その十二
一方、今まで庭にいた男の童達も邸内に呼び入れられて、閑散としている庭に取り残されました右馬の佐と中将は、「返事があるはずだ」と姫君からのお返事の手紙を待っておりましたが、待てど暮らせどそんな気配がありません。
そのころ邸内では二人のことなどすっかり忘れて例によって、皆でわいのわいのと姫君について「心配だわ」などと言い合っておりましたが、しばらくしてから気の利いた女房が外で返事を待っているであろう二人の公達のことを思い出しますと、 「お返事を待たせたままでは、さすがにお気の毒だわ」と思いまして姫君の方を窺いますと、相変わらず身じろぎもせずに他には何も目に入らぬ御様子で、一心に蝶の蛹を見つめておられます。
仕方がないので自らが代筆をいたしました、「人に似ぬ 心のうちは かは虫の 名をとひてこそ 言はまほしけれ【世の人に似ぬ私の心の裡は、毛虫の名を尋ねるように、あなたのお名前をお聞きした上で申し上げたく存じます。(あなたは、私に求婚するつもりがお有りなのでしょうか? もしもお有りなのでしたら、まずは、お名前をお教えください。話はそれからです。)】」と書かれた紙を右馬の佐に手渡しました。
その文を見た右馬の佐は口元に微かな笑みを浮かべますと「かは虫に まぎるるまゆの 毛の末に あたるばかりの 人はなきかな【毛虫に見間違えるようなあなたの眉毛の、その毛先ほどにも、あなたに見合う御方はいないでしょう。(毛虫のようなあなたに求婚する御方は、どこにもいないでしょう〈私も排辞させていただきます〉)。】」
と、口頭で女房に答えましてから、踵を返して中将とともに家路へとつきました。
その道中、右馬の佐の脳裡には先程見た“虫愛ずる姫君”の残影が去ることはなく、姫君のことを思い出す度に何とも言えないような“つぶつぶ”とした感情が生じるのを感じておりました。
もしも、あの幼い姿の姫君が美しい蝶のような姿になった時には──と、そこまで考えますと、右馬の佐は不意に虫と戯れながら白い歯を見せて笑う“虫愛ずる姫君”の姿を思い出しまして、思わず混み上がって来る感情の命ずるがままに笑いながら帰って行きました。
さて、物語中幾度となく毛虫に例えられましたる“虫愛ずる姫君”。
果たしてこの後いかなることと相成りますやら、姫君自身が宣うが如く「これがならむさまをみむ」と、見届けたいところではございますが、まずはこれまでとさせていただきます。
続きは次巻のお楽しみ、『堤中納言物語』より『虫愛ずる姫君 一の巻』でございます。
「鳴く声も きこえぬ虫の 思ひだに 人の消つには 消ゆるものかは【鳴く声も聞こえない虫(蛍)の火(光)は、まるで私の思いのようだ。人が消そうとしても消えることはありません。】」
お後がよろしいようで。
二の巻にあるべし。
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注四 二の巻きに~ 『虫めづる姫君』物語の原文に倣い、末尾に配した。「次巻に続く」と訳すべきか。
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参考資料『虫めづる姫君 二の巻き』 作者不詳
『異説 虫愛ずる姫君』を読んでいただき、ありがとうございます。
原作では、この部分で終わっているため、本作もひとまずここで第一部終了とさせていただきます。
続編の構想はできあがっているので、もしかしたらコッソリ続きを書くかもしれませんが、それがいつになるかは、わかりません。もしかしたら明日書くかもしれないです。
それでも、とりあえずは重ねて本作を読んでいただき、ありがとうございました。