ジュディスの怒り
その後、本物のケイトリンとジュリアンとライリーは、廃棄処分する魔術道具の集積場にあった壊れたチェストの中から発見された。見た目よりも大容量が収納可能な魔術が掛かっているので、その引き出しに一人ずつ押し込めて封印を施してしまえば、人一人くらい簡単に閉じ込められる構造だった。三人とも気絶させられてから入念に拘束されていて、フロレンティーナが見つけた際も深い眠りに落ちていた。暴行された様子がないのは不幸中の幸いだった。
(結局、いくら検知の網を張り巡らせても…助けを呼ぶ前に気絶させられたら…無理なのよね)
フロレンティーナは自分が無力だと思った。けれどもいつまでも嘆いている訳にはいかなかった。三人をレイの屋敷に運んで目覚めるまで待つことにした。
「ごめんなさいね、みんなここに運び込んじゃって」
フロレンティーナは三人の様子を見に来たレイに声を掛けた。レイは首を横に振る。
「いや、あの時…うかつに魔力交換会の話をしていたから…訓練場にいた補助講師達にも聞こえていたんだ…僕の落ち度だよ。それに…以前、ジュディスのヘッドドレスのことで軽口を叩いてきた補助講師がいたんだよ。それで理由もなくつけてる訳じゃないって言い返してしまったんだ。有角種のことは言った訳じゃないけど、そこから推察されたのかもしれない…」
換気の為に開けた窓から二階のバルコニーに出たレイは欄干に肘をついていたが、額の前で手を組んだ。フロレンティーナはレイの頭を引き寄せる。レイは大人しくフロレンティーナの腕の中に収まった。
「あまり自分を責めるものじゃないわ…それに、魔術騎士科にいてジュディスと接近することがあるなら、嗅覚の鋭い誰かが気付いてもおかしくはないわ」
フロレンティーナはしばらくレイを抱きしめていたがふとその顔を見つめた。
「あら…レイったら、いつの間にか、この短時間ですっかり男の顔になってるじゃないのよ。驚いたわ」
フロレンティーナはそう言ってレイの頬を撫でる。レイは僅かに顔を赤らめて目を泳がせた。
「そんなこと…ないよ」
「隠しても無駄よ。また一つ試練を乗り越えたのね。ジュディスとあなたをずっと見ていて、私はとってももどかしかったのよ?」
フロレンティーナに頭を撫でられてレイは小さな子どもに戻ってしまったような気恥ずかしさを覚えた。
「どうだった?試練を越えてみた感想は?」
フロレンティーナの金の瞳に顔を覗き込まれて、レイは返答に窮した。
「言葉で…言い表すのは…難しいよ…でも…ジュディスは…すごく…綺麗だった…あんな表情も…するんだなって…」
言いながらレイは更に赤くなって顔を覆う。しばらくレイは黙っていたが、ようやく顔を上げて真面目な顔で言った。
「今回事件を起こした補助講師三名の処分はどうなるんだろう…」
レイらしい、と思いながらフロレンティーナは口を開いた。
「さすがに今回はあなたの婚約者であるジュディスが狙われたから、国王陛下に報告しない訳にはいかなかったわ。すでにフレディが渋い顔をして王宮に向かったわよ。まぁ、クビになるどころじゃ済まないでしょうね。今は沈黙の間でミシェルにネチネチ言われてるわ。危うくミシェルが拷問を始めそうになって、一発殴りたいって顔付きのウォードが必死に止めてたわよ」
フロレンティーナはため息をついた。いつもニコニコしている人を怒らせると怖いことがよく分かった。明らかに三人はウォードに対して怯えていた。
「この学院内一つ取っても、人を守るって難しいのね。自分は紅い竜のくせになんて無力なんだろうって思い知ったわ」
「それ、今まさに僕が落ち込んでるところだから…第八王子って名前を背負っていても婚約者一人守れないんだ」
「あなたのジュディスは簡単には屈しない子よ?そうでしょう?」
「でも…今回の出来事はジュディスにとっては一番悔しかったんだと思う。嫌な相手でも角を触られたら身体から力が抜けてしまったって言ってた。それで戦えないなんて、ジュディスにとっては屈辱以外の何物でもないよ。心底ゾッとしたんだと思う」
レイは苦しげな表情を浮かべた。
「僕は結婚するまで待つつもりだったんだ。でも…そんなこと言ってられなかった。大事に守っていても手の届かない場所で奪われる可能性があるってことをジュディスに告げられた。初めてを捧げておかなかったことを後悔したくないって言われたら、僕の拘りなんてちっぽけな言い訳にしか思えなかったよ…」
「…抱いたのはレイにとっては…不本意だった?」
フロレンティーナに問われてレイは慌てて首を横に振る。
「そんなことはないよ。だって…僕は…ずっと自分を律してきたから。でも、ジュディスの角が生えた辺りから…それが難しくもなってきていた。だから今回の事件がなくても…近いうちに…こうなってたと思う…」
レイはテラスから遠くを見つめる。穏やかな顔付きだった。
「レイも後悔していないなら良かったわ。あなた、底抜けに明るいフリをしているけれど、けっこう長く考え込む方だから」
フロレンティーナに言われて、レイは苦笑するしかなかった。全て見抜かれている。
「あれっ?ブラッドウッド先生が駆け込んできたよ。彼も真面目だからなぁ…余計な責任を感じてそう…」
レイとフロレンティーナが階下へ移動すると、いつの間にかやって来ていたモリス教授がジュディスの頬の腫れを更に目立たなくする為に、癒しの魔力を使っているところだった。そして、その足元に土下座をしたブラッドウッドがいた。
「もう…頭を上げてよ!みんな大袈裟だなぁ。大丈夫だってば」
ジュディスは情けない表情で眉を下げる。対照的にモリス教授は珍しく激怒していた。
「女の子の顔を殴るなんてサイテーよっ!口の中もちゃんと見せて!ホラっこんなに切れてるじゃないのよっ!歯は…大丈夫かしら?グラグラしてたりしない?」
「大丈夫ですって…」
「いえっ!私が…うっかりアリシアと会っているところを目撃されたせいで、彼らは都合の良い解釈をしたようなのです。私がもう少し自分の行動に気をつけていたら、こんなことには」
ジュディスがじっと頭を下げるブラッドウッドを見つめた。言葉の何かが引っ掛かったようだった。
「…都合の良い解釈って?」
ジュディスの声色にブラッドウッドは思わず震える。瞬時にして上位の魔族の気配が漂ったからだった。俯いたままブラッドウッドは言葉を続ける。
「第八王子の婚約者であるあなたに剣を捧げれば…このお屋敷に出入りしている…貴族の子女を…自分にも…紹介して…もらえるだろうと…。私がそうだと思ったようなのです…。主犯格の彼は…あなたが彼の言葉を受け入れなかったことを逆恨みして…彼らと…共謀したようでした…」
「ふーん」
ジュディスの低い声色にモリス教授までが驚いた様子で手を止めてその横顔を見つめた。
「…揃いも揃ってバカなのかな?自分が上等な雄だと思い込んでいるとは、随分とおめでたい頭の構造をしているんだな。それとも頭はなくて下半身しか機能していないのか?抑制剤を倍の量飲ませてやろうか」
ククッとジュディスは笑う。目を細めると途端に酷薄な表情になった。有角種の雌は複数の雄を従わせ群れで行動する。モリス教授は古い文献に書いてあった一節を思い出した。間違いなくジュディスにもその血が流れている。抗いようもない絶対的な支配力。心のどこかでひれ伏してしまいたいと望む自分がいることに、モリス教授は恐れ慄いた。
「大人しくしていようかと思ったが、それを聞いたら腹の虫が治まらないなぁ…どうしたらいい?」
誰にという訳でもなく放ったその言葉に返答したのはブリジットだった。
「こういうときこそ、呪いだろう。なに、本当に呪う訳じゃないさ。呪われた、と相手に思い込ませるんだ」
近くのソファーでくつろいでいたブリジットはそう言ってニヤリと笑う。
「だが、仮にも第八王子の婚約者自身がやると実に品がないからな。私が手伝ってやろうじゃないか。その綺麗な顔を腫らした罪は重いぞ」
ブリジットはゆっくり立ち上がると少女の姿から元に戻った。そうしてジュディスをエスコートするかのように美しい動作で手を伸ばした。




