侑花とリシアと部屋の中で
その日は、日曜日だった。
「寒いっ!」
侑花は、叫びながら、布団を蹴り飛ばして跳ね起きた。
「何でこんなに寒いのよ!」
朝から大騒ぎな侑花だった。
……んー。何よこんな早くから……
「寒いのよ!」
んじゃ、なんで布団から出てるの?
「寒いのよー」
侑花はパジャマのまま、腰をくねらせた。
「手っ取り早く部屋暖めてよー」
……はいはい。じゃ、体貸して。
「ほれ」
侑花の茶褐色の瞳が、すぅっと蒼く染まる。瞳孔が縦に伸び、薄い輝きを帯びた。
侑花が纏っていた雰囲気が、変わった。
「わぁ! 何この寒さ!」
だから寒いって言ったでしょ!
「寒すぎだってば。ええい仕方ない!」
侑花=リシアは、右手を前に突き出した。
ぼう。
唐突に、何もない空間に炎が出現した。
「やー、暖かいー」
満面の笑みで炎に手をかざすリシア。
おいこら! 家の中で火を燃すな!
「えー。暖かいよー」
火事になったらどうすんのよ!
「ならないように気をつけるから」
気をつけてもなる時はなるの! 今すぐその火を消しなさい!
「じゃ、どうやってこの部屋暖めるの? 火はダメなの?」
何かあるでしょう? 部屋の温度だけ上げる魔法。
「そんなエアコンみたいな便利な魔法はないよ」
……リシアが使えないだけなんじゃないの?
「あ! 今失礼な事言った!」
いやいや。失敬って言うか……よもや、八百年以上を生きる魔女のリシアが、たかだか六畳の部屋を暖める魔法を知らない、なんて事はないよねー?
「む……」
今の室温、そーねー、二十度くらいまで上げて貰うと快適なんだけどなー。
「む、むー。……火を使わず、温度だけ上げる。しかも二十度。何かないかな……」
寒々とした部屋の真ん中で、腕組みするリシアだった。
「お!」
お! 何か思いついた?
「……とっておきの魔法があったよ」
リシアはにんまりと嗤った。
「刮目せよ」
はいはい!
「では!」
はいはい!
「……星を統べるモノよ、我が意に応えよ」
リシアは呟くように何事かを唱え、両手を天井に突き上げた。
途端。
むわっとする湿気を帯びた空気が、部屋を満たした。
「はい、完了っと」
そう言ってリシアは、侑花に体を返した。目が茶褐色に戻る。同時に、リシア=侑花はしかめっ面になった。
「何この湿っぽいのは」
はるか南の海の上の空気と入れ替えたのだよ。
「は? この部屋の空気と?」
そ。
「……何だか凄い事したみたいだけど……」
侑花は、足元でわさわさ動く生き物を凝視した。
「海の上じゃないくて、どこかの島の空気じゃないの?」
え?
「これ」
侑花が指差す先には、蟹が一匹、所在なげにうろうろしていた。
「蟹……だよね?」
蟹さんだね。
「リシアはコレをどうする気なの?」
食べる……訳にはいかないか、やっぱり。それとも、ここで飼う?
「食べられるかどうかは問題じゃない」
侑花はきっぱりばっさり、リシアの言い訳を切り捨てた。
「確かに部屋は暖まった。それは良いと思う」
そだね。
「問題を解決して、問題を増やした。これは自覚ある?」
……そだね。
かくして。
部屋の住人として、得体の知れない『蟹』が加わったのだった。






