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異説 虫めづる姫君  作者: 猫車るんるん
虫にも思はぬ方にとまりする少将(全4回)
35/41

その一

本作品は『堤中納言物語』中『思わぬ方にとまりする少将』の翻案小説です。

 毎度、馬鹿馬鹿しい、お噺を一席。



「あはれてふ 常ならぬ世の 一言も いかなる人に かくるものぞは【あわれという一言なりとも、この無常の世で一体どなたに言い掛けたらよいのでしょう】」


 という古い歌がございますように、本邦の古い物語などを繙いてみますと、“あはれ”という言葉が度々出て参ります。


 この“あはれ”という言葉を現在の言葉で“哀れ”と訳せれば話は簡単なのでございますが、残念ながらそうは参りません。

 物語中の“あはれ”と言う言葉を訳そうといたしますと、文脈の中からその意味を読み解かねばならず、“情趣”、“趣(深い)”、“素晴らしい”、“美しい”、“格好の良い”、“可愛いらしい”、“健気”、“いじましい”、“悲しみ”等々他にも多種多様の訳し方が存在いたします。

 今回これからいたしますのは、そんなものの“あはれ”と奇妙な男女の四角関係に纏わるお話でございます。


 今は昔。


 昔々の、そのまた昔と言いますと、今からおよそ千年昔のお話です。


 蝶を愛ずるという姫君が住んでおられるお邸の、その傍らのお邸で虫を愛ずるという姫君が住んでおられるお邸のある、花の都にあるとあるお邸、こちらにはこれまで物語に度々登場をいたしました上達部(かんだちめ)(上級貴族)の御子(おほむこ)右馬(うま)(すけ)━━毎度の事で我ながら辟易といたしますが、“右馬の佐”とは役職名でございまして、現在は相応の地位を得ておりますが、無用な混乱を避けるために“右馬の佐”で通させていただきます━━が住んでおりました。


 この右馬の佐、最近何やら思うところがあるらしく、物思いに耽って過ごしておりました。


 そのお邸へ飄然とした調子で堤中納言殿が、親交のあるで右馬の佐に会うために訪れます。


 挨拶も早々に、右馬の佐は最近思っている疑問を堤中納言殿に問いかけました。


「中納言殿、“あはれ”という言葉がございますな」


「ありますな」


「この“あはれ”とは一体、いかなる意味でございましょうや」


「これはしたり、右馬の佐殿ほどの方が“あはれ”の意味を解していないとな」


「いえ、以前にはその意味を解していたと思っていたのですが、今はそれが分からなくなってしまったのでございます」


「それはまた、難儀なことですな」


 そうと言われた右馬の佐は、以前は確かに理解していたはずの“あはれ”の意味を“虫愛ずる姫君”のことを知ってから、どうしても掴みかねていました。


「そこで、中納言殿にお願いがございます」


「何ですかな」


「“物語を包んでいる”とお噂されておられます中納言殿に“あはれ”な物語を語って頂きたいのでございます」


「“物語を包んでいる”中納言、“堤中納言”とは私の渾名ですな。宜しいでしょう御期待に添えるかは分かりかねますが、一つ昔読んだ本からお話ししてみましょう」



 昔物語などに、かようなことを聞いたりしますが、あり得ないと思われるほどに大変に珍しく、“あはれ”に浅からぬ御契(おんちぎ)りの見えし御事(おんこと)をつくづくと思い綴りますれば、既に早、長と年月の過ぎたるほどにも、“あはれ”に思い出されます。



 さる大納言の家に二人の姫君があられました。このお二方ともに、まことに物語に登場をいたしますれば、書き手から称賛を以て綴られる姫君たちにも劣らぬかの如き方々でございまして、御両親様庇護の下お二人ともにご成長をなされておられました。


 ところが、父上たる大納言様と母上様がうち続いて故人となられますと、姫君御姉妹ともに大変にに心細い思いをされながら、古くなったお邸で日々の暮らしを眺め過ごすことのみとなされておられます。


 しかしながら、頼りになる御乳母(おんめのと)役となる御方もおられず、ただ、常に仕えている侍従の君や、弁の君などの女房などと申します若い人々のみが侍っておりました。


 栄枯盛衰は世の常なれど、それまで親がかりであった姫君御姉妹はどうすることもできずに年が経るにつれ人影が疎らとなってゆくお邸に身を置きいよいよと先のことが覚束なく心細くなられておられました。


 そんな中でいわゆる上達部(上級貴族に)であられる右大将の御子(おほむこ)たる、とある少将にこの姫君たちのことが知られる所となりまして、幾度も姉君に粉をかけられましたが、このような色恋の道におかれましては、姉君には思いも及ばぬことなれば、お返事など送ることなどできかねます。


 ところが、少納言の君と申します色恋沙汰の話を好まれる軽率な若い女房が、姫君たちになんのお知らせもなく、少将をお二方のおられる部屋へと導いしまいました。


 もとより姉の姫君に御懸想をなされておられました少将は、姉の姫君をかき抱きまして、御帳(みちょう)うちへと入られました。


 この少将の呆れたると思しき行動たるや、全く以て何とも申しがたく、この先ににつましては皆様のご想像通りのことなれば、あえて書かずとさせていただきます。


 姉君は少将の想像していた以上の女性でございましたので、それを“あはれ”に思われ、姉君の許へと隠れてお通いになられるようになられました。


 この事が少将の父殿たる右大将のお耳に入られますと、


「家格に不相応たるべきことはあらねど、何故に、財産が不充分な心細き(ところ)へと通うのか?」と少将に詰問をなされました。以前にもお話しをいたしましたが、この時代では通い婚というのが通例でございまして、上級貴族の方々と申しますものは、その御子たちを自らの政略結婚の道具として使用しておられました御方も少なくございません。とは申しましても惚れてしまいまいました物は仕方がないなど御子の方々の言い分もございましょう。



 その様なわけで自らも政略結婚の駒の一つたることを思い知らされた少将はご自身の立場を自覚いたしますと、自然と姉君へ訪なうのを控え、思うに任せずその足も遠のかれてゆかれました。


 さて、姉君の心中いかばかりかと存じますが、暫しこそ思いを忍ばせておられましたが、さすがに心細き我が身を如何なすべきなりやと、これが我が身の宿縁かと、自らを思い慰めました。


 こうとなれば、始まりはどうとあれ、徐々に少将に想いなびかれていくお姿は、殊勝にして美しくもあられました。



 夜もすがら彼の人を想い、昼などに(おの)ずからと寝過ごしてしまわれる姿を拝見いたしますと、臈たけていながらもいじらしく、そのお姿を御覧になった者は皆、心の痛みを除いて差し上げたき心地様となったそうでございます。



 いやはや、恋は女性を美しくするなんぞと申しますが、私なんぞのような低俗な者からすれば、これはストックホルム症候群かの如き物かと下衆の勘繰りをしてしまいます。


 読書様の不興を買うことを承知の上で浅学をひけらかせていただきますと、“ストックホルム症候群”とは、誘拐事件や監禁事件の被害者が、長時間犯人と過ごすうちに犯人に対して過度な好意や連帯感を覚えてまう感情らしいです。



 姉君は何ごとも心憂く、人影もまれなるお住まいお邸で少将の御心も頼りになりがたく思われまして、「いつまでの関係はいつまでの御縁なのでしょう」との想いに耽りながら過ごしおりますした。

 四、五日ばかり少将の訪れがないことに思いを募らせておられますと、「思った通りのこととなったようです」と心細く御袖が涙に濡れて思い乱れたる様に、我ながら「いつの間にこのような感情を習ったのでしょう」と自らの嘆きを思い知らされたのでございます。



 人ごころ 秋のしるしの悲しきに かれ()くほどの けしきなりけり【 人の(あの人の)心が秋の(しるし)のように悲しく思われます、枯れて行くだけの景色のようです】


 姉君はそうと書き付けられますと「慕情の歌の手習いに慣れしまいました」などとうち嘆かれましてるうち、だんだんと夜が更けゆき、それでも健気も少将が訪れた時に応じられるようにと、少しの物思いのうたた寝のためにに御帳台の前に身をお臥せになられました。


 その後、何か思うところがございましたのか妹君も姉君とともに眠っておられますと、内裏より退いて参りました少将がその帰路と途上にて姫君たちのお邸をお訪ねお(とな)いまして、その門をお叩きになられました。


 これには、お邸の中の人々も驚きまして、妹君を起こしましてから自室へとお移しになされますおはと、すぐに少将が姉君のお部屋へと入って参られますと挨拶もそこそこに「父の大将の君から強引に誘われましたので、初瀬の長谷寺へ参詣へと参っていたのです」無沙汰の理由として自らに取って都合の良い嘘の弁明の言葉を並べられました。


 少将は、ふと先程、姉君が書き付けた御手習いの紙を目にいたしますと手に取りまして、それに


 ときはなる (のき)のしのぶを 知らずして かれゆく秋の けしきとぞ思ふ【常磐(ときわ)(常緑の木の葉)の軒の下で忍ぶ心を知らずに、私の心を枯れゆく秋(飽き)の景色のようにお思いなのでしょうか(私はあなたに飽きることなどありません)】。


 と書き添えてお見せになられますと、姉君は恥ずかしくなり、そのお顔を袖でお隠しになられました。そのお姿は美しくありながらも、可憐なものでございました。



「何だか、その姫君は、こうなんと申しますか他愛のない方のようでございますな」と、右馬の佐。


「そうかもしれませんな」と、堤中納言殿。

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