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初夏の旅人

作者: スカイ

今は真冬ですが、初夏のお話です。

嗚呼、風が吹く


風化する


消えてしまう


嗚呼、私の……




風が変わった。匂いも、色も。

薄紅色の甘い香りを漂わせていた其れまでの風は、この三日間で黄色みを帯びた深緑の風へと変貌を遂げた。山の上からはよくわかる。色が変わる其の様が。

私と共に日々を過ごした桜の妖精は、次の国へと移動した。そこで今頃開花を迎えているのだろう。きっと。

世界が変わっていく。そしてまた、取り残されるんだ。此処だけは、時間が止まっている。


「やあ、久しぶりだね」


声を掛けられて振り向くと、其処に居たのはいつか出会った少年だった。

ウルフカットのグレーの髪の間を、深緑の風がスルスルと通りぬける。

白い歯をニッと見せて笑うと、彼は私の横へ腰かけた。

私は何年も前から此処に座っている。


「また此処に居たのか」


「ええ、私は此処から動けないもの」


嗚呼そうだった。そう言って彼はすまなそうに下を向いた。

良いの気にしないで、と彼の小さな背を軽く叩く。二回、ポンポンと。

彼が顔を上げたので笑いかけると、彼も微笑み返してくれた。

彼の背はずっと小さい。私が彼と初めて話した時から、一回りだって成長していない。

けれど、私とは違う。彼の時間は、ゆっくりと流れる。時間が止まった訳ではない。


「サクラはもう行った?」


「何日か前に、此処を旅立ったわ。今頃はもう着いているかも」


「彼女は本当に忙しいな」


「ええ、本当に」


少年は桜の妖精が居なくなってから、此処に到着する。

だから、彼は桜に出会った事が無かった。

けれど彼はいつも私に確認をとる。‘サクラはもう行ったか?'

私が時を共にする桜の妖精はマイペースで、いつも最後に渡っていた。

だから、彼の問いに対する肯定は、彼が此処を通過することを許すという意味に等しかった。


「君に見せてあげたいものが沢山あるんだ。でも、僕は君を解放する方法を知らない」


「良いのよ。貴方の話を聞くだけで、私はかつて見ていたそれらを思い出す事が出来るもの」


「ああ、本当にすまない」


「貴方が謝る事じゃあ無いわ。誰も悪くないもの。それより、いつもの様に話をして欲しいの」


「ああ、そうだね。此処に居れるのも長くはない。さて、今日は何を話そうか……」


彼の瞳は、深い緑。深い緑は、時に青が混ざり、黄が混ざり、それはそれは目まぐるしく色を変えた。

小さな躯体に似合わない低くゆったりとした声は、彼に流れた何年もの時の経過を感じさせる。

彼はいつも、旅の話を聴かせてくれる。出会った妖精の事、眺めた動物達の事、私の知らない世界の話を沢山。

彼と過ごす時は、長い一年の中でほんの僅かだ。彼の役目は、後から来る彼の兄さんの道を創ることだったから、彼は何時だって移動していた。其の移動の合間、時間が止まっている私の所に居る時だけ、滞在時間を少しだけ伸ばして動けない私に旅の話を聴かせてくれる。

生まれ方が違う私を、蔑み除け者にする方は沢山居たけれど、彼は微塵もそんな態度を見せなかった。


「本当は、もう少し此処に居たいのだけど……」


寂しそうに、彼が言う。沢山の、世界の話を聴かせてもらえた。時間が動いていたあの頃へ、戻った気分になる事が出来た。本当に、楽しかった。

私との別れを惜しんでくれるのは、彼と一握りの妖精達だけ。

時間が止まった此処に、とどまろうとする方は滅多に居なかった。


「今年も貴方の顔を見る事が出来ただけで、私は十分よ。本当に楽しかった。ありがとう」


「今度こそ、君を解放する術を探してくるから」


「良いのよ私の事は。貴方にはもっと、すべき事があるでしょう?」


こうして彼と話す機会は、後何回在るのだろう。

そんなに、多く無い気がする。


「貴方に会えて、私は幸せよ。貴方の通り道に留まる事が出来て良かった」


「僕もそう思うよ。きっと、君を解放する。其の時まで、待っていておくれよ」


「ええ、ありがとう」


嗚呼、其の時にはもう私は世界に居ないでしょう。

そんな気がするの。もう、十分な時が過ぎてしまった。


「さようなら、また来年」


「さようなら。道中気をつけて」


少年は踵を返すと、新緑の風を身に纏い大空へと飛び立った。

嗚呼、出来る事ならばついて行きたい。貴方の其の小さな背を、追いかけて行きたい。

此の、祠さえ無ければ……。


人の手で創り出された私は、彼らがいなければ此処から動く事が出来ない。

私を創った山の麓の村は、ずっと昔にダムの底へ沈んでしまった。

人々に忘れ去られた時、祠の主は其処に縛られる。主の周りの時間は止まる。

忘れ去られた祠は、風にさらされる。そうして、誰にも気がつかれずに塵になって消える。

此の祠は、もうどのくらい風にさらされただろう。

サラサラと消えて行く風化の速さは、心なしか年々速くなっている気がする。

来年、私は彼に出会う事が出来るだろうか。

解らない。

いや、本当は解っているのだろう。

きっと……


私は、此の祠から解放されたかったの? 

忘れられる前なら、此の運命から逃れることもできたのに。

自分に聴いてみる。

‘そんなことはない’そう返事が返ってきた。

そうね、彼に出会えたもの。

時間が止まっていたから、彼に出会えたのだもの。

とっても、楽しかったもの。


時間が止まった此処は、沢山の方が質問に来る。

次にしなければならない事は、彼のお兄さんの質問に答える事。

彼が一番長く留まる、時間の止まった此の地を旅立った事を伝えねば。


‘初夏はもう行ったか?'


此処は、もうずっと時間が止まっている。

読んでくださってありがとうございました。


この作品は、いつか書きたいと思っていたもの。

人間に都合良く創られ、そして捨てられる神の話。


感想、御指摘、もし宜しければよろしくお願いします。

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