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異説 虫めづる姫君  作者: 猫車るんるん
異説 虫めづる姫君(全12回)
8/41

その八

 そんなこととは露知らず、“虫愛ずる姫君”のお邸では(くだん)懸袋(かけぶくろ)を受け取った女房が、それに結び付けてあった文を見てみますと、

 「はふはふと 君があたりに したがはむ 長き心の かぎりなき身は」

  【這いながらでも、あなたのお(そば)に付き従いましょう、いつまでも変わらぬ長い心を持っている私ですから。】


 と、書かれてあったのですが、なにしろ受け取った女房にしてみましても、畏れ多くも大納言の姫君──それもよりにもよって“ 虫()ずる姫君”──に向けて右に申しましたような悪戯(いたずら)を仕掛けようなどという物怖じしない者がいようとは全く慮外の事でございましたものですから、格別不審にも思わずに懸袋を姫君の御前に持って参りました。


 姫君も差し出されました懸袋(かけぶくろ)を持ち上げまして、「変な袋ですね、それに開ける前から妙に重たい気がするわ」と仰りながらも開けてみますと、あにはからんや中から男の思惑(おもわく)どおりに蛇の玩具が飛び出しました。


 その姿形もさることながら、動きもまるで生きているかのようでございましたものですから、その場に居合(いあ)わせた女房衆の驚きようといったら、それはもう大変なものでございまして、一瞬にして部屋中が上を下への大騒ぎといった有り様となりました。


 そんな悲鳴をあげながら逃げ回る女房衆の様子を横目で見ながらも、一人姫君だけは日頃の高言の手前もあるものですから、(つと)めて冷静に振る舞いながら周りを(さと)すかのような口調で「前世の親かもしれない。騒いではなりません」と、声をうち震わせながら仰ると、蛇の玩具を見やりながら「前世の罪が軽かったのですね。このように美しい姿で私の前に現れたのですから、あなたたちも罪深いことを思ってはなりませんよ」と呟きましてから、「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」と唱えながら、心頭滅却(しんとうめっきゃく)すれば蛇なぞ恐るるに足らずといった調子で気丈にも蛇の玩具に近づいたまでは良かったのですが、さすがに心中に湧き()ずる怖ろしさには耐え兼ねまして、思わず蝉の鳴き声のような声で悲鳴をあげますと、そこからはもう感情の(せき)を切ったかのように、こけつまろびつしながら、まるで蝶が舞うかのようにフラフラと部屋の中を逃げ惑い始めました。


 普段の態度にも似ぬその可愛らしいお姿には遠巻きにして様子を(うかが)っておりました女房衆も、思わず恐怖を忘れて笑い出してしまいました。


 そんな状態がしばらく続きました後で、その騒ぎの様子を聞き付けました大納言様が「何とも驚いた、気味の悪いことを聞いたものだ。そのようなものがいるのを見ながら、皆で手をこまねいているだけとは、けしからん」と仰りながら太刀を引っ提さげて、急いで姫君のお部屋へと勇躍(ゆうやく)するが如き勢いで駆け込んで参りました。


 大納言様が姫君の(もと)へと()せ参じまして、姫に(あだ)する不埒(ふらち)な蛇は何処(いずく)にありやと(くだん)の蛇を、ねめつけましたところ、どうやらそれが作り物であることが分かります。


 大納言様も姫君が心配で意気込んでやってきただけに、拍子(ひょうし)抜けをいたしましたが、それを手に取ってみますと、その出来の良さには(なか)(あき)れながらも妙な感心をしてしまいまして、思わず「随分ずいぶんと上手く作った人がいるものだ」と仰いますと、姫君に向かいまして苦笑混じりに、「(かしこ)がって、虫を誉めるという噂を聞いて、このような悪戯(いたずら)をしたのだろう。返事をして、早く終わりにしてしまいなさい」と仰いましてから、別室へと戻ってゆかれました。


 作り物と聞きますと部屋に残された女房衆は、ようやく胸を撫でおろしましましたが、冷静になりました途端に怒りが込みあげて参りまして、「けしからぬことをする人だ」などと皆で口々に、この悪戯の首謀者を罵ののしり始めました。


 しばらくして、一通りの悪口を言い終えました女房衆は、今度はそれがどのようなものであれ、()にも(かく)にも男性から(ふみ)をいただいたのには違いないのだから、「返事をしなければ、後に尾を引きましょう」と言って、姫君に返事を書くようにお(すす)めをいたします。


 言われた姫君も、そんなものかと頷きますと、先程の騒ぎで床に散乱している紙の中から手近かにあった厚手(あつで)(こわ)い紙を無造作(むぞうさ)に手に取りまして、そこに片仮名(かたかな)で何やらを一気呵成(いっきかせい)に書きつけました。


 まあ、現在でもそうでございますが、若い男女間のプライベートな手紙のやり取りには、このような、──言ってみますと色気のない──紙などは使わないものでございます。


 これは当時にいたしましても勿論(もちろん)同様でございまして、特に花も実もある独身貴族の男女間の手紙のやり取りの場合には、(あわ)く色のついた薄様の紙を使用するのが慣例でございました。


 その上、姫君が返事を書くのに用いた片仮名と申しますものはこの時代、基本的には男性が用いるのが一般的でございました。


 それでは女性はどのような文字を用いていたのかと申しますと、“をんなで”と呼ばれております仮名、現在で申しますところの平仮名(ひらがな)を読み書きに用いておりました。


 ところが、この姫君は日頃から貴族の女性が好みますような(みやび)やかな絵巻物などには目も()れず、漢字や片仮名などの男性的教養の修得にばかりご熱心であられましたものですから、(いま)だに平仮名を用いた女性的な教養の修得を(おろそ)かにしておりました。


 そのため、このように男性からの手紙に対する返事を書くに際しましても片仮名を用いざるを得ません。


 と申しますのもこの姫君、まさか自分が男性に向けて(ふみ)を書くことがあろうなどとは、この時に至るまで夢にも思っていなかったというのですから、呑気(のんき)な話でございます。


 つまり、この姫君のお手紙は紙質だけでも色気が無いのに、加えて片仮名で(つづ)ってあるものですから、年頃の姫君が貴族の男性に向けて書いたものといたしましては、チョット、余所(よそ)ではお目にかかれないほどのスゴイ代物(しろもの)でございます。


 それでは肝心要(かんじんかなめ)のお手紙の内容の方はどうなっているのかと申しますと、紙面には墨痕(ぼっこん)鮮やかに姫君のお人柄を窺わせる文字でもって、


 「契りあらば よき極楽に ゆきあはむ まつはれにくし 虫の姿は 福地の園に」


 【ご縁がございましたら、良き極楽にてお会いしましょう。虫(蛇)のお姿のあなたではお傍に近寄り(()(われ))難いですから。 至福の園にてお会いできるのを楽しみにしております。】


 ──と、書かれてありました。

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