その一
本作品は古典文学作品『堤中納言物語』中『このついで』の翻案小説です。
毎度、馬鹿馬鹿しい、お噺を一席。
鐘つきて とぢめむこと さすがにて 答へまうきぞ かつはあやなき【鐘をついて話を終わりにするようにとはさすがに申しかねます。ただお答えしにくいのが、自らでも解しかねるのです】
という古い歌がございますように、人は暇などをもて余しておりますと、親しい人間関係の中で他愛のない話を語らったりいたしますな。
また、話す内容が全て実のある物なのも結構でございますが、それでは私のような不精者は疲れてしまいます。やはり、暇な時に語らうのは、ほどほどに気づかれのしない内容が宜しいように思われます。
今回、これからいたしますのもそんな毒にも薬にもならないような“このついで”のようなお話です。
今は昔。
昔々の、そのまた昔と言いますと、今からおよそ千年昔のお話です。
蝶を愛ずるという姫君が住んでおられるお邸の、その傍らのお邸で虫を愛ずるという姫君が住んでおられるお邸のある、花の都にあるとあるお邸、こちらにはこれまで物語に度々登場をいたしました上達部かんだちめ(上級貴族)の御子おほむこ、右馬の佐━━毎度の事で我ながら辟易といたしますが、“右馬の佐”とは役職名でございまして、現在は相応の地位を得ておりますが、無用な混乱を避けるために“右馬の佐”で通させていただきます━━が住んでおりました。
その右馬の佐の傍らの邸に住む、仲の良い中将が遊びにやって参ります。
挨拶も早々に二人は親しい間柄に見えるざっくばらんな態度で互いに応じます。
「久しいね」と、右馬の佐。
「実は、物忌みを行っていてね」と、中将。
「そうらしいね」
ここで中将は最近身の回りで起きた奇怪な出来心事について語りました。「それが奇妙な話だか、確かに私は“蝶愛ずる姫君”をさらったはずなのに、顔面が真っ黒の妖の類としか思えない女人を連れてきてしまった。私はあまりの恐ろしさにその女人を追い出して、すわ誰ぞ他の女人の怨みを買ったやもしれんと、その祟りだと、物忌みを行っていたのだよ。全く恐ろしい話だ」
「気が多いのも考え物だね」と、堤中納言殿から“虫愛ずる姫君”の所業について話を聞いていた右馬の佐は素知らぬ顔で返答をいたします。
「ところが、奇妙なのはこれで終わらない。物忌みが明けて世間の噂を耳にするところによれば、私が“蝶愛ずる姫君”の代わりに妖をさらったというはずなのに、なぜか私が間違えて祖母御様をさらってしまったという笑い話になっているのだよ」と中将は不思議そうなお顔をいたします。
それらの噂の差し金が堤中納言殿であることも承知している右馬を佐は、これにも惚けたかおで顔で「不思議な話もあるものだね」と受け流すように答えました。
「それはそうと、最近何か面白いことなどはあったかね」右馬の佐は話をそらすために、そう申しました。
「そんなに他人の話を聞きたがるなぞまるで、“物語を包む”というのが渾名の由来の堤中納言殿みたいじゃないか」
「そうかね」
「まあ、良い。そう面白い話でもないのだが、この前女人たちと語らうことがあってだね」
「物忌みが明けたぱかりだというのに、君も懲りないね」
「いや、何。父の使い妹の所へ行ったのだよ」
「そう言えば、君の妹御は女御となっていたね」
「そうそう」
女御とは帝の寝所に侍る女官のことでございます。
しとしとと降りしきる雨を纏うかのごとき後宮にて、この空もまた春の美しさのものと皆が眺められている昼の頃、台盤所━━とは、女御に差し上げる調理をいしますところでございまして、女房の詰所でございました━━にいた女房衆が「宰相の中将がお見えになられたようですね。例のごとく気取った匂い立て込められているようですもの」などと申しておりますうちに、当の中将御本人が女御の前に御帳の前に慇懃に座しますと、「昨夜より父殿のもとへおりましたが、そのまま御使いへと私を遣いへと任じられました。『東の対の紅梅の下に埋めておいた薫物、今日の徒然に試みてみなさい』とのことです」そして、見事な紅梅の枝に、白銀の壺を二つつけたものを差し出しました。
中納言の君と申します女房が、それを御帳の内へと持って参りますと、香炉をたくさんに用意をさせ若い女房衆たちに暫時の後、薫物を試みさせました。女御は少し覗くようにそれをご覧になられると、くつろぐために御帳のそばの御座に身を横たえられました。
紅梅の織物の御衣に、流れるかのごとき美しく豊かな髪の先ばかりがのぞいておりました、中将は座したままこれかれと忍ぶようにして他愛のない話を数人の女房衆と語っておられました。
不意と、中将の君という女房が口からこぼれるように「この御火取の香炉のついでに、ある哀れを思いながら語った人のことを思い出しました」と呟きました。
すると年長者と思われる宰相の君という女房が、「それは、どのような話でしょうや。女御様も徒然なる思し召しにて、無聊をお慰めするために 語ってさしあげなさい」
と語るように勧めましたら、「それならば、妾のあとにもどなたかお話しをしてください」
とやや恥ずかしそうに断りをいれました。
ちなみにこの“宰相の君”は“宰相の中将”とはなんら関係がございませんし“中将の君”も“宰相の中将”ともなんら関係がございません。ネーミングがややこしいので。一応、念のため申し添えておきます。
「とある、やんごとなき公達が忍んで通っておられる御方があられました。
そのうちと、珠の如き美しい児がお産まれになられました。
しかし、この公達にはお気が難しい本妻であられます北の御方さまがいらっしゃいまして、これを面白く思われておられなかったそうでございます。
そのため児のあられる御方の方へ通うのは絶え間がちとなられましたが、児は父君のことを思いも忘れず大層なお慕いようだったそうでございました。
これを憎からずどころか、可愛らしくお思いになられた父君はこれが親心なす勝手というものでしょうか、時々と本邸へと連れかえられておられました。
それを母君は『すぐと我が子を御返しになられてください』など申されようもない慎ましやかな御気性でしたので、そのままとなされておられました。
父君が珍しく久しくとの足が遠のいてしまって訪れてみますと、児は大変にお寂しそうな御様子。
父君は、これを珍しくお思いになられまして、御子の機嫌を取られるかのように、お撫でになられるなどして見ておられましたが、しばらくの後、他用があるためにその場を立ち去らねばならねばなりませんでしたが、まるでそれが習いとなっているのか、児がいつもの如くに健気に自らを慕う姿を哀れとお思いになられますと、しばらく立ち止まられて思案されてから『それならば、共に行こう』と児をかき抱いて出て行こうとされるのを、母君は大変に心苦しくなりながら見送ると、前にある香炉を手まさぐりして、
こ(子・籠)だかにかく あくがれ出でば 薫物の ひとり(火取り)やいとど 思ひ(火)こがれむ【子ですらも、こうしてあなたを慕って出ていってしまったならば私はただ一人思い焦がれることしかできないでしょう】
「籠・火取り・火《思ひ・薫物の縁語だね」と、右馬の佐。
「そうそう」と、中将。
と、母君が誰にともなく忍びやかに申しますのを父君が屏風の後ろから御聞きになられまして、たまさかにお知りになられました母君の御本心に実と御心をお痛めになられますと、児をお返しになられまして、そのままそこへお泊まりになられました。
というお話しでございます。
妾このお話しをお聞かせくださった御方に『父君はよほど哀れとお思いになり、御心を痛めたことでしょうや?』、『父君はどんなにか母君への愛しい想いを深めたでしょうや?』とお尋ねしたのですけれど、この方を誰とも申されずに、はぐらかされてしまい笑いに紛れて誤魔化されしまいました」と、中将。
「なるほどそれは“あわれ”な話かも知れないね。それにしても、知人の知人から聞いた話しというのはあまりアテにはならないと小間生がね」と、右馬の佐。
「私もそうとは、思うが聞いた話をそのまま語っているだけだからね」
「それで、その話につづきはあるのかい?」
「あるとも」そう申しますと中将は、話を続けられました。