虫合わせ4
文字通りの“お姫様育ち”のおっとりとしたところのある北の方(母君)様は、いつもならば先に述べましたような“虫愛ずる姫君”が宣う硬い手応えの反論に引き下がるところではございますが、今回ばかりは事が事だけに引き下がるわけにもいかずに、困った顔をしながらも「そうは申しても──」と言いかけたのでございますが、そこに丁度部屋に入ってきた童が「お隣の姫君がお出でになりました。その貝をお隠しください」と申し上げました。
それを聞くと、部屋にいた北の方様や女房衆や童達は貝の入っている籠箱を持って急いで別室へと去って行きました。
右馬の佐が、北の方様方と入れ違いに部屋に入って来た洛中に美女と名高い“蝶愛ずる姫君”を見てみますと、“蝶愛ずる姫君”は高家(上級貴族)の姫君とはかくあるべし、とでもいったような上級貴族女性としての、ある種の完全さを備えているように見受けられました。
右馬の佐は、“虫愛ずる姫君”と“蝶愛ずる姫君”の噂を思い起こしまして、“蝶愛ずる姫君”は“虫愛ずる姫君”よりも一つか二つ歳上であるということを思い出しましたが、“虫愛ずる姫君”が実年齢よりも幼さを感じさせるのに対して、“蝶愛ずる姫君”はその所作に実年齢以上の優美な落ち着きを漂わせておりまして、実際の年齢以上に二人の年齢が隔絶しているような印象を与えておりました。
その美貌には、右馬の佐も感嘆して、「成程、あれほどまでに美しい姫君であれば、世の貴族達が色めき立つのも無理からぬことだ」と自身もまた上達部(上級貴族)の貴公子でありながら、どこか他人事のような感想をこぼしました。
“蝶愛ずる姫君”は“虫愛ずる姫君”と御対面をいたしまして、部屋の中を見回してから、悪戯っぽく微笑みますと、「そちらの女房が譲り受けてきたという貝が見えないようですね。『あらかじめ、他所に貝を求めるのはやめておきましょう』などと言って油断させるものですから、私もすっかり騙されてしまって、こちらの方では露ほども集めずにいたかと思うと悔しくてなりません。よろしければ少しでも目ぼしい貝を分けてはくださいませんか」と申しました。
その口調は、言葉の内容とは裏腹に、まるで姉が仲の良い妹を相手にして軽口を叩くかのような優しい語韻を含んでおりました。
事実、この二人は多くの面で全く対照的な性格でありながら──あるいは、それ故に── 幼い頃より不思議と気が合います。普段から互いの家を行き来しましては、姉妹のような付き合いをしておられました。
ところが、先日何かの折りに“蝶愛ずる姫君”が“虫愛ずる姫君”に貝合わせを催すことを提案し、“虫愛ずる姫君”もそれを了承したのでございますが、その時には“蝶愛ずる姫君”もまさかこのように話が大きくなるとは努思ってはおりませんでした。
何しろ“蝶愛ずる姫君”も“虫愛ずる姫君”と同様に結婚適齢期の高家の姫君でございますから、“蝶愛ずる姫君”の家でも、これは娘の評判を喧伝する良い機会だと思い、これ幸いと貝を取り集めたりなどしておりました。
“蝶愛ずる姫君”の方はこの状況を、何事であれ大事にしてしまうのが上級貴族の習いと受け入れましたが、もう一方の“虫愛ずる姫君”の様子が気になって仕方がございません。
伝え聞くところでは、“虫愛ずる姫君”は自分と交わした社交辞令のような口約束を理由にして、一切の貝集めを拒んでいるとのことでございました。
もしも自分が言い出した貝合わせによって常日頃より妹のように思っている“虫愛ずる姫君”が窮地に陥りはせぬかと心配で気が気ではございませんでした。
そこへ、貝合わせの直前になって“虫愛ずる姫君”の母君が姫君に代わって貝を集めているということを漏れ聞いて胸を撫で下ろしますと、明日の挨拶方々様子を窺いに“虫愛ずる姫君”のお邸を訪れたのでございますが、安心したあまり、先のような軽口がつい、口をついて出たのでございます。
ところが、“虫愛ずる姫君”は“蝶愛ずる姫君”が先ほど述べたお言葉を聞きますと、いかにもしおらしい口調で、「そのようなお噂がお耳に入っているとは大変に申し訳なく思います。私も、そちら様とのお約束を違えるつもりは毛頭ございませんが、私を案じるがあまり母が他家より貝を取り寄せたのでございます。私はもとより明日の貝合わせには、それらの貝は一切用るつもりはございませんので、どうか御容赦の程をお願い申し上げます」と仰りました。
その上、“虫愛ずる姫君”は明日の貝合わせの場に化粧もせずに出座するつもりだということも仰いました。
この御返答を聞いた“蝶愛ずる姫君”の驚くまいことか、慌てて“虫愛ずる姫君”に自分と交わしたあのような儀礼的な約束などは、挨拶のようなものであり、このような場合には守るに足らないものであると御説明をいたしました。
しかし、“虫愛ずる姫君”はこのお言葉を聞きながらも「それがいかなるものであれ、一度、約した以上は、その約束を墨守すべきであるかと存じます」などと仰って、決して聞き入れようとはいたしません。
“蝶愛ずる姫君”は、それでもしばらくの間、宥めつすかしつするように口を極きわめて“虫愛ずる姫君”に取り寄せた貝を、貝合わせに用い、それが叶わないとなれば、せめて貝合わせの場には化粧をして臨席するように説いたのでこざいますが、“虫愛ずる姫君”は頑としてそれらのお言葉を聞き入れようとはいたしませんでした。
そのいつもにも似ぬ頑迷固陋とも言えるが如き態度には“蝶愛ずる姫君”もとうとう諦めざるを得ず、明日行われる貝合わせの場において、“虫愛ずる姫君”に対して浴びせられるであろう満座からの嘲笑の声を思い、「貝合わせを催そうなどと、何とも余計なことを言い出してしまったものです。こんなことになるとは思いませんでした。我が家の方では大がかりに貝を取り集めていましたというのに」と嘆きながら自邸へとお帰りなってしまいました。
さて、今までのこの様子を隠れて見ていた右馬の佐も「どうにかして“虫愛ずる姫君”を助けてあげたいものだ」と思っておりましたが、どうすることもできずに、困ってしまいました。