その二
「さあ今度は、中納言の君の番ですよ」
と中将が申しますと、
「これはまた、妙なことのついでの話を女御様にお聞かせになることになったものですね。私は特段に思いつく話もありませんが、ここ最近のことであればお聞かせできるかもしません」
と、前置きをして話し始めました。
「去年の秋の頃ばかりに、清水寺に参籠していた折に、その傍らに、屏風ばかりを物儚げに立てかけて、一部屋を区切った局━━と申しますとお部屋のことでごいます━━がございまして、そこを借りていた時のことです。薫物の匂いなど趣深くありましたが、人影も少なく思われました。そこで時折、泣いている声が聞こえて参りまして、どのような御方であろうと耳をそばだてておりましたが、明日は山を下りるという日の夕方、風が強く吹きまして、木の葉がほろほろと滝の方へと乱れ散り、色濃き紅葉が部屋の前一面に敷き広がる様を、局の中隔ての屏風に寄って、眺めておりましたところ、大変に忍びやかに
『いとふ身は つれなきものを 憂きことを あらしに散れる 木の葉なりけり
風の前なる』【(この世を)厭う我が身は辛く、憂きものと思われます。嵐に吹かれて散る木の葉の妙なること】
と、聞こえるか聞こえないかほどの歌を詠じる声が聞こえて参りまして、それからポツリと「私も風に吹かれるように生きてみたいものです」と仰せになられて、まことに以て堪らなく哀れに思いまして、これも縁かと何か返歌を詠もうにも私も思う所があって参籠した身故、さすがに応えづらく、そのままに置いてしまいました」と、話終えました。
「まさか、中納言の君、あなたが、そのまま拱手傍観をしてしまったとは思い難いですね。それがまことの話ならば、悔やまれるご遠慮をなさったものですね」とその話を聞いた人々はと口々に語りあっておられましたが、当の御本人はこれ以上、この件については謎めいた表情を浮かべながら口をつぐんでおられました。
「さあ、次は少将の君がどうぞ」
と中将が申しますと、少将の君は「上手く、お話しをお聞かせいたしたこともございませんののに」と申しましてから話を始めました。
「妾の伯母にあたる人が、東山のあたりで仏道の修行をしておりましたので、それを慕ってしばらく共に過ごしておりましたのですが、主の尼君のところへ、それはなかなかに卑しからざる女房衆がやって参りました気配がいたしました。
その方々を見たとき妾は、どなたかが周りに控えている方々に紛らわして、人目を忍んで参ったのだと思いました。
様子を窺っておりますと、隔てられてもその気配はいと気高く、これはただならぬ御方だと思われました。
妾は気になりまして、朽ちている障子の紙に指で突いて穴を穿ち、覗いて見ますと、簾垂のそばに几帳があり、清らかな法師二、三人ばかりが座っており、とても美しい女人が、几帳に面して臥して横になっておられまして、先程の法師へ何か物を申しておられました。
何事を話しているのか聞き分けることのできる近さではなかったのですございますが、どうやら尼になりたいと語っている様子、法師はそれを了諾しかねる様子でございましたが、女人が『どうしてもどうしても』と懸命に嘆願いたしますと『そこまで申すとなれば』とこれをこれ認めました。
すると、几帳の綻びより、剃ったばかりと思われます櫛の蓋の端一尺ばかり長いと見える髪の、毛筋、裾つきの大変美しい物を蓋に乗せて差し出されました。
その傍らには、女人より今少し若く見える十四、五歳ほどの御方がおられました。
髪の丈は背に四、五寸ばかり余って見えまして、薄色のきめこまやかな一襲、掻練などを重ね着て、顔に袖を押しあてて痛ましく泣いておられまして、妹君ではないかと思われました。また、若い女房衆二、三人ばかり、薄色の喪をつけて座していましたが、痛ましさに皆涙を堪えきれないかの様子でした。
妾は乳母のようなお世話をしてくれる御方などはいないのかと哀れに思えて参りまして、扇の端にほんの小さく、
おぼつかな 憂き世そむくと誰とだに 知らずながらも 濡るる袖かな【(事ここに至った経緯をわかりませんが)覚束ない憂き世に背こうとしているあなたが誰かは知らない妾でも涙で袖を濡らしてしまいます】
と書いて傍らにおりました女の童に渡して遣わしますと、あちらでは妹君と思われる御方が返歌を書いているようでございまして、 さてそれを受け取らせて持ち帰り来ますと、その返事内容も恭しく気品を帯びていて、素晴らしく見えて、私は自分が恥ずかしくなりました」
なとど申しているうちに主上がお見えになられる御様子でしたので、女房衆が準備をしているのにまぎれて、少将もかくれてお帰りになられました。
──「と、言った所で主上がお見えになられる御様子だったので、女房衆が準備をしているのに紛れて帰って来てしまったよ」と、中将。
「それじゃあ、その話はそこで終わりということかね?」 と、右馬の佐
「そうなるね」
「なるほど。いずれの話も何かを考えさせられる赴き深さを含んでいるね」
「そうだろう。だから、女人と語らうのもあながち無駄ではないよ。君みたいに節操がありすぎるのも、どうかと思うがね」
「そういった道は君に任せておくよ」と申しながらも、右馬の佐の脳裏には“虫愛ずる姫君”が大きな声で話している姿がよぎりましたが、その事を口に出すことはありませんでした。
言はぬをも 言ふにまさると 知りながら おしこめたるは 苦しかりけり【何も仰せになられないのは、口の端に何かを乗せて言うとことよりも、(効果的だと)存じていますが それでも言葉を押し込めているのは苦しくものですよ】
お粗末様。
ここまで、本作品を読んでいただいた方、誠にありがとうございました。
そんなわけで新章を書き終わりました。前回も完結設定にさせていただきましたが、今回は作品の翻案は最も難しかったのに対して完成度が最も低いと自覚しており、今のところ次章を書くが気になれないため完結設定とさせていただきます。
それでも、もしかしたら何かを思い付いて続きを書くかも知れません。
それでは、重ねて本作を読んでいただき、誠にありがとうございました。