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みどりの吸血鬼  作者: 村田天
第二章:吸血鬼のともだち
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9.告白



 雪は積もらなかったけれど、朝の通学路はしんと冷え込んでいた。


 前方に緑を見かけて駆け寄る。わざわざ約束したり待ち合わせはしなくなったけれど、偶然会えばこうやって、登校を共にする。


「おはよう」と言えば、以前はろくに返ってこなかった返事が返ってくる。「はよ」の二文字であったけれど以前の「うん」に比べたらだいぶ愛想が良いといえる。


 緑は最近変わった気がする。

 と言ってもそれは決して劇的な変化ではない。

 毎日ほんの少しずつ伸びる髪の毛や身長のように、気がついたら何かどこかがもうちがっていて。そのものの形は変わっていないのだけれど、明らかにちがう。


 成長と言ってしまえばそれだけのことかもしれない。けれどその変化はわたしには妙な違和感を感じさせる。きっと、成長して緑が変わったのか、わたしが今まで見えていなかった部分を、少し離れて見えるようになったのか、どちらか分からなくて、あるいはそのふたつが混ざり合って、混乱しているんだ。


「真白の血を吸わなくなってから、少し感覚が鋭敏になった気がする」


 緑が最近もらしたその言葉にわたしは少しばかりモヤモヤするようになった。


 緑のその変化がわたしの血を毎日吸わなくなってからだとすると、もしかしてここ何年も、いや、生まれた時からずっと、わたしが彼の心の大切な場所を踏み荒らして、居座っていた化け物みたいな存在に思えたからだ。


 だって飲むとぼうっとしてしまうなんて、絶対ヤバいやつだ。


 わたしはずっと、それは彼が生きていくために必要だと思ってやっていたし、まさか害になるだなんて思ってもいなかったから、少し悲しい。


 だから彼が、わたしの血を吸うことに、一体何を求めているのか気になる。それをしても良いことなんて無いように思えるのに。







 授業終わりに緑がわたしの机に来て言う。


「ニガヤマさんが帰国したらしい」


 苦山氏といえば、イギリスの知人のところに趣味の研究と観光の為に行っていたはずだ。最近見たらブログが更新されていたのでおや、と思ったが帰国していたらしい。


「顔出せたら出してって、真白も一緒に」


 緑がきちんと対応しているのにまた少し驚いた。なんでまた緑の方に連絡したんだかと思ったけれどわたしに連絡するよりは同族だし同性だし、良いのかもしれない。


 久しぶりに訪ねた苦山氏はますます丸く、太っていた。イギリス土産にTシャツをくれたけれど、でかでかとロンドンとか書いてあって絶対着たくない。どうしてそれを選んだんだ。目の前に浮かれた顔で着用しているおじさんがいるから特に着たくない。


「あ、そうだ。マシロさんの吸血時のことを色々教えてもらえませんか」


「え、なんで」


「だって、やめちゃったなら、忘れちゃうでしょう。忘れないうちに、聞いておきたいんです」


“やめちゃった”って、自分で止めろって言ったくせに。


「これ、お願いしていいですか」


 苦山氏はファイルを取り出して来て中からアンケート用紙を取り出した。用紙には初めて血を吸われたのはいつ? とか幾つかの質問が書いてある。アンケートは端に歯のイラストが配置されていたけれど、どちらかというと吸血鬼より歯医者を連想させる出来栄えだった。


 緑に毎日血を吸われていた時のこと。多少間は空いたけれど、その感覚はまだよく覚えている。時間が空いたことでわたしの中で整理された感じもある。

 それはぼうっとして、気持ち良くて、時間の流れが遅くなる。甘くて、気持ちがすっきり整理されるような。穏やかなものだった。


 アンケートのあとに口頭で自分の感覚を細かく伝えると苦山氏はちょっと首を捻って聞いていた。軽く目を開いて、少しだけ驚いているようにも見える。


「なにか変ですか?」


「変といえば、まぁちょっと他の人とちがいますが……気にすることもないですよ」


「何が? なんで?」


 予想外の反応にちょっと焦る。苦山氏は頭をぽりぽりと掻きながらなるほどなるほど、などとブツブツ言いながら苦笑いしている。


「アルファ波でもでてるのかな……いや波はおかしいか」


「また? ねぇ、なんか変なの?」


 うんざりして横目で緑を睨み付ける。高校生として、人間として既にだいぶはみ出ていておかしいのに、吸血業界の中ですらおかしいなんて。


「前にも言いましたけど、吸血の際リョクくんの唾液に麻酔成分があって、痛みを和らげてるんですよ」


「聞いた。それはみんなそうなんでしょう?」


 苦山氏は、ううん、と唸って曖昧に笑ってみせた。


「まぁ、お笑い動画を20分見せたら唾液に含まれるストレスホルモン値が激減したという話も見ましたし……そりゃあ、モスキータが好きな子の血を吸う時、唾液がさらに変質しないとは言い切れませんよね」


「す、好きって……」


「ねぇ、えへへ」


 苦山氏は自分で言ったくせに恥ずかしくなったのかいいトシして軽く赤面した。


「そうだ、好きな相手に吸血する際の唾液と、嫌いな相手に吸血する際の唾液の成分も比べてみれば……」


 ひとりで興奮してブツブツしゃべっていた苦山氏はわたし達の困惑顔に気付いて真顔になった。


「あ、あれ? もしかして……おふたりってまだ……」


 それからあからさまに、しまった! という顔をして手を口に当てた。こんなに分かりやすい“しまった!”のゼスチャーするひと漫画でしかみたことない。


「ごめんなさいリョクくん! ちょっとよろしいですか!」


 苦山氏は緑を扉の外に連れ出した。

 そうしてしばらく何事かコソコソと話していた。


 バタンと扉の音がして、ふたりが戻ってくる。


「ほんとすみません!」


「べつにかまわない」


「イエイエイエ、タカンな時期の青少年の気持ちを無神経な丸い親父が勝手に暴露するなんて……ほんと申し訳ない! これだから太った大人は嫌ですよねぇ!」


 苦山氏は落ち込んでるのかおちょくってるのか分からない卑屈な口調で嘆いて汗を拭いて、本当に謝ってるのか分からないような発言をした。


 苦山氏はいつからそう思っていたのかは知らないが、わたしと緑が付き合っていると思っていたのだろう。その前提で話していた。けれどちがったので自分が緑の気持ちを勝手にばらしたと思って反省しているようだ。そうなると確かに、絵に描いたような無神経な大人だ。


 緑を見たけれど、あまりにふんわりしているので、何を考えているのかはまるで知れなかった。


 建物を出ると暗くなっていた。

 外はさっきまで小雨が降っていたのか湿った良い匂いがする。


 緑はわたしを好きなのだろうか。聞いてみようかな、と一瞬思って打ち消す。

 緑みたいな奴に聞いたとしても無駄だろうと思う。彼の欲望はきっとわたしの血液だけで、それを手に入れられるなら、平気で嘘だってつく。

 それに緑は好きだとか、それを知られるだとか、そういう全部にあまり興味が無いような気がする。


 まるで“どうせ体目当て”と拗ねる女みたいな思考を自嘲して、やっと緑の方を向いた。


 実際緑という少年はどこまで色恋のことを分かっているのか、そう思わせてしまうつかみどころの無さがあった。恋愛とか、この人分かるんだろうか。


 暗くなって来た。路面は濡れていて、ところどころ滑るような気がする。一部凍っているのかもしれない。


「暗いから捕まってもいい?」


 緑が無言で片手を出す。それをどう掴もうか思案しているうちに、するりと手が繋がれた。


 どきっとして立ち止まる。

 もう懐かしいとは思わない。ただ、知らないような感触にどきどきする。なんで今日はこの間とちがって、手を繋ぐんだろう。


「緑はまだわたしの血、吸いたい?」


 小さい声で聞いた質問はきちんと届いていたみたいで、緑が手を繋いだまま、こちらを確認するように見て頷いた。暗闇に緑の白目がぎょろりと光っていて、どこかくっきりと彼を浮かび上がらせていた。


「なんで? 無くても生きていけるのに」


 それどころか、しない方がきっと良いのに。

 そこまでは口にしなかったけれど。


 緑が白い息と共に静かに言葉を吐き出す。


「好きだから」


 唐突な言葉に一瞬、思考が固まった。

 世界は静けさに満ちていて雪が路面にはらりと落ちる音すら聞こえて来そうなくらい。何も動いていない。


 緑だけが闇を縫うように自由に動く。


「真白が好きだよ」



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