地元最高──■■町でなお生き続けるゼンリョウな人々
──名前欄には、『■■町の善良な模範市民』とだけ印刷されていた。
逃げ出した“地元”を思い出すと、いつも頭の中で薄い紙が焦げていく。そこに書かれている『地元最高!』の文字が、めらめらと火に揺らめき始める。
小学校の帰り道、電柱に貼られたポスターの端が風にめくれて、『地元最高!』の文字が煽られていた。
白地に黒い文字。その黒は泥濘の最底辺よりもほんの少しだけ明るい色味で、だけど濃かった。
町中でよく見かけた『地元最高!』のスローガンには、おおよそ笑う人々の写真が添えられており、みんな、同じ笑顔を浮かべていた。
──同じ、笑顔を。
生々しくて、純朴で、粘着質で、どこか死んだ人々のように。
ふるさとを愛する事に両親は酔っていた。
故郷を捨てない。故郷を絶賛する。故郷から出ていくと、生きてはいけない。
故郷を愛すれば、町のみんなが褒めてくれると思っていた。
故郷を否定すれば、有志会のみんなに殺されると思っていた。
──でも。
とっくに都会へと逃げ出していたわたしは、今でも遅咲きの人生を謳歌している。
わたしは知っている。
みんな、みんな、知らず知らずに町から消えている。
痕跡すら残さず、血縁を捨てて逃げ出している。
とうに引っ越していったみんなが住んでいた家には、もう埃とゴミと蜘蛛の巣しか残ってはいない。
真夏日。
梃子でも地元の家から移動しようとしなかった親戚の葬儀のため、わたしは“地元”に戻ってきていた。
都会に逃げ出しても血縁と地縁はわたしを縛り続けている。
早く都会へと帰りたい一心で、電車を降りて歩くペースを上げた。
駅前のロータリーまで出ると、“地元を愛する会・青年団”と染め抜かれた法被を着た人々が踊っていた。
太鼓の音。飾り付けられた紙灯籠の下、笑顔がいくつもぼんやりと浮かぶ。
迂回して進もうと足を踏み出した瞬間──彼らの顔がすべて、わたしの顔となっていた。
その視線が、鉄条網となってわたしに絡みついた気がした。
親戚の家に到着した。もう日は暮れており、周囲は静まり返っていた。
どこかで掃除をする音が聴こえる。
誰が何を掃除しているのかは判らない。
朽ちかけた和室に箒の音だけが響き、通夜に集まる親族たちの人影は無かった。
──夏の夜の熱気がひたすら不快だった。
翌日、ぼんやりとしたままわたしはバス通りを歩いていた。信号は一度も変わらなかったような気がする。
空の位置がとても低く、電線の影がわたしの首の辺りを縛るように幾重にも横切っていた。
営業しているのかも分からない個人食堂の壁に、私の顔写真が貼られていた。
『■■町の模範的市民』と、チープなフォントが上部に印刷されている。
いつ撮られたのかも覚えのない顔。その表情に込められた意思が、自分でもよく分からなかった。
わたしが通っていた中学校の方向から、古いスピーカー特有の歪んで割れた音楽が聴こえてくる。
「地元を愛せ。地元を愛せ」
そんな校歌だったかな。思い出せはしない。
その歌声の中には、“地元のみんな”の呼吸が混ざっている。
恐らくはもう、居ない、人たちの。
わたしは歩き続ける。
こんな道あったかな。もう憶えていないな。
砂利敷の空き地で、何かが炎を上げていた。わたしは火元に近づく。
燃えていたのは、何かのアルバムだった。
ページの隙間という隙間から、歓喜の声が溢れ出ていた。
「地元最高!」
「地元最高!」
「地元最高!」
声は揃い、灰とともに低い空へと巻き上げられていく。
鈍色の空が、光を失い灰色になっていった。雲の輪郭がもっとぼやけていった。
わたしはまだ、都会へ帰るための駅に向かって歩き続けていた。
地図アプリを開くためのスマホを取り出そうとバッグを開けると、そこには見覚えのない市民証が入っている。
──名前欄には、『■■町の善良な模範市民』とだけ印刷されていた。
駅前に至る一車線道路は、カラーコーンとおめでたい色のロープで封鎖されていた。しかし、もう、誰も困っていない。
「この町は最高です! 地元をみんなが愛するべきです!」
そんながなり声が聴こえてきた。
それが本当になるまで、この町の人々はここに留まり続けるのだろう。そして、逃げ出した人々をも永遠に縛り続けるのだろう。
しばらく封鎖された道路沿いに立っていた。
誰かの声が背後から囁きかけてくる。
「あなたもちゃんと地元を愛していますか?」
わたしは、わたし自身のものではない声で答える。屈託のない笑顔で、心の底からの歓喜を覚えながら。
「ええ、もちろん愛しています! 地元最高です!」
この町は死にかけながらも生き続けようとしている。その狭い内側で、“ゼンリョウな人々”は、今日も呼吸を合わせ、笑うのだ。
この町の外側を見下し続けながら。




