その五
さて、「女三人寄れば姦しく、男三人寄ればむさ苦しい」などという言葉がございますが、異国の諺にも「妻と三人の娘は、男にとって四人の悪魔」というものがございますように、これはどうやら洋の東西古今を通じて変わらないようでございます。
このお邸でも御多分に漏れず、仕事の合間などに女房衆が数人、集っては、何のかんのと他愛のない話に花が咲きます。
しかしながら、このお邸の人間の話すことといったら、その殆どが姫君の行状に関することばかりでございます。
今日の姫君はああだったの、こうだったのと、寄ると触ると姫君のことばかり話しております。
今日も今日とて、先程の大納言様御夫妻と姫君の問答を聞き付けた年若い女房衆がそれを話の種にして、「忌々しいばかりに賢いけれども、虫を慰み物にするなんて神経がどうかしているわ。一体どのように幸運な人が“蝶を愛ずる姫君”にお仕えしているのでしょう」などと話をしておりました。
その中で兵衛と申します女房が、
いかでわれ とかむかたなき しかならば かは虫ながら みるわざはせじ
【それに較べて、私はどのような咎があって、毛虫(“虫愛ずる姫君”)にお仕えするハメに陥ったのだろう】
と言いますと、それを聞いた小大輔という女房が、笑いながら応えて、
うらやまし 花や蝶やと いふめれど かは虫くさき 世をも見るかな
【羨ましいわ、世間では花や蝶に興じているというのに、私達は毛虫臭い日々を過ごしているなんて】
と言いました。
すると、他の女房も笑いながら、「つらいわよね。手入れをしていない眉毛はまるで毛虫のようだわ。それにお歯黒をつけていない歯茎は毛虫の皮のむけたような色ね」などと、皆で姫君を毛虫に見立てた言葉を並べ始め、左近と申します女房も、
冬くれば 衣たのもし さむくとも かは虫おほく みゆるあたりは
【冬がきても着物の心配はありませんね。寒くてもこの辺りには、毛虫がたくさん見えるのですもの】
どうせならば、着物も着なくても良いでしょう」
などと言いながら、皆で笑い合っておりまし
。
とは言え、皆で姫君のことを話題にするときには──それがどのようなものであれ──決まってその場に明るい笑い声が起こりますのは、これもまた一種の人徳と言って言えないこともございません。
と、そこに来合わせたのが、お邸に最も長く奉公している口うるさいことで知られた老女房でございます。
この老女房、日頃は人一倍姫君の行状を諌め、また周囲に愚痴をこぼしていたのでございますが、今の会話を聞きますと、年若い女房衆に向かって、
「若い人達は何ということを話しているのでしょう。蝶を愛でる方など少しも良いとは思いません。むしろ浅はかなことなのです。眼前に並んだ毛虫を見て蝶だと言う人などはおりませんが、それら(蝶と毛虫)は本質的に同じものであり、ただ脱皮を経ているかいないかの違いでしかないのです。姫君は──原因(毛虫)と結果(蝶)のみならず──その過程をも探求せんとしているのですよ。それこそが本当に思慮深いことなのです。それに蝶は触れれば、手に鱗粉がついてしまいます。捕まれば瘧病(おこり。マラリアに似た病気)の原因ともなるのですよ。ああ、嫌だ嫌だ」と言いました。
今さらながら人間とは妙なものでございまして、例えば家族や友人などの親しい人の悪口を自分が言う分にはどれだけ口汚く罵ろうとも全く意に介することはないのですが、自分以外の他の人間がそれに同調して悪口を言おうものなら、途端に不愉快になってしまい、あまつさえ今まで自分が言っていたことなどすっかり忘れてしまったかのように、必死になって言われた当人の弁護を始めてしまう、なんていうところがございます。このときの老女房の心理が丁度そんな具合でございました。
しかしながら、この老女房といたしましても、姫君の美点や愛すべき点などを充分に承知していながらも、どうやらそれを形容する言葉が思いつかなかったようでございます。
と申しますのも、何しろこの姫君を形容する言葉は、ことごとく通常の姫君を讃えるのにそぐわないものばかりなのですから無理もございません。
例えば最も分かりやすいはずの姫君の優しい心ばえについて言及しようにも、通常の姫君に見られますような思慮深さと繊細さを伴ったものではなく、子供っぽい無邪気さと乱暴さを伴っているものですから、どうしてもその心ばえを称賛する言葉が見つかりません。
まさか、とうに裳着も済ませた貴族の姫君を捕まえて、幼さを含んだ可愛らしさをして美点と挙ぐるなどということが出来ようはずがございません。
それでも無理に姫君の弁護をしようといたしますと、我知らず姫君のような理屈っぽい口調になってしまいますのは、ご愛敬というものでございましょう。
言われた若い女房衆の方にいたしましても、内心に姫君の貴族の女性らしからぬ美点を理解した上での──ある種の親しみを込めた──悪口であっただけに、老女房の言葉を聞きますと思わず水を浴びたような心持ちになりまして、それだけに余計に腹立たしく、怒りのぶつけどころの見つからないままに、老女房が立ち去った後で更に陰口を言い合いました。
女房衆がそんなことを姦く話している同じ頃、お邸の庭では姫君がむさくるしい──と言うにはまだ年若い男おの童わらわ達を侍はべらせながらいつものように虫と戯れておられました。
姫君は、虫を捕まえて来る男の童達に高価なものやら、欲しがるものやらを褒美として賜たまわるものですから、男の童達の方でも皆で競うようにして姫君の気に入りそうな様々な怖ろしげな虫を取り集めては献上しておりました。
姫君は眼下に蠢く虫どもを眺めながら、「毛虫は毛などはおもしろげなのだけれど、因んだ詩歌がないのはつまらないと」と、申しますと、カマキリやカタツムリなどを取り集めまして、男の童達にそれらの虫どもに因んだ詩歌を大きな声で歌わせました。
しばらくの間、姫君はおとなしくそれらの歌を聞いておられたのでございますが、どうやら聞いているうちに興が乗ってきたらしく、仕舞には自らも声を張り上げて「かたつぶりのつのの、あらそふやなぞ【蝸牛の角の争うや、何ぞ】」と、朗々と詠じられました。
この姫君ときたら、一事が万事この調子なものでございますから、かしづいている男童達の名前もありきたりなものはつまらないなどと仰って、自ら男の童達に、けらを[おけら]、ひきまろ[ひきがえる]、いなかたち[とんぼ]、いなごまろ[いなご]、あまひこ[やすで]などと、虫に因んだ名前をつけて召し使っておりました。
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注二 冬くれば~ 『白氏文集』第十六「香炉峰下二新タ二山居を卜シテ草堂初メテ成リ、偶東ノ壁二題スル五首」より四首二行目「小閣衾ヲ重ネテ寒ヲ怕レズ」の洒落か。