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プロローグ 帰還の門、その向こうにあるもの

夜空を裂くように、最後の雷光が黒き天を染め上げた。


 崩れた神殿の最上階。

 世界の果てに築かれた《冥王城》の玉座の間は、すでに戦場の原形を失っていた。砕けた黒曜石の柱、焼け落ちた紋章壁、床一面に走る巨大な亀裂。そこに満ちるのは、血と焦げた魔力と、終焉の熱だった。


 その中央で、天城恒一は静かに息を吐いた。


「……終わった、か」


 彼の右手には、幾重もの術式光輪が未だ残滓のように揺れている。左の掌には、砕け散った賢杖アストラル・レギスの破片。

 立っているのが不思議なほど、全身は限界だった。肩口のローブは焼け落ち、腹部には魔王の黒槍が穿った傷がまだ熱を持っている。視界も少し滲んでいた。


 だが、それでも恒一は前を見ていた。


 玉座の前。

 この世界に千年の災厄をもたらした存在――魔王ゼグラディオスは、胸を貫く黄金の聖剣と、全身を縛る神代級封印陣の中で、なおも膝をついていた。


 人の姿に近い、だが人ではない禍々しい巨躯。黒い角。深淵を塗り固めたような外套。赤黒い瞳に宿っていた傲慢は、すでに消え失せている。

 今そこにあるのは、敗北を理解した王の、冷たい沈黙だけだった。


「……見事だ、人の子よ」


 魔王が低く嗤う。

 その声は先ほどまで世界そのものを震わせていたものとは別物のように、ひどく弱々しかった。


「幾多の勇者を喰らい、王国を滅ぼし、魔族すら従えた我を……まさか貴様のような、異邦の賢者が討つとはな」


 恒一は返事をしなかった。


 代わりに一歩、前へ出る。


 すると、その両脇に立っていた五人の少女たちもまた、それぞれの武器を手に魔王を見据えた。


 金の長髪を血で汚しながらも気高く立つ、聖剣姫セレフィア。

 翡翠色の瞳を細め、幾重もの魔法陣を指先で維持するエルフの大魔導士リュミエル。

 漆黒の獣耳をぴくりとも動かさず、短刀を逆手に構える獣人の影狩りカレン。

 白銀の法衣を裂かれながらも祈りの光を絶やさない聖女ミレーネ。

 紫紺のドレスを返り血で染め、魔王すら冷ややかに見下ろす魔王姫ノクス。


 彼女たちは、恒一がこの世界で出会い、旅をし、傷つき、命を預け合ってきた仲間。

 そして今や、誰がどう見ても世界最強のパーティーだった。


 魔王はその全員を見渡し、かすかに唇を歪めた。


「なるほど。貴様一人が強かったのではない。貴様は……“絆”という不可解な力に愛されていたわけだ」


「違うな」


 恒一は静かに言った。


「俺が強くなれたのは、こいつらがいたからだ」


 一瞬、空気が止まる。


 そして次の瞬間。


「……っ!」


 セレフィアがわずかに目を見開き、真っ赤になった。

 リュミエルは「今その台詞をこの場で言うの?」とでも言いたげに額を押さえ、カレンの尻尾がぶわっと膨らむ。ミレーネは頬を押さえて目を潤ませ、ノクスだけが「ふふ」と妖しく笑った。


「最後の最後でそういうことを平然と言えるから、あなたはずるいのよ、コーイチ」

「ノクス、茶化すな。……でも、まあ、今のは少し、胸に来たわね」

「こ、こういう時に照れさせるの、反則……」

「主さま……あとで、もう一回言って」

「神よ、感謝します……いえ、これは神ではなく恒一様に感謝すべきでしょうか……?」


「おい、お前ら……」


 恒一は疲れ切った顔で苦笑した。

 この状況でいつもの調子を崩さないあたり、本当にどうしようもない仲間たちだと思う。


 そして、それがたまらなく愛おしかった。


 魔王は小さく目を閉じる。


「……敗因は、そこか」


 黒い魔力が、その体の裂け目から静かに漏れ始める。

 終わりだ。世界を覆った災厄は、ついに終焉を迎えようとしていた。


「人の子よ。異邦の賢者よ。最後に一つだけ問おう」


 魔王ゼグラディオスは、崩れかけた王座に寄りかかりながら、恒一だけを見た。


「貴様はこの世界に何を求めた」


 恒一は、少し考えた。


 王国の褒賞か。

 英雄の称号か。

 最強の力か。

 愛する仲間たちとの未来か。


 どれも、この世界で得たものだった。

 だが、心の一番深いところに、最初から最後まで残り続けていたものはただ一つだ。


「帰りたかったんだよ」


 魔王の瞳が、わずかに揺れる。


「……元の世界に」


「そうだ」


 恒一は迷わず答えた。


「俺は、この世界を嫌いになったことは一度もない。お前と戦って、死にかけて、何度も地獄を見たけど、それでも仲間に会えた。守りたいものもできた。ここで生きた時間を、無駄だったなんて思わない」


 そこでいったん言葉を切り、息を吸う。


「でもそれでも、帰りたかった。家に帰りたかった。親父と母さんがいて、コンビニがあって、電車が走ってて、くだらない授業があって、何も起きない平和な日本に」


 沈黙が落ちた。


 その言葉を聞いた仲間たちは、誰も口を挟まなかった。

 彼女たちは知っている。恒一が夜ごと空を見上げていたことを。焚き火の前で、不意に懐かしそうな顔をすることを。自分の世界の話を、少し照れくさそうに語るたび、その目だけが遠くを見ていたことを。


 魔王はゆっくりと頷く。


「……ならば、その望み。最後の余興として叶えてやろう」


 玉座の間の最奥。

 砕け散った《世界核》の残骸が、不気味な光を放ち始めた。


 リュミエルが顔色を変える。


「待って、あれは――」

「次元の狭間を繋ぐ門……!」

「なに……!?」


 ミレーネが叫ぶより早く、魔王は口元を吊り上げた。


「我が魂と世界核の残滓をもって、一度だけ門を開く。異邦の賢者よ、貴様が本当に異世界の者であるなら……帰還の路は現れるだろう」


 玉座の間全体が振動した。

 空間が軋み、裂け、黒と蒼の光が渦を巻く。雷鳴のような音とともに、宙に巨大な円環が開き始める。


 それは門だった。

 世界と世界を繋ぐ、禁忌の転移門。


 恒一は息を呑む。


「……本当に、帰れるのか」


「保証はない」


 リュミエルが鋭く言う。額に汗を浮かべ、術式の解析に集中していた。


「でも、構造そのものは確かに“元の世界座標”へ伸びてる。こんなの、理論上は可能でも実現不可能なはずなのに……!」


「魔王の最期の悪足掻きかもしれません」

「罠ってこと?」

「その可能性はある」


 セレフィアの手が、無意識に恒一の腕を掴んでいた。

 細くて強い指先が、微かに震えている。


「行くのか」


 その問いは、騎士の確認ではなかった。

 一人の女の、縋るような問いだった。


 恒一はその手を見て、そして仲間たちを見た。


 旅の始まりを思い出す。

 最初はただ生き延びるのに必死だった。魔物に追われ、森をさまよい、言葉も通じず、何もできなかった。

 そんな自分を救ったのが、彼女たちだった。


 セレフィアが剣を振るい、リュミエルが知恵を貸し、カレンが闇から敵を断ち、ミレーネが何度も命を繋ぎ、ノクスが敵だったはずの立場から隣へ来た。


 気づけば一人ではなくなっていた。

 いつの間にか、この世界に帰る場所ができていた。


 それでも。


「……行く」


 恒一は答えた。


「帰れるなら、帰りたい」


 セレフィアの指先に力が入る。

 リュミエルが唇を噛んだ。

 カレンの耳が伏せられた。

 ミレーネは祈るように胸の前で手を組み、ノクスは目を伏せて笑みを消した。


「そっか」


 最初に言ったのはカレンだった。

 いつも寡黙な彼女の声は、驚くほど静かだった。


「主さま、ずっと帰りたかったもんね」


「……ああ」


「なら、止めない」


 そう言いながらも、彼女の尾は明らかに落ち込んでいた。

 普段なら真っ先に恒一の隣を取ろうとするのに、今だけは一歩下がっている。


 ミレーネが涙を浮かべながら、それでも優しく微笑む。


「恒一様が救ってくださった世界です。わたくしたちは、その恩を生涯忘れません。ですから……本当はずっとお傍にいたいですけれど、それでも、あなたが望む帰還を祝福しなければなりません」


「祝福、ねえ……聖女ってほんと損な役回り」


 ノクスが小さく肩を竦めた。


「私は素直じゃないから、祝福なんて綺麗な言葉は使えないわ。帰るなと言いたい。ここに残れと言いたい。私たちを置いて行くなと言いたい。……でも」


 彼女は恒一に歩み寄り、その胸元にそっと触れた。


「それでもあなたが帰ると決めたなら、最後まで格好いい英雄でいて。未練だらけで振り返る男なんて、私の好みじゃないもの」


「ノクス……」


「ただし」


 紫の瞳が妖しく細められる。


「もし向こうの世界で他の女にふらふらしたら、次元を超えて呪うわよ」


「最後の最後までそれか……」


 恒一が苦笑すると、少しだけ空気が緩んだ。


 だが、その柔らかさを一瞬で引き裂くように、リュミエルがずいっと前に出る。


「私は反対」


「おい」


「だってそうでしょ! この門、理論的に不安定すぎるし、座標ずれが起きたらどうなるかも分からない。帰還先が本当に“あなたの知ってる日本”かどうかさえ不明。時間軸だって一致している保証はない。下手をしたら数十年、数百年単位で――」


 そこで彼女は止まった。

 理屈を積み上げていた声が、かすかに震える。


「……それに、帰ったら、もう二度と会えないかもしれないじゃない」


 恒一は言葉を失う。


 リュミエルはいつもそうだった。誰より賢く、冷静で、論理的で、感情より理屈を優先する。

 そんな彼女が、今だけは理屈の仮面を被ったまま、泣きそうな顔をしていた。


「あなた、私たちに散々『無茶をするな』って言っておきながら、最後は自分だけそんな無茶を選ぶの?」

「……悪い」

「ほんとに悪いと思ってる?」

「かなり」

「足りない」


 言って、リュミエルは胸元から小さな水晶片を取り出した。

 青く透き通る、不思議な光を宿した欠片だった。


「これ、持っていって」


「これは?」

「私の工房の中でも一番出来のよかった共鳴結晶。あなたの魔力に合わせて調整してある。世界が違っても、たぶん完全には切れない。……たぶん、だけど」


「たぶんかよ」

「研究者に絶対なんてないの。いいから持って。壊したら許さない」


 恒一は受け取った。

 小さな結晶は、熱を帯びるように彼の掌で淡く光った。


 セレフィアが、一歩前に出る。


 彼女は何も言わなかった。

 ただ、剣を床に突き立て、背筋を伸ばし、王女ではなく一人の騎士として跪いた。


「セレフィア?」


「賢者コーイチ」


 彼女の声は、震えていなかった。

 むしろ、今までで一番まっすぐだった。


「あなたは私の主ではありません。王でも、神でも、運命でもない。けれど私は、一人の騎士としてあなたに救われました。誇りを教えられ、弱さを受け止められ、共に戦う意味を教えられました」


 金の瞳が、真正面から恒一を射抜く。


「だから命じてください、と言うつもりでした。残れと。私の隣にいろと。そう言ってくだされば、私はどんな手を使ってでもあなたをここへ繋ぎ止めたでしょう」


「……セレフィア」


「ですが、言いません」


 彼女は立ち上がる。


「あなたが帰りたいと願うなら、私はそれを守る騎士でありたい。あなたが世界を救ったように、あなたの願いもまた、守られるべきです」


 そして、ほんの少しだけ顔を赤くして、だが凛として続けた。


「ですが一つだけ、覚えていてください。あなたがどこの世界へ行こうと、私の心における唯一の主君は、これから先もあなただけです」


 それは告白より重い言葉だった。


 恒一の喉が詰まる。

 言い返そうとしても、何も出てこない。


 代わりに、カレンがすっと近づいてきた。


「主さま」


「ん?」


「しゃがんで」


「……こうか?」


 屈んだ瞬間、カレンは両腕を回して抱きついてきた。

 その勢いに恒一は目を見開く。


「カ、カレン?」

「今、最後だから」

「最後ってお前……」


 彼女は顔を恒一の首筋に埋め、深く息を吸い込んだ。

 獣人特有の鋭敏な感覚で、彼の匂いを心に刻むように。


「忘れない。主さまの匂い、鼓動、体温。ぜんぶ覚えてる。どの世界にいても、たぶん見つける」


「いや、たぶん見つけるってどういう――」

「主さまが泣いてたら、迎えに行く」

「泣かねえよ」

「じゃあ寂しかったら」

「……それは、あるかもしれない」


 その返答に、カレンは少しだけ満足そうに目を細めた。


「なら、大丈夫。主さま、一人じゃない」


 ミレーネは耐えきれず、ついに涙を零した。

 ぽろぽろと、透明な雫が白い頬を伝う。


「こんな時くらい、もっと綺麗に送り出したかったのに……ごめんなさい、泣いてしまって……」


「ミレーネ」


「恒一様は、わたくしにとって奇跡でした。神に祈るだけだったわたくしに、手を伸ばしてくださった初めての方でした。世界を救う旅の中で、何度もくじけそうになったわたくしを……そのたびに、あなたは前を向かせてくださった」


 彼女は震える手で、首から下げていた小さな銀の聖印を外した。


「これを、お守りに」


「大事なものだろ」

「はい。ですから、あなたに持っていてほしいのです。祈りとは、離れていても届くものですから」


 恒一は聖印を受け取る。

 そのぬくもりに、言葉にできないものが込み上げた。


 門の光が、さらに強まっていく。

 もう時間は残されていなかった。


 魔王の肉体は、ほとんど崩れ落ちようとしている。

 世界核の光も不安定だ。門が閉じるのは近い。


「……そろそろ、行け」


 魔王がかすれた声で言った。


「我とて、長くはもたぬ。貴様の帰還の路が真に開かれているのなら……今を逃せば次はないぞ」


 恒一はゆっくり頷いた。


 足が、重かった。


 勝てば終わると思っていた。

 魔王を倒せば、全部が片付くと思っていた。


 けれど実際には違う。

 戦いの終わりは、別れの始まりだった。


 門の前に立つ。


 蒼く渦巻く光の向こうは何も見えない。

 本当に帰れるのかも分からない。帰った先がどうなっているのかも分からない。


 それでも、進むしかない。


 恒一は振り返る。


 そこにいたのは、彼がこの世界で得たすべてだった。


「……ありがとう」


 最初に出た言葉は、それだった。


「俺、お前らに会えてよかった」


 セレフィアが泣きそうな顔で笑う。

 リュミエルは唇を噛みしめたまま、そっぽを向く。

 カレンはもう一度抱きつきたそうに一歩踏み出し、でも止まる。

 ミレーネは両手を胸の前で組み、祈るように見つめる。

 ノクスはいつもの妖艶な笑みを浮かべようとして、うまくできずにいた。


「俺、多分……この先も、お前らのこと忘れない」

「忘れたら斬ります」

「忘れたら呪う」

「忘れたら刺す」

「忘れたら悲しいです……」

「忘れたら、研究資料全部燃やす」


「物騒すぎるだろ!」


 思わず恒一が叫ぶと、五人が少しだけ笑った。


 その笑顔を見てしまったから、もう駄目だった。

 胸の奥が痛い。喉が熱い。目頭が焼けるようだ。


「……っ、くそ」


 こんな顔、見せたくなかった。

 格好悪いまま別れるなんて嫌だった。


 だがセレフィアが、まっすぐに言った。


「泣いても構いません」


 ミレーネが続ける。


「大切な別れですから」


 リュミエルは小さく息を吐いた。


「むしろ泣きなさい。あとで私たちだけ泣いてたみたいになると腹立つし」


 カレンが頷く。


「主さまの涙、ちゃんと覚える」


 ノクスは、少しだけ寂しそうに笑った。


「格好悪いあなたも、嫌いじゃないわ」


 恒一はついに笑ってしまった。

 笑いながら、涙が零れた。


「……ほんと、お前ら最高だよ」


 門が唸りを上げる。

 時間切れだった。


 恒一は深く息を吸い、最後に一歩だけ下がって、全員の姿を焼き付けるように見つめた。


「生きろよ」


 その言葉に、五人は同時に頷いた。


「お前も!」

「当然です!」

「主さまこそ」

「死んだら許しません」

「絶対に」


 恒一は踵を返した。


 門へ向かって歩く。

 一歩ごとに、後ろから声が飛ぶ。


「コーイチ!」

「恒一様!」

「主さま!」

「忘れないで!」

「また会いましょう!」


 また会える保証なんて、どこにもない。

 それでも彼女たちは、誰一人として「さようなら」とは言わなかった。


 だから恒一も、最後までその言葉を使わなかった。


 門の光に体が呑まれる寸前、彼は振り返らずに叫んだ。


「またな!!」


 そして。


 異世界を救った最強賢者・天城恒一は、光の中へ消えた。


 残された玉座の間で、五人の少女たちはしばし立ち尽くしていた。

 やがて門が閉じ、光が消え、終焉の静寂だけが残る。


 最初に膝をついたのはミレーネだった。

 次にカレンが床へ座り込み、セレフィアは剣を支えに天を仰ぐ。

 リュミエルは顔を覆い、ノクスは誰にも見えないよう、静かに唇を噛んだ。


 世界は救われた。


 けれど、彼だけがいない。


 その喪失が、勝利よりも重く、静かに全員の胸へ降り積もっていく。


 ――同じ頃。


 白く、冷たい光の奔流の中で、恒一はたった一人、どこまでも落ちていた。


 目を閉じれば浮かぶのは、彼女たちの顔ばかりだった。

 別れ際の涙、笑顔、声、温度。

 胸が痛む。泣きたくなる。帰りたかったはずなのに、もう失いたくないものが異世界にできてしまっていたと、今さら思い知る。


「……会いてえな」


 零れた本音は、光に溶ける。


 次の瞬間。


 恒一の体は、猛烈な衝撃とともに硬い地面へ叩きつけられた。


「っ、が……!」


 肺の空気が一気に吐き出される。

 痛みに耐えながら顔を上げたその先で、彼は息を呑んだ。


 そこに広がっていたのは、彼の知る日本ではなかった。


 夜の街。

 だが灯るはずのネオンはなく、ビル群は黒く焼け崩れ、道路は瓦礫に埋もれている。遠くで何かが燃えていた。空には見たことのない無数の赤い光点が浮かび、断続的に銃声と爆発音が響いてくる。


 ひしゃげた標識。転がる装甲車の残骸。

 焼け焦げた高架下に、かろうじて見覚えのある日本語の看板だけが残っていた。


「……なんだよ、これ」


 異世界からの帰還。

 それは終わりではなく、もう一つの地獄の始まりだった。


 闇の向こうで、金属の足音が鳴る。


 ギ、……ギ、……ギ、……。


 人のものとは思えない、規則正しい機械音。


 恒一がゆっくり振り向いたその先、赤い単眼を灯した人型機械が、煙の中から姿を現す。


 その無機質な視線が、帰還したばかりの賢者を捉えた。

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