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異説 虫めづる姫君  作者: 猫車るんるん
異説 虫めづる姫君(全12回)
4/41

その四

 この日も、御両親様が姫君のかねてからの持論を捕まえまして、「理屈はその通りでも外聞が良くありません。人は見目麗(みめうるわ)しきものを好むのです。醜い毛虫などを()ずるなどと、世の人々が聞けば変に思うでしょう」と諭しましたところ、姫君は恬然(てんぜん)として動じた気色(けしき)も見せずに、「お気に病むには及びません。毛虫が蝶となるように、全てのことは元を辿り、行く末を見届けてこそ、その真価を理解することができるのです。ですから瑣末(さまつ)なことなど気にはなりません」とお答えになられました。


 そして、今度はどこからともなく蝶の(さなぎ)を取り出しましてから御両親様に見せまして、「人が身に着ける絹に例えて言えば、その糸はまだ(はね)のつかない(かいこ)によって作り出され、蚕が蝶になれば糸も艷やかな袖(翅)となるのです」と、申されました。

 成程、言われてみれば姫君の申されることには確かに理屈が通っております。


 しかし、言われた大納言様御夫妻にいたしてみますと、その言葉はどこか牽強付会(けんきょうふかい)の感なきにしもあらずといった気がして、なんとなく釈然といたしません。

 とは言え、理屈が通っているだけに御二方とも何も言えずに、呆れ顔で視線を遮る眼前の几帳(きちょう)を眺めるより他ございませんでした。


 几帳と申しますのは、言ってみれば移動式のカーテンとでもいったようなものでございまして、当時の貴族の女性は、例え相手が親兄弟であろうとも、この几帳を隔てて応対するのが習わしでございました。


 と申しますのも、さすがの姫君も最近では僅かながらも女性らしい恥じらいを身につけたらしく、近頃ではこの几帳越しに御両親様に応対するようになっておりました。

 しかしながら、そんな自然な感情の発露(はつろ)に基づく行動に対してまでも、「(注一)と女は人に見えぬぞよき」と諺らしき理屈を用いて自らを納得させなければ気が済まないのが、この姫君らしいところでございます。


 浅学非才(せんがくひさい)にして、不信心者の身でありながら、このような大それたことを申しますのは、まことに以て汗顔(かんがん)の至りではございますが、ここで“虫愛ずる姫君”の行動原理の根幹を支える仏教思想について単簡にご説明をさせていただきます。


 この時代におきます仏教思想──限定的な条件のもとで極めて簡略化して申しますと“輪廻転生”、“因果応報”の(ことわり)──と申しますものは、現代とは異なりまして、それ自体が絶対的な真理であると思われておりました。


 すなわち、この当時におきましては、その教義に対する知識や理解は宗教的教養であると同時に、科学的教養でもあったわけでございます。


 それでは何故に、この姫君がこのような理屈を振りかざすようになったのかと申しますと、それもまた虫のせいなのでございます。


 成程(なるほど)、世間一般の若い女性が虫を気味悪がって嫌っていますのも知っておりますし、自分の同年代の貴族の姫君達が花や蝶ならいざ知らず、決して虫などを愛でたりはしないということも頭では理解しているのではございますが、かといって、周囲に迎合するために虫を遠ざけるには、あまりにも虫が好き過ぎるのでございます。


 その結果として周囲の意見に抗って、“虫愛ずる姫君”であることを維持するためには、どうしても自らを正当化する必要に迫られることになります。


 そうして思いついたのが例の「人には(まこと)があり~」云々という文句なのでございます。


 なんのことはございません、姫君は単に虫が好きだというだけで、その自らを正当化するために立派な文言を後から持って来ただけに過ぎないのでございます。


 大納言様御夫妻が姫君の宣う言葉をお聞きになりまして、牽強付会(けんきょうふかい)とお感じになられましたのには、ここに原因がございます。


 また、皆様もご存知の通り、他者からの一切の反論を封殺するほどの正論と申しますものは、総じて子供じみた詭弁に過ぎないものでございます。


 要するに、この姫君は身体は大きいけれども中身の方は、まだ子供でございまして、ただ自らの思うがままに振る舞っているだけに過ぎないのでございます。


 そして、そのことを咎められれば、例の現実離れした理想論を振りかざして得意顔をするなんていうところが、全く子供の証拠でございます。


 とは言え、親御さんの身といたしましては、才色兼備とまではいかずとも、ただ人並みの女性として育ち、良縁にでも恵まれでもしてくれればこれに優る喜びはなかろうというのが、偽らざるところでございます。


 ところが、この姫君はこれほどの容姿に恵まれていながら、色好みの貴族と浮名を流すのではないか、なんていう心配をしようにも今のままでは、それこそ“悪い虫”でさえもつきそうにありません。


 反面で、親御さんと申しますものは──(こと)に娘さんを持つ男親なんていうものは特にそうらしいのでございますが──お子さんの健やかな成長を願うのは勿論のことでございますが、同時にいつまでも子供のままでいて欲しいなどという矛盾した気持ちもあるようでございます。


 この大納言様御夫妻にいたしましたところで、表面上は苦虫を噛み潰したような渋いお顔を作っておられますが、心の中ではいつまでたっても幼い子供のような姫君が可愛らしくてなりません。


 何しろこの姫君、意見を申せば小癪な物言いをして親を困らせたりもいたしますが、御趣味や装いのことを除けば、何事にも素直に従いもいたしますし、自分達を慕っているのも充分に感じられます。


 その上、姫君御自身が仰りますようにその言動、心ばえに全く嘘がない。


 天真爛漫として幼きころより変わらず振る舞っておりますものですから御両親様といたしましても、可愛くないわけがございません。


 何よりも、その粗野とも言える立ち居振舞いに隠されて、分かりにくい優しい心ばえは、皆口にこそ出しませんが、表面上姫君に振り回されている邸にいる全ての者が等しく感じているところでございます。


 それだけに、大納言様御夫妻も娘の美点を重々に承知していながらも、その行いや装いのお陰で、それが世間に理解されないのが悔しくもあり、また歯痒くもあります。


 その上、当の御本人にしてからが、自らの優れたるを他に誇ろうなどという気が毛頭ないのですから、それこそが姫君の美点であるとは承知していながらも、靴隔掻痒(かっかそうよう)の心持ちとならざるを得ません。

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