その六
古い物語を繙いてみますと、この時代の貴族様と申しますものは、「命短し、恋せよ貴族」なんていう調子で、実に優雅な日々を送っていたように思われますが、現実の貴族様と申しますものは、なかなかどうして、現代の私どもと変らぬ世智辛い日々をすごしていたようでございまして、今日私どもが想像いたしますような、「此の世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることの なしとおもへば【この世は、まるで私のために在るかのようだ、欠けるところのない満月のように、私の心も満たされている】」なんていう思いをしておりましたのは、ごく限られた上級貴族のみであったと言われております。
その上級貴族様にしてみましたところで、できるだけ高い官位を得るために日々悪戦苦闘していたそうでございます。
因みにこれは“虫愛ずる姫君”御父上たる按察使の大納言様にいたしましても例外ではなく、以前には他の上級貴族達同様に、より高い官位を得るために奮闘をしておられました。
この時代、娘を持った貴族の多くは、出来得ることならば自分の娘を帝の後宮に入内させたいという望みを抱いておりました。
何しろ娘が帝の寵愛を得て男児を産もうものなら、自分は皇子の祖父、もしかしますと帝の祖父となれる可能性までございます。
万が一このような皮算用が首尾良くゆきますと、帝の最も強い外戚となるわけでございますから、「位、人臣を極める」なんていうことも、あながち夢物語というわけではございません。
それが叶わないといたしましても、貴族の姫君と申しますものは他の有力な貴族と姻戚関係を結ぶための政略結婚の道具としても使うことができます。
それゆえに大納言様が自らに授かった娘が、親の目から見てもハッキリわかるほどに美しく成長してゆくのを見守るにつれ、いやが応にも心中期待が高まっていきましたのは想像に難くありません。
ところが、この姫君ときたらご存じの通りのご気性なものですから、帝や上級貴族に見初められるどころの話ではございません。
その上、なまじい姫君の容姿が際立って美しいだけに、大納言様の心中察するに余りあるといったところでございましょう。
最近では大納言様もなんとなく以前のようには出世運動には熱中できず、庭で戯れる姫君のお姿を心配しながらも半ば諦め気味で眺めておりました。