第9話 静脈の内側
評議会棟の最上階は、夜でも明るい。
太陽光ではない。
吸血鬼が安心して浴びられる、管理された白。
ヴァルターは窓際に立ち、都市を見下ろしていた。
港湾地区の闇も、住宅地の灯りも、すべてが同じ高さに並ぶ。
「……クロエは、やはり止めたか」
背後で、かすれた声が応じる。
「想定の範囲だな」
椅子に腰掛けているのは、始祖の一人――
アウレリウス。
評議会に名を連ねる最古参であり、
血の濃さにおいても、権威においても別格の存在だ。
「裁定官としては、優秀だ」
アウレリウスは続ける。
「規律を守ろうとしている。それ自体は、責められる行為ではない」
ヴァルターは、口元だけで笑った。
「ええ。だからこそ厄介なのです」
「……ほう?」
「彼女は“秩序”を信じている」
ヴァルターは振り返らない。
「だが、その秩序が“誰のためにあるか”までは、考えていない」
アウレリウスは沈黙する。
「始祖が定めた数。
増やさない、減らさない。血を分けない、勝手に奪わない」
ヴァルターは指を組む。
「美しい理念です。しかし――」
一拍。
「現実は、太陽刑で“減らしている”」
空気が、わずかに張りつめる。
「矛盾しているのです」
ヴァルターは静かに言う。
「だから、人は――いえ、吸血鬼は、疑問を持つ」
アウレリウスは目を細めた。
「……お前は、何を望んでいる」
「再定義ですよ」 即答だった。
「血を分けることを罪とするなら、
誰が分け、誰が管理するのか」
「まさか――」
「ええ」
ヴァルターは、ようやく振り返る。
「始祖に近い者だけが、その権利を持つべきだ」
それは、露骨な野心だった。
だが、理屈は整っている。
「秩序のため」
ヴァルターは言う。
「暴走を防ぐため。選ばれた血のみを、選ばれた者に」
アウレリウスは、しばらく黙っていた。
「……クロエたちは?」
「試金石です」
ヴァルターは迷いなく言う。
「従えば、優秀な駒。背けば――」
言葉を切る。
「反逆の象徴になる」
それは、彼が最初から狙っていた位置だった。
―――
別室。
壁一面に浮かぶ、複数の映像。
旧港湾地区。
車内。
記録されなかった“空白”。
ヴァルターは、ノアの端末のログを再生する。
削除されたはずの一瞬が、微かに残っている。
「……記録官」 彼は呟く。
「君は、嘘が下手だ」
次に表示されたのは、イリヤのデータ。
過去の行動履歴。
人間との接触記録。
「なるほど」 ヴァルターは、ようやく満足そうに息を吐いた。
「内部から、崩れる」
彼は、指示を一つだけ送信する。
【次回裁定:非公開】
【対象:未定】
【裁定官:クロエ】
曖昧で、逃げ道のない命令。
「正しいと信じる者ほど」
ヴァルターは独り言のように言う。
「追い詰めやすい」
その頃、クロエたちはまだ知らない。
この夜が、
ただの命令違反では終わらないことを。
血は、すでに
内側から、静かに巡り始めている。




