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悪しき印

 少年は目を覚まして辺りを見回した。整頓された部屋だった。いや、むしろ物が少ないと言うべきなのか。そろそろと起き上がると頭に鈍い痛みが走った。身体もあちこち痛い。そういえば棒で打たれたのだと思い出す。ここはどこだろう。


「おう、目が覚めたか」


 全く気配はなかったのに、部屋の隅の椅子に巨大な隻眼の男が座っていた。漆黒の前髪の間から覗く血を思わせる赤い左目が恐ろしい。そこまで相手を観察して、自分もその間に相手に見られていたのに気付いて慌てて布団を被る。清潔な布団からは陽だまりの匂いがした。


「後で、知り合いのちびの要らない服でも貰ってくるからちょっと待ってな。で、名前は?」


 少年は立ち上がって近付いてくる相手を警戒する。名前を答えるべきか迷って少年は内心慌てた。


「名前…僕の…名前?」


 何も思い出せないことに気付いた。何故自分がここにいるのかも分からない。途方に暮れた様子の少年の隣に移動してきた大男は屈んで目を覗き込んだ。


「頭から血が出てたから、打ったか何かで混乱してるのかもな。焦らなくて大丈夫だ。ちょっと魔力を流してもいいか?魔力切れでぶっ倒れてたからまだ足りないだろ?」


 少年は混乱しながらも頷く。そんな風に今まで丁寧に尋ねられたことはないと思った。魔力が切れたら強引に流し込まれる。嫌だと言っても止めてはくれない。切れ切れに思い出す記憶が酷すぎて、少年は両手で顔を覆った。


「おい、大丈夫か?そんなに嫌だったか?」


 慌てて首を横に振る。見た目は怖いのに肩にそっと触れた大きな手から流れ込んでくる魔力はとても優しかった。絶妙な量を流し込んで大男は手を離した。


「俺の名前はアマロックだ。この屋敷の料理長をやっている。もうじき夕飯時になるから、うまいもんを食わせてやるよ」


 アマロックと名乗った大男は優しく少年の頭を撫でた。



***



 丈の合わないブカブカな服を着て少年はおそるおそる部屋から出る。アマロックについていくと厨房の椅子に座って待つように言われた。几帳面な性格なのだろう。磨かれた調理器具が揃っている小綺麗な厨房だった。何かを煮込んでいるのか大きな鍋からいい匂いが漂ってくる。


「とりあえず、学院長には報告しておかないとな。あとは当分居候することになるだろうから、この屋敷の主に挨拶だな」


「屋敷の主って…?」


「ここは、王立学院内にある第八王子レイ様の屋敷だ」


「第八王子さま…?」


 少年は途端に緊張する。随分と偉い人だ。そんな少年の元にひょいと顔を出したのは翡翠色の髪の生き物だった。少年は思わず椅子から立ち上がって後退る。何故か分からないが本能的な恐怖が沸き起こった。


「ん?誰だ?」


「あーちょっと訳ありでな。記憶喪失って奴だ。自分の名前も思い出せないらしい」


「そうか。まぁアマロックが責任を持つならとやかく言わないよ。でも呼び名がないのは不便だな。ん?この匂いは狐なのか?ソロ…でいいかな?」


 呼ばれた途端に少年の身体を何かが駆け抜けた。爽やかな風のような清浄な気配だった。


「あぁ…すまない。少し縛りが生じてしまった…加減が難しいな」


 言いながら、ひょいと手を振るとブカブカだった服がちょうどピッタリの大きさに変わりソロと名付けられた少年は驚いた。


「あの…あなたはこの屋敷の王子さまですか?」


 少年の言葉に翡翠色の髪の生き物は笑い出した。


「いや…残念ながら私は女だ。この屋敷の王子の婚約者だよ。ジュディスだ。よろしくな」

 

 一方ソロが気になっていた王子の方は、テラスに置かれた大きなソファーで横になっていた。首に包帯が巻かれている。かすかに血のにおいがした。ソロはこんなきれいな生き物は見たことがないと思った。翡翠の髪の少女もだが、銀の髪がとても美しい。見つめていると不意に目が開いた。左目が金で右目は少女と同じ紫だった。


「アマロックが拾ってきたんだ。記憶喪失らしい。とりあえずソロと呼ぶことにした」


 少女の言葉に王子が起き上がる。包帯の首に少女の指先が僅かに触れた。


「まだ痛むか?思いのほか深く噛んでしまったな。レイの血に酔って調子に乗った…」


「平気だよ。それより君は記憶喪失?それは不安だろうけど、ここにいる人たちはみんな優しいから大丈夫だよ」


 王子はふわりと笑った。何だか王子と婚約者とで性別が逆のようにも見えるが、なんとなくお揃いだなと思った。首を噛んだと言っていたように聞こえたが、求婚を受け入れたということだろうか。そうは見えないけれどひょっとすると半獣人なのだろうか。


「あぁ、ブルーノ。サフィレットなら寝室に籠もったきり出てこないぞ」


 折しも中庭を通って現れた黒髪の青年にジュディスが声を掛ける。そのままジュディスは青年を手招きしてソロの視界から消えた。黒髪の青年からも血のにおいがする。


「ん?この子どうしたの?」


 すれ違いながら言ったブルーノの言葉に、アマロックの拾い物、とのみ告げてジュディスは階段の手前で突然遮断した。


「なに?どうかした?」


「一つ確認し忘れたことがあっただけだ。懲罰房で学院長が介入する前サフィレットと何があった?本当に首を噛まれただけか?」


「そんなに気になる?」


 ブルーノは面白そうな笑みを浮かべた。が、ジュディスは挑発には乗らず真面目な顔のままだった。


「ことと次第によってはこの国の方式に則らないと本当にサフィレットが傷付くかもしれないからだ」


 ジュディスは男のように腕を組んで壁にもたれ掛かる。その姿を見たブルーノは思わず苦笑した。


「まさか君からそんなことを言われるとは心外だな。知識としては一応は知っているよ。こちらでは女性の純血を重んじる傾向が強いそうだね。南と違ってこの国の女性は生きにくいよ」


「その点は否定も肯定もしないが、ブルーノ個人としての見解はどうなんだ?重んじるのか?それとも気にしないのか?」


「あまり…気にしないかな。だからと言って求婚を受け入れてもらえたからと言って調子に乗ってサフィレットの純血を奪ったりもしない。当然じゃないか」


「それを聞いて安心したよ。学院長からどの程度話を聞いているのかは分からないが、サフィレットはノアだった頃、南方の奴隷市にいた。太腿の内側に元所有者の焼印が入っている。いつか番となるその日に悪しきその名を見ても絶対に怯むな」


 ブルーノはジュディスの暗い光を帯びた瞳に背筋がゾクリと泡立った。遮断の中から逃げ出したい衝動に駆られる。かろうじて踏みとどまり、ブルーノはかすれた声を発した。


「…その名前を聞いても?僕は…こう見えて君よりも小心者なんだよ。怯まない自信がなくなってきたじゃないか。せめて覚悟を先に決めておきたい…」


 ジュディスは沈黙する。ブルーノが無駄かと思った頃にジュディスはようやく重い口を開いた。


「…神官リシャール」


 ブルーノは憎悪のあまり思わず牙を剥き出しにした。指輪の制御も効かず爪まで伸びる。旧南方王朝の神官リシャールの名は今となっては極悪非道の代名詞として使われることすらある、狂王と並んでブルーノも忌み嫌う名の一つだった。一体何人の少年少女が弄ばれ惨殺されたのか正確な数も分からないほどだ。ジュディスの重苦しい気配がふと弱まる。ブルーノを見上げていつものふざけた調子で告げた。


「まぁかくいう私も傷持ちだ。宝剣で腹をぶっ刺されて約二十年ほど前にも一度女神の領域に落ちたからな。でもこれだけ目茶苦茶に刺されたお陰で腹にあったリシャールの焼印はほとんど見えなくなったな…」


 ジュディスは何のためらいもなく上着の裾をめくってくるりと一周した。紫に爛れた大きな傷跡が腹と背中に残っていた。魔力中枢を貫通していてゾッとする。ブルーノは努めて平静を装った。


「二十年前って…君はいったい何歳で…何者なんだ?」


「モリス先生にも似たようなことを言われたよ。そうだな。歳はともかく…旧南方王朝の第三王子、と言った方がブルーノには通じるのかな?ブルーノも第三王子だからややこしいな。まぁ今は女だが…」


「え…第三王子?旧南方王朝の?まさか…そんなことが…それに…こうして生きているなら君こそがあの玉座の正当な継承者じゃないか…」


「玉座は自ら捨てたんだよ。リシャールのクソジジイとは私も因縁があって追っていたが逃げられた。女神の領域で眠ってる間にフレディが始末してくれたけど、まぁ最低な野郎だったな」


「何故…今になってそれを…明かしたんだ?」


 ブルーノの顔には同情と戸惑いが浮かんでいた。


「あの双子の持っていた宝石が反応しなかったのを、サフィレットが奴隷だった自分の過去と結びつけて誤解しているかもしれないからだ。ブルーノの求婚に対する返事をずっと保留していた理由もそれだ」


 ブルーノはハッとした。いまだに夜を恐れるサフィレット。触れると最初に強張る身体、時間をかければどうにでもなると気楽に考えていたことの一つ一つの重みが全く違って今ブルーノにのしかかる。ジュディスは再び口を開いた。


「それに…サフィレットの過去だけ暴くのは公平じゃないだろ?本人は口にするだけでも苦痛だろうから、今回ブルーノには私から告げることで同意してもらったんだよ。まぁ後は…厄介な使者も来たことだし、裏で糸を引いている奴が何者だろうが南方に関わりのあった身として協力は惜しまないという私なりの誠意を見せたかった…そんなとこだな」


 ジュディスは遮断を解いた。この魔術を使う手際の良さと、手の甲に刻むやたらと古風で繊細な魔法陣、時折感じる違和感の正体をブルーノはようやく掴んだ気がした。


「せいぜい南方風は引っ込めてサフィレットに会ってくるんだな」


 ジュディスの言葉にブルーノは珍しく真面目に最上級の礼をした。


「仰せのままに」

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