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異説 虫めづる姫君  作者: 猫車るんるん
異説 虫めづる姫君(全12回)
2/41

その二

 余談ではございますが、一説によりますと、かつて栄華を誇った古代ローマ帝国の文明の絶頂期における貴族様方は、連日繰り広げられる贅の限りを尽くした宴の卓に並べられた料理によって、皆一様に肥満していたそうでございます。


 言うまでもないことではございますが、極度に肥満した体と申しますものは、直接的な肉体労働に従事するには不向きなものでございます。


 しかしながらこれは、肉体を駆使する労働などは奴隷たちが済ませてくれるので、自分は体など使う必要がないのだ、ということを周囲の者達に誇示するための道具でもあったわけでございます。


 「食べるために吐き、吐くためにまた食べる」とは、御自身もまた堂々たる体躯を誇った当時の哲人の弁でございますが、その料理と申しますものも、孔雀の肉や紅鶴の舌、珍魚の内臓(はらわた)など、それらの料理を一枚の皿に盛るために費やされる費用によって、幾人かの奴隷の生命を(あがな)えるほどのものであったそうでございます。


 実際に当時、宴の卓に珍魚として名高く、同時に高価なことで知られたムルルスという魚((ぼら)の一種)を乗せるために、所有していた奴隷を売却された御方もあられました(よし)


 その宴席に招かれた客人の中にあって、物の道理を弁えられた、とある御方は卓上のムルルスを見るなり慨嘆をいたしまして、「これは魚ではない、おい馬鹿者め、魚ではないぞ。人間だ。君が貪り食うのは人間だぞ」と、仰せになられたそうでございます。


 そのようにして宴の卓に並んだ世界中の珍味の数々を空腹を満たすためではなく、ただ美食を味わい、また吐き出すためだけに消費していたというのですから、開いた口がふさがりません。


 およそ昔日(せきじつ)の時代において、“貴族”と名のつきます方々は皆多かれ少なかれ、これと似たような行いをしているものでございますが、こういった方々にとりましてのこれらの行為はいわば“貴族の(たしな)みとしての破戒”とでも申すべきものでございまして、そのステータスシンボルとしての肥満した肉体であったというわけでございます。


 おおまかに申しますれば、平安時代の貴族の女性の(ゆる)やかな所作や白い肌と申しますものも、これに属するわけでございます。


 しかるに、この姫君は化粧をしないだけならまだしも、暇さえあれば周りに召し使っている()(わらわ)達と一緒になって虫を求めて庭を歩きまわっているものでございますから、動きも(ゆる)やかな所作なんてしようはずもなく、肌までもが日に焼けてしまっている始末です。


 浅黒く日に焼けた顔から白い歯を覗かせて微笑み、朝な夕なと虫どもを可愛がる姿などは、当時といたしましては、ありえないほどにグロテスクなお姿でございました。


 事実、同時代のいかなる物語を(ひもと)いてみましても、この姫君の如きお姿をしておられた御方は、唯一の例外を除いて他に見当たりません。


 そんな姫君のいるお邸に奉公しております女房が、虫を怖がって逃げ出そうとしようものなら姫君は途端に怒り出して、「柳眉(りゅうび)を逆立てる」というには太すぎる眉毛を吊り上げながら、「けしからず、凡俗なり」などと言って睨みつけますものですから、言われた女房の方でも一体どうして良いものやら困り果ててしまいます。


実のことを申しますと、何も姫君は先に述べましたような自説を奉じるが故に、このような奇妙な姿をしているわけではございません。


 この姫君は単純に自らを世間一般の姫君と同様に装う必要を感じておらず、またそうすべき合理的な理由が見つからないという、むしろ姫君の奇妙な言動は全て御自身の必要によって生じたものなのでございます。


 古今東西貴賤を問わず、若い女性が自らの身を美しく飾り立てる理由なんていうものは、他者からの視線──(こと)に若い男性からの視線──を意識してのことと相場が決まっております。


 ところが、この姫君は世間一般の同年代の貴族の姫君達が興味を感じるであろうことに対して、全く興味が沸かないのでございます。


 それは同年代の女性が最も関心を寄せるであろう男性からの評価に対しましても御同様でございまして、それどころか、どうやらこの姫君は、御自分が女性であるという自覚も希薄なようなのでございます。


 勿論、自らの肉体が生物学的見地から見て、女性に属するなどということは重々承知をしてはいるのでございますが、その事実が御自身にとって、どの程度重要なことであるのかということが、今一つピンときていないご様子です。


 それでは、一体何に興味を惹かれるのかと申しますと、今更ながら言わずもがなのことではございますが、“虫”でございます。


 この姫君の思考の大部分は、ただ虫に対する興味と、それを愛ずることによって占められていると言っても過言ではなく、またそれが故に他の婦女子のように自らの容色になど思い(わずら)うこともございません。


 この姫君は生まれてこのかた自らを美女だなどと思ったことはなく、また同時に自らを醜女(しこめ)であるとも思ったこともない──要するに自らの容姿と、それに付随する他者からの評価になどはハナから興味がないのでございます。


 何しろ、姫君にとりましては、自らを取り巻く人間達などよりも自然の中に生息する虫どもの方が遥かに興味を惹かれる対象なのですから、(おの)ずと自らに対する他者からの評価にも関心が薄らいでゆきます。


 “裳着(もぎ)”と申しますのは、現代で申しますところの女性の成人式のことでございますが、通常、貴族の姫君は皆一二歳から一四歳頃にこの裳着を済ましますと、先程申しましたような一人前の女性の装いをして、男性からの求婚を待つ身となるわけでございます。


 ところが、この姫君ときたら既に裳着も済ませていながら相も変らず子供のようなお姿で、人の眼も憚ることなく()(わらわ)達と一緒になって庭を歩き回り、虫を見つけては歓声を上げているという有り様です。


 そんな姫君のお姿を見るにつけ、嘆息せざるを得ないのは何も、お邸に奉公しております女房衆ばかりではございません。


 姫君の御両親たる大納言様御夫妻にしてからが、この姫君をやや持て余し、「全く、風変わりで困ったものだ」と思っておられました

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