機外の砲弾の音でかき消されていく。僕は無駄だと分かっていたが、何とか動くオジロの手で建物の外壁 を剥がし、天底の機影めがけて投げ付けた。だが、パワーが足りず、コンクリートのかけらは、すぐ地面に落ち、転がっていった。

 モニターに映る天底は、ハヤブサのライフルを拾い、反応がある僕の機体に近付いてくる。

 ルルは、ここから離脱できているようだ、それだけでも、僕は十分満足だった。天底はさっき蝶子の機体にしたように、僕の機体のコクピット位置に銃口を当てた。

 僕はあがきようにも無理だった。残っていた腕部も潰され、脱出装置を引いても反応がない。

(バットでも持ってくれば良かったかな)

 こんな所でも冗談を考えることができる自分自身に少しだけ驚いた。

 だが、いつまでたっても痛みもしないし、僕の身体が挽肉のようにもならない。

(僕はあっという間に死んじゃったのかな)

 僕の機体のコクピットカバー上に色々な物がぶつかる音がする。その衝撃で一部の非常用システムが作動し、まだ生きていたモニターが周囲の様子を映した。

 目の前に立っていたのは、天底ではなく、銃口から煙をくゆらせるピリカの機体「チドリ」だった。

「お兄ちゃんは……いじめるな」

 天底の上半身は、もう残ってはいない。下半身は、僕のハヤブサの上に崩れ落ち、唯一、作動していた僕の機体の外部カメラを壊した。


(二)


「演習場はしばらく閉鎖します」

 そう朝の放送であったように、シロガネの起動音は学園のどこからも聞こえてこない。あたり前だと思う、生徒のほとんどが僕のようにケガをしてベッドの上にいるのだから。

 死亡した生徒が誰もいなかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない、ただ、近距離で攻撃を受けた陸奥班や大和班の生徒には重傷者が多かった。あ……僕も含めて。

「半平、このケガは男の勲章だな、ロボットアニメでは、たいてい病室で主人公が寝ているとヒロインがなぐさめに来てくれるんだよ、そろそろその時間が近付いてきているぜ、あれぇ、こう見るとお前の脚の太さ、ほんと、昔のロボットみたいだな」

 隣のベッドには、頭に包帯を幾重にも巻いた山川先輩が寝たままこっちを見て笑っている。

 僕の左脚はギプスでガッチリと固められていて動かそうにもまったく動かない。

「でもよ、プロトタイプとはいえ、何であんな強えロボットがいたんだ、こんなんだったらシロガネなんかいらねぇよな」

 山川先輩の言葉はもっともだと思う。僕たちのシロガネはあれだけ多数だったのに、たった一機に手も足も出なかった。

 そして、生身の僕を守った天底の動きは……。

「検温の時間でぇーす」

 医療課程看護見習いの伊庭の明るい声が、僕たちの二人部屋病室に広がった。

「伊庭ちゃーん、待ってたよぉ!ちょっと、俺さぁ、頭が痛くて、悪いけど今見てくれないか」

 先輩……さっきまで、そんなことは一言も言っていない、腹が減ったとか、退屈だとかしか言っていない。

「かわいそうに、山川くん、けっこう打撲がひどかったから、どこか炎症でもおこっちゃったのかなぁ」

 先輩の首のつけねを伊庭は確かめるように触っている、先輩の顔はスライムのように崩れている。

「もうちょっと、首の後ろだと思う」

「えっ、どこ?この辺かなぁ」

 患部を確かめようとする伊庭の大きな胸が山川の頬にぶつかっている。

「おほーっ、その辺、あっ、ちょっとこのままさすってくれる?」

 エアガンの発砲音。

 先輩のだらしのない顔は特製BB弾で隙間なく埋めつくされていた。ちなみにこの特製弾は、射程範囲のアルミ缶を軽く貫通する。

「山川、お前って奴は……」

 マグナムをかまえる継の後ろにピリカ、ルルとかねとが部屋の入り口で立っている。

「お兄ちゃん!会いに来たよぉ!」

 ピリカは僕の上に、乗っかるようにしてシーツの上から抱きついてきた。

「痛て……」

「お兄ちゃん、ごめんなさい!」

「いいよ、ピリカが僕を助けてくれたからね、僕の命の恩人だ」

「知ってたの?」

「うん、でもピリカがケガをしたらみんな悲しくなるから、今度は必ず彩胡姉の言うことを聞かなきゃだめだよ」

「うん!」

 偶然の結果としてだが、ピリカの命令違反の無謀な突入が僕を助けてくれたのは事実だった。

「お邪魔しますわ」

 松葉杖をつきながら制服姿の蝶子がいた、蝶子はそこにいたルルたちに目もくれず、僕の姿に気付くと一直線に早足で近付いてきた。

 何があるのか……、今、挑戦されても僕は戦うことなんてできない。

「半平様、あなたは私の命の恩人です、半平様は、私にとっての白馬に乗った王子様です、心からお慕い申し上げます」

 蝶子は信じられないことに僕の手を握り、頬を赤く染め、目をうるませている。

「ちょっとぉ、お姉ちゃん、何してんの!」

「あら、半平様の妹さん?将来、私があなたの姉になりますわ、私が婚約者の……」

 何?婚約者?そんなこといつ約束した?誰と誰が婚約者?

「半平、いつからつきあっていたんだ!何で、この俺に黙っていた!そりゃ、こんな、いやな女だとしても最高の……おっと……じゃないか、うらやましすぎるだろ!」

 最高の胸じゃないか、山川先輩は多分、そう言いたかったと思う。すぐにベッドから飛び起き、僕のパジャマの襟首をつかんだ。

「私がお嫁さんになるの!それでうちのペットは山川のお兄ちゃんだって決めてるんだから!」

「くく……先輩は犬なのかなぁ、猫なのかなぁ」

 ピリカの意味の分からない主張の横で、かねとが笑いをかみ殺している。

「どっちにしても、お前たちは破廉恥だ、二人とも皆に死んでわびろ」

 継先輩の目には明らかに殺意がわいている。

 まずい、まずい、まずい、いや、僕は無実だよね、無実って言ってくれよ、ルル!

 ルルだけはこの戦場のようにやかましい中、寂しそうな顔をしているじゃないか。

寂しそう?うわぁあぁぁ、そんなぁ、やめてくれぇ!やめてくれよぉぉぉぉx!

「山川くんも半平くんも熱はありませんでした、半平くん、みんなから好かれるのね、何かわかるな、一緒にいるとほっとした感じになるもんね」

「何!半平!お前!抜け駆けかぁ!」

「お兄ちゃんがほっとするのは私だけなの!」

「小さいからといって、婚約者の許可のない言動はつつしんだほうが身のためよ」

 ああ、どうしよう、伊庭は僕らの様子にあきれながら病室を出て行っちゃったよ。ルルなんてうつむいちゃったよ、いけない、僕はこの場からどうしても逃れなくちゃだめだ!

「半平様、どこに行かれるのですか」

「検査の時間だ、遅れてしまう!みんなごめん!」

 僕は、ベッドに立てかけている松葉杖を手に取り、伊庭の後を追うようにして部屋を出た。


(三)


 学園の格納体育ヤードをはじめ、整備場一帯はスクラップ置き場の体をなしている。整備課の学生はもちろんのこと、首都圏の関係施設や企業からも続々と技術者が招集され、シロガネの修繕にあたっていた。

 彩胡と和賀は、三笠班の破壊されたシロガネを、隣接した建物の一室から見下ろしている。

「生存率、被ダメージ率、命中率、どれもうちの班がトップだったなんて信じられませんね」

 そう言う和賀も彩胡も表情は曇っている。

「他の班が自滅しただけ……半平くんはともかく、私たちは何もやっていない」

「そうですね」

 半平が搭乗していたオジロは、解体され胸部から腹部のコクピット部分しか残っていない。

「和賀、そろそろ時間」

「あっ、いけない」

 二人は広い部屋の中心に一つだけ置かれた白テーブルを囲む椅子に座った。

しばらくすると、背広姿の若い男性が無言のまま部屋に入り、テーブルを挟んで二人と向かい合う位置に座った。

「よろしくお願いします」

 職員票を首から提げた男は彩胡の挨拶に、軽く首を前に倒しただけで、机に収納していた投影装置の準備を始めた。一通り作業を終えると、彼は二人と視線を合わせず、端末のモニターを覗きながら話し出した。

「私のこの時間の職務は、君たちに新たに支給配備される『シロガネ』について説明することだ、質問はすべて後から一括して聞く」

 彩胡も和賀も、そのような話はまったく耳にしていないことだった。立体映像で白、黒両方の型式の『シロガネ』が映しだされる。

「これが、極地戦用戦闘体シロガネの白型、そして隣が君たちの乗る遠距離支援タイプの黒型、もう見飽きるぐらい見ているだろう、どちらも訓練用の兵装だな、そしてこれが……」

 今まで映しだされていた機体と入れ替わるようにしてシロガネに似た機体が机上の空間に投影され、映像は全方向からの形態を二人に確かめさせるようにゆっくりと回転をはじめた。

「君たちがこれから搭乗することになる『シロガネ』のリファインタイプ、リミッターはすべて解除されている。これは何も兵装を付けていないノーマルタイプだ」

 頭部や胸部の形状から、彩胡は今までのシロガネ白型がベースになっていると思った。

 もう一機、ノーマルタイプのシロガネが隣に現れた。続いてパーツが映しだされ、右側のノーマル機体の背面に大きな翼とブースターユニットが装着され、もう一方の機体は背中一面を隠すランドセルのような大きな弾倉と砲塔が装着された。

「用途により、短時間で換装が可能、黒でも白でもないシロガネだ、メインオペレーションシステムには『玉梓』が採用された、君たちも噂で聞いたことはないか、『人格バックアップシステム』という単語を」

「高度な技術を短期間で育成できる開発中の操縦補助システム……そう習いました」

 和賀が答えた。

「教科書に書かれている通りの答えで結構、君たちはその核となるのだ」

 男の淡々とした説明を黙って聞く彩胡は、自分がまるで構成部品の一つになってしまったような不快な気持ちにおそわれた。


(四)


 休日の外来専用の待合室は誰もおらず、さっきまで僕がいた病室と違っていた。たまに看護課の学生を呼び出す放送と遠くでスリッパの音が聞こえるだけで音がより透明に聞こえる空間だった。

 僕は黄土色をしたレザー貼りのソファーに腰を下ろし、猫の額ほどの中庭に植えられたマリーゴールドの花をただ何となく眺めていた。

 心の中であの少女のような天底の声が、僕をまた呼ぶ。

 流れ弾丸が地面の泥を巻き上げ、機体の外部カメラを覆っていく、震えの止まらない手で体勢を立て直そうとした数秒の間に、天底は僕の目の前に銃口を向けて立つ。

(僕は殺されていた……)

「お前に考え事など似合わんぞ、何じゃ、その呆けた面は、我が日本国の代表に選ばれたのを撤回しなければならんのう、腹がへっているのなら食堂でライスカレーでも食いにいくか?」

 頭上からの声に驚く僕の前で立っていたのは天底ではなく、白衣を着、書類を小脇に抱えた嶋之教授だった。

「教授……」

「呆けた面は止めろといったじゃろ、考え事をしたくなる気持ちは理解できるがな、年寄りは立っているのが辛いんで、横に座るぞ」

 言葉よりも前に教授は、ギプスをはめて脚を投げ出す僕の横に腰掛けた。

「あの……質問してよろしいですか?」

「天底のことであれば許可できん、だが、この場所のみのお前の独り言であれば、わしも独り言で返そう、つぶやけない独り言もあるがのぅ」

 教授はいたずら小僧のような目で僕を見て笑った。僕は教授の方を見ずに、中庭の花に止まるアゲハ蝶を見る。教授も視線を合わさず蝶を目で追う。

「独り言です……あの、天底という兵器は何なのですか、僕はあいつに守られ、話しかけられ、そして殺されそうになりました」

「あれは間違いなく一世代前の実験機、あの機体をもとにシロガネが開発されたのは事実じゃ」

「僕のオジロはその一世代前の実験機に手も足も出ませんでした」

「乗り手の未熟さで片付けられる程度のことじゃ」

 もう一羽のアゲハ蝶が、蜜を吸う蝶の上で二、三度旋回して近くの花に止まる。

「僕は彼女……いえ、天底に言われました、南極には来るなって」

 教授はふっと短くため息をついた。

「あいつの残された良心……そう信じたいものじゃ、このことは学生の誰かに?」

「まだ誰にも言っていません」

「このまま言わぬが花じゃ」

「答えになっていないと思ったらいけませんか」

「答えではない、わしの独り言じゃ」

「でも」

「ここで否定の言葉を使うようでは、まだまだじゃな」

 教授の語気が少しだけ荒くなったように僕は感じた。

「すいません」

「青二才の独り言にいらだつようでは、わしも同じようにまだまだじゃ、代わりといってはなんじゃが、答えになるようでならないわしの家に伝わる昔話、いや独り言を聞くか?」

 蝶は羽根をゆっくり綴じたり開いたりしながら蜜を吸い続ける。

 教授はわずかにのぞく中庭の空を仰ぎ見、静かな口調で話を始めた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ