第2話 花火は罪を知らない
花火の音は、記録には残らない。
空気を震わせ、夜を裂き、
消えたあとは、ただの闇になる。
だからこそ、人はあれを愛するのだと、
クロエは思っていた。
報告は簡素だった。
「夏祭り会場。人間多数。
露見の危険性あり。現在、拡散初期段階」
イリヤの声は、感情を含まない。
「問題の投稿はこれです」
空中に投影されたのは、
色鮮やかな花火の写真だった。
構図はありふれている。
夜空。
屋台の明かり。
人の頭。
——ただ一箇所を除いて。
「……隣、空いてる?」
ノアが無意識に呟いた。
確かに、写真の右端。
不自然な“余白”がある。
そこには、本来、
親子が立っていたはずだった。
《この花火大会、隣に親子いたのに写真に写ってないんだけど》
コメント数、二百三十二。
拡散としては、まだ幼い。
「消せます」
イリヤが続ける。
「記憶の補正も可能です。
人間側の処理は、問題ありません」
セラは、すでに端末を閉じていた。
「裁定を」
それが、次の工程だった。
父親は、静かに頭を下げた。
拘束されてはいるが、
乱暴な扱いはされていない。
息子は、隣で大人しく座っている。
まだ幼く、
世界の残酷さを知らない顔だ。
「花火、きれいだったね」
少年は、無邪気に言った。
「赤と青が、重なって……最後、すごく大きかった」
父は、笑った。
ほんの一瞬。
それは、人間と何も変わらない表情だった。
クロエは、その様子を黙って見ていた。
「罪状を読み上げる」
彼女の声は、いつも通りだった。
「人間社会への不必要な接触。
存在露見の危険行為」
父は、否定しない。
「……はい」
「弁明は?」
問われて、
彼は少しだけ迷った。
それから、息子の頭に手を置く。
「この子に、花火を見せたかった」
それだけだった。
言い訳も、理屈もない。
「一度でいいと思ったんです。
空を見上げる理由を、この子に、ひとつだけ」
クロエは、記録を確認する。
血の共有、なし。
眷属化、なし。
過去の違反、なし。
危険度は、低い。
——それでも。
「裁定は?」
セラが問う。
クロエは、即答する。
「執行対象」
声は、揺れない。
だが、
その前に、ほんの一拍。
誰にも気づかれないほどの、
わずかな間。
(……こんなことで?)
思考は、すぐに切り捨てた。
それは、裁定官に許されない疑問だった。
「ねえ」
少年が、クロエを見上げる。
「また、花火見られる?」
問いは、残酷なほど素直だ。
クロエは答えない。
代わりに、命じる。
「眠らせて」
レオンが、一歩前に出る。
手際は正確だった。
少年は、抵抗することもなく、
父の腕の中で眠りに落ちる。
「……ありがとう」
父は、そう言った。
何に対してかは、
誰にもわからない。
執行は、迅速だった。
儀式は簡略化され、
光も、音も、最小限。
灰は、夜風に溶ける。
クロエは、最後まで目を逸らさなかった。
それが、彼女の仕事だった。
現場を離れるとき、
レオンは、いつもの位置に戻る。
半歩後ろ。
クロエは、何も言わない。
夜空には、もう花火はない。
ただ、
さっきまで確かにあった光の残像が、
瞼の裏に残っているだけだった。
クロエは思う。
花火は、罪を知らない。
——知っているのは、
それを見せた者だけだ。




