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「風呂はぬるい方が身体に良い」

 僕は夜店のくじや年末の福引きで、欲しい物が当たったことはない。ガチャガチャだって、ジュースに貼られたシールを集めたって、貯金箱に入っていたお小遣いが消えていくだけだった。

 でも、今ならわかる。外れていたのは、ここでの出来事のために運を貯めていたことだって。



第一話「風呂はぬるい方が身体に良い」


(一)


 ああ、やっぱり勉強をやり終えた後の風呂は気持ちいい。

 こうして程よい温度のお湯に包まれると面倒くさいことを全部忘れられる。

 そう、浴槽はそれも広いのに限る。ここの大きさは縦三メートル、横九メートル、深さは、十五歳の僕が座るとちょうど首の所くらいで、寝ると溺れそうになることもある浴槽だ。

 小さい帆船が浮かぶ海と白い浜辺と松、そして五合目まで雪で飾られた富士山の絵が後ろの壁に大きく描かれている。湯気を通すと、自分が鳥になってそれらの景色を眺めているように見えるもんだ。

鏡とシャワーが左に三、真ん中が向かい合わせになって六、右に三、これだけの人数が一度に使えるくらい、タイルの上にきれいに並んでいる。

 この寄宿舎の中で一番、お気に入りの場所と言ってもいいかもしれない。


「こら!ちゃんと服、たたみなさいよ」

 ちょっと待ってくれ……これは彩胡姉の声だ。

「お風呂から出たらたたむからいいの!」

 これは一番年下ピリカの声、小学生のキンキンとした声は脱衣所からだ!

「ちゃんと言うことを聞きましょうね」

 この異常にゆっくりで丁寧な言葉遣いは、和賀わかさん……。

 何、何だいきなりこの状況は幸運、違う、断じて違う。

 ピンチだ、最大のピンチだ。

 バルチック艦隊に、葦船一艘で戦いを挑むようなものだ。

 いや、赤壁の戦いの場において、たらい舟の上で一人裸踊りしているようなものだ。

「彩胡、言ってもわからねぇガキには榴弾ぶっぱなせばいいんだ」

 歩く軍用最終兵器……けい……最悪だ。

「わかったよぉ、やればいいんでしょ、やれば!」

 どうやらピリカは観念したようだ。

「そう、ピリカちゃん、えらいね」

 ルルまでいるじゃないか!


 僕は確かに入浴中の札を出したはずだ。

(その札は勢いよく扉を開けたピリカが落としたことを僕はまだ知らない)

 自分の脱いだ服だってかごの中にあるはずだ。

(ピリカのお気に入りのアヒルの絵が描いてあるバスタオルの下に隠れていたことを僕はまだ知らない)

 入っている……僕は今、風呂に入っていることをみんなに知らせなきゃ!

「おっふろー!」

 一番に飛び込んできた全裸のピリカの勢いに反射するかのように、僕はそれまでの意に反して頭まで浴槽の中に沈めた。

「ねぇねぇ、誰もいないよぉー!」

「一番に入る風呂はやっぱり気持ちがいいものですね」

「こら!ピリカ!ちゃんとかけ湯しなきゃだめでしょ!」

「はぁーい!」

 浴室にみんなの声が聞こえてきた所までは記憶がある……ような気がした。

 息……あぁ、息が……。


(二)


 天井の白いパネルに付けられた模様は規則的なようで、規則的ではない。

 こうして目を開けて見ると、ここはどこだろうと考えることもなく、訳もわからないことを頭の中で理解しようとしているだけの自分がいた。

「よかったぁ、気がついたのね」

 医務室の白いカーテンが割れ、ひょっこりと顔を除かせたのは看護見習いの伊庭いばだった。彼女は僕と同じ学年だとは思えないほど、みんなのことをい つも心配してくれるアイドルだった。白衣を身にまとい、少しカールした後ろ髪を揺らして微笑む彼女はまぶしすぎる。まさしく天使という以外何者でもない、 彼女のためだったら俺はいつでも堕天使になることができるぅ!って山川先輩はそう会う度に僕に力説している。今、こうして目と鼻の先に顔を寄せる伊庭の顔 を見ると、あながちその言葉は間違いではないような気がする。

 無垢な表情の下に続く、少し開いた胸元には、お世辞にも豊かとは言えない谷間に白衣とは違った純白の自己主張。

「彩胡さんとか、大浴場から、みんなで運んでくれたのよ」

「えぇっ!」

 僕のいけないとわかっている視線は上を向いた。大浴場からっていうと、運んでくれたぁ?すると何か?僕のあられもない下半身もぉ?

 いや、そんなはやまった想像をしちゃだめだ、そんなことはありえる訳はない。確か風呂に入っていたことは間違いない。当然、パンツなどをはいたまま、風 呂に入る奴なんているわけないし。ちょっとまて、浴室に潜った記憶がある。はじめに飛び込んできたのはピリカ……つるぺたな胸……いや、俺は目をつぶっていたのは間違いない、で も、どうしてあいつの声が頭の中に響く?


「月形君……」

 伊庭の少しうるんだ瞳の下の小さいほくろは妖しい魔力で僕の目を再び引きつける。

「は……い……」

「いくら興味があったとしても、女子のお風呂をのぞき見しちゃだめだと思う、自分のしたことをよぉく振り返ってみて……」

 二人の時間、いや伊庭は関係ない、僕の心臓だけが静止した。

 何か僕の周りでは、想像していた以上の暗黒物質が浮遊しているようである。このまま静止してくれていた方が良いと僕は強く神に願った。


(三)


 今、伊庭を目の前にする僕は現実に戻りたくないので、少しだけ過去をふり返ってみようと思う。

 僕がいるこの学校は「亜浦丘あらおか学園」という全寮制の共学校、普通の学校でいう小学四年生から上は高校三年生まで在籍していて男子一割、残りは九割が女子という、あの頃の僕にとってはちょっと異質な環境だ、違う、今でも異質な環境だと思う。

 この学校は、普通の試験や家族の意思だけでは入学することができない。ここに来ることが決まった時、僕は自宅の二階のベッドの中で、ちょうど朝の目覚ましのアラームを止めたばかりだった。

「半平!たいへんよ!」

 階下から、母の驚いた声が響いた。部屋の前の扉を飼い犬のミケーネが吠えながらガリガリと引っ掻く。

(うるさいなぁ)

 しかし、本当にうるさいのはここからであった。自宅の電話は鳴りっぱなしになった。

「はい、あの本人は……」

 母のしどろもどろの電話の声が聞こえる。僕はまだ寝ていようと思ったが、二十分もしないで玄関チャイムが鳴りまくった。玄関からは、僕の名前を何度も繰 り返し呼ぶ何人もの大人の声が聞こえてくる。驚いたミケーネは階段を駆け下り、玄関に行ってワンワンと外の集団に吠えた。

 僕は着替え、チェーンロックを付けたまま玄関の扉を開けた。何本も伸びるマイク、テレビで見たことのあるレポーターの顔、一斉にたかれるカメラのフラッシュ。

 僕は無理矢理扉を閉め、鍵をかけた。居間の方では母が鳴り止まない電話の対応に追われている。

「母ちゃん、何があったんだよ」

 母は、テレビを慌てて指さした。うちの玄関が映っている。

「!」

 字幕には「最初の決定者は中学三年生」という極彩色で書かれた字のテロップが流れる。僕が「八四マル一計画」、通称「やおいプロジェクト(やおプロ)」という存在があったことを知ったのはこの時だった。

 二時間後、黒塗りの日本政府関係者の車が警察車両に先導されて自宅の前に停まった。警察車両からは学校に登校していた弟の真理男や仕事に行ったはずの父が私服警官に警備されながら降りてきた。

 家族が正座して集まる居間のテーブルの向かいには、見るからに頭の良さそうな年がバラバラな男が三人、その後ろには秘書とみられる女性と、腕章を付けたカメラマンが数名。

「厳正なる抽選の結果、半平くん、君が最初に選ばれた、おめでとう!」

 作り笑いの秘書が拍手をする中、一番年若な男が差し出した紙には「当選証書」と書かれ、内閣総理大臣の名前の横には大きな職印が押されていた。

「半平は、これからどうなるのでしょう」

「お父様、ご心配することはありません、これから日本国政府の特任校に入学してもらいます。当然、義務教育修了、高等学校入学の義務や権利は文部科学大 臣、いや日本国の責任において保証されます。転校手続き、その他も全てこちらで行います、当然のこと、学費、寮費、生活費の類いは一切かかりません、た だ、カリキュラム等については、まだ非公開のこともありますので、全てとは申しませんが、このようなことを行います」

 秘書が右上で綴じられた十枚ほどのプリントを家族に配り始めた。表紙にはマル秘と書かれた赤文字が僕にこれでもかという威圧感を与える。

「初等訓練……何、これ?」

 僕は教科の中に見慣れない単語をいくつか見出した。

「字のごとく、何も知らない人でもしっかりと学ぶことができるようなマンツーマン方式の学習です。教員には国立大学教授や自衛隊幹部など、その世界の第一級の人材があてられます、日本国内で一番、最先端の充実した教育機会となることは間違いありません」

「しかし、本人の希望もあるものですし」

 普段、会社から帰ってくると酒飲んで下着姿のままソファーで寝る父とは思えない発言だった。

「当然、私ども国の方もそれが大前提です。本人がお引き受けならない場合や保護者の方が同意しない場合は無効となります、そして、残念なことですが、ご家 族に用意された支度金としての二億五千万円も無効になります、特例の税制優遇措置として、所得税もかからないものなのですが」

「二億……」

 家族の目の色が変わったことは言うまでも無い。

「就学中、万一、けが等をされた場合の保証も込みと考えてもらって結構です」

「けがなんて、危険なこともあるのですか」

 それでも母は親の気持ちは忘れていない。

「いえいえ、マニュアルによる最大限の安全システムが完備されていますので、ただ、どのような学習活動においても危険性はゼロとは断言できません、これは普通の中学校でも同じですね、その点につきましてはご理解いただきたいと願います」

「半平、お前が選ばれたのは、何かの縁だ、しっかりやってこいよ」

「兄貴、頼むぜ」

 父も弟も既に僕が行くものと思っている、相談するだけ無駄だ。

「母ちゃん」

 まだ迷う僕は母の顔を見た。

「半平、お母さんも応援しているわ」

 父は僕の返事を聞くまでもなく、入学契約書に実印を力強くついた。


 (四)


「継さん、そのまま索敵を継続してください」

「おう、まかせな」

 男勝りの継の声。

「半平くんは、ルート四十一のまま前進、あっ、ちょっと前に出すぎですわ」

「は……はい」

 今日の演習は和賀さんがリーダー、ヘッドフォンか聞こえる声はいつも優しい。

「お兄ちゃん、また今度、一緒にお風呂に入ろうね、この前、のぼせて裸んぼで気絶していたもん、面白くなかったよ」

 僕の操縦桿を持つ手が止まった。

「ピリカちゃん、演習中の私語はやめましょうね、特にあのことはもう話さないって約束したでしょ」

「はぁーい」

「ロリコン半平、よかったな!ピリカ、お前、半平の嫁さんになりたいって言ってたしな」

「うん、お兄ちゃん優しいし、この前だって私にジュースくれたもん、大好きだよ」

 和賀さんの注意に耳を貸さない継とピリカの会話は、僕の判断力を迷わすのに十分だった。

「継先輩、何てことを!」

「半平、黙れ、偵察車両発見、今日の搭乗者は彩胡だな、後ろには山川もいる。どうする和賀、ぶち込むか?」

 継先輩の偵察車両から送信されたデータは僕の席のパネルに疑似立体マーカーとして表示された。

「まだ、待ってください、ピリカちゃん、捕捉できた」

「もうちょっと、あっ見えた」

「半平くんは?」

「いつでも大丈夫です」

「二十秒後、ピリカちゃんは、彩胡さんの車両を、半平くんは山川くんを攻撃、カウントあわせいい?」

「はぁーい」

 カウントがゼロになると同時に、人型機「オジロ」に乗った僕は、背中の推進ブースターノズルを全開にし、正面にひろがる樹林帯を突破した。ピリカの機体「チドリ」は地形の高低差を使って、七メートルもある機体を隠しながら近付いていく。

「彩胡お姉ちゃん、もぉらった」

 しかし、それまで捕捉されていた彩胡姉の偵察車両が消えている。

「あれ?いないよ」

「やられた、罠だ!さがれ、ピリカ!」

 僕は機体を反転させ、山川の搭乗機体「ハヤブサ」の砲撃をかわした。

「えっ?」

 偵察車両はすぐに岩の後ろに後退していた。ピリカのチドリを出迎えたのは、真横の窪地から模擬ライフルを構えたルルの機体「セキレイ」であった。

 ピリカの操縦席のメインパネルには青文字で「負け」と大きく映しだされた。

「やべぇ!」

 継先輩が乗っている方の偵察車両はあっさりと彩胡の放った疑似ミサイルにより、撃墜マークが付いた。

「半平、終わりだ!お前だけうらやましいことをした天罰をこの山川自らが与える!くらえ、ハヤブサバスターキャノン!」

 山川ヒロ、一歳年上の数少ない男子生徒のリーダーで僕の先輩。熱血漢で情熱あふれるスピリットは僕には真似ができない。

「半平くん!」

「まだ、やれます!」

 紙一重で直撃を避けることができた僕は、できるだけ相手側の後ろに回りこもうと考えた。そこにはいくつかの大きな岩塊が樹木の中に点在している。

「!」

 ルルの白い機体セキレイは、それを予測していたように前方に立ちはだかった。だが、僕の方が数秒はやかった。

「ルルか!」

「月形くん、教えて……本当にのぞきに来ていたの……月形くんがそんなことしたんなんて、まだ信じられない」

「えぇっ!」

 僕の操縦桿を握る手とノズルペダルを踏む足は固まった。

「もらい!ハヤブサビームスパァーク!」

 ただの模擬弾なのだが、動きが止まった僕の機体を戦闘不能にするのには十分すぎるくらいであった。そして、和賀さんの偵察車両もあっさりと破壊され、今日の演習は終わった。

 負けた僕のチームや別の演習で負けた班は補習後の夕方、グラウンド三十周を走らされることとなった。

「お兄ちゃん、疲れたぁ」

「ピリカちゃんの初等部は走らなくてもいいって言われていたでしょ」

「だって、みんな走っているのにピリカだけ、走らないのはずるいと思うもん、でも、もう限界だよぉ、お兄ちゃん、おんぶ」

「えぇっ!」

「半平、お前、こんな小さい子が困っているのに助けてやらないのか」

 継はそう言いながら、軽々と僕の横を走りすぎていった。ピリカは、さっきの言葉を忘れているかのようにトラックの中でこちらをチラチラと見ながら座り込んでいる。

 僕はしょうがなく、ピリカを背負う。

「ほらぁ、遅くなったぞ、半平もっとスピード上げろ」

 土手の上からは山川先輩やルル、彩胡姉がこっちを眺めながら応援をしていた。

「ルル、あなたもなかなか頭脳派じゃないの」

「彩胡さん、何のことですか?」

「あのタイミングでわざと半平を動揺させたんでしょ」

「まさか!そんなことないです!ずっとモヤモヤしていたんです、だって半平くんはあんなことする人じゃないって……半平くんと話したかったんだけど」

「で、あの時ねぇ、そういうのを頭脳派って言うんだよ」

「山川さん!」

 ルルたちの会話は僕には聞こえない。


「亜浦丘学園」日本校、ここは人型ロボットを使用したゲームプレーヤー育成のための学校だ。

違う……だったはずだった。


 (五)


 一九五九年、南極条約が採択され、世界の主なる国々が南極大陸を平和的目的のためだけに利用することを定め、締結した。

 近年、南極大陸の一部に膨大な天然資源が埋蔵されていることが、国連の研究機関により明らかとなった。各国は、その所属を求め、ロビー活動が活発になり、資源を巡っての争いが起こることは、誰の目にも明らかであった。採掘権について、国連は一つの決断を下した。

 四年に一回、オリンピックの年、各国からの代表として、十歳から十八歳の少年、少女を選び、その国の最高技術とも言える十メートル未満のロボットによる模擬戦闘によって、勝敗を決め、一番の勝者に四年間の採掘権を認めることとした。

 搭乗者の選択は、なるべく貧富国との公平を喫するため、国連監視下のもと百名を無作為により選ぶ抽選方式となり、選出された日本の児童、生徒が「亜浦丘学園」日本校に学籍を置いている。

 僕の出席番号は高等部十五番、今日も特別演習という訓練を受けている。


第二話「甘い言葉に蟻はたからないが男子は軽く騙される」


(一)


 僕たちの学校では学年を縦に割った方式で班になっている。全校生徒が全部で十二に分けられていて、それぞれ名前が付いている。ちなみに僕らの小隊名は「三笠」、奈良県の銘菓の名のようだけど、細かい意味は分からない。他にも「日向」や「陸奥」なんていう夏みかんやりんごのような果物の名前がある。

 「三笠班」のリーダーは高等部三年生の「高森彩胡」先輩、僕は「彩胡姉ねえ」と呼んでいる。真面目で少し口うるさいところがあるけれど、みんなのことをよく考えてくれているのは間違いない。そして「立見和賀たつみわか」先輩、優しくて胸が大きくて、っとこれは余計か、黒いロングヘアの似合う優しい人で、後輩にも優しく、山川先輩曰く成績もすごく良くて、パーフェクトな存在だ。

 高等部二年生は「寿賀継すがけい」先輩、見た目の派手さとリンクするように、女子とは思えないほどの攻撃、過激、一番のクラッシャーだ。気の抜けない先輩で、失敗すると遠慮なく、げんこつが飛んでくる。同じく「山川ヒロ」先輩、熱血漢で正義感も強いのだけど、どこか抜けているような気がする。面白い遊びを教えてくれるのだけど、部屋に行ったらロボットのフィギアを解説付きでずっと見せられる。

 僕と同学年高等部一年生は「時山ルル」、物静かで控えめで弱虫、みんなとはそれでも普通に会話しているんだけど、なぜか僕と話す時だけ、声が小さくなるらしい。僕が何か悪いことを言ったのを気にしているのか、なぜか、自分にとってもちょっとだけ気になる存在。

 中等部には、この前まで風邪ひいて寝ていた「伊東かねと」、年下とは思えないほどクールな考えをもって行動する眼鏡女子、『シロガネ』に乗ると最高に操縦が上手い。ただ、低血圧、低血糖、病弱であることが自分の弱点と分析しているように、いつも寝込んでいる。

 そして……。

「お兄ちゃん、勉強教えて」

 目の前に算数の教科書を突き出す、ツインおさげ髪の子、初等部四年生の「江藤ピリカ」である。明るく一番年下であることから、みんなのマスコット的存在であることに間違いない、だが、神出鬼没で行動が予想できない。今も僕は起きたばかりの寝癖のついた髪のまま、洗面台で歯を磨いている。

「ラジオ体操の前に予習を終わらせようと思って、えらいでしょ」

「えらいのはわかるが、少し早すぎじゃないか」

「だからラジオ体操する前って言ったよ」

「そういう意味じゃなくって」

「半平くん、優しいのね、良かったわね、ピリカちゃん」

「うん」

 白いタオルが似合う和賀さんが微笑みながら共同洗面台の前に立つ僕らの横を通り過ぎていった。その奥には下着の肩紐をのぞかせたまま、ぼっとした顔で歯を磨く、伊東と寿賀の二人、いや、そんなところに目をやるんじゃない。

 僕らは班で毎日の生活を共にしている。


(二)


 午前の授業に入るまでの慌しいクラス前の廊下、ルルは、生徒向けの掲示パネルに映されている先週までの班の成績を見ていた。

一番優秀な「大和」班から視線をおろしていくと、最後に小さな文字で「三笠・赤点補習有」と書かれていた。昨晩のミーティングでも、修理工場からの「これ以上破壊するな」という話を彩胡から聞かされたばかりであった。

「何回見ても成績は上がりませんわよ、いつもの最下位、ドン亀さん」

 ルルが振り向くと立っていたのは「大和班」に所属する三人の女子であった。

「あなた、ご実家があの名門の『時山家』なんですって、お嬢様なんでしょ、こんなみっともない成績で恥ずかしくないのかしら」

「うふふ、でも所詮成り上がりじゃないの、ここにいる蝶子様の『三条家』とは歴史的にも財産的にも比較のしようがありませんわ」

「もう、からかうのはおやめなさい、この子のおうちなんてその程度がお似合いなのですから、失礼になるじゃない」

「失礼しました、蝶子様」

 蝶子とその取り巻きの女子からの嘲笑を、ルルはうつむき黙って聞いている。

「あなたのパパのお力で班を変えてもらえばいいじゃない、あなたのパパの会社はそうやってお金で全部解決してきたんだし、あっ、ちょっと言い過ぎましたわね」

 予鈴が鳴った。

 三人は、ルルの強く握られたこぶしに気付くこともなく、教室に戻っていった。

「あれ、教室入らないのか?」

 そこで何があったかも知らずに半平は、悠長に廊下を歩いてくる。

「あれ泣いてるのか?まさかね」

「ううん、何でもありません、ごめんなさい」

 教室に早足で戻るルルを不思議に思いながらも、半平も教室の中に入っていった。


(三)


 午前中は学年で分かれて教科学習、午後からは班ごとの教習、僕らが乗っているのは『シロガネ」と言われているもので、一人乗り用の機械人形だ。

 『シロガネ』は二種類あって、機動性が良く、ピリカ曰く、ちょこちょこ動けるのが『黒一式型』。

僕の乗る『オジロ』や山川先輩の乗る『ハヤブサ』、ピリカの『チドリ』、ルルの『セキレイ』がこのタイプだ。

ピリカ曰くマッチョメンと呼称する装甲と火力があるのが『白二式型』、これは彩胡姉の『キジ』、和賀さんの『トキ』、継先輩の『アオサギ』や、かねとの『シラサギ』がそうだ。

 その他に小さな砲塔を備えた主に指揮をとる戦闘車両『ウズラ』がある。その日の教習の内容によって、出撃パターンが変わるので、その時になるまで誰が『ウズラ』に乗るか、分からない。公式ルールもそのようで、ひどい時は全員『ウズラ』で出撃、何ていうこともあるらしい。

「それでは来週の第一回班対抗実戦演習はどのパターンで行くかのぅ、確かこれが班同士初めての対戦じゃな」

 聴講席から見下ろした先の教壇に立っているのは「嶋之左近しまのさこん」教官、今年、めでたく喜寿を迎えた頭からあごひげまで真っ白の爺さんだ。ただ、自分は教官と言われるのが嫌いで教授と呼べといつも言っている。

 僕たちは入学以来、勝手に編成されたずっと同じ班のメンバーとだけ試合や基礎練習を続けてきた。

 

「よござんすか、よござんすね、入ります!」

 教官は二つのサイコロを白衣のポケットから取り出し、左手にもつ壺に投げ入れ、教卓の上に勢いよく置いた。

「おほーっ、今日も塞翁が馬じゃ、まず一戦目は信濃と武蔵班じゃ、人形の組み合わせは自由じゃ」

 これに「大和」班を加えた三つの班は『特上』と呼ばれる強豪だ。

 組み合わせの発表を待つみんなの顔は真剣だ。実戦演習は十二の班から半分だけ、出場の機会が与えられる。何たって初めての対抗戦だ、みんなとても緊張している。

「半平、お前はどことあたると思う」

 山川先輩はそう言って後ろの席から、ぼくの首筋を軽く鉛筆でつついた。

「わかりませんが、あまり強いところとあたりたくないです」

「わかってるじゃないの、勝率が大きく成績に響くからねぇ、これ以上最下位なんてないぜ」

「最下位って何ですか」

「お前、三か月間総合の成績発表されたの知らなかったのか?」

「知りませんでした」

「ビリだよ、ビリ、補習決定」

「えぇっ?だって僕たち頑張ってると思うんですけど」

「シロガネ、ぶっ壊し過ぎたんだってよ、出るたんびに直撃どころか、本当にぶち壊しちまうんだからな、特にお前な」

「だから、彩胡姉、昨日あんなに壊すなって言っていたのか」

「気付くの遅えよ」

 次々と班名が読み上げられていく。

「これは結果が分かる試合なんで、あまり面白くなさそうじゃのぅ、発表するぞい、大和班と三笠班じゃ」

「やべぇ!」

 組み合わせに驚く山川先輩の鉛筆の芯の先が、僕のうなじを強く突いた。

「痛いですよ、やめてください!冗談じゃないっすよ!」

僕の上げた声で生徒は一斉に、こちらを振り向いた。

「あ、すいません、すいません」

「あっぱれ!」

 顔を赤くして謝る僕を見て、教官は褒めた。

「このように圧倒的な能力の差があった状態で、プライドをかけてなお戦う、その勇気こそ誉れである、あっぱれじゃ月形!」

先輩に言った言葉が老教官の言葉に対し否定したように聞こえたらしい。

 聴講席の真ん中に座る大和班の生徒は僕のことを冷たい目で睨んでいる。

「何よ、最低生徒の集まりのくせに」

「あーあ、醜いなぁ、虫の悪あがきね」

「開幕一分で全滅させてあげましょう、それが慈悲ですわ」

 大和班の生徒たちはわざと聞こえるように僕らに向けて言葉をぶつけてきた。


(三)


「ということで、次の演習の相手は大和班になりました、皆さん、勇気を出して頑張りましょうね、作戦の発表は後から彩胡さんからいたします、その前に、なんですから今お茶を入れますね」

 班のミーティングルームの前には和賀さんと、机の上で不機嫌そうに片ひじをつく彩胡姉がいる。和賀さんは、悠長に白い磁器のティーポットに入った紅茶を並べられたカップに注いでいる。

「彩胡お姉ちゃん、ちょっと怒っているよ」

「ピリカ、気にすんな、あの顔している時は、考えているんだよ」

 山川先輩は、自分の方が気にすることもなく、入れてもらったばかりのお茶を石川賢先生の漫画を読みながらおいしそうにすすっている。かねとは机の上に伏して眠り、継先輩はモデルガンの手入れをしている。 

 どうやらしっかりと話を聞こうとしているのは、僕とルルとピリカの三人だけである。

「もう、あんたたちやる気あんの!」

 とうとうずっと黙っていた彩胡姉の雷が落ちた。

「漫画禁止、お茶禁止、モデルガン禁止、睡眠禁止!」

 彩胡姉に怒られて反抗するほどの変わり者はこの班にはいない。

「山川くん、次の演習の自信は!」

「負ける自信は完璧パーフェクトです」

「次、かねと、あなたの自信は」

「勝率は限りなくゼロに近い一パーセント、心臓マッサージが必要な状態と分析しました」

「継、あんたは」

「自爆こそ、勝利への道」

「和賀は?」

「負ける戦はしないのが勝つということなので、ここは平和的に考えましょう」

「ピリカは?」

「うーん、大和だいわって書いて、大和やまとって、読むのが不思議だなって思った」

「半平くん、あなたは」

 僕は返事に困った。

「ルル、あなたは」

「勝ってみたい……」

 日頃おとなしいルルが発した一言に、みんなの動きが止まった。

「理由は?」

「この学校に入った時……みんな同じはずなのにいつの間にか……みんな何も言えなくなっている」

 確かに、班ごとの成績によって食事内容や宿題や、練習場所などが分けられている。

「このくらいだったら私は気にしない……でも……」

「でもなぁに?」

 彩胡姉に聞かれても、それ以上のことをルルは言わなかった。その先のことは何となくみんなには分かっている。差別的に投げかけられる言葉、表情、態度、僕らはあまりにも正直な年齢であった。

「彩胡姉、僕は負けません」

 僕はたまらず椅子から立ち上がって言った。

「半平、そうは言っても気持ちだけじゃ勝てないだろ」

 山川先輩は僕の言葉に笑った。

「精神だけで勝負に臨むのは愚か者だけです」

 眼鏡を右手の中指で持ち上げながらかねとが静かに言う。

「半平、それだけ言うんだったらお前に何か良い考えでもあるのかよ」

「え……あ……ないです、でも、装備だけは互角です」

 僕の答えに目の前の継先輩はあきれている。でも、正面に座る和賀さんと彩胡姉だけは嬉しそうにしていた。

「互角ではありません、私たちは白が八十ミリライフル銃、黒が百十二ミリ砲だけですが、相手チームは九十ミリライフルと百二十二ミリ砲が特別に試供品として装備されています、水素エンジンのPS値もチューンナップされて高くなっています」

「そうだったっけ……」

 かねとの言葉はどうやら真実のようだ。そう言えばどこかでその話は聞いたことがある。

「私も負けません」

 ルルの声はどこから声をだしているのかと思うほど力強かった。

「しょうがねぇ、馬鹿な後輩の面倒は最後まで見てやらなきゃな、なぁ継」

 山川先輩は頭をかきながら笑った。

「ああ、逃げ出したら背中を撃つ、かねと、それでいいだろ?」

「確率値では絶望的に無理ですが、徹底して負ける時のデータも私たちの班には必要です」

「お兄ちゃん、かっけー!だぁーい好き」

 ピリカが僕の腰に飛びついてきた。

「彩胡さん、大丈夫そうですね」

「駄目ね、まだ作戦がかたまらない、兵器の組み合わせが自由っていうのもね」

「そういう時は、お茶を飲むと良いアイディアが浮かぶものですわよ」

「そうかもね、私にも一杯もらえる?」

「ええ、ちょっと濃いめに入れて差し上げますわ」

「今回、勝ったら何か良いことでもないのかよ、そうなったらもっとやる気出るんだけどよ」

「戦いに私情をはさむ愚か者……」

 山川先輩の言葉をかねとは軽く否定した。

「それも一案ね、それならどう、山川くん、半平くん」

「?」

 彩胡姉は珍しく山川先輩の戯れ言にのってきたようであった。

「一番、スコアが高い子が、この班の子に自由に何でも命令していいってのは、どう?これなら周りにも迷惑かけないし」

「何でもか?」

「ええ、何でも、一日限定恋人なんていうのもね」

「それは良いアイディアですわ、さすが彩胡さん」

 継先輩やかねとは文句を言ったが、何も言わなくなった山川先輩は、なぜか鼻血を出している。

「お兄ちゃんにはもうピリカっていう恋人がいるもんね」

 いつから恋人になった、僕はそんなことを了承した記憶はない。

 僕の方をちらりと見るルルと視線があう、彼女はとてもかわいい笑顔を見せた。

 なぜか僕も鼻の奥が塩辛くなった。

 その日はピリカが寝る時間まで作戦をみんなで考えた。


 練習試合の日まであと一週間。


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