厳かな鐘の音
料理長の前に立ったクレメンスは何故か、彼と同じように木刀を構えず、自然体でそこにいた。両者ともそのまま動かない。打ち合いをする気がないのかと思い始めた者もいた。が、突然二人は動いた。中には姿を追いきれず何が起こったのか分からない者もいた。
(え?えっ!?)
互いの木刀が物凄い早さで繰り出される。激しい音が周囲に響いた。
「クレメンス…?」
リアムも呆気に取られたように見ていたが、折れた木刀の破片が飛んできて、それを慌てて魔術で防御した。姿を現した二人の手中には、もはや握りの部分と言っていいのかも分からない木片が残っているのみで、周囲にはバラバラになった残骸が散らばっていた。
「面白いな。急に進化したじゃないか。クレメンス」
料理長がニヤリと笑う。クレメンス自身も珍しくまんざらでもないといった表情であるかなしかの笑みを浮かべ一礼すると、散らばった木片をあっという間に燃やし尽くした。
「ふぅ…なんとかなった…」
戻ってきてリアムの隣に座ったクレメンスは友の間の抜けた顔に対面して不審そうな顔付きになった。
「リアム…どうかしたか?」
今更のように震え出した自分の手をクレメンスは押さえる。心臓がバクバクしていた。
「いや…どうかしたもなにも…瞬時に木刀が木っ端微塵になる打ち合いなんて見たこともないよ…」
「…気付いたときには、あの状態だった…」
「それに…君、何があったのか知らないけど…魔力の気配が全然別人みたいになってるんだけど…」
「あぁ…ちょっと遅かったけど、覚醒したみたいで」
クレメンスは手を開いたり握ったりしながら苦笑する。
「…覚醒?」
「まぁ…そのうち話すよ。ここで言っても信じられないと思うから」
そのとき訓練場の端でわあっと歓声が上がった。
「おい、見てみろよ!学院長とジュディス先生が真剣で勝負してるぞ」
自分の順番の終わった学生は一斉に神経をそちらに集中していた。
「昨日から、むしゃくしゃしていたから有り難いっ!」
ジュディスが剣を繰り出しながら叫ぶ。
「そうだろう。暴れて発散しろ!」
ニヤリと笑った学院長の剣をジュディスが受け止める。やはりとてつもなく重い。力で押されるかと思ったが、ジュディスは魔力でなんとか受け流して間合いを取った。周囲の学生は言葉も忘れて二人の真剣勝負にのめり込んでいた。辺りには緊張感が漂っているのに、本人たちは楽しんでいるようだった。鋭い金属音が訓練場に響き渡る。固唾を飲んで皆が見守る中、二人の剣が激しくぶつかり合い同時に折れて弾け飛ぶ。レイが瞬時に飛んだ破片に魔術をかけて余計な怪我人が出ないように対処しているのが見えた。折れた剣を片手に二人は再び素早く間合いを取ったが、不意にジュディスが笑い出した。学院長も呆れたように笑う。
「折れたか。引き分けだな」
ジュディスは礼をして補助講師の仕事に戻る。次に木刀に持ち替えた学院長の前に立った学生はすでに手が震えていた。
「そうガチガチに緊張するな。ジュディスは私の弟子だから、あのくらい出来て当然だが、今の君にその技量を求めている訳ではない。何事も一歩ずつだ」
一方、学院長との打ち合い後に補助講師の仕事に戻ったジュディスだったが、むしゃくしゃしているという言葉を聞いた学生たちは皆尻込みして打ち合いの順番を譲り合っていた。
「みなさんが行かないなら私が行くわ」
そのとき見慣れない黒髪碧眼の若い女性が後ろから姿を現した。
「アストリア!」
ジュディスがニコリと笑う。
「よろしくお願いします」
アストリアは一礼して木刀を構えた。
「あの人って…」
「え?モリス教授の妹…?似てないのね」
ヒソヒソと囁き声が聞こえたが、打ち合いを始めた二人の姿を見るうちに皆が口をつぐんだ。アストリアは強かった。少なくとも尻込みする他の学生とは訳が違った。何度受け流されても次の手を考えて食らいついてゆく。
「少し前まで治癒院にいたとは思えないな…っ!」
リズミカルに打ち合いながらジュディスは笑った。
「まだまだ…よっ!すっかりなまってて…!」
最終的にアストリアはジュディスに木刀を弾き飛ばされたが、満足気な顔をして礼をした。
「次!ジュリアン、来い!」
指名されたジュリアンは一瞬情けない表情を浮かべたが、はいと返事をして前に出た。打ち合いが始まる。ジュリアンは間合いを詰めた際に小声でつぶやいた。
「殴られるのは僕で良かったのにっ…申し訳ありません」
ジュリアンの剣を押し返しながらジュディスも小声で言い返す。
「気にするな…!それより…ケイトリンを支えてやれ!」
「それはっ…もちろんですがっ!」
ジュリアンの両手首には拘束された際の痣がくっきりと残っていた。
「僕は…もっと…強くなりたいですっ!」
ジュリアンも諦めずに粘っていたがとうとう隙をつかれて魔力中枢前で木刀を寸止めされ降参した。
「戦いの際には真っ先にここを狙ってくる奴もいる。腹筋に魔力を込めて普段から防御出来るようにしておくと、傷も浅く済む」
ジュディスに言われてジュリアンは頷いた。
打ち合いが終わるとマーティン助教授を小馬鹿にしていた学生たちは皆彼に惨敗し後悔していた。この強さがあれば、魔術騎士科の補助講師どころかすぐにでも講師になれそうなほどだった。彼を占学の道に引き入れた教授とやらを恨みたいほどだ。だが、彼は打ち合いが終わると再び別人のように、気弱ないつものマーティン助教授に戻ってしまっていた。
***
全員の打ち合いが二回ずつ終わったところで講義の時間も残すところあと五分程度になった。いつもは講師の誰かが次の課題と締め括りの挨拶をして終わるところだが、今日はジュディスとレイが立った。
「最後に…皆にも一度考えて貰いたいことがある。この度ジュディスは襲撃され強力な薬を使用されて純血を奪われそうになったが、その場にいた友人が自らの歩行器を武器にして戦ってくれたお陰で難を逃れることができた。女性にとっては聞くのも辛い話になると思うが、聞いてほしい。たまたまジュディスは薬物耐性のある友のお陰で助かったが場合によってはそうではなかった可能性もあるということだ。この国では純血を重んじる傾向がまだ強い。女性も男性もそれを殊更神聖なものと捉えて婚約者ともなれば相手にもそれを求めることもあるだろう。この先矛盾する発言をするが、この純血はまたどこで奪われる可能性があるかも分からない危険が常に隣り合わせなものでもある。女性は仮に抵抗しても力では敵わず奪われる場合があるかもしれない。男性は自らがそのような行いをしないことは勿論だが、婚約者や恋人の純血が仮にそれで奪われたとしてもそれを決して責めてはいけない。ジュディスの強さをもってしても危うかったのだ。恋人のいる者は相手を思い浮かべてみるがいい。どうだ?恋人は自ら相手に歯向かうか?ジュディスは反撃して激昂した相手に殴られた。恋人は殴られても次の攻撃を考えるか?ドレスを破られ組み敷かれた時点で死を選ぶかもしれない。そのことをよくよく考えてみることだ。私は命があってこそと考える。皆にはたとえ何が起ころうとも早々に死を選ぶことはせず生き残る手段を選択してほしい」
レイはジュディスの青くなった頬に触れた。
「こんな怪我をさせて…本当にごめん…」
レイは小声で呟くとジュディスをそっと抱きしめた。同時に鐘が鳴る。厳かに響き渡る鐘の音の中、誰一人として声を上げることもできず二人の姿をじっと見守っていた。




