祭り
本作品は古典文学作品『ほどほどの懸想』の翻案小説です。
毎度、馬鹿馬鹿しい、お噺を一席。
古い歌に「声はせで 身をのみ焦がす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ【〈鳴く虫 (あなた)は熱心に思いを伝えますが、〉鳴かずにその身を焦がす蛍(私)の方が言葉にできずないほどに強い思い(思火)に燃えています】」というものがございますが、都々逸の方にも「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」という物がございます。
虫の求愛行動は種々様々でして、蝉の求愛行動は鳴くことですが、蛍が光るのは求愛行動ではないそうでございます。
虫と人間を較べてしまいますと、皆々様方には大変失礼な話でございますが、人間の求愛方法は当然虫なんぞよりも複雑でございまして、正に天と虫が這う地ほどに差がございます。
文明が発生して以来、およそ昔日の時代の御方と申しました方々は、常に何らかの身分や階級に属しておりまして、この身分や階級などが高ければ高いほどに、更に高い地位を得るための人脈を築くための政略結婚や、それに付随せる財産の損得勘定などの思惑も絡んで求愛方法も複雑化していきます。またこのために過去に盈盈一水の身となった御方様方が多くいられたのは想像に難くないかと存じます。
今回これからいたしますのは、そんな身分や階級の違いによって異なりを現す六人の男女の恋模様のお話でございます。
今は昔、空より心地好い陽光が降り注ぐ春のある日のこと。
卯月(旧暦の四月)。加茂の祭りは葵祭りとも呼ばれておりましたが、その祭りが催されている頃のことでございます。このような時には見る物凡てが、麗しく見えるようでございまして、普段はあやしき印象を与えるかのごとき小家の半蔀までもが葵を飾り付けて心地好さげに見えたようでございます。
正に「四月、祭りのころ、いとをかしき」といった様子でございました。
祭りには清らかな衵と袴を身に付けた女の童たちが、物忌みの札を身に付け、━━いや、この場合の物忌みの札は物騒な意味ではございません。これは祭りという神事に参加することに対して、不浄を避けるための物でございます。これは現代でも通じることでございますが、この手の義務付けられた私的な道具などはうら若い女性の手にかかれば、アクセサリーと化してしまいますことが多々ございます。この時の女の童たちも自らの信心と装いを両立させるために、これらをそのように扱っていたのかもしれません。
勿論その上、女の童たちは自らに化粧を施してまして、皆自らを他に劣らぬとばかりに、しのぎ合うかのごとき振る舞いをしながら、行き来する様は可愛らしくございました。
となると、それを放って置かないのが若い殿方たちでございまして、小舎人童、随身たちそれぞれが自らに見合った身分や年齢と思われる女の童たちに、心惹かれることは、いた仕方無き事かと存じます。
殿方それぞれが、心惹かれた女の童たちに声をかけ、話をするものの、その中のいかほどかの男女を除いた者たちが仲が成就すまいと思われた所、何の因縁奇縁か偶然か、薄紫色の衵を着ていて、髪の毛は背丈ほどあり、顔つき姿かたちが可愛らしい女の童がおりました。実はこの女の童、按察使の大納言様の姫君━━洛中に悪名高い“虫愛ずる姫君”のお邸に奉公をしておりました。
その女の童に引き付けられたのが、本作品中何度か登場している右馬の佐の邸に仕える小舎人童でございました。
以前にも申しましたように、この右馬の佐というのは役職名でございまして、初登場した時より順調に出世を遂げて今は以前より高い官位あるのですが、無用な混乱を避けるために、今回も右馬の佐で通させていただきます。
この右馬の佐、家柄、財力、官位、容姿、頭脳、能力凡てに於いて申し分のないどころか、特にその容姿と頭脳は他に優れたるところでございますが、性格に少し変わった所がございまして、何だかこのうららかな祭りの日の陽気さを思わせるような春風駘蕩とでも言った様な所がございます。
さて、主従と言う物がどれほど似る者なのかは、外に論を待たねばなりませんが、従者が主人を慕っていれば、多かれ少なかれ自ずとその影響は自らに反映されるのかもしれません。
小舎人童は、ふさやかに実の生った梅の枝を手に取りますと、それに葵を飾り付けてから、女の童に手渡そうとしながら、右馬の佐よろしく調子の良い感じで
「梅が枝に ふかくぞたのむ おしなべて かざす葵の ねも見てしがね」【この梅の枝(縁)に私の想いを深く託します(《祭りの日なので》神様にも御縁を深く頼みます)、《葵祭りなので》皆がかざしている葵(のように美しいあなた)の根(心根、心の裡)も(〈〈葵〉逢ふ日に)見てみたいものです(寝〈根〉てみたいものです】と申しました。いや何ともはや直裁的な歌でございますが、このような歌には掛詞や更に祭りの日だということに合わせて縁詞まで使っておりますので、小舎人童は何とか許容の範囲内だと考えたのかもしれません。それほどに浮かれていたのでございましょう。
これに対して“虫愛ずる姫君”の邸に奉公をしております女の童は、頭脳明晰で“控えめに申しましてほんの少しばかりお気の強い“虫愛ずる姫君”よろしく即座に反応をして、小舎人童が詠み終えるなり、それに答えて、
「しめのなかの 葵にかかるゆふかづら くれねどながき ものと知らなむ」【しめの中(加茂神社の境内〈しめ縄の中〉)の葵にかかっている木綿鬘(葛)(神事に使われる木綿で作られた髪飾り〈かつらを蔓草に掛けている〉)を繰ろうとしても(“来”ると期待しても)(〈“ね”ど〉寝ようとしても)〈蔓草の根が深いように〉長くかかると思ってください(そんなに簡単には寝ませんと知ってください)】と申しました。
このそっけなく、突き放すような言葉を聞いた小舎人童は、主人の右馬の佐がどこぞの高家の姫君から、妙な手紙を返されたということを何となく思い出しましてから、苦笑いをすると「全く小癪にさわることを言う」と申しましてから、笏で女の童を軽く叩きました。
すると今度は女の童が、仕えている邸の“虫愛ずる姫君”がどこぞの上達部(上級貴族)の御子より恋文と共に蛇の玩具を送られたというイタズラの話を何となく思い出しましてから「笏で叩くような所が癪に触るのよ」と言い返しました。
その後しばらくお互いに見つめ合いをしていますと、どちらともなく二人ともに笑い出しますと、互いが互いを気に入りまして、その後逢瀬を重ねて親しく語り合う仲とあいなりました。正に晴天の霹靂が産んだかの如き関係でございます。
全く今更ながらに男女の仲とは複雑怪奇なシロモノでございますな。