悪夢
沈黙の間のミシェルは、監視室の扉を叩かれて、やや警戒しながら顔を覗かせた。ジュディスとレイ、それに長身の美貌の女性が立っていた。お腹が大きい。誰だろうと思って見知った顔に少し似ていることに気付く。女性は途端に眉をひそめた。
「…フレディとの共通点をわざわざ見出してくれなくても結構だ。私の名前はブリジット・ロウ。まぁ、言ってみればジュディスの後見人というところだ。娘にも等しい彼女が恐ろしい目に遭ったと知って、その不埒な輩の顔を一目見ておこうと思ってやってきた訳だ。二度と忘れないようにな」
燃えるような目をして彼女はジュディスの肩を抱く。この覇気で共通点を見出すなという方に無理がある、とミシェルは密かに思った。
ブリジットの名前はアラステア・モリス教授からも時々聞いていたので、対面したことはなかったが、学院で再度勉強を始めた殊勝な人くらいに思っていた。が、まさか妊婦だったとは。それにこの気配。女性にしてはあまりに強過ぎる。
「どうぞ」
必要な書類にサインをしてもらい、彼女は三つの部屋にそれぞれ隔離された補助講師の様子を見せた。
「左の部屋のが、主犯だ。そいつが私の角をベタベタ触りまくって顔もぶん殴ってきた」
嫌な相手に角を触られるなんて思春期の女の子からしたらすでに強姦されてるのと同じよ、と学院長にモリス教授がまくし立てていたのをミシェルも聞いていた。そして何故かその瞬間、学院長の魔力が微妙に揺らいだのも。珍しく彼は動揺していた。ミシェルはそんな学院長の様子を不思議に思って見ていた。娘にも等しい存在だから?理由は分からなかった。
「…例えばなんだが…沈黙の間で夢を見たとしよう。それがものすごい悪夢だったとしても、彼らの罪悪感が見せた悪夢…そういうことになるかな?」
ミシェルは夢を操ることはできない。が、中にはその手の魔術に長けた者もいるのは知っていた。なるほど、とミシェルは理解した。
「私は今のところ何の魔力にも気付いていません。彼らがたまたま眠ってうっかり悪い夢を見たとしても…それは私の預かり知らぬところです」
ミシェルがニコリと笑うと、ブリジットは人の悪い笑みを浮かべた。
「さすが、モリス教授の結婚相手は話の分かる方だな」
「えっ…あら、そんな個人的な話まで?」
「まぁね。彼はここ最近毎日夕方欠かさずに剣を振るってるよ。なかなか様になってきた」
「え?彼ったら…そんなこと一言も…」
「師匠、何でもペラペラ喋っちゃダメでしょ。あぁ…でもここまで言っちゃったなら同じか。モリス先生は、なかなか筋がいいんだよ。でも先生の周りにいた人がみんな凄すぎたせいで、自分には才能がないって思っちゃったんだね。もう少し練習すれば魔術騎士科の補助講師にだってなれると思う。目がいいから、相手の太刀筋を読めるんだよ」
レイが言っている間に、監視室から突然うめき声が聞こえてきた。
「女を組み敷いて好き放題出来ると思っている奴らには逆にそう思っている相手から、手酷くやり返される苦痛を味わうといいんだ。快楽と思って手を伸ばした瞬間に恐怖の奈落に落ちて醜態を晒せばいい。あぁ、すまない、部屋が汚れるかもしれないのだった。後でロウの家に請求してくれていい」
言っている端から右の部屋の男性が激しく嘔吐し始める。中央の部屋の男性は吐き気を必死に堪えているようだったが、最後にはガタガタ震え出し頭を抱えて悲鳴を上げた。
左の部屋は最初何の動きもなかった。が、徐々に呼吸が荒くなる。止めてくれ、と途中声が上がった。
「いったいどんな夢を見てるんだ?」
ジュディスが傍らのブリジットを見上げる。ブリジットの青い目に金の虹彩が浮かび上がっているのに気付いた。
(竜の力なのか…?)
いやだ、止めてくれと繰り返し懇願した相手は突然絶叫してその場に倒れる。彼は起き上がったがそのまま結局嘔吐した。嘔吐する間にも、じわじわと濡れた染みが下半身から辺りに広がった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま彼はすすり泣いた。
「偉そうに角に触れたわりには呆気ないな。もう少し耐えるかと思ったのに」
ブリジットの目は元の深い青に戻っている。青い瞳でブリジットはジュディスを見下ろして、そっと髪を撫でた。
「ジュディスはちゃんとレイに上書きしてもらったか?奴らはしばらくは少女が怖くて寝付けないと思うぞ。悪夢は一度だけとは限らないからな」
「うん…そこのところは…大丈夫だよ」
ジュディスはヘッドドレスの布越しに手を伸ばして、角の辺りに触れる。そうして急に思い出したように顔を赤らめた。
「レイ…本当に…練習したんだな…」
「えっ?気になるのはそこ?うん…そりゃあね。他にも色々…モリス先生には教えてもらった…けど」
次第にレイの顔も赤くなる。二人は照れくさそうにお互いの顔を見つめた。
「一気に…たくさんは…僕も無理だから…少しずつ試すよ…」
ブリジットがそんな二人のやり取りを見てニヤニヤしていた。アラステアは一体何を教えたのかしら?と思いながらミシェルは思わず笑みを浮かべた。二人の恋にはまだ初々しさがある。二人が戻ってきてから毎日誰かの葬式のような顔付きだったアラステアが急に元気になったのには驚いた。学生には平等を心掛けていたアラステアが特定の誰かに拘るのを見たのはこのときが初めてだったように思う。
ミシェルは改めてジュディスの美しい顔を見つめる。有角種の魔族の血は男女問わず人を惹き付けるのかもしれないと思った。手に入れたいと望むのは不遜だが、無理矢理でも手に入れたいと望んだ補助講師の気持ちも分からなくはないと思ってしまった。決して許される行いではないが、彼らは焦るあまり手段を間違えたのだ。アラステアのように王子と個人的な話も出来るほどの仲になり、ジュディスの周りをうろついても二人から好かれている彼は正当な手段でその立ち位置を手に入れた。決してジュディスを己のものにはしないという彼の引いた一線は学院長その人のジュディスとの距離感を模しているとも思えた。
(でも結局、分かりやすい言葉でまとめてしまうと、みんな二人のことが大好きなのよね)
ミシェルは翡翠色のジュディスの美しい髪を撫でてみたい衝動を押さえた。自分はそんな気安い距離にはまだ届いていない。少しずつ。アラステアのように巧妙に。そうでなくてはこの美しい生き物はきっとすぐに逃げてしまう。ミシェルはそう思った。




