アウレリアの記憶
やがて夕方になり再び皆が屋敷に集まってくる。人との関わりを最小限に済ませているヒューバートには慣れなくて変な感じがした。不意に身体の怠さを感じたが動けないのでぼんやりしたまま座っていると、通りかかったレイが彼の異変に気付いた。
「ヒューバートさん、熱があるんじゃないですか?」
レイは額に手を当てる。腕の中のアウレリアが身動ぎして目覚めた。
「ヒューバート…?」
「ヒューバートさんは熱があるから寝室に運んでもいいですか?アウレリアさんも一緒に行きますか?」
「え…えぇ…」
僅かに怯えた顔をするのは、やはり自分が父に似ているせいなのかとレイは思った。
「使用人の部屋を…」
ヒューバートはレイに言ったが、何を言ってるのと一蹴された。レイは魔力で二人を持ち上げて普段はあまり使用していない三階に移動する。
「この階の寝室の方が静かですから。あと少し南方風の作りの部屋があるから、アウレリアさんはその方が落ち着くかなと思って」
レイの開けた扉の先の部屋は緑を基調とした落ち着いた色調の部屋だった。ただ部屋の中央には丸い巣穴のような形のハンモックにベッドが同化したようなものが天井からぶら下がっていた。ヒューバートは見慣れず不思議そうにそれを観察する。浮かべた二人をレイは丸い巣穴に押し込んだ。
「これでいいですか?アウレリアさん?」
「あら…オーブリーの子のわりには、随分と気が利くのね」
アウレリアが小さく笑う。
「あとは私が看病するから大丈夫よ」
「ヒューバートさんをよろしくお願いします。困った際には鐘を鳴らせば誰かが駆け付けますから。水はここに置いておきます」
レイはそう言うと出て行った。
「私の毒が…やっぱり回ってしまったわね。ごめんなさい」
アウレリアはそう言ってヒューバートの額に掌を当てた。ひんやりとして気持ちがいいとヒューバートは思う。
「大したこと…ないです」
もっと酷い風邪で寝込んだこともある。そのときはただ一人ベッドの中で震えていた。その時を思えば今は至れり尽くせりで有り難い。起き上がっていたアウレリアがヒューバートの隣に添い寝するのが分かった。
「あなたの血のお陰で少し魔力が回復したわ。魔力を流してみてもいい?」
ヒューバートは小さく頷いて目を開ける。クセのある黒髪に森の新緑のような瞳。こうしてよく見るとアストリアよりもジュディスに似ているのだと、叔母だから当たり前なのだがそう思った。では何故アストリアに似ているなどと思ったのだろう?
「不思議そうな顔をしてるわね。それは私の魔族の力のせいよ。あなたのせいじゃない。私はあなたが安全だと思ったり好意を抱く相手にどうしてもどこか似ているように見えてしまうのよ」
「そう…なんですか。でも…美しいです…」
思わず本音が漏れる。アウレリアは微笑みながらヒューバートの手を握る。
「私も兄も…ジュディスも…南ではもう稀少種と呼ばれている一族の血が入っているのよ。昔はもっとたくさんいたのよ?でも欲に狂った王様がたくさん捕獲して他の国に売ってしまったのよ。魔族の血も混じってるのに半分は稀少種だからと私もそのときに売られたわ」
ヒューバートの身体にアウレリアの魔力が流れ込んできた。魔力交換の際にジュディスから感じた魔力とやはり似ていた。緑の力だ。稀少種特有の魔力なのだろうか。
「あなたは…身体だけ大きく育ってしまったけれど、その中にはまだ小さな子どもがいるのね。誰かに甘えたいのに甘えられない…不器用なのね」
「そう…かもしれないです。僕は…呪いでどうしても人を傷つけることを言ってしまうから。嘘が言えないんです。だから僕が話すと変な空気になったりみんなが不快になったりする…」
「そうだったの。じゃあ、さっき言った美しいっていうのは社交辞令じゃなくて、あなたの本音なのね」
クスクスとアウレリアは笑う。そうして続けた。
「あなたの言葉は人を傷つけるだけのものじゃないわ。少なくともそう言われて私は嬉しかった」
アウレリアの魔力のせいなのかヒューバートは次第に眠くなってきた。具合の良くないときに誰かの温もりが近くにあるのはこんなにも安心するのかとヒューバートは思った。優しい手に頭を撫でられて、ヒューバートは安堵して目を閉じた。
***
どのくらい経ったのか暗くなった部屋の扉を叩く音がした。昼間眠ったせいかアウレリアは目が冴えていた。
「どうぞ」
小さく声を掛けるとアドリアーナが明かりと軽食を手に入ってきた。
「お腹減ってない?」
「ありがとういただくわ」
そっと巣穴から出る。ヒューバートは年齢よりも幼い顔をしてぐっすりと眠っていた。アドリアーナは面白そうにその不思議な形のベッドを見る。
「まさかこんな部屋もあるなんて。昔この屋敷を使った王子の羽化の守に南方出身の子でもいたのかしら?」
「…旧南方王朝時代に国交と称して西にも売られてきた子がいたのよ。多分…この国の王さまは無碍にもできずに困って王子に与えた…そんなところじゃないかしら」
「…ごめんなさい、嫌な話だったわね。私、ブリジットに救われるまで…外の世界と交流を絶たれていた時期があって、世間知らずなのよ」
アウレリアは温かいスープを飲みながら微笑んだ。そうしてとても懐かしい味がすることに気付く。南の香辛料が使われている本格的な味だった。
「少なくとも私の同族がこの国ではこんな風に素敵な部屋を用意されて丁重に扱われていたって知れてむしろホッとしたのよ。だから大丈夫」
「それで…あなたヒューバートに見つけられたとき…発情状態になっていたみたいだけど、その様子だと衝動はもう治まったのかしら?」
アドリアーナは訊ねる。
「あら、気にしてくれてたの。あれは薬の副作用だから…今は大丈夫よ。でも正直なところ、いつなるか分からないから困ってるのよ…」
「ブリジット…あぁ、私の夫ね、夫には許可を取ったから大丈夫よ。竜の血でも効果があるのなら、私のをあげる。定期的に取り込むんでしょ?二次成長期のジュディスがそうだから」
「あの子…久々に会ったら小さな角が生えてて可愛らしい女の子になってるからびっくりしたわよ。そうね二次成長期の衝動に近いものがあるのよ。だから少し試してみてもいい?」
アウレリアはアドリアーナに静かに近付いた。
「…あなたジュディスと似てるわね。シリルよりむしろ似てる気がするわ。変な感じ」
アドリアーナはクスクスと笑う。
「男性の姿にもなれるけど、どうする?」
「このままでいいわよ。私、あまり性別は問わないの。きれいな人は女性のままでも好きよ」
アウレリアはそう言ってアドリアーナの左手首を持った。
「ここから飲んでもいい?」
「いいわよ。好きなところで」
アウレリアの唇が触れる。あっという間にアドリアーナは手首の感覚が麻痺した。見ている間に牙が刺さったが痛みはなかった。うっとりした顔でアウレリアは目を閉じる。血を吸われるとアドリアーナも快感を覚えて思わず背筋がゾクリとした。
「ちょっと…これは…勘違い…しそう…」
アドリアーナが途切れ途切れにつぶやく。ようやく手首から唇が離れると、アウレリアの頬も上気しているのが分かった。キラキラした瞳でアウレリアはアドリアーナを見つめた。
「竜の血は…初めてなの…とっても美味しいのね。魔力がみなぎる感じ…」
「ねぇ…昔…魔族の中には…竜を狩って食べる種族もいるって聞いたことがあるけど…本当?」
するすると近寄ってきたアウレリアはアドリアーナの左手を愛おしそうに抱き寄せた。
「安心して?私は食べないわよ?でも…そうねぇ。もっと強い魔族の中にはそういうことをしていた種族もいるわ」
「ねぇ…強いってことは…それって…」
「えぇ。身近にいるじゃない。でもあの子だってあなたを食べたりはしないわよ。それに今は毎日王子の血を飲んでるんでしょ?だったら飢えて噛みついたりもしないから大丈夫よ」
アウレリアは何かを思い出したようにクスクスと笑い出した。
「オーブリーとジェイドだった頃は殴り合いをしてたのに、その息子とは女の子になって仲良さそうにくっついてるって…長生きしてると随分とおかしな光景を見るものね…それに…こんなところで…まさか彼の子孫に巡り会うなんて」
アウレリアは寝息を立てるヒューバートの方を見た。
「…彼のこと…知ってるの?確か戦災孤児だって…聞いたけど…」
アドリアーナの言葉にアウレリアは頷いた。
「呪いを知るまで確証がなかったのだけど…私の知っている血の味と同じだから、恐らく血族なんだと思うわ。私は昔北の方に売られて…でもあまりにも寒過ぎてすっかり弱ってしまったのを不憫に思った皇子がわざわざ南に戻してくれたのよ。そのとき南に戻る道中で護衛をしながら私に血を与えて生かしてくれたのが…ヒューバートの先祖のアルドリッド伯爵なのよ…」
アウレリアはふと遠い目をした。彼にはすでに可愛らしい婦人がいた。引き留めることは出来なかった。
「それ、いつの話?」
「そうねぇ…百五十年くらい前かしら。だから今更ヒューバートにあなたは北の伯爵家の子孫よ、なんて言っても困るだけよね。アルドリッド伯爵家がまだ続いていてヒューバートを探しているなら別だけど…。でもそのときの恩返しはしたいと思ってるのよ。だって先祖とその子孫に二度も助けられたら、ちょっとした運命を感じてしまうでしょ?」
アウレリアの言葉にアドリアーナは頷いた。
「そうねぇ。私なんてたった一度で運命を感じてブリジットと恋に落ちたもの。長く生きているとそういうこともあるものなのね…」
長寿の二人は穏やかな眠りの中にいるヒューバートの寝顔を見て微笑んだ。彼女たちからすると彼はまだ生まれたての雛のような存在だ。儚い命の人間だからこそ、とても愛おしくて仕方なかった。




