小舎人童と女の童
そんな“虫愛ずる姫君”の住み給う、お邸のある一室で、先日加茂の祭りで知己を結んだ、お邸に奉公している女の童と他家に仕える小舎人童が通って来ていつもの様に話をしております。
小舎人童が「私がお仕えしている御方(右馬の佐)をどうにかして、このお邸の姫君(“虫愛ずる姫君”)に通わせることができないものかな」と申しました。
「どうして?」女の童が少し怪訝そうに尋ねます。
「そうなれば、私がお供としてこのお邸に来る口実ができるから、君ともっと会えるじゃないか」
「それはいいわね。でもあなたのお仕えしている方は定まった北の方様はいらっしゃらないの?」
「ああ」
「それならば、この大納言家の姫君に通うには相応しい御方ではないのではないかしら?」
「そんなことはない。私がお仕えしている御方は上達部の御子で、家柄、財力、官位、容姿など申し分なく、大納言家の婿に相応しいはずだ」
「そんな方なのに、なぜ定まった方がいらっしゃらないのでしょう。もしかしたら心ばえが難い方なのではないでのかしら?」
「いや、かの御方はとても心ばえが優しい方だよ。私などのような身分の低い者にも親しく接してくださる」と小舎人童は言った後で、小声で「少し変わってるけど」と付け足しました。
「え、何て言ったの?」
「いや、何でもない。聞こえなかったのならどうでもいいような些細なことだ。それよりも、こちらの姫君に通って来る御方はいるのかね?」
「いいえ、一人もいません」
「これ程の家の姫君なのに、それも少しおかしな話だ。容姿の方はどうなんだね? いくら高貴な家柄の姫君でも、その辺りに欠点があると二の足を踏む貴族様も多いだろう」
「とんでもない。こちらの姫君はとても美しくていらっしゃいます」と女の童は言った後で、小声で「お化粧をしさえすればね」と付け足しました。
「ん、何か言ったかい?」
「いえ、何でもないわ。こちらも聞こえなかったのならどうでもいいような些細なことよ。それに皆『色々な嫌な事や悲しいことや難しい事があって沈鬱な時でも、姫君の御前に参り、御顔を拝見すれば、心が慰められる』と言っているくらいよ」と言ってから女の童は心の中で「いや、嘘は言ってはいないわよね」などと呟きました。これは確かに誤解を与えかねないような表現でございますが、色々と実際その通りでございますからな。
「うむ。それ程の姫君ならますます不思議なことだ。それにしても君は女の童という身分で、姫君の御前に参ることがあるのかい?」
「ええ、こちらの姫君は身分などは、あまり気にしないのよ」
「へえ、それなら私が仕えているお邸の御方も同じようなものだ」
「それに、姫君はよく庭に御出になられますのでお顔を見ることもよくあるのよ」
「よく庭に出る? こんなお邸に住む高貴な姫君がそんなによく庭に出ることなんてあるのかい?」
この質問に女の童は一瞬「しまった」といったように言葉を詰まらせました。
「ええ、こちらの姫君は自然の中に身を置くのが好きなのよ」
「なるほど。つまり花や蝶などの“みめをかしき”物が好きなのか、風雅な御方のようだ」
「ええ……、まあ……」と少し口ごもりながら、この時も女の童は心の中で「嘘は言っていない」と思っておりましたが、軽い罪悪感を感じてしまいました。それと申しますのも姫君の庭での行動は風雅と言うより風変わりなものでしたので無理はございません。とは言え流石に大納言の姫君が花の根本の地面を注視して、蝶よりもその幼虫の毛虫を愛ずるなどと口が裂けても言えようはずがございません。
「それでは心ばえの方はどうなんだい? 難しいところでもあるのではないかな?」
「……確かに、少しばかり難しい所がありますが、姫君はとてもお優しい御方よ。ただ姫君のような気深い(気深い、思慮深い)御方の御心は私などには計りかねるけど」
「それならば、なおのこと益々以て不思議なことだ、本当にこちらの姫君に懸想する御方や通われる御方がいないとは。どうにかして私の君をこちらの姫君に通わせ術はないものか」
「また、その話を仰るのね。そこまでして私の許に通いたいの?」
「ああ、正直に言えばその通りだ。思うように君に逢えなくなれば、君は私を情の薄い男だと思うだろうし、私も君がどのようにしているかと思うと不安で気持ちが千千に乱れそうだ」
小舎人童がそこまで言い終えると、二人はしばらく無言で見つめ合い、「どうしたものかと」互いに溜め息をつきました。
何だか、話の成り行きが妙な所へ流れて参りました。