その四
何とも浅ましきことに、もう一人の少将の方も、母上の御風邪に快癒の兆しがお見えになられましたので、“「姉君の許へと」”と思いましたが、「夜半などにふと母上がお呼びになられるかもしれない。その時に不在とあっては都合が悪いことになる」とお思いになられ、姉君を自邸に迎えるための御車を姉君のお邸へと、さし向かわせなされました。
以前にも御文もなく迎えた折もあることなれば、この度にも何も伝えるべきこともなしとされましたが、これはいつもこのような折に使わしておられます清季と申します者が迎えに行けばあちらの方で委細を承知すると思われたからでございます。
清季が姫君のお邸に参上いたしますと「御車でお迎えに参りました」と申しますと、それを言伝える者も、姉君は、既にここにはおわしませぬので、妹君のことと疑うことなく思いまして、妹君に“「かくかく」”と申しました。
これに、妹君は「随分と急なことですこと」と思われましたが、姉君に比べて未だ年若くおわせるがために、深く考えることもなくこの言葉を疑わずに、周りの者たちに自らの御衣装などのお着替えをさせますと、やや放心のご様子で弁の君を供にしてお出かけになられました。
右大臣家のお邸の御車寄せに、少将がお出でになられて参りまして、言葉をかけられますと、意想外のご気配なれば、弁の君、
「これは、何とも思いもよらぬことです」
と申しましたが、少将はすぐに状況を心得なさりまして、日頃より親しく悪友として友誼を結んで、従兄弟の少将と互いの相手の惚気まじりの自慢話などをいたしておりましておりましたので、日頃より妹君の芳しい香りを放つ花の如き美しさを聞き及んでおられました。
どこまで本気の心か浮気の心かかねてより「どうにかして、私が思っているとだけでも伝えたいものだ」などと、人知れず思い続けておられましたので、
「このような思いがけぬこととなったとは言え、邪険になさらないでください」
と、少将は妹君をかき抱きまして御車より降ろされましたが、妹君はか弱く非力な身、殿方の力に対しましては竜車に向かう蟷螂の斧にすら及ばぬと思われ、抗うことなどできようはずがございませんでした。
さりとて、弁の君はこれを手をこまねいて捨て置くことなどとできかようはずがなく、御車を降りました。
妹君は、ただ身体を戦慄かせるだけで、動くことすらできませんでした。
少将は妹君を部屋へと連れ込んでしまいましたが、弁の君は傍に控えて、妹君を行かせまいとして、その袖を掴んでおりましたが、少将の方ではそのような小癪な行為は歯牙にもかけぬとの思いでこれを退けました。
「今となっては、このような定めであったと思いませ。私は貴女のためにならぬような悪しき心は持っていないのですから」
と、弁の君の位置から几帳を押して隔てられました妹君は不運に舞われました我が身を思い、あまりのことに泣かれておしまいまになられました。
少将は、そのいたいけな姿も、“あはれ”なること限りなきか、なんぞと思っていました。
その後のことは、例によって書かずとさせていただきたく存じます。
「うーん」と、右馬の佐。
「どうしましたかな。この話はお気に召しませんでしたかな」と、堤中納言殿。
「つまり、二人の少将は同じ刻と邸で互いの相手足るべき姫君姉妹を違えて事に及んだという訳でございますな」
「有り体に言うとそうなりますな」
「私などには、少将たちの行動が節操の欠いたものと思われますが。一体、そんな話が本当にあるのでございますかな」
「いや、私も物の本で読んだことを話しているだけなので、何とも言えませんな」
「うーん」と、右馬の佐は不心得顔。
姫君各々がお帰りになる暁の時、後朝の御歌━━後朝の歌とは、共に寝た者に殿方が送られる歌でございます━━がございましたが、そのようなことは通例のことなので、お聞き漏らしになられました。
殿方たち姫君たち、皆いずれの御方たちも同様な御心持ちでございましたが、姫君たちは、胸が塞がるかの如き思いを抱かれました。
さりとてまた、殿方たちもともに元のお相手を疎かにはせぬとの思いでしたので、普段とは違う珍しき体験をしたにも関わらず、姉妹いずれの姫君も限りなく素晴らしく思われることが、むしろ深く苦しい思いを抱かれました。
「うーん。その様なことで思い悩まれるなら、男たちは人違いだと分かった時に契りを結ばずに、そのまま帰してしまえば良かったではないでございませぬか。何とも勝手な悩み(事)ように思われますな」右馬の佐が、そう申しますと、堤中納言は軽い笑い声をあげられました。
「何が可笑しいのですございまか」
「いや、右馬の佐殿らしい言葉だと思いましてな。それにこの話に対して同じような事を言いそうな知人がおりましてな」
そう言われて、右馬の佐の脳裏に何故か“虫愛ずる姫君”がチラと浮かびました。
その後、「権の少将より」と少将が名を騙った、御文が妹君に届きましたが、妹君は悲しみに臥せておられましたので人目を避けて、弁の君がそれを広げてお見せいたしました。
思はずに 我が手になるる 梓弓ふかきちぎりの 引けばなるなり【思いがけず、私の手に入った梓弓 (あなた)[※梓弓は神事に使われる道具]は、深い契り(宿縁)によって(梓弓を)引かれたからなのでしょう】
これは“あはれ”と思われるべき物にもございませんのでしたので、人目に怪しまれないように、さりげなく弁の君が返歌を代筆した返歌を取り次ぎの者に渡しました。
もう一方の姉君の方にも「少将殿より」と権の少将が名前を騙ったお御文が届きました、ふと侍従の君は胸が潰れるかの如き心地煮なりながら、それをお見せいたしますと、
浅からぬ ちぎりなればぞ 涙川 おなじ流れに 袖ぬらすらむ【浅からぬ、契り(宿縁)があったからこそ、涙の川の同じ流れによって(ご姉妹お二人を想って涙で袖を濡らすことになったのでしょう)】
とありました、いずれの姫君も愚かならずと仰せになりたいのでございましょう。返す返すも、ただ同じ様に悩み、悲嘆に暮れている御心のうちこそ、心苦しく思われます、と元の本に書いてございました。
二人の少将は、二人の姫君を優劣をつけずに分け隔てなく愛情を以て接されたされたということでございます。なお、その後の事は存じ上げません。姫君たち各々それぞれの美点がある中でも、新しい方が珍しいために恋慕の情が湧き上があるかと思われがちのようでございますが、古い付き合いを経た古い方にも、年月を経た“あはれ”なる魅力というものがございます。と、元の本にもございました。
━━と、まあ。こんなお話しでしたが、いかがでしたでしょうか」と、堤中納言様は右馬の佐にお尋ねになられました。
「うーん。それは、つまり二人の少将が二人の姉妹でる姫君たちを交互に恣にするという話ございまですな」
「そのようですな」
「奇妙でありながらも、何とも勝手で呆れた話のように思えます。それに正直に申し上げますと、あまり愉快な話ではないようでざいます」
まあ、何とも奇妙な四角関係とでも申しましょうか。
「そう思われますかな」
「はい」
そこで堤中納言様は、また軽く笑われました。
「また、笑われましたな」
「いや、失礼。私は右馬の佐殿の素直で正直なところに好感をもっているのですよ。ですから右馬の佐殿からそのような言葉が出てくると、つい笑ってしまうのです。先程、私が話しをした話を愉快ではないと言われましたが、だからこそ私はこの話を右馬の佐殿に語ったのです」
「それはまた何故にございますか」
「右馬の佐殿が思い惑っておられるのを“あはれ”と思いました故」
「私のことを、まだ子供だと仰せになられたいのでございますか」
「いや、そのようなことは……、それよりも右馬の佐殿は“あはれ”について分かりましたかな。私なぞにはこれを“あはれ”な物語と思いましたが」堤中納言殿は、右馬の佐の言葉をはぐらかすかために話題を変えられました。
「いえ、わかりませんな」
「いや、右馬の佐殿はまだお若い。無理に理解せようとせずになさらずとも良いでしょう」
「しかし、どのようにすれば“あはれ”を理解することができるのでございましょう」
「これは、考えて理解するものではなく“感じる”ことが肝要です」
「そうですか、それにいたしましても、話の中の姫君たちは、その後どうなったのでしょう」
「さて、先程も申しました通り、その後の事は元の本にも書かれていないので知りようがないですな。しかし、この手の話はいつの時代も厄介の種ですから 碌なことにはなりません。ですから右馬の佐殿」堤中納言殿が珍しく真面目な顔で右馬の佐を瞳を見つめた。
「話の中の少将たちは、人違いを起こしました。その後の事は元の本に書かれていないので知る術もありませんが、こういった複雑な色恋沙汰はいつの時代も大概、後々に災いの元ですとなります。ですから、右馬の佐殿には選ぶ人を間違えては欲しくはないのです」そこまで仰せになられますと堤中納言殿は、いつもの気楽な態度へと戻られました。
そして、右馬の佐に別れの挨拶と再訪を約束した後、堤中納言殿は帰って行かれました。
右馬の佐は、一人頭の中で“蝶愛ずる姫君”の奇妙な“虫愛ずる姫君”のことを思い、どちらを選択するかについて考えいましたが、“虫愛ずる姫君”のことを“あはれ”とぞ感じました。
「深き夜の あはれを知るも 入る月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ【春の夜更けの 趣をご存知でいられるのも、沈み行く朧な月とは違い前世よりの確かな契り(ご縁)があるかと存じます】」
お粗末。
ここまで、本作品を読んでいただいた方、誠にありがとうございました。
そんなわけで新章を書き終わりました。前回も完結設定にさせていただきましたが、今回は作品の翻案は最も難しかったのに対して完成度が最も低いと自覚しており、今のところ次章を書くが気になれないため完結設定とさせていただきます。
それでも、もしかしたら何かを思い付いて続きを書くかも知れません。
それでは、重ねて本作を読んでいただき、誠にありがとうございました。
申すまでもないことですが、昔日の時代におきましては現代とは常識や倫理観も異なるために、一読されて気分を害される方もいるかと思いますが、御寛恕のほどお願い申し上げます。