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アルヴェイン家のお話

二代目悪役令嬢は海の向こうでも容赦しない  偽物の王女を追放する前に、本物の国璽を確認なさいませ

作者: シオン
掲載日:2026/09/01

一作目:婚約破棄ですか? では、王国を支えたものをすべて返していただきます

https://ncode.syosetu.com/n4430mq/

二作目:悪役令嬢の娘だから何ですの? 母が滅ぼした王国の王子に婚約破棄されました

https://ncode.syosetu.com/n4406mr/

三作目:二代目悪役令嬢は容赦しない 婚約破棄した王太子殿下、使い込んだ四十八万金貨を返していただきます

https://ncode.syosetu.com/n5015mr/


ルクシア王国での改革を終えた三か月後、リディアは海を渡る船の上にいた。


目的地は、南方の島国アステリア王国。


大小七つの島から成り、香辛料や真珠、薬草の交易で栄えてきた国である。


ところが半年前、国王が病に倒れた。


王妃はすでに他界しており、国王の子は二人の王女だけだった。


第一王女エレノーラは二十歳。


幼い頃から王位継承者として学び、地方の視察や港湾整備にも携わってきた。


第二王女カミラは十七歳。


華やかな美貌を持ち、社交界で高い人気を得ている。


本来なら、国王が倒れても大きな問題にはならないはずだった。


国法に従い、第一王女エレノーラが女王として即位すればよい。


しかし、国王の弟であるガルシア大公が異議を唱えた。


エレノーラは王妃の実子ではなく、身元不明の女が産んだ偽物の王女である。


王家の血を引いていないため、王位継承権は存在しない。


そのような噂を、国中に広めたのである。


さらにガルシア大公は、第二王女カミラを自分の息子ディオンと結婚させ、二人を新たな国王夫妻にすると宣言した。


第一王女を支持する者。


第二王女を支持する者。


ガルシア大公を支持する者。


それぞれが対立し、王国は内戦寸前となっている。


「ずいぶん分かりやすい話ね」


甲板の手すりにもたれながら、アリシアが言った。


「ガルシア大公が国を奪おうとしているのでしょう?」


「その可能性は高いですね」


リディアは報告書を読みながら答えた。


「けれど、証拠がございません」


「第一王女が本物かどうか、調べればよいのでは?」


「王女殿下の出生記録は、十年前の宮殿火災で失われています」


「都合のよい火事ね」


「当時、火災を調査したのはガルシア大公の配下です」


「ますます怪しいわ」


アリシアは水平線へ目を向けた。


「それで、わたしたちは誰の依頼で向かっているの?」


「アステリアの貴族議会です」


「第一王女ではなく?」


「ええ。どの派閥にも属さない外国の調査団として、王位継承問題を調べてほしいとのことです」


アリシアは姉の持つ書類をのぞき込んだ。


「その割には、調査団の代表が姉様なのね」


「何か問題が?」


「元王太子へ四十八万金貨の請求書を突きつけた二代目悪役令嬢が、中立的な調査官に見えるかしら」


「わたくしは常に中立です」


「悪事を働いていない人に対しては、でしょう?」


「十分ではありませんか」


背後から、楽しげな笑い声が聞こえた。


振り返ると、セレスティアが立っていた。


隣には夫のユリウスがいる。


「お母様」


「アステリアの港が見えてきましたよ」


セレスティアの言葉に、姉妹は船の進む先を見た。


青い海の向こうに、白い建物が並ぶ港町が見える。


丘の上には、赤い屋根を持つ巨大な王宮が建っていた。


「立派な王宮ですね」


リディアが言った。


「七年前に改築されたそうです」


ユリウスが説明する。


「費用は当初の予算の四倍。支払いを終えるまで、あと二十年かかります」


「入国前から嫌な話を聞きました」


「改築を提案したのはガルシア大公です」


アリシアが姉を見る。


「請求書の出番かしら」


「まだ調査も始まっておりません」


「では、用意だけしておくわ」


「すでに予備を二百枚持ってきています」


「さすが姉様ね」


船が港へ近づくにつれ、岸壁に集まった人々の姿が見えてきた。


帝国から来る調査団を歓迎するため、多くの役人や兵士が並んでいる。


中央には、金色の刺繍が施された服を着た、恰幅のよい男性が立っていた。


ガルシア大公だった。


その隣には息子のディオン。


さらに、華やかな桃色のドレスを着た第二王女カミラがいる。


第一王女エレノーラの姿はなかった。


船から降りると、ガルシア大公が両手を広げた。


「遠いところをよくお越しくださいました、リディア公爵令嬢」


「お招きいただき、光栄です」


リディアは正式な礼を返した。


「こちらは母のセレスティア、父のユリウス、妹のアリシアです」


「もちろん存じております。伝説の悪役令嬢と、そのご家族を我が国へ迎えられるとは、これ以上ない名誉です」


言葉は丁寧だった。


しかし、ガルシア大公の視線は値踏みするようにリディアたちを動いている。


「第一王女殿下は、いらっしゃらないのですか?」


リディアが尋ねる。


ガルシア大公の笑みが深くなった。


「あの娘は王女ではございません」


「まだ調査は終わっていないと聞いておりますが」


「調べるまでもありません。この国の者なら、誰もが知っていることです」


「では、なぜ貴族議会はわたくしたちを招いたのでしょう」


ガルシア大公の顔から、一瞬だけ笑みが消えた。


「一部の者が、事実を受け入れられずに騒いでいるのです」


「なるほど」


リディアは周囲へ視線を向けた。


港には第一王女を歓迎する旗も、第二王女を歓迎する旗もなかった。


代わりに掲げられているのは、ガルシア大公家の紋章ばかりである。


「ところで、エレノーラ様はどちらに?」


セレスティアが穏やかに尋ねた。


「王都郊外の修道院でお過ごしいただいております」


「ご本人の意思で?」


「偽物の王女を宮殿へ置いておくわけにはまいりませんからな」


「質問への答えになっておりませんね」


ガルシア大公の頬がわずかに引きつった。


「身の安全のため、修道院で保護しております」


「外出は?」


「認めておりません」


「面会は?」


「わたしの許可した者だけです」


「手紙は?」


「危険な内容がないか確認しております」


セレスティアは小さくうなずいた。


「それを我が国では、監禁と呼びます」


港の空気が凍った。


ディオンが一歩前へ出る。


「母上ほど偉大だからといって、他国の事情へ口を挟むのはお控えください」


アリシアが目を細めた。


「誰が母上ですって?」


「え?」


「セレスティア様は、わたしと姉様の母です。あなたの母ではありません」


「あ、いや、言葉のあやだ」


「初対面の方を義母のように呼ぶなんて、随分と気が早いのね」


ディオンの顔が赤くなる。


ガルシア大公は咳払いをした。


「息子はリディア様との婚姻を希望しております」


今度は、リディアが目を瞬いた。


「初めて伺いました」


「以前の婚約者とは、すでに関係を解消なさったとか。息子は次期国王となる身。お二人が結ばれれば、アステリアとアルヴェイン家の関係もより強固になるでしょう」


隣に立つカミラが声を上げた。


「お待ちください、叔父様。ディオン様は、わたくしと結婚するのでは?」


ガルシア大公は彼女を一瞥した。


「それは国内を安定させるための話だ」


「すでに婚約の誓約書へ署名しました!」


「正式な婚約ではない」


「王家の印章も押されております!」


「黙りなさい、カミラ」


大公の声が低くなる。


第二王女は肩を震わせた。


ディオンは気まずそうに目をそらす。


リディアは二人を交互に見た。


「まず、わたくしには結婚の予定はございません」


「急いでお答えになる必要はありません」


ガルシア大公は余裕のある笑みを浮かべる。


「この国へ滞在するうちに、息子の魅力もお分かりいただけるでしょう」


「すでに一つ分かりました」


「ほう」


「婚約の誓約書へ署名しておきながら、別の女性との結婚話を黙って聞いている方なのですね」


ディオンの顔が引きつった。


「それは政治的な事情が」


「誠実な方であれば、事情を説明した上で、まずカミラ殿下との関係を整理するでしょう」


「父上が決めたことだ!」


「ご自分の婚姻すら、お父上の命令がなければ決められないのですか?」


「私は父上を尊敬している!」


「尊敬と、思考を放棄することは違います」


港に並ぶ役人たちから小さな笑いが漏れた。


ディオンは彼らをにらんだ。


ガルシア大公は笑みを消した。


「ずいぶんと、はっきりものをおっしゃる」


「曖昧な表現は、誤解のもとになりますから」


「母親譲りですかな」


「最高の褒め言葉です」


ガルシア大公が何か言い返す前に、ユリウスが一枚の文書を取り出した。


「国際調査団には、第一王女エレノーラ殿下を含むすべての王位継承候補者と面会する権限が認められています」


「エレノーラは王位継承候補ではない」


「それを判断するための調査です」


「わたしは面会を認めない!」


「では、調査妨害として記録いたします」


ユリウスは書記官を見た。


書記官がすぐに記録を始める。


ガルシア大公の額に青筋が浮かんだ。


「待て」


「面会を許可なさいますか?」


「明日にせよ」


「本日中に伺います」


「長旅でお疲れだろう」


「ご心配には及びません」


ガルシア大公はリディアをにらんだ。


しかし、帝国の調査団を公の場で追い返すことはできない。


港には他国の商人も大勢いる。


ここで強硬な態度を取れば、何か隠していると認めるようなものだった。


「好きにするがよい」


「ありがとうございます」


リディアは笑顔で一礼した。


「では最初に、修道院へ参ります」


調査団は王宮へ向かわず、そのまま郊外の修道院を訪れた。


ガルシア大公が用意した馬車には乗らなかった。


馬車の御者も護衛も大公の配下であり、会話を知られる可能性があるからだ。


帝国から運んできた馬車へ乗り、修道院を目指す。


道中、リディアは窓の外を見ていた。


王都の大通りには華やかな建物が並んでいる。


しかし一本裏の道へ入ると、景色は大きく変わった。


舗装されていない道路。


崩れかけた家。


薄汚れた衣服を着た子どもたち。


閉じたままの商店。


港には多くの交易船が停泊していた。


豊かな国のはずなのに、民の暮らしは明らかに困窮している。


「税が高すぎるのね」


アリシアが言った。


「昨年、港湾税と市場税が引き上げられています」


ユリウスが資料を確認する。


「理由は王宮改築費の不足です」


「完成して七年もたっているのに?」


「工事費が当初の四倍になりましたから」


「本当に工事へ使われたのかしら」


リディアの言葉に、セレスティアが窓の外を見ながら答える。


「調べる必要がありそうですね」


修道院は王都から一時間ほど離れた丘の上にあった。


高い石壁に囲まれ、門には大公家の兵士が立っている。


調査団の文書を見せても、兵士たちはすぐには門を開けなかった。


「大公閣下から、誰も通すなと命じられております」


「先ほど、面会の許可をいただきました」


リディアが答える。


「新たな命令は届いておりません」


「では、大公閣下へ確認を」


「使者を送れば、戻るまで半日はかかります」


「伝達用の魔導具は?」


「故障しております」


アリシアが門柱へ取りつけられた魔導具を見上げた。


「光っていますが」


「飾りでございます」


「では、わたしが確認するわ」


アリシアが魔導具へ触れる。


すると、ガルシア大公の部下らしい男の声が聞こえた。


『調査団が来ても、命令が届いていないと言って追い返せ。抵抗するなら、魔導具が故障していると説明しろ』


門番の顔が青くなる。


アリシアはにっこりと笑った。


「随分と、よく話す飾りですこと」


ユリウスは書記官へ目を向けた。


「調査妨害、虚偽説明、国際調査団への命令文書を記録してください」


「承知しました」


門番は慌てて門を開いた。


「わ、わたしは命令されただけです!」


「あなたの処分を決めるために来たのではありません」


リディアは兵士たちを見た。


「ですが、これ以上妨害するなら共犯として扱います」


兵士たちは道を開けた。


エレノーラは、修道院の最上階にある小さな部屋へ閉じ込められていた。


粗末な机と椅子。


硬そうな寝台。


鉄格子のついた窓。


王女の住まいどころか、罪人の独房に近い。


リディアたちが部屋へ入ると、窓辺に立っていた女性が振り返った。


濃い茶色の髪に緑の瞳。


目の下には疲労の色が見えたが、その立ち姿には気品がある。


「帝国からの調査団ですか?」


「はい。リディア・フォン・アルヴェインと申します」


「存じております」


エレノーラは少しだけ笑った。


「王家へ請求書を届ける悪役令嬢だと、妹から聞きました」


「どのような紹介をされているのでしょう」


「カミラは、あなたのことを憧れの女性だと申しておりました」


リディアは目を瞬いた。


港で会ったカミラは、ガルシア大公に強く言われると身をすくませていた。


とてもリディアへ憧れているようには見えなかった。


「カミラ殿下は、ガルシア大公の側におられます」


「自分の意思ではないでしょう」


エレノーラは椅子を勧めた。


「叔父は、父上の治療薬を管理しております」


部屋の空気が変わった。


「国王陛下の薬を?」


「はい。カミラが逆らえば、父上の薬を止めると脅しているのです」


「医師は何を?」


「王宮へ出入りできる医師も、叔父が選んだ者だけです」


ユリウスが眉を寄せた。


「国王陛下の容体は、どの程度深刻なのですか?」


「分かりません」


「分からない?」


「わたしが最後に父上へお会いしたのは、三か月前です。その時点では会話もできました」


「公式発表では、半年前から意識がないとされています」


「嘘です」


エレノーラはきっぱりと答えた。


「父上は三か月前、わたしを摂政に指名する文書へ署名しようとなさいました」


「その文書は?」


「署名の直前、叔父が兵士を連れて現れました。わたしは王宮から連れ出され、ここへ閉じ込められたのです」


リディアは書記官へ視線を送った。


証言が記録される。


「エレノーラ殿下が王妃の実子ではない、という疑惑についてお聞きしてもよろしいでしょうか」


「構いません」


「何か、ご自身の出生を証明できるものは?」


「出生証明書は火災で失われました」


「ほかには?」


エレノーラは首元から、古い首飾りを取り出した。


小さな銀色の鍵がついている。


「母上からいただいたものです」


「鍵?」


「王家の女性へ代々受け継がれるものだと聞いています。しかし、何を開ける鍵なのかは分かりません」


セレスティアが立ち上がり、鍵を確認する。


表面にはアステリア王家の紋章と、見慣れない文字が刻まれていた。


「古代アステリア語ですね」


「お読みになれるのですか?」


「少しだけ」


セレスティアは指で文字をなぞる。


「国の母たる者、偽りの冠を退け、真実の名を記せ」


リディアは母を見る。


「何を意味しているのでしょう」


「王家の女性へ受け継がれる鍵。そして、真実の名を記すという言葉」


セレスティアは考え込んだ。


「王家の記録庫に、特別な保管庫があるのかもしれません」


エレノーラが顔を上げる。


「古い王宮に、王妃だけが入れる部屋があると聞いたことがあります」


「現在の王宮ではなく?」


「新しい王宮が建つ前に使われていた、海辺の城です」


「七年前の改築で放棄された城ですね」


ユリウスが地図を広げる。


「現在はガルシア大公の管理下にあります」


「どうして王家の古城を、大公が管理しているの?」


アリシアが尋ねる。


エレノーラは首を横に振った。


「父上が病に倒れた後、叔父が勝手に管理者を交代させました」


「随分と分かりやすいですね」


リディアは立ち上がった。


「古城を調べます」


「叔父の兵が守っています」


「正式な調査権限がございます」


「それでも、通さないでしょう」


アリシアが楽しそうに剣の柄へ手を置いた。


「そのときは、通してもらうわ」


「できれば穏便にお願いいたします」


「できれば、ね」


リディアはエレノーラへ手を差し出した。


「殿下にも同行していただきます」


「わたしは、この部屋から出ることを禁じられています」


「誰に?」


「ガルシア大公に」


「この国の法に、大公が王位継承者を裁判もなく監禁できるという条文はございません」


リディアは穏やかに微笑んだ。


「法的根拠のない命令へ従う必要はございません」


「しかし、兵士が」


「この修道院に配置された兵士は、全員が大公家の私兵です」


アリシアが窓から庭を確認する。


「十二名。こちらの護衛は二十名。問題ないわ」


「人数で判断しないでください」


「では、わたし一人で十分ね」


「そういう意味ではございません」


エレノーラは姉妹の会話を聞き、久しぶりに笑った。


「本当に、噂どおりの方々なのですね」


「どのような噂です?」


「アルヴェイン家の女性を閉じ込めようとすると、建物の所有権まで失うと」


リディアとアリシアは顔を見合わせた。


「お母様」


リディアが振り返る。


「その噂はどこから?」


「心当たりが多すぎて分かりません」


修道院の兵士たちは、エレノーラの外出を止めようとした。


しかし、リディアが国際調査団の権限を示し、ユリウスが王国法の条文を読み上げ、アリシアが無言で剣へ手を置くと、全員が道を開けた。


一行はそのまま、海辺の古城を目指した。


切り立った崖の上に建つ古城は、潮風にさらされ、外壁の一部が崩れていた。


正門には大公家の紋章が掲げられている。


門を守る兵士へ調査文書を示すと、予想どおり拒否された。


「大公閣下の許可がなければ、誰も入れられません」


「こちらには貴族議会の許可がございます」


「大公閣下の命令が優先です」


「この城は王家の所有です」


「現在は大公閣下が管理なさっています」


「管理者は所有者ではございません」


「命令ですので」


リディアはため息をついた。


「あなた方は、先ほど修道院で起きたことをご存じですか?」


兵士たちは顔を見合わせた。


「いいえ」


「命令だからと調査を妨害した兵士たちは、全員が共犯として記録されました」


「共犯?」


「ここでも同じことをなさいますか?」


兵士たちの顔色が変わる。


「わたしたちは命令されただけです!」


「違法な命令へ従った責任は、自分で負わなければなりません」


「ですが、逆らえば家族が!」


リディアは一人の兵士を見た。


まだ若い。


声が震えている。


「人質に取られているのですか?」


兵士は答えなかった。


その沈黙が答えだった。


「あなた方の家族はどちらに?」


「王都北部の兵舎です」


「アリシア」


「すぐに保護させるわ」


アリシアが護衛の一人へ命じる。


早馬が王都へ向かった。


「ほかにも、家族を理由に命令されている方は?」


八人の兵士が手を上げた。


リディアは一人ずつ名前を記録させた。


「ご家族は帝国大使館で保護します。大公家の者が近づくことはできません」


「本当に?」


「わたくしの名において、お約束いたします」


兵士たちは互いに顔を見合わせた。


やがて隊長が門の鍵を取り出す。


「城内をご案内いたします」


「裏切るのか!」


奥から怒声がした。


大公家の家令が、数人の兵士を連れて現れる。


「大公閣下の命令へ背けば、お前たちの家族がどうなるか分かっているのだろうな!」


怯えていた兵士たちの表情が変わった。


家族がすでに保護されると分かった今、脅しは意味を持たない。


隊長は剣を抜き、家令へ切っ先を向けた。


「今の発言を、脅迫の証拠として証言します」


「なっ」


「我々は国を守る兵士です。大公閣下の罪を隠すための私兵ではありません」


家令が逃げようとする。


アリシアが素早く足を払った。


家令は石畳へ転倒し、そのまま取り押さえられた。


「姉様。穏便に済んだわ」


「剣を抜いているように見えますが」


「誰も斬っていないもの」


「穏便の基準を、後ほど話し合いましょう」


古城の内部は、長年放置されていた。


床にはほこりが積もり、壁の絵画は色あせている。


エレノーラの記憶を頼りに、かつて王妃が使っていた部屋へ向かった。


部屋の奥には、大きな鏡が置かれていた。


鏡の縁には、エレノーラの鍵と同じ文字が刻まれている。


「国の母たる者、偽りの冠を退け、真実の名を記せ」


セレスティアが読み上げた。


エレノーラは銀の鍵を取り出した。


鏡の下部に、小さな鍵穴がある。


鍵を差し込んで回す。


低い音が響き、鏡がゆっくりと横へ動いた。


その奥に、地下へ続く階段が現れた。


階段の先は、小さな記録庫になっていた。


湿気から守る魔法が施され、棚には何百年分もの記録が並んでいる。


中央には黒い石で作られた箱があった。


エレノーラの鍵を使うと、箱は簡単に開いた。


中に入っていたのは、一冊の分厚い書物と、小さな印章。


印章には王家の紋章が刻まれているが、現在使われている国璽とは形が異なっていた。


「これは?」


「王妃の印章です」


エレノーラが息をのむ。


書物の表紙には、歴代王妃の名簿と記されていた。


ページをめくる。


王妃たちの名。


結婚した日。


子どもを産んだ日。


子の名前。


すべてが、王妃自身の筆跡と印章で記録されている。


十八年前のページには、エレノーラの母である王妃の名があった。


その下に、一文が記されている。


『本日、第一王女エレノーラを出産する。母子ともに健やかなり』


日付。


王妃の署名。


そして印章。


「これで、エレノーラ殿下が王妃の実子であると証明できます」


ユリウスが告げた。


エレノーラは震える指で、母の文字へ触れた。


「母上……」


セレスティアは別の棚を調べていた。


「リディア。こちらをご覧なさい」


そこにあったのは、七年前の王宮改築に関する記録だった。


工事費。


資材の仕入先。


職人の人数。


支払額。


いずれも現在の帳簿に書かれている数字より、はるかに少ない。


実際の工事費は、国民へ発表された額の四分の一だった。


残りは、大公家が所有する商会へ支払われている。


「王宮改築費の水増しですね」


リディアは帳簿を確認した。


「しかも資材の一部は、存在しない商会から購入したことになっています」


「この署名を見てください」


ユリウスが一枚の命令書を示す。


ガルシア大公の署名だった。


さらに、記録庫の奥から封書の束が見つかった。


大公と王宮医師の間で交わされた手紙。


『国王の薬へ指定の粉を混ぜよ』


『急死させては疑われる』


『衰弱しているように見せ、意思表示ができない状態を保て』


『第一王女が摂政に指名される前に、偽物の噂を広めよ』


すべてに署名と印章がある。


アリシアの表情が険しくなる。


「国王陛下は病気ではなく、毒を盛られているの?」


「可能性が高いですね」


リディアは冷静に答えた。


しかし、帳簿を持つ手には力が入っていた。


「すぐ王宮へ向かいます」


古城を出たところで、大公家の兵士が一行を待ち構えていた。


百人近い。


その先頭にはディオンがいる。


「その記録を置いていけ!」


リディアたちへ槍が向けられる。


エレノーラが前へ出ようとしたが、アリシアが腕で制した。


「下がっていてください」


「ですが、これは我が国の問題です」


「ですから、生きて解決していただきます」


ディオンは剣を抜いた。


「地下の記録庫で見つけたものを、すべて渡せ」


「中身をご存じなのですね」


リディアが尋ねる。


「知らん!」


「では、なぜ記録を渡せと?」


「父上の所有物だからだ!」


「古城は王家の所有です」


「いずれ父上が王となる!」


「その予定はございません」


「お前たちが余計な調査をしなければ、すべてうまくいく!」


「すべてとは?」


「エレノーラを偽物として追放し、カミラと私が結婚する。父上が摂政となり、この国を立て直す!」


「国王陛下へ毒を盛って?」


ディオンの顔が固まった。


「何を言っている」


「医師との手紙が見つかりました」


「偽物だ!」


「まだ一枚もご覧になっていませんが」


「父上が、そのような証拠を残すはずがない!」


沈黙が落ちた。


アリシアが額へ手を当てる。


「どうして、この手の方々は自分から認めるのかしら」


ディオンは、自分が何を口走ったのかようやく理解した。


「違う! 今のは」


「あなたは証拠の存在を知っており、さらに父親が証拠を残さないよう警戒していたことも知っていた」


ユリウスが淡々と整理する。


「共犯関係を示す証言として記録します」


「記録するな!」


ディオンは剣を掲げた。


「全員、殺せ!」


だが、兵士たちは動かなかった。


「何をしている!」


隊長らしき男が、苦しそうな顔で答える。


「相手は帝国の公爵家と、正式な国際調査団です」


「だから何だ!」


「攻撃すれば、帝国との戦争になります」


「父上が王になれば、帝国など恐れる必要はない!」


「勝てるのですか?」


「当然だ!」


「どのように?」


ディオンは答えられなかった。


アステリアは豊かな交易国だが、軍事力は強くない。


まして現在は国が割れている。


帝国と戦えば、勝ち目などない。


「帝国は卑怯な侵略者だ!」


ディオンが叫ぶ。


「我が国の内政へ介入し、正統な王である父上を陥れようとしている!」


リディアは彼を見た。


「わたくしたちは、貴族議会からの要請で調査しております」


「議会は父上へ従うべきだ!」


「なぜ?」


「王の弟だからだ!」


「王位継承法では、国王の子が優先されます」


「エレノーラは偽物だ!」


「実子だと証明する記録が見つかりました」


「記録が間違っている!」


「王妃殿下ご自身の署名入りです」


「母上はだまされたのだ!」


エレノーラが静かに口を開いた。


「どうやって、母が自分の出産についてだまされるのです?」


兵士たちの間から、笑い声が漏れた。


ディオンの顔が真っ赤になる。


「うるさい! 兵士ども、命令に従え!」


それでも、誰も動かなかった。


「従わないなら、お前たちの家族を処刑する!」


兵士たちの表情が一変した。


恐怖ではない。


怒りだった。


ディオンは気づかなかった。


家族を脅せば従うと思っている。


しかし彼らの前にはすでに、家族を人質に取られた兵士を救ったリディアがいる。


「お前たちは父上に雇われているのだぞ!」


「給金は三か月遅れています」


一人の兵士が答えた。


「国が苦しいから我慢しろと言われました」


別の兵士が続ける。


「ですが大公家では、先月も宴会が開かれたそうです」


「息子殿の婚礼衣装も作られているとか」


「どこに、その金があったのでしょうな」


ディオンが後ずさる。


「お前たちまで裏切るのか」


「我々が忠誠を誓ったのは国です」


兵士たちは次々に槍を下ろした。


隊長がディオンへ剣を向ける。


「ディオン大公子。国際調査団への襲撃未遂、王位継承者への脅迫、および兵士の家族に対する処刑予告により、身柄を拘束します」


「私を誰だと思っている!」


アリシアが答えた。


「自分で何も決められず、お父様の命令だけを繰り返す方でしょう?」


「私は次の国王だ!」


「カミラ殿下の婚約者だったのでは?」


「それは父上が勝手に決めた!」


「先ほどは、お二人が結婚するとご自分でおっしゃいました」


「言葉のあやだ!」


「便利な言葉ですこと」


ディオンは剣を振り回そうとした。


しかし、兵士二人に腕をつかまれ、あっさりと地面へ押さえつけられた。


「離せ!」


「抵抗なさると、罪が重くなります」


「父上が黙っていないぞ!」


リディアは拘束されたディオンを見下ろした。


「ご安心ください」


「何がだ!」


「これから、お父上のところへ参ります」


一行が王宮へ到着したとき、貴族議会が招集されていた。


ガルシア大公が、エレノーラの正式な追放を決議させるために集めたのである。


議場の中央にはカミラが立っていた。


青ざめた顔で、用意された宣誓書を持っている。


内容は、姉エレノーラが王家の血を引いていないと証言し、自らが唯一の正統な王位継承者であると認めるものだった。


「署名しなさい」


ガルシア大公が命じる。


「できません」


カミラの声は震えていた。


「姉上は、間違いなく母上の娘です」


「お前に何が分かる」


「幼い頃から、母上に似ていると言われていました」


「顔が似ているだけで血のつながりを証明できるか!」


「ならば、姉上が偽物だという証拠を見せてください」


「叔父であるわたしの言葉が証拠だ!」


議員たちの間から、不安げなざわめきが起きる。


ガルシア大公は机をたたいた。


「署名しなければ、国王の薬を止める!」


カミラの顔が青ざめた。


「やはり、父上の薬を管理していたのですね」


大扉が開く。


リディアとエレノーラが議場へ入った。


その後ろにはセレスティア、ユリウス、アリシアが続く。


拘束されたディオンの姿もあった。


「ディオン!」


ガルシア大公が立ち上がる。


「何をした!」


「国際調査団を殺せと命じました」


リディアが答える。


「嘘だ!」


ディオンが叫ぶ。


「父上が、証拠を持ち帰らせるなと言ったからだ!」


ガルシア大公の顔が固まった。


「愚か者! 余計なことを言うな!」


議場が静まり返る。


セレスティアが小さく息をついた。


「親子ですね」


「ええ」


リディアもうなずいた。


「責任を押しつけ合うところまで、よく似ています」


「違う!」


ガルシア大公が声を張り上げる。


「すべては帝国の陰謀だ!」


「では、証拠を確認いたしましょう」


リディアの合図で、書記官たちが入場した。


最初に示されたのは、歴代王妃の出産記録だった。


立会人として医師と侍女長の名も記されている。


どちらもすでに亡くなっていたが、署名と印章はほかの公文書と一致した。


「第一王女エレノーラ殿下は、亡き王妃殿下の実子です」


ユリウスが宣言する。


「したがって、王位継承権は有効です」


カミラの目から涙があふれた。


彼女は宣誓書を床へ落とし、姉のもとへ駆け寄る。


「姉上!」


「カミラ」


二人の王女は固く抱き合った。


「ごめんなさい。わたし、叔父様に何も言い返せなくて」


「あなたのせいではありません」


「父上を助けたくて、でも、どうすればよいか分からなくて」


「もう大丈夫です」


ガルシア大公が叫んだ。


「その記録は偽物だ! この女たちが作ったものだ!」


「記録庫の存在を教えたのは、エレノーラ殿下が王妃から受け継いだ鍵です」


「鍵など盗める!」


「では、王宮改築費の帳簿も偽物でしょうか」


次に、七年前の帳簿が並べられた。


工事費の水増し。


架空商会への支払い。


大公家の商会を経由した資金の流れ。


王宮の改築費として徴収した税の七割近くが、ガルシア大公家へ流れていた。


議員たちの表情が険しくなる。


「大公閣下」


財務官が立ち上がった。


「我が領では、この税を払うために三つの村が土地を手放しました」


別の議員も立ち上がる。


「港湾税の引き上げによって、商人が他国へ流出した」


「診療所の建設費も、王宮改築のために削られましたぞ!」


「すべて、大公家の財産になったのか!」


「誤解だ!」


ガルシア大公の声が裏返る。


「大公家の商会が、資材を手配しただけだ!」


「存在しない商会が三社ございます」


リディアが指摘する。


「所有者の名は偽名ですが、口座の管理者はすべて大公家の家令です」


「家令が勝手にした!」


「古城で拘束した家令が、すでに証言しております」


大公の顔から血の気が引く。


「自分は命令されただけだと?」


「ええ」


「裏切り者め!」


「随分と多くの方から裏切られておられますね」


リディアの言葉に、議場から失笑が漏れた。


「違う! 私はこの国を豊かにするために」


「国王陛下へ薬と称して毒を与えながら?」


最後に、王宮医師との手紙が示された。


議場の空気が凍りつく。


カミラが姉から離れ、大公へ詰め寄ろうとした。


「父上に何をしたのです!」


アリシアが彼女を支える。


「すでに帝国の医師団が、国王陛下のもとへ向かっています」


「助かるのですか?」


「診察しなければ分かりません。ですが、毒の種類は手紙に記されています。解毒できる可能性は高いでしょう」


カミラは涙を拭いた。


「ありがとうございます」


ガルシア大公は出口へ向かって走り出した。


しかし、扉の前には王国騎士団が並んでいる。


「道を開けろ!」


誰も動かない。


「私は摂政だぞ!」


騎士団長が答える。


「まだ正式に任命されておりません」


「未来の国王だ!」


「王位継承権は、第一王女殿下にございます」


「ならば、命令する! エレノーラを捕らえろ!」


「その命令に法的根拠はございません」


「私へ逆らうのか!」


騎士団長は、エレノーラの前へ進み出た。


剣を外し、ひざまずく。


「第一王女エレノーラ殿下。遅くなりましたことを、心よりお詫び申し上げます」


一人、また一人と騎士たちがひざまずく。


「我ら王国騎士団は、正統な王位継承者である殿下へ忠誠をお誓いいたします」


エレノーラは拳を握った。


だが、すぐに首を横へ振った。


「わたくし個人へ忠誠を誓ってはなりません」


騎士団長が顔を上げる。


「では、何に?」


「国と民に」


エレノーラは議場を見渡した。


「もし、わたくしが叔父と同じように国を私物化するなら、その剣でわたくしを止めなさい」


騎士団長はしばらく王女を見つめた。


やがて深く頭を下げる。


「御意」


ガルシア大公は、誰からも助けられないまま拘束された。


「離せ!」


彼は息子の隣へ引きずられる。


「ディオン! お前が余計なことを言ったからだ!」


「父上が証拠を残したからでしょう!」


「お前が調査団を始末しなかったからだ!」


「兵士が裏切ったのです!」


「王になれば、兵士くらい従わせられただろう!」


「では父上が戦えばよかったではありませんか!」


「黙れ、役立たず!」


「金を盗むことしかできなかったくせに!」


親子は互いを罵り始めた。


周囲の者たちは、冷たい目で見つめている。


リディアが書記官へ尋ねた。


「会話は記録していますか?」


「一言も残さず」


「結構です」


ガルシア大公が振り向いた。


「待て! 何を記録した!」


「ただいまの、お互いに罪を認め合う会話です」


「今のは親子の口論だ!」


「内容が事実でないと?」


「それは」


大公が黙る。


否定すれば息子をかばうことになる。


認めれば自分の罪となる。


どちらを選んでも逃げ道はなかった。


リディアは二人へ近づいた。


「ガルシア大公閣下」


「何だ」


「七年前の王宮改築費について、国民へ返還すべき金額を計算いたしました」


大公の顔が青くなる。


「返還?」


「王宮改築費として徴収された金額は、合計百二十万金貨。そのうち、正当な工事費は三十一万金貨でした」


議場からどよめきが起こる。


「大公家へ流れた不正資金は、利息を含めて百三万金貨です」


「そのような金はない!」


「大公家の財産を査定いたします」


「私有財産だぞ!」


「国民から盗んだ金で購入した財産です」


「全部を私が使ったわけではない!」


「では、どなたが?」


大公は息子を指さした。


「こいつだ! ディオンが贅沢をした!」


「父上の離宮が一番高いでしょう!」


「お前の馬車は十二台もある!」


「父上の愛人へ買った宝石はどうなのです!」


「それは関係ない!」


議員たちから、あきれた声が上がる。


リディアは帳簿を閉じた。


「詳しくは裁判でお話しくださいませ」


「待て!」


「何でしょう」


「私を助ければ、大公家の財産の半分をやる!」


「その財産は国民へ返還されます」


「ならば、娘をディオンへ嫁がせろ!」


リディアは無言で大公を見た。


「お前には妹がいるだろう!」


アリシアが笑顔で剣の柄へ手を置いた。


「もう一度おっしゃってくださる?」


大公は後ずさった。


セレスティアが娘の肩へ手を置く。


「アリシア。剣は必要ありません」


「ですが、お母様」


「その方々は今、自分たちで十分に身を滅ぼしています」


「確かに」


大公親子は衛兵に連れていかれた。


議場を出る直前まで、どちらの責任が重いかを言い争っていた。


国王は一命を取り留めた。


長期間にわたって毒を与えられていたため、完全に回復するには時間がかかる。


しかし意識を取り戻し、自分の言葉でガルシア大公の解任と逮捕を承認した。


そして第一王女エレノーラを、正式に摂政へ任命した。


数か月後、ガルシア大公親子の裁判が開かれた。


公金横領。


国王への毒殺未遂。


王位簒奪。


第一王女の監禁。


第二王女への脅迫。


兵士の家族を人質に取った罪。


国際調査団への襲撃未遂。


何日かけても読み終えられないほどの罪状が並んだ。


二人は最後まで、自分だけは悪くないと主張した。


「国を立て直すために必要だった!」


大公が叫ぶ。


裁判長が尋ねる。


「国民から集めた税を、なぜ自分の離宮へ使ったのです?」


「王となる者には、ふさわしい住まいが必要だ!」


「まだ王ではありませんでした」


「いずれ王になる予定だった!」


「国王陛下には二人の王女がおられます」


「女に国が治められるか!」


傍聴席の視線が、エレノーラへ集まる。


摂政就任からわずか数か月で、彼女は港湾税を見直し、閉鎖されていた診療所を再開させ、兵士の未払い給与も解消していた。


裁判長は大公へ尋ねる。


「では、あなたが半年かけても解決できなかった問題を、エレノーラ摂政殿下が三か月で解決されたことについては?」


「アルヴェイン家の援助があったからだ!」


リディアが傍聴席から答える。


「資金援助はしておりません」


大公が振り返る。


「嘘だ!」


「横領された資金を回収し、正しい用途へ戻しただけです」


「同じことだ!」


「援助と返還の区別もつかない方が、国を治めようとしたのですか?」


傍聴席から笑い声が漏れた。


大公は顔を赤くした。


「リディア! お前が来なければ、計画は成功していた!」


「犯罪の発覚が遅れただけでしょう」


「余計なことを!」


「お招きいただいたのは貴族議会です」


「お前たち親子は、他人の国を壊してばかりだ!」


セレスティアが首をかしげる。


「壊したのは、どなたでしょう」


「お前たちだ!」


「国王へ毒を盛ったのも?」


「それは医師が!」


「命令書には、あなたの署名がございます」


「医師が勝手に用意した!」


「王宮改築費を横領したのも?」


「家令が!」


「第一王女を監禁したのも?」


「兵士が!」


「息子へ調査団を襲わせたのも?」


「ディオンが勝手に!」


ディオンが叫んだ。


「父上の命令だ!」


「黙れ!」


「全部、私のせいにするつもりか!」


「お前が失敗したからだ!」


親子の口論が始まる。


裁判長は木槌を鳴らした。


「静粛に!」


リディアは母へ小さく耳打ちした。


「似た光景を、何度見たでしょう」


「悪事を共にする方々は、破滅すると必ず仲間割れをなさいますね」


「なぜ最初から想像できないのでしょうか」


「自分だけは相手を裏切っても、相手からは裏切られないと思っているのでしょう」


「不思議な考えです」


ガルシア大公親子には、有罪判決が下された。


大公家の爵位と領地は没収。


すべての財産は売却され、国民への返還に充てられた。


それでも百三万金貨の全額には届かなかった。


二人は生涯をかけて残額を返済することとなり、大公家が所有していた鉱山での労役を命じられた。


かつて国民を働かせ、利益だけを受け取っていた鉱山である。


今度は自分たちが働き、その給与を被害者へ返すことになった。


「私は王になる男だったのだぞ!」


鉱山へ連れていかれる馬車の中でも、大公は叫び続けた。


ディオンは向かいの席で鼻を鳴らした。


「なれなかったではありませんか」


「お前が無能だったからだ!」


「父上が証拠を残したからでしょう!」


「私がいなければ、お前は何者にもなれなかった!」


「父上がいなければ、私は罪人にもなりませんでした!」


二人は鉱山へ到着するまで、責任を押しつけ合った。


そして到着後も、変わらなかった。


一方、カミラはディオンとの婚約誓約書を正式に破棄した。


ディオンは鉱山から、自分は大公の命令へ従っただけで本当はカミラを愛している、という手紙を送った。


カミラは最後まで読むと、返事の代わりに婚約誓約書の写しを送り返した。


そこには赤い文字で一言だけ書かれていた。


『お父様に決めていただいてくださいませ』


手紙を読んだディオンは激怒したという。


しかし、その怒声に耳を傾ける者はいなかった。


鉱山では、働かなければ食事が減らされる。


過去の身分も、父親の権力も、甘い求婚の言葉も、石を掘る役には立たなかった。


エレノーラは一年後、病から回復した国王から正式に王位を譲られた。


即位式の日、彼女は母から受け継いだ銀の鍵を胸元へ下げていた。


玉座の前には、多くの貴族と国民の代表者が集まっている。


王冠を受け取る前に、エレノーラは一枚の文書へ署名した。


国王の権限を法によって制限し、王族の財産と国家予算を明確に分けるための憲章だった。


「陛下」


老いた大臣が尋ねる。


「即位なさる前から、ご自分の権限を減らされるのですか?」


「権力は、自ら正しく使えると思い込んだ瞬間から腐敗します」


エレノーラはガルシア大公の空席を見た。


「わたくしが信頼に値する王であり続ける保証は、どこにもありません」


「ですが、陛下は民を第一に考えておられます」


「今は、です」


彼女は文書を議員たちへ示した。


「未来の善意へ期待するのではなく、悪意が生まれても国を守れる仕組みを残します」


セレスティアが静かに拍手した。


続いてリディア。


ユリウス。


アリシア。


やがて会場にいるすべての者が、立ち上がって拍手を送った。


王冠がエレノーラの頭上へ置かれる。


しかし彼女を女王にしたのは、王冠でも血筋でもない。


自分が持つ権力さえ制限し、国と民を守ろうとする覚悟だった。


即位式を終えた夜。


リディアたちは王宮の庭園へ招かれた。


一年前までガルシア大公家の紋章が掲げられていた場所には、七つの島を表す新しい旗が翻っている。


エレノーラはリディアへ一通の封書を差し出した。


「何でしょう?」


「正式な報酬です」


「調査にかかった費用は、すでにいただいております」


「金銭ではありません」


封書の中には、アステリア王国の自由通行証が入っていた。


王国のすべての港を、いつでも自由に利用できる。


「次の旅で、この国の近くを通ることがございましたら、ぜひお立ち寄りください」


「喜んで」


「ただし」


エレノーラは少しだけ笑った。


「次にお越しになるときは、調査団としてではなく、友人として」


リディアも微笑んだ。


「そのほうが、わたくしも嬉しく思います」


カミラがアリシアの横から顔を出す。


「本当に、もう行ってしまわれるのですか?」


「こちらでの問題は解決しましたから」


「もっと武勇伝を聞かせていただきたかったです」


「姉様ではなく、わたしが?」


アリシアが尋ねる。


「もちろんです。お一人で十二人の兵士を倒したお話を」


「倒してはおりません。脅しただけです」


リディアが訂正する。


「姉様。誤解を招く言い方はやめて」


「剣を抜いたでしょう?」


「あれは交渉を円滑にするためよ」


「それを脅しと呼ぶのです」


「怪我人は出ていないわ」


エレノーラとカミラは顔を見合わせ、笑った。


その様子を少し離れた場所から見ていたセレスティアへ、ユリウスが声をかける。


「寂しいですか?」


「何がでしょう」


「娘たちが、自分たちの力で国を救えるようになったことが」


セレスティアは首を横に振った。


「誇らしいです」


「あなたの手を必要としなくなっても?」


「わたくしの手を借りなければ何もできないように育てたつもりはございません」


リディアは母を頼る。


だが、母の言葉をそのまま正解とはしない。


アリシアも母を尊敬している。


しかし、自分が守るべきものは自分で決める。


二人ともセレスティアとは異なる強さを持っていた。


「親の役目は、子どもを自分の後ろへ置き続けることではありません」


セレスティアは娘たちを見た。


「いつか、自分を追い越していく背中を見送ることです」


「追い越されたと?」


「まだ負けるつもりはございません」


「張り合うのですか?」


「母親にも意地がございますから」


二人は静かに笑った。


翌朝。


アルヴェイン家を乗せた船が、アステリアの港を出た。


岸壁ではエレノーラとカミラが手を振っている。


リディアも甲板から手を振り返した。


「次はどこへ向かうの?」


アリシアが尋ねる。


「帝国へ戻ります」


「しばらく休むのね」


「ええ。三か月ほど」


「たった三か月?」


「十分でしょう」


「姉様にとってはね」


リディアは海の向こうへ目を向けた。


穏やかな風が銀色の髪を揺らす。


一つの国で問題が解決しても、世界から理不尽がなくなるわけではない。


自分の地位を利用しようとする者。


他人の功績を奪う者。


法を自分の都合で曲げる者。


誰かを悪役に仕立て、自分の罪を隠そうとする者。


きっと、これからも現れるだろう。


けれど同時に、立ち向かおうとする者もいる。


閉じ込められても誇りを失わなかったエレノーラ。


脅されながらも最後に署名を拒んだカミラ。


家族を守るため、違法な命令へ背いた兵士たち。


そして真実を知れば、正しい選択をしようとする国民。


リディアが救ったのではない。


彼らが自分で立ち上がれるよう、奪われていた真実を返しただけだ。


「姉様」


アリシアが一通の手紙を差し出した。


「帝国から届いているわ」


「また依頼ですか?」


「西方の公国で、婚約破棄騒ぎが起きたそうよ」


リディアは手紙を開く。


公爵令嬢が平民の少女をいじめたとして、王太子から婚約破棄を宣言された。


公爵令嬢は無実を訴えている。


一方、平民の少女は王太子から贈られた宝石を持って姿を消した。


さらに、王家の宝物庫から国宝までなくなっているという。


「どうするの?」


アリシアが楽しそうに尋ねる。


リディアは手紙をたたんだ。


「三か月、休む予定でした」


「ええ」


「予定は変更しません」


アリシアが目を見開く。


「行かないの?」


「わたくし一人が、すべての問題を解決する必要はございません」


「では、断るのね」


「いいえ」


リディアは別の封書を取り出した。


「ルクシアで育てた調査官たちへ、依頼を引き継ぎます」


「なるほど」


「わたくしがいなくても、正しく調べられる方々です」


「姉様も成長したのね」


「どういう意味ですか?」


「以前なら、すぐに飛んでいったでしょう」


「否定はいたしません」


二人は笑った。


リディアは依頼書に、推薦する調査官の名を書き加える。


母や自分だけが、悪役令嬢を救えるわけではない。


法を学ぶ者。


証拠を集める者。


正しい記録を残す者。


権力を恐れず、事実を口にする者。


そうした人々が増えれば、英雄一人に頼らなくても理不尽へ立ち向かえる。


それこそが、セレスティアとリディアが国々へ残してきた、本当の財産だった。


「書けました」


リディアは手紙を書記官へ渡した。


「帝国へ届けてください」


「承知しました」


海鳥が空を横切る。


船は白い波を立てながら、帝国へ向かって進んでいく。


悪役令嬢が理不尽に断罪される物語は、まだ世界のどこかで繰り返されている。


けれど、断罪される者が一人で耐える時代は、少しずつ終わろうとしていた。


誰かが濡れ衣を着せられれば、証拠を確認する者が現れる。


権力者が法を曲げようとすれば、記録を残す者が現れる。


誰かの努力が奪われれば、それを本人へ返そうとする者が現れる。


そして、支援を当然と思い、他人の財産を使い込み、最後には愛や血筋を理由に許しを求める者が現れたなら。


請求書を差し出す者も、世界中に現れるだろう。


セレスティアが始めたのは、王家を滅ぼす物語ではなかった。


理不尽へ従わなくてもよいと、人々へ示す物語だった。


その意志はリディアへ、アリシアへ、彼女たちが育てた者たちへ受け継がれていく。


悪役令嬢とは、誰かに与えられた役ではない。


自分を踏みにじる物語から降り、自分の人生を生きると決めた者の名なのだ。


リディアは水平線の向こうを見つめた。


次にどのような問題が待っているのかは分からない。


だが、恐れる必要はなかった。


契約書は読む。


証拠は残す。


不正は見逃さない。


そして何より、自分一人ですべてを背負わない。


リディアは母から学んだことへ、自分自身が得た答えを加えていた。


「お姉様」


アリシアが笑う。


「もし、次の国でも婚約を申し込まれたら?」


「丁重にお断りします」


「相手がどうしても、と言ったら?」


「契約書をお渡しします」


「署名したら?」


「全条文を理解しているか、試験を受けていただきます」


「合格したら?」


リディアは少し考えた。


「そのときは、お茶くらいご一緒してもよいでしょう」


「ずいぶん進歩したわね」


「わたくしを何だと思っているのです?」


「請求書と結婚した女性」


「失礼です」


二人の笑い声が海へ広がった。


少し離れたところで聞いていたセレスティアとユリウスも笑っている。


船は進む。


悪役令嬢たちの物語を、まだ見ぬ次の時代へ運びながら。

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