天使
うす緑色の病衣を着た俺は、保護された部屋の俺と身長が同じぐらいの鏡の前で泣き崩れていた。嫌なことがあったわけではなく、むしろ今の時点では最高に嬉しいことがあった。泣き崩れるぐらいに。
「どこだ? 凛子。どこにいるんだ? 姿を見せてくれよ!!」
(うふふ、どこにいるでしょうか?)
楽しそうな声が返ってくる。
しかし、返ってくる声は直接俺の中に話しかけているようだった。まさに、俺の中に居るように。
「おい、お前俺の中に居るのか?」
そうだ。おかしいと思っていた。
この、頭に直接響く声、思っただけで凛子に伝わる俺の言葉。そしてさっき見た夢。
あの夢の中でグチャグチャにされた凛子は俺に力を与えると言った。そして、何らかの原因で意識体? みたいな物になり、俺に憑依して力を与えているのだろう。
返ってきた答えは予想通りだった。
(うん、正解だよ。私は徠翔君の中にいる。正確に言えば右手の中にね。)
俺は思わず右手を見てしまう。
「この右手に浮き出た変な模様もそのせいなのか?」
(そうだよ。今の君の右手には強大な力が宿っている。ドアなんてちょっと触れただけで吹っ飛ぶし、人に触れたら大惨事。)
まぁ大変、とか全然大変そうじゃない様に言う凛子。
「それなら殺人種もボッコボコに出来るんじゃないのか?」
(うん、簡単に殺せるね。でも、そのままにしていたら普段の生活にも支障が出るでしょ?)
まぁそうだ。俺は右利きなのでとても不便になる。
(あれ? なんで触れただけで吹っ飛ぶくらいの威力が右手に封じ込められているのに、眠っていたあいだは大丈夫だったのだろうか?)
そんなことを考えていると、俺の思考を読んだのか凛子から答えになって返ってきた。
(それはね、徠翔君が寝てるあいだは無意識だったから大丈夫なのよ。意識がないと力は封印されているみたいね。だけど、私は徠翔君が目覚める3ヶ月ほど前に目を覚ましていたけど。)
「俺より先に目が覚めてたのか。・・・もしかして俺以外とも話が出来るのか?」
(いや、徠翔君以外には無理だよ。今は君の体の中に居るから話しかけられるだけであって。)
「そうなのか。」
(そうか、それなら梓真陽人は俺の右腕と右目のことを知らないのか?)
するといきなり緊張したような凛子の声が頭に響いてきた。
(梓真陽人の事なんだけど、あの人はとても危険・・・だと思う。)
「どうしてだ?」
(あの人は、あちらから私に向かって話しかけてきた。)
「は?」
(私が存在しているのかも分からないはずなのに話しかけてきた。)
「な、なんと言っていた?」
(『これからよろしくね』って。それでニヤーっと笑って部屋から出ていった。)
なんか陽人っぽいな…
でも、何で凛子のことを分かっているんだ? 確かに危険な匂いがする。まぁ、俺もアイツとは会ったばっかりで名前以外全然知らないけどな。
(明日から早速訓練が始まるんでしょ? なら、早く寝ないと。)
「そうだな。」
そうだった。明日からは訓練が始まるんだった。
明日の為にも体調は整えとかないとな。
「おやすみ、凛子。」
(うん。おやすみ、徠翔君。)
俺は右腕をベッドから出し、どこにも触れないように固定して深い眠りに落ちてゆく。
***
次の朝梓真陽人が俺の部屋に起こしに来た。
「おっはよー、徠翔君朝だよー。天使のモーニングコールですよー。」
ミーティングは10時からだったはずだが、まだ眠たい7時に起こしにきやがった。
「何が天使のモーニングコールだ。集合時間までまだ余裕があるだろ。まだ俺は眠いんだよ。・・・てことでお休み。」
「うん、寝させないよ。」
次の瞬間。有り得ないことが起こった。
陽人は一瞬の間に部屋の入口からベッドが置いてある部屋の一番奥の所まで距離を詰めていた。
「は?」
何が起こったか理解出来ず為されるがまま右手に当たらないように服をぬがされ、黒色の軍服をきさせられた。
「・・・よし、これでいいだろう。」
陽人は俺の服を強制的に着替えさせると満足そうに頷き、
「じゃあねー。・・・あ、ミーティング忘れないでねー。」
と言い残し出ていった。
・・・残像が残るぐらいの速さで。
「・・・何なんだよ一体。」
唖然として陽人を見送ることしか出来ない俺に、今さっき起きたばかりというような声で凛子が話しかけてきた。
(ふゎゎゎ。・・・徠翔君早いね。)
「ちげーよ、陽人が起こしに来たんだよ。意味もなく。」
「そうですか、とんだ災難でしたね。」
「・・・本当に災難だったよ。」
その後俺は陽人のせいで目を覚ましてしまい二度寝することも出来ず、凛子と話をしながら30分。
(・・・でね、ほんとにあの時はビックリしたんだから。)
コンコン
「ん?」
誰か来たようだ。
どうぞーとドアの向こう側に居るであろう人に声をかけると、食事を持ったメイド風の衣装を纏った同い年ぐらいの女性が入ってくる。
「お、おはようございます、ご主人さま。御朝食をお持ちいたしました。」
この施設はメイドさんが食事を運んでくれるのか、とちょっと昔、まだ殺人種が現れていないころに憧れていた光景に感動を覚える俺。
「・・・うぉぉぉぉ… め、メイドさん。殺人種の出現と共に絶滅していたと思っていたのに…」
暑い眼差しでメイドちゃんを見つめる俺。その恥ずかしさからか、真っ赤に顔を染めて俯くメイドちゃん。うぉぉぉぉ!! 超かわええ!!
(はいはい、メイドちゃんが困ってるからジロジロ見るのやめてあげなさい。)
凛子の言葉を聞いてあまりもの光景に目を奪われてしまっていた俺は我に返った。
「ご、ごめん。」
そう謝って視線を外すと赤くなっていた顔を俺の方に向けてくるメイドちゃん。
しかしその顔の額には青い縦筋が数本伸びているように見える。
「このやろぉ… 陽人大佐ぁ、後で頭から切りつけて真っ二つにして死体から身元が分からなくなるまでグチャグチャにしてやる…」
可愛い顔してとても怖いことを言ってくるメイドちゃん。
陽人は確実にミーティングには出れないな、良い旅立ちを。
「・・・あの、すいません。」
やっと俺が話しかけて現実に引き戻されたメイドちゃん。
「あ、すいません。私は篠塚サラ、陽人班の一員です。階級は中尉で、使用武器は第一要塞聖剣序列第4位、『慈愛深キ聖母』です。」
(使用武器? 聖剣序列? また初めて聞くものが出てきたぞ。まぁ、後で聞いてみるか。)
「俺は上本徠翔、宜しくな。」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。徠翔さん、凛子さん」
「ッッッ!」
俺は背筋が凍った思いをした。コイツは名前まで言い当てた。
「・・・お、おい、なんでわかっ」
「あ、すいません。もう行かなくちゃならないんで。またミーティングで会いましょう。」
サラは無理矢理俺の話を遮って部屋を出ていく。陽人班の奴らは危険なヤツばっかだ。
***
俺はサラに運んでもらった朝食を食べ終え、ミーティングをするために『天使融合研究室』というところに入った。中には色んな機材や人が入れる位の水槽みたいなのや血圧測定機みたいなのもあった。
集められたのは男子4人女子3人の7人でみんな俺と同じような痣を持っている。皆はコの字型に席についていて、コの字の左側の方に陽人が立っていた。
こいつらにも俺と同じように中に誰か居るのかとか思ってしまうのは仕方ないだろう。
凛子は今は静かにしているようだ。
「うん、みんな集まったね。もう分かっていると思うけど一応、僕の名前は梓真陽人。陽人班の班長を務めている。いきなりだけどこれから君達は陽人班に入り殺人種殲滅に向けて全力を注いでもらいたい。なにか質問は?」
陽人は集まった7人の顔を見回す。
「ひとついい?」
腰ほどまである長い金髪を頭の左右に結んだ少女が手を挙げた。
「何かな?」
「殺人種殲滅とか言ってたけど武器とか何かあるの?」
確かに、武器も無く殺人種殲滅とか本末転倒だ。
「それは君達の中に居るものを利用させてもらう。」
「何?」
思わず聞き返してしまう。
「利用するって何をするんだ? 凛子を痛めつけたりするなら俺は降りるぞ。」
「あははは、そんな事はしないって。」
軽く笑う陽人。
俺にとっては大事なことだ。凛子を痛めつける奴は許さない。
(きゃー、徠翔君優しいー)
茶化して来る凛子。
黙っとれい。
「そんな睨まないで、今から説明するから。」
そう言ってさっきこの部屋に入ってくる時に見かけた血圧測定機みたいなのもの前に陽人は移動する。
「まず、この装置に君達の『天使』が宿っている部分を入れます。」
『天使』?
凛子の事でいいのか?
「その後スイッチを入れます。そしたらこちらにある宝石に中の『天使』が移動します。それで君達に宿っている天使の名前が分かるし、武器にもなる。Do you understand?」
流暢な英語でカッコつける陽人。
凛子が移動するてことは力も宝石に移動することなのか?
(多分そうなるわね。そしたらこうした意思疎通が出来なくなるけど。)
そうだ、これから凛子とは話せなくなるのかもしれない。
「あぁ、安心して。『天使』が移動しても話すことは出来るから。」
一安心。
「それじゃやってみようか。」
俺は装置に右腕を突っ込んだ。