第7話 共闘
旧港湾地区から戻る途中、
チームの誰一人として口を開かなかった。
エンジン音だけが、やけに大きく聞こえる。
クロエは前を見ていた。
ミロの顔も、父親の声も、
もう振り返らないと決めた目だった。
フロントガラスに映る街灯の光が、
一瞬だけ歪んだ。
――違和感。
ほんの一瞬。
だが、クロエは見逃さなかった。
「……」
視線を動かさず、彼女は端末の存在を意識する。
触れていないのに、
そこに“起動している気配”があった。
盗聴でも、追尾でもない。
もっと悪質なものだ。
「……まだ繋がってる」
ノアが、ほとんど口を動かさずに言った。
誰も問い返さない。
何と繋がっているのか、全員わかっている。
この車両は、
評議会の管理下にある。
正確には――
ヴァルターの管轄だ。
クロエは、ようやく端末に視線を落とした。
画面は暗い。
だが、完全に沈黙してはいない。
ログの隅で、
見慣れない監視プロセスが、静かに動いている。
「……なるほど」
クロエは、息を吐いた。
旧港湾での判断。
記憶処理の選択。
端末の電源を落とした“瞬間”。
――すべて、見られていた。
エンジン音が、さらに低く唸る。
レオンの指が、ハンドルを強く握った。
「いつからだ」 短く、低い声。
「最初から」 クロエは即答する。
「私たちが“選択肢を与えられた時点で”」
その時、端末が再び震えた。
振動は短く、
まるで確認するような一回だけ。
――逃げるな。見ている。
そう言われた気がした。
クロエは、画面を見ない。
代わりに、前方の闇を見据える。
「……上等」 小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
【緊急裁定】
【裁定官クロエ、職権乱用の疑い】
【同行者を含め、即時拘束対象とする】
「……来たわね」
クロエは、静かに言った。
車両が減速するより早く、
前方の高架の影から“それ”が現れた。
装甲車両。
裁定執行部――
クロエたちとは別系統の部隊。
「止めろ!」
誰かが叫ぶより先に、
衝撃が走った。
車体が横から弾かれ、
港湾の路面を滑る。
「全員、外へ!」
クロエの声は鋭い。
感情が削ぎ落とされ、
“執行官”のそれに戻っていた。
次の瞬間、
暗闇の中から飛び込んできた影を、レオンが叩き落とす。
鈍い音。
骨と装甲がぶつかる感触。
「……裁定部か」 レオンが呟く。
「ヴァルターの私兵よ」 クロエは答えた。
銃声。
だが狙いは甘い。
殺すためじゃない。
捕えるためだ。
「命令だ!武装解除しろ!」 拡声器越しの声が響く。
その声に、クロエは一歩前に出た。
「私は裁定官クロエ」 名乗りは、挑発だ。
「この場での判断は、私に権限がある」
「権限は剥奪された」 即答だった。
「評議会決定だ。従え」
クロエは、少しだけ笑った。
「評議会“全体”じゃないわね」
空気が変わる。
その瞬間、
別の圧が降りてきた。
音もなく、
影が“立っていた”。
始祖。
正確には、
始祖の名を継ぐ者のひとりパウル。
古く、
静かで、
圧倒的な存在。
裁定部隊が、一斉に動きを止めた。
「……ここで何をしている」
声は低く、穏やかだった。
誰も即答できない。
代わりに、
通信が割り込む。
《状況は把握している》
ヴァルターの声。
《始祖パウル殿。
クロエは秩序を乱した。
血律に背き、人間を庇護した》
「庇護?」
パウルが、首を傾げる。
「血を与えたか」
「否」
「正体を晒したか」
「否」
「人間を殺したか」
「否」
淡々とした問い。
ヴァルターが一瞬、言葉に詰まる。
《だが――》
「“だが”は不要だ」
始祖パウルの視線が、クロエに向いた。
「裁定官。
おまえは何を裁いた」
クロエは、迷わなかった。
「罪ではなく、行為を」
「違反ではなく、結果を」
「――生き方を、です」
沈黙。
それを破ったのは、ヴァルターだった。
《感情だ。
それが秩序を壊す》
始祖パウルは、ゆっくりと頷いた。
「そうだな」
そして、続けた。
「だからこそ、
感情を知らぬ者が秩序を語ると――
それは傲慢になる」
空気が凍る。
「ヴァルター」 始祖パウルは名を呼んだ。
「おまえの指令は、逸脱している」
《……パウル殿?》
「裁定は預かる。
この件、私が引き取る」
通信が、強制的に切れた。
裁定部隊が、退く。
その場に残ったのは、
クロエたちと、始祖パウルだけだった。
「借りを作ったな」 始祖パウルが言う。
「ええ」 クロエは答えた。
「返す気はありませんけど」
始祖パウルは、ほんのわずかに笑った。
「いい」
「次は、
こちらから動く」
その言葉で、
クロエは理解した。
これは“助け”じゃない。
共闘の宣言だ。
だが同時に――
ヴァルターが、
確実に牙を剥いてくる。
闇は、まだ深くなる。




