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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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竜の血の目覚め

 同じ頃、屋敷の別の寝室ではクレメンスとベアトリスが肩を寄せ合って話をしていた。


「使い始めてこんなに早く壊すなんてね…」


 クレメンスは見事にひしゃげた歩行器を見て苦笑する。


「いざってときには武器にしろって言ったのはクレメンスよ?」


「そりゃ言ったけど、この使い方は想定外だったよ」


 ジュディスを襲った人物の脳天目掛けて振り下ろしたと聞いて、クレメンスは思わず笑ってしまった。


「それにしてもベアトリスはどうして無事だったの?」


 クレメンスに訊かれてベアトリスは咳払いをする。


「…使用禁止の成分の入った媚薬を…そうとは知らずに長期使用してたから…私には効かなかったのよ。それにジュディスの角の香りが強過ぎて、私を捕まえてた二人のうちの片方がそっちに突然フラフラ歩き出して途中で倒れて、もう一人はすぐに鼻血を出して目の前で気絶しちゃったのよ」


 クレメンスは苦笑するベアトリスを抱き寄せる。ベアトリスはクレメンスに両腕を回して目を閉じた。


「奇しくも過去の君の行動が今日の君とジュディスを救ったんだね。二人とも何もされなくて…本当に良かったよ。あ、でもジュディスは殴られてたか。女の子の顔を殴るなんて最低だな」


「ジュディスも…暴力には変に慣れてるわよね…でも昔の私と違うのは絶対に屈しないってところ…私ね…クレメンスと出会っていなかったら…また途中で諦めていたかもしれなかった…少しの間我慢していれば終わることでしょって、継母に言われたのよ。私は我儘だって」


 何か話が不穏な方向に行きかけているとクレメンスは思ったが、今でなければベアトリスは話せないのだと思って抱きしめた腕で優しく背中を撫でた。


「あと一ヶ月ちょっとで夏季休暇よね。私…夏季休暇は嫌い…休暇に入るとね、毎年継母の実家に行くのよ。弟や妹たちは毎年楽しみにしているわ。でも私は…全然楽しくなかった」


 ベアトリスはクレメンスの肩に額を押し付けた。俯いたまま話し出す。


「継母の実家には…彼女の二歳下の弟がいるの。私にとっては血の繋がらない叔父ね。もちろん既婚者よ。娘だっている…。私が十二歳になった年の夜に、彼がベッドの中に入ってきたのよ。押さえつけられて…そのまま…それから毎年…」


「分かった…分かったから、無理して続けなくていい」


 クレメンスは思わず遮ってしまった。聞かなくても何が起こったのかは分かる。そうして、恐らくまだそれは続いているのかもしれないことも。けれども、ベアトリスは首を振った。


「家に戻って…誰もいないときに…母にそのことを言ったのよ。すごく怖かった。でも勇気を振り絞って言ったのよ。そうしたら、少しの間我慢していれば終わることでしょって。誰でもいつかは経験するんだから、そんなことで大袈裟に騒がないでちょうだいって言われたのよ。その時から、何かが壊れて…大したことじゃないって…思うようになっちゃったのよ。抵抗して殴られる方が…痛いって…」


 顔を上げたベアトリスは笑っていた。クレメンスはベアトリスの髪を撫でた。


「どうして君は辛いのに笑うんだ?僕の前では無理に笑う必要はないんだ」


「これでも私、継母に好かれようと思って頑張ってたのよ。でも最初から全部無意味だった。だってあの人はこれっぽっちも私のことなんか気にかけてもいなかったんだもの。守るべき家族の中に私は最初から入っていなかった。クレメンスは…私がそうでなくても穢れてるって知ってるのに…どうして優しくしてくれるの?私にそんな価値はないのよ?」


 ベアトリスは目を伏せた。涙は溢れなかった。


「ベアトリス!自分に価値がないなんて言うな。そんなことは二度と口にするな。僕が君を選んだんだ。君の過去に何があったとしても、この先の未来は僕と君とで作り上げていくんだから」


 クレメンスはベアトリスをきつく抱きしめた。以前なら折れてしまいそうに細かった身体は少しずつ回復し始めていた。抱きしめたままクレメンスは癒しの魔力を流す。


「今年の夏季休暇は帰らなくていい。キャンベル家に近々僕は挨拶に伺う。反対されたなら君を盗んででもロウの家に連れてゆく。継母の実家になんか二度と行かなくていい。これからはロウの家が君の居場所となるんだ。君の帰るべき場所に」


 クレメンスはベアトリスの瞳を見つめる。クレメンスを見上げたベアトリスは不意に目を見開いて声を上げた。


「クレメンス…?あなたの目……金色に光ってるわよ?」


「えっ?」


 そのとき寝室の扉が慌ただしく叩かれた。


「おい、クレメンス大丈夫か?桁違いの魔力が放出されてるぞ?」


「ブリジット!大変!クレメンスの瞳が光ってるんです!」


 ベアトリスの声に扉を開けたブリジットは息子の虹彩が初めて輝いているのを見て息を飲んだ。


「蔦の実の…影響か?クレメンス…今更かもしれないが…とうとう竜の力が覚醒したぞ?」


「えっ?これが…?」


 クレメンスは己の掌をじっと見つめる。確かに以前よりも安定した魔力が身体中に漲っている感覚はあった。だが、ベアトリスの境遇に対する怒りでそうなっているのだと本人は思い込んでいた。


「…あなたにも、ようやく本気で守りたい番が見つかったってことなのね。二次成長期でも竜の気配が出ない子が恋に落ちた途端に覚醒した例があるって…この前姉とそんな話をしていたばかりなのよ。まさか本当にそんなことが我が子に起こるなんてね」


 ブリジットの後ろから現れたアドリアーナがクスクスと笑う。そうして少しだけ気の毒そうにベアトリスを見た。


「ベアトリス…あなたはもうこの子と深い関係を持ってしまったから…この運命からは逃れられないわよ。あなたもいずれは…竜になる」


「えっ…??えーっ!?私が?私も?」


 ベアトリスは素っ頓狂な声を上げる。クレメンスは苦笑した。


「なんだ?何の騒ぎ?」


「すごい魔力量だね」


 そこに、ほぼ下着に等しい薄着姿のジュディスとローブを羽織りながら慌ただしくレイが現れた。


「こら、二人ともそんな格好でウロウロするな」


 ブリジットが珍しくもっともらしいことを言う。というのもブリジットは目敏くジュディスの鎖骨の下につけられた、まだ新しい婚姻の魔法陣に気付いてしまったからだった。温泉に入ったときにはなかったのを確認している。いつの間に?と思ったが今だと考えるのが妥当だろうとブリジットは瞬時に判断していた。


「これでも急いで体裁は整えた方なんだよ。それにドレスはビリビリに破られたから廃棄処分になっちゃって」


「レイ…そんなに我慢出来なかったのか?」


 ブリジットの非難めいた視線にレイは慌てて首を振った。


「断じて違う!僕じゃないよ。魔術騎士科の補助講師にジュディスが襲われたんだよ」


「何だと!?どこのどいつだ?ジュディス、よく見たら腫れてるじゃないか。殴られたのか?殴った奴は誰だ、二度とそんなことが出来ないように下半身を重点的に呪ってやる!」


「ちょっと…ブリジットが言うとシャレにならないよ。もうみんな捕まったから。それにベアトリスも巻き込んじゃってゴメン。その点については本当にもっと慎重に判断すべきだったと反省してる…」


 ジュディスの言葉にベアトリスは首を横に振る。


「私なら大丈夫よ。ジュディスの角の香りが強過ぎて私を捕まえてた二人はすぐに気絶しちゃったから。あの香りって魔力量が多くないと男性ってまともに意識すら保てないのね。噴水みたいに鼻血を噴き出しながら倒れる人って初めて見たわよ」


「で?クレメンスはどうしたんだ?」


 ジュディスが首を傾げる。


「それが、どうやら覚醒しちゃったみたいなのよね。この子の中にずっと眠っていた竜の血が」


 アドリアーナがそっとジュディスの頭を撫でる。指先が角の周辺をくすぐった。


「わあっ!」


 ジュディスがビクッとしてアドリアーナを振り返り慌てて角を隠した。


「何?今の触り方」


「竜の角の触り方よ?ジュディスにも通用するのかと思って。目の前にとっても可愛いらしい角があったから、つい」


 どさくさに紛れて後ろからアドリアーナがジュディスを抱きしめる。


「で?どうだった?レイと私とどっちが上手?」


「うーん…レイ…かなぁ?アドリアーナのはちょっとくすぐったいよ」


「あらあら、レイったらいつの間にそんな技を手に入れてたの?驚きだわ」


 アドリアーナはクスクスと笑う。


「…技って…別に大したことしてないよ。小さな砂山の真ん中に棒を立てて絶対に倒さずに砂を少しずつ避けてく練習をしただけだよ…モリス先生と…」


 うっかり律儀に答えてしまってから、レイは急に情けない顔をした。アドリアーナが思わず吹き出す。モリス教授とレイが真剣な顔をして砂山を崩す様を想像してしまったからだった。クレメンスはそんな光景を見ながら思わず笑ってしまった。こんなときだと言うのに両親とジュディスとレイは相変わらず戯れている。むしろ竜になっても深刻にならずに済んで助かったと思った。何の突出したものも持ち合わせていないと思っていた自分が急に突出した方に転がってしまった。ベアトリスと会わなければ覚醒しなかったのかもしれない。


「人生何が起こるか分からないな。これから嫌でも長い時間僕たちは共に過ごすことになるよ。竜は長生きだからね」


 クレメンスはベアトリスの肩を抱き寄せた。


「ねぇ…クレメンス」


 ベアトリスはクレメンスを見上げる。少しためらってからベアトリスは言葉を続けた。


「新しい…歩行器は…もう少しお洒落な作りに出来ないかしら?」


「…何?おばあちゃんみたいって言われたの気にしてたの?」


 クレメンスの言葉にベアトリスは眉を上げた。


「当たり前でしょ!それに、格好悪いと思って使えない人が他にもいるかもしれないじゃない。訓練にお洒落さは必要ないかもしれないけれど、だからこそお洒落だったり格好良かったりしたら、もっと積極的に訓練しようって前向きに思える人が増えると思うのよ」


「なるほど…それは僕にはなかった新しい視点だな」


 このことをきっかけにクレメンスとベアトリスが開発した歩行器が後に治癒院でも導入され、足の怪我のリハビリに活躍するようになるのだが、それはまた別の物語だ。

 後に作られた歩行器の変遷を分かりやすく解説した資料館には、一番最初にひしゃげた器具が今も展示されてある。第八王子の妃を救った歩行器としてそれは後世にまで語り継がれることとなった。

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