その九
今度は処変わりまして、こちらは姫君に例の悪戯をしかけました上達部の御子──朝廷より右馬の佐と申します官職を賜っておられる御方が住み給うお邸でございます。
それでは、この“右馬の佐”と申します官職が当時の貴族の階級中におきましてどの程度の地位にあったのかと申しますと、右馬寮の次官、正六位以下に相当する──と申しましても、耳慣れない言葉に戸惑われる御方もありましょうから、上級貴族の子息といたしまして齢十代半ばにして正六位以下相当という地位は、まず可も無く不可も無い、といった程度に思っていただければ結構でございます。
意外、と思われる御方もおられるかも知れませんが、この時代における貴族の官位と申しますものは、後年に見られる武家社会における地位とは異なりまして、世襲制というわけではございませんでした。
例え、どのように高い地位にある貴族の子息であろうとも程度の差こそはあれ、まずは低い位階から出発するというのが当時の習わしでございました。
この時代、多くの貴族達が高い地位を求めて生き馬の目を抜くような出世競争を繰り広げていたというのは、先程も申しました通りでございますが、何しろそこはそれ、貴族様方のなさることでございますから、出世のためには職務に対する個人的能力や資質などよりも家柄や有力者の後ろ楯などが重要とされておりました。
そのため貴族が高い地位を、望むのであれば、有力な貴族の家に婿入りすることによって、有利に出世することができるというわけでございます。
それゆえに裳着を済ませた上級貴族の姫君のもとには縁談が降るようにして舞い込むのが普通でございました。
ところがこの右馬の佐、上司から仕事を申しつかれば何事につけそつなくこなすのですが、どうやら出世などというものにもあまり興味がないようでございまして、どこか仕事にも今一つ身が入らない様子で、同年代の上級貴族の子息達が順調に出世していくのを横目に見ながらも、相変わらず子供じみた戯れにばかり興じて日々を過ごしておりました。
さて、こちらの右馬の佐、姫君に例の手紙と蛇の玩具を送り付けましてから、いかなるお返事が届くことかと、それを楽しみにして一日千秋の思いで今か今かと待っておりましたところへ、姫君からのお返事のお手紙が手元に届きます。
喜び勇んで早速、中を改めてみました右馬の佐の驚きと申しましたら並大抵のものではございません。
「書は人なり」とは良く申しましたもので、右馬の佐といたしましても“虫愛ずる姫君”からの返り文が筆跡優美にして綿心繍腸、一読の後、作者の才学の非凡さを認めざるを得ない──、なんていうものが送られて来るとは、ゆめ思ってはおりませんでしたが、まさかこれほどのものであるとはさすがに予想だにしておりませんでした。
何しろそのお手紙自体たるや、先程も申しました通りの代物でございますが、その内容にいたしましても上手いのだか下手なのだかよくわからない字で、お心が深いのだか浅いのだかよくわからないことが書いてあり、文面からは書き手の非凡さだけは充分過ぎるほどに伝わって参ります。
右馬の佐は、手紙を一読するなり破顔一笑して、「何と珍しく、奇妙な手紙だろう」と思いますと、今度はいかなる化け物じみた姫君がこのような文を書いたのかと、「どうにかして見てみたいものだ」と居ても立ってもいられなくなりまして、姫君からの手紙を携えますと隣に住んでいる仲の良い中将のお邸を訪れました。
右馬の佐は、中将の前まで来ますと開口一番、これまでの事の次第を話しましてから、例の手紙を見せますと、一緒に“虫愛ずる姫君”を見物に行くよう誘いました。
ところが、この話を聞きました中将の方は、どうやらあまり乗り気ではない御様子でして、その隣に住んでいる“蝶愛ずる姫君”を見に行くならいざ知らず、そんな気味の悪い姫君を見物に行くなど御免蒙る、と言って渋りますのを右馬の佐は半ば強引に説き伏せまして、“虫愛ずる姫君”の見物に伴うことを了承させました。
しかしながら中将の方にしてみますと、“虫愛ずる姫君”に対する興味などよりも右馬の佐が初めて見せました女性に対する執着と、それに伴う熱意に気圧されてこの申し出を諾としたようでございます。
“虫愛ずる姫君”の邸に赴くことが決まりますと、今度は二人して女性の服を着て卑しい身分の女性の姿に身をやつしました。
この時代、男性の貴族が姫君の姿を覗き見るにあたって、正体を知られぬように女装をして姫君の許もとを訪れるということは、ままあったようではございますが、どうやらこの場合の女装は、こういった子供じみた行為を好む右馬の佐の趣味に負うところが大きかったようでございます。