第3話 正しさは命令の顔をしている
その命令は、
裁定官室に入った瞬間から
“重さ”が違っていた。
「対象は一名。
識別名、ミレイユ」
イリヤの指が、空中に資料を展開する。
人間社会での肩書き。
年齢。
居住区。
そして——
罪状欄が、異様に短い。
「血の共有、なし」
「眷属化、なし」
「露見、未発生」
ノアが、思わず声を漏らした。
「……え?」
セラは黙っている。
だが、その指は止まっていた。
クロエは、視線を上げない。
「続けて」
イリヤは一拍置いてから言う。
「罪名。
——血統汚染の可能性」
空気が、冷えた。
「可能性?」
ノアが言った。
「可能性って……起きてないってことですよね?」
イリヤは答えない。
代わりに、別の情報を表示する。
人間の病院。
輸血記録。
「対象は、人間の子どもに輸血を提供しています」
「善意で、です」
ノアが食い下がる。
「事故です。緊急搬送で、血液型が一致しただけで……」
「吸血鬼の血は、人間に“影響を与える可能性がある”」
セラが、教義の一節をそのまま読み上げる。
「可能性、ね」
ノアは笑った。
乾いた、嫌な笑いだった。
「じゃあ、世界中の“可能性”を
全部殺すんですか」
誰も、答えなかった。
ミレイユは、
拘束台に座っていた。
抵抗は、ない。
彼女は、怯えてもいなかった。
「……その子、生きてますか?」
最初に口を開いたのは、
彼女だった。
クロエは答える。
「容体は安定している」
ミレイユは、安堵したように息を吐いた。
「よかった」
それだけだった。
弁明を促されても、
彼女は首を振る。
「選んだわけじゃない。でも、後悔はしていません」
クロエは記録を見る。
違反歴、なし。
思想活動、なし。
反体制的発言、なし。
「裁定は?」
セラが、静かに問う。
クロエは、迷わない。
「執行対象」
声は、いつも通りだ。
ノアが、一歩前に出た。
「裁定官!」
その声に、
バルドの視線が一瞬だけ動く。
クロエは、ノアを見ない。
「下がれ」
それだけで、
命令は完了する。
ノアは、歯を噛みしめて退いた。
「その子に、何か起きたら」
ミレイユは、クロエを見る。
「それでも、私は後悔しません」
「……なぜ?」
クロエは、
自分でも驚くほど低い声で問うた。
「命令違反でも?」
ミレイユは、微笑んだ。
「だって」
彼女は、
まるで当然のように言う。
「血を与えなければ、死んでいた」
その言葉が、
クロエの胸に、静かに落ちた。
——起きていない罪。
——起こさなかった死。
どちらを、裁く?
執行は、形式通りに行われた。
光。
焼ける音。
灰。
クロエは、最後まで命令を遂行した。
一切の逸脱もなく。
現場を離れたあと。
ノアが、ぽつりと言った。
「……正しかったんですか?」
クロエは、答えない。
バルドは、
いつもの位置に戻る。
半歩後ろ。
その距離が、
今夜は、やけに遠かった。
クロエは思う。
正しさは、
いつから命令の顔をするようになった?
——そして、
自分は、
いつまでそれに従える?
夜は、
まだ終わらない。




