侍と女房
そんなこんなのうちに、しばらくの日数が経過をいたしました。
上達部(上級貴族)の御子、右馬の佐が住み給うお邸に仕えている色恋沙汰は好きなのでございますが、まだ定まった相手のいない年若い侍が、例の小舎人童に声をかけました。
「お前が通っているという邸というのは、どんな所だ? そこに何か良さげな女房などはおらぬか?」
「大納言様のお邸でございます。中には知っている女房がおりますが、そのお邸には大勢の若い女房衆がおりまして、その中でも兵衛の君、小大輔の君、左近の君、大輔の君などが容貌に優れていると聞いております」
「それならば、お前が通っている女の童に仲立ちをしてもらって文を送らせてくれぬか」と言って侍は、かねてから用意してあったと思われる手紙を取り出して小舎人童に渡しました。
「はい。それはよろしいのでございますが、一体誰に当てて文を送ればよろしいのですか?」
「誰でも良い。適当な女房に文が渡ればそれで良い」
「何だか不慥かで粗鬆な懸想でございますな。まるで右馬の佐様のようでございます」
これを聞くと侍は苦笑いをしながら「これ、仕える相手を引き合いに出して似ているなどと無礼だぞ」と言いました。
「ナニ、右馬の佐様の前なら、無礼も非礼もございませんよ」とこちらも苦笑いをして返します。
「まあ、それはそうだが、それを申すならお前だって似たような物ではないか」
「そう申されてしまうと二の句が継げられませんな」
「それで思い出したが、この件は右馬の佐様には、くれぐれにも内密にしておくように」
「それはまた、何故にでございますか?」
「右馬の佐様にこの事が知れたら、またいつもの様に面白半分で横槍を入れてきて、女人との仲がメチャクチャになってしまう」
「まあ、いつもの事ですが、あなた様も懲りませんな。それはあなた様の色好みが過ぎるからでございますよ。右馬の佐様は女人に対して誠の心を以て接していると見るや、何も言わないばかりか、私どもなどにも力添えまでいたしてくだされますよ」
「それは、わかってはいるのだが、我ながらこればかりはどうした物か」と言いながら、侍は苦虫を噛み潰したような顔をいたしました。
「それにしても右馬の佐様は何を考えているのか、よく分からない所がございますな」
「確かにその通りだが、それなのに時折こちらの心を掴むような鋭い事を言ったり、恐ろしく的を射た事を言うこともある」
「そうですな。それに何だかわからないような深遠な事を申しましたりいたしまして、私なんぞは時折、右馬の佐様は人の心の裡が見えるのではないか、などとあらぬ事を思う時があります」
「しかしながら、最近右馬の佐様の御様子が少しおかしいと思わぬか?」
「そうですな。確かあれはどこぞの姫君に貝を贈った頃からでございますかな」
「そうそう。その頃より右馬の佐様は時折一人で物思いに耽るようになったり、溜め息をついたりしておられる」
「一体何があったのやら」
二人ともに右馬の佐に恋慕の情があろうかと言うことに思いいたらぬのも、まあ普段の右馬の佐の言動によるものでございましょう。
「まあ良い。右馬の佐様のようなお心深い御方の考える事は我々などには図りかねる。それよりも、その文の方をよろしく頼むぞ」
「はい。承知をいたました」
そんな訳で、次に小舎人童は前述の手紙を携えて“虫愛ずる姫君”のお邸に赴いた際に、女の童に事情を話してからその手紙を手渡しました。
女の童も「奇妙な話ね」と言いながらも想い人の頼みとて断る事もできず、姫君の側近くに仕えている女房の一人に女の童は「しかじかの人から」と言ってから手紙を渡しました。
ここでまたもや、何の因縁奇縁か偶然か、手紙を手渡された女房は以前、右馬の佐がこの邸に姫君を垣間見に来た時に、右馬の佐への姫君からの返り文を代筆した女房でございます。
女房が手紙には柳の枝が付けてあり、書かれている文を読んでみると、なかなかの達筆ぶりで、
「したにのみ 思ひみだるる 青柳を かたよる風は ほのめかさずや」【これまで心の裡ばかり思い乱されてまいりました。一方向に吹よる(寄る、縒る)風によって青柳がかたよるように(私もあなたへの想いを固めました)、風はその事を仄めかしてはおりませんでしたか(仲立ちの者が私の想いを仄めかしていませんでしたか)】と書かれてあり、更に文末には「知らずはいかに【この私の真摯な想いを知らぬのなれば、如何にしたものか】と書き添えられておりました。
「知らずはいかに」と書かれましても、相手は誰でもいいからなんぞという条件で認められた文でございます。渡された女房の方が知っているはずがございません。
そこで、女房は笑いながらその手紙を周りの女房衆に見せますと、皆で笑い合いましたが、その中の一人が「焦らしてご返事をなさらないのは古風だそうです。今の習わしでは、むしろ最初の文にすぐに返り文を送るそうです」
と笑いながら、女房に返り文を書くように進めました。
そこで言われた女房は「ひとすぢに 思ひもよら(寄ら、縒ら)ぬ 青柳は 風につけつつ さぞみだれたる」【一方向から風が吹きかかり続けるとは思えない青柳は、風が吹く度にさぞ乱れることでしょう(一筋に私を思っていないあなたは、他にも伝手がある度事に、心を乱していることでしょう)】となかなか一筋縄では行かない文を書くと、その手紙をまた女の童、小舎人童の順で侍へと届けられました。
今様な達筆な字書かれた文は、才気が横溢するがままに書かれたもののようでございました。
侍がその手紙に心を奪われていた時に、背後から足音を殺して忍び足で近づき、不意に後ろから「隙あり」とばかりに、その手から素早く手紙を奪った者がございました。
侍は何事かと振り返ると、そこには、今侍から奪った手紙を持ちながら、悪戯っぽくありながらも邪気のない笑顔を顔に浮かべている右馬の佐が立っておりました。