7.夜の吸血鬼
「そういえば駅前の神社でお祭りやってたよ。結構賑わってた」
夕食時に家族でカレーライスを食べていたら、父がそんなことを言う。
「え、行きたい!」
夏休みだろうと大人はお盆以外は仕事だ。ふたりとも毎日忙しそうにしている。
しかし、だからこそわたしは退屈だった。
「わたし、後で見に行く」
「ひとりで?」
お母さんが少しだけ眉を曇らせる。お祭りだから夜でも駅前は賑わっているだろうけれど、住宅地であるマンションの周りだとかは、そこまでお祭りの影響を受けない。夜の一人歩きを心配してるのだろう。
お父さんの方を向いて「一緒に行って来なよ」と促すように言うけど、父は疲れた笑みを浮かべるばかりだった。
まずい。何かわたしのなすり合いみたいなムードだ。このままだとまた今度にしな、と言われてしまう。
「緑、連れてく」
さっと立ち上がってお皿をシンクに置いて部屋に戻る。簡単に身支度をして玄関を出た。
その週は緑の母親である藍さんが戻っていたようで顔を出した。
「あら」
「こんばんは、藍さん。緑いる?」
「あの子昼寝してたくせに、夕飯食べたらもう寝てるのよ。寝すぎじゃない?」
藍さんが笑いながら言う。緑とちがっていつも明るい人だ。
「おじさんは帰れそう?」
「うん、九月にはもうこっち勤務に戻れるよ」
嬉しそうに言う藍さんにわたしも嬉しくなって笑う。
「お祭行こうと思って」
「あぁ、それなら起こしちゃって」
「うん、じゃあ、つれてくね」
部屋に行くとなるほど薄手の掛け布団を頭まで被って寝ているようだった。
「緑、起きて」
ベッドの脇に立って布団をめくって白い頬を軽くぺちぺちする。起きない。死体みたいだ。
顔を覗き込んでいると急にぱちっと目が開いた。
ぎょっとして心臓がびくんと震える。頭に手のひらがまわされて引き寄せられて首筋に緑の顔が埋まった。緑の吸血の勢いが良かったのかわたしは小さく呻いて、立ちくらみのような感覚でベッドに両肘をついた。
言葉もなく数秒が流れる。
その数秒は実際の時間より濃密でとろりとして、流れが遅い。
まるで窓の外の暗闇から部屋の中のわたし達を見ているかのような不思議な感覚で、わたしはわたしを眺めた。ぐったりと力を無くしたそれは人形のようだった。
緑のこと、たまに張りぼての人形みたいだと思うことがあった。だけど本当は逆なのかもしれない。
わたしは、もしかしたら緑に血をあげる為に存在している人形なのかもしれない。
それは寂しいけれど、ずっとそれが続くなら、それでも良いと思ってしまう。それはきっと“誰かのいいなりの幸せ”と似ている。
だけど。何故だか幸せなのに悲しい。
「ましろ……真白」
数秒かもしれないけれど、いま一瞬深く寝ていた気がする。目を開けると緑が居た。
黙って身体を起こして、髪の毛を直した。それから部屋を出る。緑も特に行き先を聞くこともなく黙って付いて来る。
夏の日が長いといってもさすがにもう真っ暗だった。上の方に頼りない月の光が、ところどころ薄い雲に隠されながらついてくる。
狭い歩道で緑に手を軽く引っ張られて、後ろから来た自転車を通す。それからそのままぎゅっと手を繋いで駅前まで移動した。わたしはあまり夜目がきかない方なので、昔から夜はそうすることが多かった。
街灯の少ない、木に囲まれた道に入って、緑の顔は暗くてはっきりとは見えない。だからのっぺらぼうみたいな彼と堅く手を繋いだまま、ぺたぺたと夜を歩く。がさがさした夏の夜の音、それから夏の夜の匂いがする。
「蝉って夜は何してるんだろう」
ぼんやりとつぶやく。
昼間はあれだけ大騒ぎしている蝉は、夜は静かだ。たまに鳴いているときもあるような気もするけれど、その数は昼と比べてぐんと減る。
「きっと眠っているんだ」
わたしの、ひとりごとのような質問に緑が珍しく答えた。
虫も眠ったりするんだろうか。
それで、夢をみたりもするんだろうか。見るとするとそれはどんな夢なんだろう。やっぱり樹にとまって、とろけそうな暑さの中樹液を吸う夢だったりするんだろうか。
お祭りの音と匂い。気配が近くなって来て、どこのお店に行こうか、何か食べようか、意識がそちらに持っていかれる。
緑に手を引かれて歩いていたわたしは、今度は緑の手を引いてほんの少し、半歩前を歩き出す。
記憶って不思議だ。その日のお祭りの記憶はすぐに忘れてしまった。
確かお店を一通り見て回って、境内の裏で座って休んで、蚊にさされてまた移動した。綿菓子かあんず飴、それくらいは買って食べたような気がする。きっと実際そうしたんだろう。けれど事実の羅列としては覚えていても、あまり印象に無い。教科書を丸暗記したみたいで、もう自分の経験じゃないみたいだ。
ただ、帰り道。
街灯の下。アスファルトにひっくり返った蝉がその羽を地面に擦らせて、じじ、と乾いた音を立てていたことばかりを鮮明に覚えている。




