1.伝言
高校生活も一年の秋にもなると、ほどほどに慣れてくる。けれど色々と問題が起こるのもこの頃だった。
物凄い事件ではないけれど、割としょうもないことに巻き込まれることだってある。というか学校生活の事件のほとんどは瑣末でありながら小さくストレスな案件ばかりだった。
そんな、日々のあぶくのような事件に追われる中、緑とわたしはほとんど話さなくなっていた。
緑はわたしに逃げられてどうしようもなくなって近付かなくなった。わたしの方は逃げ回っていた手前今さら話しかける機会も逸して、互いになんとなく声をかけられなくなった。
毎日会う理由なく会っていたわたしと彼には、驚くほど会う理由がなかった。
意味なく一緒に家にいた頃はそこそこ話していたと思っていたけれど、それはどれも「あれ取って」だとか「そこの鳥が変な動きをしている」だとか一緒にいるから話すようなことで、わざわざ学校や、携帯で連絡をとってまで話すほどの話題は皆無。彼の父の単身赴任も終わり、お弁当も別になり、揃って夕食を囲むこともなくなると、いよいよ本格的に接点はなくなった。
このまま縁が切れるかと思っていたそんな頃、ある出来事がわたしたちの関係をまた少し変えた。
「佐藤さん、お昼に話がある」
真面目くさった怖い顔で隣のクラスの中川さんに呼ばれてお弁当を持って移動する。彼女とは全く親しくない。ほとんど面識もない。委員会が一緒で、一度挨拶をしたかな、ぐらいの関係だったと思う。
彼女は振り返りもせずに歩き出して、行き先も言わずに校舎を出た。それから目的地らしき場所で立ち止まって、少し後ろからのんびり追ってきたわたしを若干苛立ったような顔で待った。せっかちなのかもしれない。
「あそこ、かなり日当たりが良くて、さらに人気もないから穴場なの」
そう言って彼女は木の裏にわざわざシートを敷いて座り込んだ。
「……佐藤さんも、早く、こっち」
一体なにがしたいのだろうと身構えているとお弁当を広げた。
「何?」
「何ってとりあえずお弁当」
さっさと自分のお弁当箱を開けて箸で唐揚げをつまみだす。わたしも困惑しつつも食事はとりたいので、自分の分を広げた。
それから唐突に「真白って呼んでいい? 呼ぶね」と言った。
「ヒメのことは姫乃って呼んで」
その感じでわたしは静かに、彼女が自分に取って苦手なタイプだと認識した。距離の詰め方が乱暴で早すぎる。
「ね、瀬高って、食べ物何が好きかな」
「へっ」
おにぎりのラップの端っこを探すのに手間取っていて、顔を上げるとじっと睨まれていた。
「……あ、それが用事?」
中川さんはこくんと頷いた。
「前に聞いたとき、真白は瀬高と付き合ってないって言ってたじゃない? ヒメ瀬高が好きだから、協力してよ」
「え、いやだ」
「なんでよ!!」
中川さんはまさか断られるとは思っていなかったのか目をカッと見開いて憤慨した。
「付き合ってないなら協力できるでしょ! それともやっぱり好きなの?」
「え、あの面倒くさいからヤダ」
中川さんは、ハーとわざとらしい溜め息をついて見せる。
「佐藤さん、そういうのあまり正直に言わない方がいいよ。あたしじゃなきゃ酷い目にあうから」
「はぁ……」
「で、何? 教えてよ」
「え、あ、好きな食べ物だっけ」
「そう」
「……知らない」
「は?」
「だって知らないもん。そんな興味もなかったし」
「役に立たないなぁ。協力できないなら、質問にくらい答えてよ」
何かすごい呆れられている。憤慨している。というかなぜそんなに上から目線なんだ。
「直接的に協力しろとはいわないからさぁ、情報くらいはちょうだいよ」
「直接本人に聞けばいいんじゃない?」
「あのさ、そんなの聞けるくらいなら佐藤さんなんかに聞かないって、わかんないかなぁ」
だからなんでそんなに偉そうなんだこの子は。
「中川さんて、兄弟いる?」
「上に歳の離れたお兄ちゃんが三人いるけど……それが何」
この我儘で傍若無人な感じ……やはり。悪い方に進化した末っ子だ。何か物事が自分の思い通りになると思っている。
そういえば小学校時代にも似たような子がいた。佐々木さん。彼女も自分のことを下の名前で呼んでた。怒るとすぐ家に帰っちゃう子だった。修学旅行の自由行動で同じ班になった時、行き先が多数決で決まっても、自分の行きたい場所を頑として譲らなかった。それでうちの班だけなかなか帰れなかった。あの子、元気かなぁ。
「えっと、緑は甘いもの、結構好きだと思うよ」
目の前の中川さんに意識を戻して答える。
緑は少なくとも甘味の類いは断っているのを見たことがないし、絶対完食している気がする。誰がくれたかを覚えていることはまずないだろうけれど、この際それは置いておこう。
「甘いものなんてたくさんあるじゃない。特に何が?」
「へ、なんでも食べると思うけど」
「なんであたしが佐藤さんに声をかけたと思ってるのよ! 瀬高を好きな子他にもいるんだから! 一番好きなものをあげて、一歩先に行きたいんだから! そのために聞いてるんだよ? 明日までに調べてきて!」
なんて無茶苦茶で幼稚な思考なんだ。彼女の中では他のライバルが敬遠するであろう幼馴染ポジションのわたしにあえて近付くことで、一歩先に行こうということらしい。正直捻ってはいると思うけれど、何かがズレている。最初の思いつきを詰めずに実行してるタイプの典型だ。平たく言うと馬鹿だ。苛々してきた。
しかし、頑固で自分の思いつきからなかなか離れられないのもこのタイプ。
説得するよりさっさと頼みごとを聞いた方が早いかもしれない。生温い目で見れば可愛い我儘というか、大した面倒でもない。教室に戻って緑の机の前に立つ。
「緑」
久しぶりにわたしから話しかけられたからか、普段なら寝たままの緑がぴくんと揺れて、無言で顔を半分上げた。
「好きな食べ物ある?」
「血液」
「……」
“食べ物”って言ってんだろ。久しぶりに話しかけた幼馴染は怒ってるのかいじけているのかわかり難い顔で悪趣味な返しをしてくる。こちらはホラー続行中だった。
やっぱり聞いてもマトモな答えは返ってこないと思って黙って引き返そうとすると背中に声がかかる。
「マフィン」
「え」
「マフィンが好き」
「え、ああ…………ありがとう」
戸惑いながらも休み時間に中川さんのところを訪ねて回答を教える。お礼一つ言わないが「でかした真白!」などとはしゃいで結構嬉しそうだった。
「これでもういい?」
帰ろうとすると腕を掴まれて「まだ」と引き止められる。
「えっと、ね、次は誕生日と血液型」
「え、そんなことも知らなかったの?」
この人前から片思いしてるんじゃないの?
「だから今調べてんの! あ、もしかして真白わかる?」
「あー……ゴメン、忘れちゃった」
「調べて」
なんだよ。せっかく聞いてきたんだから帰ってさっさとマフィンでも焼いてればいいのに。しかし、この中学生みたいな相談内容からしても、中川さんの恋愛観はかなり幼い感じだ。もしかしたら緑のことも好きで付き合いたいと言うよりは、外から眺めて情報を集めて片思いを楽しみたいだけかもしれない。それならなおさら自分でやって欲しい。
緑のところに戻って誕生日を聞くと恐ろしいことに本人もうろ覚えだった。
「ちょっと生徒手帳出して」
緑が黙って鞄を差し出すので中を開けて探す羽目になった。
中はもらったお菓子のラッピングであるとか、ふたの開いたままのペンケースであるとか、そこからこぼれたシャーペンの芯のケースであるとか、未開封のポケットティッシュとか、さほど中身があるわけでもないのに、内ポケットに慎ましく入れられていたそれを探しだすのは思いのほか難儀だった。
「あ、あったあった」
ぱらりと開いて覗き込む。何故だか緑まで一緒になって覗き込む。
最初に目に入る写真を眺めた。写真うつりはなかなか良い。動くと木偶人形みたいだけど、こうやって見るとまるで美少年みたいだ。それから視線を移動させて誕生日を確かめた。
「あ、そっか五月なのは知ってたけど二十一か十二かどっちだかあやふやだったんだよね。そうだ、血液型は?」
「調べてない」
また、放課後に中川さんのところに行って伝える。
「五月二十一、ってことは牡牛座かぁ」
「もういい?」
「まだ。次は好きなタイプと……」
「中川さん、あのさ……」
「なに」
「質問、一回に纏めておいてくれる?」
わたしがだいぶイラっとした声を出したので中川さんもたじろいだ。このタイプは横暴なのに意外に傷つきやすい。ふだん甘やかされているからか強い剣幕でものを言われるとパニックになるんだろう。佐々木さんも行き先決めのとき同じ班の山本君にキレられて大泣きして大変な騒ぎになった。
しかしハイハイ言って聞いていると増長するのもまたこのタイプ。言い返さないと下僕にされてしまう。言いたいことは言わねばなるまい。
質問を明日までにまとめることを約束させて、教室に戻ると、もう帰っていると思っていた緑がいた。
「真白、一緒に帰ろう」
「え……」
そんなことをわざわざ聞かれたことはなかった。
当たり前に一緒に帰っていたし、吸血をやめてからは当たり前のように帰らなくなった。だからてっきり、もうそれはなくなった習慣だと思っていた。
改めて聞かれると、一緒に帰るのを断る理由は特にない。
でもなぁ……。
ちょっと心配になって緑をちらりと見る。
「嫌なことはしない」
わたしの心配をなんとなく察した緑が付け加える。それに頷いて、小さく笑う。ぼかしていたけれど、無理やり血は吸わないと言いたいのだろう。揃って教室を出た。
帰り道の通学路は、枯葉がたくさん舞っていた。緑がまた唐突に口を開く。
「真白は、ぼくに血を吸われるのは嫌?」
「べつに、嫌とかじゃないんだけれど……ただ……」
緑がこちらをチラリと横目で見て、無言で先を促す。
「わたしは、今は……なるべくそれをせずに色々考えてみたい」
彼はわたしの言葉を飲み込むように、数秒だけ瞼をふせた。それからまた、こちらを向いて頷いた。
「わかった」
「今日、よくしゃべるね」
「今までは、言わなくてもわかると思っていたから」
「……あぁ」
ずっと、わたしと緑の間に言葉は必要がなかった。
「ごめんね」
必要になったのは、たぶん、わたしが変わってしまったからだ。彼を置き去りに、個別の人間として、拒絶するようになったから。もしかしたら、先に大人になってしまったから。
「いいよ」と言って緑が一瞬足を止める。
「必要なら、言葉を使うだけだから」
それを聞いて思う。きっと、言葉を使ったとしても、緑は呆れるほど緑なのだろう。
それでもほんの少しだけ。
その心のうちを言葉に変える緑という少年が、一体どんな言葉を選ぶのか。興味がわいた。
それからわたしと緑の関係は、少し変わった。進化したのか退化したのか、言葉を交わす友達になったのだ。
そして因果なものでその後火種となった中川さんがあっさりと興味を他に移したことで、わたしと緑の、新しい友人関係だけがそこに残ってしまったのだった。




