第5話 赤の秩序
始祖評議会の会議室は、いつも静かだ。
豪奢な装飾はない。威圧もない。
あるのは、時間そのものの重みだけ。
石の円卓に座る始祖たちは、ほとんど動かない。
呼吸も、瞬きも、人間の尺度では意味をなさないほどゆっくりだ。
その沈黙を破ったのは、ひとりの男だった。
「――人間社会への干渉レベルを、引き上げるべきです」
評議会執行官、ヴァルター。
始祖ではない。だが評議会の実務と命令系統を掌握する役職にある男だ。
「最近、吸血鬼の存在に勘づいている人間が増えています。
このままでは“溶け込む”という我々の方針自体が破綻する」
彼はそう言いながら、始祖たちを見ない。
あくまで“合理性”に向かって話している。
「記憶改ざん、排除、見せしめ。
多少強引でも、秩序を守るためなら許容されるはずです」
円卓の奥。
最も古い始祖が、低く口を開いた。
「……秩序とは、恐怖で縛るものではない」
ヴァルターは、わずかに口角を上げた。
「それは理想論です。始祖。
今は、あなた方が眠っていた時代とは違う」
その言葉に、空気がひび割れる。
始祖を“時代遅れ”と切り捨てる無礼。
「我々は、共存を選んだ」
「ええ。だからこそ――管理が必要なのです」
ヴァルターは続ける。
「吸血鬼が吸血鬼を制御する。
始祖の慈悲ではなく、評議会の“意志”で」
始祖のひとりが、静かに言った。
「それは、傲慢だ」
ヴァルターは一瞬だけ沈黙し、すぐに言葉を重ねた。
「傲慢?いいえ。責任です」
その場では、それ以上の議論はなされなかった。
始祖たちは、彼を裁かなかった。
だがヴァルターは理解していた。
自分がすでに“危うい線”を越えていることを。
だからこそ、彼は急いだ。
数日後。
クロエの端末に、新たな指令が届いた。
【対象区域:旧港湾地区】
【人間による吸血鬼関与の疑いあり】
【記憶処理、必要とあらば対象の消去を許可】
消去。
その単語に、クロエは目を細めた。
「……ずいぶん雑ね」
イリヤが言う。
「最近、こういう指令増えてません?
確認プロセス、端折りすぎだ」
別の部下は肩をすくめる。
「上がピリついてるんでしょう。
俺たちは命令通りやるだけです」
クロエは答えなかった。
ただ、端末を見つめる。
対象は“単独の一般市民”。
証拠は曖昧。監視記録も断片的。
――これは、守るための命令じゃない。
「行くわよ」
クロエはそう言ったが、心は決めていた。
これは処理ではない。
選別だ。
そしてその基準を決めているのが、
始祖ではない誰かだということも。
その頃、ヴァルターは独り、薄暗い執務室にいた。
「クロエ……」
彼は端末に表示された名前を指でなぞる。
始祖に近い吸血鬼。
現場での信頼も厚い。
だからこそ、邪魔だ。
「こいつらが命令通りに動き続けるか否か。あと少しでわかる……」
彼は命令を送った。
“間違った正義”を、正当な顔で。
始祖の意志を無視した行動。
評議会の規範を逸脱した独断。
それは確実に、
傲慢の罪へと近づいていた。
だがヴァルターは、まだ気づいていない。
始祖たちが――
クロエが――
すでに、同じ異変を感じ始めていることに。




