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みどりの吸血鬼  作者: 村田天
第一章:愛とか、恋とか。
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3.哲学的な吸血鬼


 “哲学的な吸血鬼”が訪ねて来たのは初夏のさわやかな休日のこと。緑にとって、わたしにとっても初めての彼の同類との遭遇だった。


 その日は休日で、たまたまわたしは緑の家の玄関近くに居ので、わたしが出た。というか、緑が来訪者に対して居留守を使わないことはない。


「あぁっ、やっとお会い出来たー」


 扉を開けると小太りで丸眼鏡をかけた茶色いスーツのおじさんが外の熱気を身に纏って暑苦しくも立っていた。これはセールスマンだと思って扉を閉めようとしたところ、靴をサッと挟まれてしまった。彼は丸い顔をぬっと近付けるので思わず後ずさりすると、玄関に入って来た。


「イエね、最近何度か訪問をしていたんですけど、いつ行っても留守だったので。キミが瀬高せだかりょくくん、ですね」


 視線につられて背後を見ると緑が立っていた。

 それから視線を元に戻すと小太りの男とバッチリと目が合った。


「わたしは佐藤真白です」


「アッ、ワタクシ、こういうものでして」


 男は鞄からいそいそと名刺を出してわたしと緑に見せた。


“げんき歯科クリニック 院長 苦山藤一にがやまとういちとあった。


「歯医者さん……ですか?」


「アッ、まちがえた!」


 もらった名刺を眺めていると、苦山氏が覗き込んで慌てた声を出す。「こっちです」とチェンジされた名刺には『吸血鬼研究家 苦山 藤一』とあった。どうやら本業は歯医者さんらしい。丸眼鏡、丸い鼻、丸い顔のおじさんは言われると急に歯医者さんに見えて来るから不思議だ。


 それから苦山氏はさらに鞄から、ヤクルトミルミルくらいの、小さな赤いパックを取り出してチューチューと吸い、歯を赤くしながらニカッと笑ってみせた。


「お仲間です」


 その顔を見てわたしは確信した。確かにこの張りぼて人形みたいな嘘くさい笑顔は緑と同じ種類の生き物だと。


 歯医者さんなら良いだろうと思ったわけではないが、家の中で話を聞くことにした。まぁ、わたしの家ではないんだけど。


 応接室に通して麦茶を出すと苦山氏はせわしなくハンカチで汗を拭いて、えへんと咳払いしてソファにそっと座った。


「ワタクシ、自分や同じような吸血鬼の方について生態を調べてまして、同類の方を見かけたらお話を聞かせてもらっておるのです」


「はぁ」


「リョクくんのことはワタクシがフィールドワークの最中に偶然発見しました。それで失礼ながら色々と調べさせてもらったのですよ」


「フィールドワーク? なんですかそれ」


「日頃から仲間がいないかなーって気を付けて歩いてます」


「はぁ」


「ま、平たく言うと散歩ですな」


「散歩ですか」


 苦山氏は眼鏡をクイと上げた。「では、本題に入ってよろしいでしょうか」と言われてぜひ、さっさとそうして欲しいと思った。


「でですね、ここ十年で五十人ほどの同類とお会いして来ましたが、吸血行為を実際にやっている吸血鬼は少ない。何しろ無くても生きていけます」


「え、……生きて」


「いけます」


 びっくりして思わず緑の顔を見た。彼は涼しい顔で天井のライトを婚約者のように熱心に見つめていた。


「そして無くても生きていける、異常なことがらに対して、マトモな人は、しないで生きてしまいます!」


 苦山氏はひとりウンウンウン、と頷いてまた小さな赤いパックの中身をチューチュー飲んだ。


「あのう、それは」


「これですか? これは……! 非・常に合法的な手段で買った……トマトジュースです」


 どう見ても非・合法な手段で入手した血液に見える。もしそうならこの苦山氏は無くても生きていけるおかしな事をえげつない手段でやってる大人ということになる。人間性も色々お察しだ。


「ですから実際にふだんから吸血を行なっているかどうかをまずお聞きしたいのですが」


「はぁ」


 せっかくはるばる訪ねて来たお仲間だと言うのに、緑はぼんやりしていて答えようとはしない。代わりにわたしが答える。


「吸ってますよ、このひと」


「ほう!」


「物心ついたときから毎日、年中無休でわたしの血」


「ア、アレ、するとそちらのお嬢さん……マシロさんは、もしかして血は吸わない」


「はい、わたしは普段から血液は吸わない方です」


「し、失礼! ワタクシてっきりアナタも」


 苦山氏は何故か焦ったような顔で丸眼鏡のブリッジをぐいぐいっと上げた。お仲間ではない人間の前で血液チューチューしてたのだから焦って当然かもしれない。その行動は控えめに言って変態だし、もしわたしがお仲間だったとしても止めた方が良い。


 苦山氏は「ウワァ」と小さく発しながらほんのり赤くなって女子のように口元を押さえた。


 そのまま固まってしまったので気まずい沈黙が流れた。わたしはこういう気まずいのは苦手だった。気を使って適当に話題を振る。


「苦山さんは研究してるんですよね」


「そうです! イエあのすっごいシロート研究なんですけどぉ……お聞きになります!?」


 苦山氏はバッと顔を上げて激しく食いついた。どうでもいいけどこのひとたまに仕草がオネェっぽい。


「まず我々の特徴は吸血をすること。この目的はまだ不明です。それから自らが血液を吸う生き物だと知っていること。それから同類はなんとなぁく見分けられる。まぁこれは今みたいに外すこともありますが……いや今までは無かったんですが……大まかな特徴はそれだけです」


「それだけですか」


「ウン、それだけ。この体質は感染もしないし遺伝もしません。特別長寿でもなければ朝日で溶けたりも灰になったりもしません。心臓に杭を打ち込まれたら普通に死にますが十字架にも信仰心にも弱くなく、吸血鬼というには他になんの特殊能力も無くあまりにお粗末、せいぜいが吸血人間がいいとこです」


「吸血、人間……」


「勿論細かな特徴はもっとあります。ワタクシ協力して頂いた吸血ニンゲンの方の口内を細かく調べさせて頂きました。そうしましたらね! 驚くべきことがわかったんです! なんと吸血の際、歯茎から蚊の針くらいのものがにょきっと出てきてるんです。よく言われるように犬歯は使ってないんですね! 傷痕もそのくらいの大きさしかないでしょう」


 苦山氏は早口で唾液を飛ばしながらまくしたてる。わたしは苦山氏から飛び出して応接セットのテーブルの端に付着した彼の唾液のひとつに視線をやった。唾が飛ぶの、すごい気になる。


「さらにさらに! これも蚊と少し似ているんですけれど、吸血の際の唾液に麻酔成分も僅かに検出されまして! どのような仕組みなのかは分かりませんが普段の唾液とは明らかに分泌される成分が違うんですよ! 血液を吸うその瞬間だけ変質しているのです!」


「はぁ……そういうの、なんか、そういう学会とかに発表とかしなくていいんですか」


 少なくともこんなところでご高説を垂れ流しているよりは有益な気がする。


「しませんよ。研究は完全に個人的な趣味ですから……それに……」


 苦山氏は麦茶をゴクゴク飲んで、かちゃんとグラスを置いた。


「発表すれば迫害されますから」



「……」


 緑が、くぁ、とあくびをした。すごく退屈そうにしている。


「……吸血人間がいるのに、意外と大騒ぎにならないもんですね……」


「マシロさんだって、特に大騒ぎしていないではないですか」


「それは……」


「だいたいね、昔から割と居たからそういう物語がたくさんあるのではないですか。ブラド伯爵をはじめとして数多くの物語が歴史には残されていますよね。 そう! 最も興味深いのは19世紀に書かれた……書かれた……」


 苦山氏はそこまで言ってど忘れしたのか「アレ、なんだったかなぁ」などと言いながらスマホを取り出した。検索しているのか、熱心に画面を押している。「19世紀じゃなかったかなぁ……」などと言いながらしきりに頭を掻いている。


「……」


「イヤ失礼。歳をとると物忘れが劇的に増えまして、でもつまり、そういうことなんですよ!」


 すごい適当にまとめて来た。


「うーん、そうなんですかね」


 そしてこちらも待たされているうちにすっかり集中力が削げてぞんざいな返答になる。そこはかとなく眠い。会話そのものがダレて来ている。


「いやしかし、なんというか……調べるぼどに吸血鬼と言うより、大まかには蚊の方がまだ近いんですよねぇ」


「蚊ですか」


 苦山氏は頷きながら「蚊です」と繰り返した。


「ですからワタクシは我々のような吸血人間を、モスキータ、と呼んでいます」


 モスキータ、苦山氏は蚊の英語をもじった名前をつけたようだけれど、吸血鬼じゃ駄目なんだろうか。


「ところでリョクくん」


 苦山氏がテーブルを越える勢いでぐいんと顔を緑に近づけた。暑苦しい顔をくっつかんばかりに寄せられているのに緑はやる気なさそうに眼球を僅か動かしただけだった。


「キミは、モスキータのことを、自分の存在をなんだと思っていましたか?」


 苦山氏の質問に緑は気の抜けた顔で「興味がなかった」と答えた。


「……キミくらいの年齢だと血なんて吸わなくても自分の存在について普通少しは考えますけどねぇ」


 その通りだと思う。思わずウンウンと頷く。思春期の高校生とは思えない。緑は覇気と生気が薄すぎる。苦山氏も少し呆れたようだった。


「苦山さんの解釈だと、モスキータは結局なんなんですか」


 苦山氏はニヤァっと笑った。もしかして好きなことを語りたいだけで特に他人の反応を気にしないタイプかもしれない。そう思わせる笑みで血液パックの残りをズヂューと飲み干して嬉しそうに上を向く。


「そおですねぇ、ワタクシ、最初はヤハリ偏食の一種だと思っとったのです。偏食に吸血鬼という既存の概念が組み合わさった、所謂心の病気かと」


「はぁ」


「しかし偏食というには不可解なことに我々吸血人間は血液に対して食事のような強い欲求は無いのです。もちろん他の食物も普通に摂取出来ますし。だから吸わなくても全く問題ない。それなのに自らが血を吸うことだけは皆一様に知っているのですから、解釈に困りました」


「ははぁ」


「なので今度は吸血鬼になりたい! 自分は吸血鬼だ! という誇大妄想の類いかと思っていましたところ、数年前、例の歯茎の針をウッカリ発見してしまいどうもこれは肉体的にハッキリちがうぞと、かなり考えを改めましたところでして! ンッン〜なんにせよリョク君は幼い頃から特定の相手にのみ繰り返し吸血していた。非常に興味深いレアケースです。ぜひ研究させてください!」


 苦山氏はそこまで一気にまくし立てた。緑が顔も見ずに床を見たまま答える。


「お断りします」




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