魔力交換会
午後からジュディスとベアトリスは指定された魔術塔の一室に向かった。わりと新しい塔で学院祭の準備などで学生がよく使用しているとジュディスはベアトリスから聞いたばかりだった。その手の情報には疎いので、ジュディスは初めて足を踏み入れた塔をキョロキョロ見回していた。
魔力交換会を開催する部屋の扉を叩くと中から明るい声がした。出てきたのはケイトリンで、他には二人の青年がいた。二人とも魔術騎士科の学生だ。ジュディスを見ると軽く一礼した。
「他のメンバーはまだ来ていないから先に軽く始めたいのだけどいいかしら?」
ケイトリンの言葉に室内に足を踏み入れたジュディスは頷く。だが次の瞬間に凄まじい力でジュディスは床に押さえつけられていた。背中を打って一瞬息が出来なかった。魔力できつく拘束される。手練れだ。まずいと思った瞬間に太腿に針の刺さる痛みを感じた。
「ジュディス!!」
ベアトリスの叫び声も聞こえたが、押し倒され両手を拘束されたジュディスの位置からでは姿が見えなかった。徐々に針を刺された太腿が痺れる。
「お前…誰だ…!」
ジュディスは相手を睨みつける。ケイトリンそっくりに化けているが、有角種の血の直感で至近距離にいる相手が男性だと気付いた。
「さて、誰だろうね?誰だっていいじゃないか。複数の雄を欲する雌の魔族の血が入ってるんだろう?条件さえ満たせばこの際誰だっていいはずだ」
ドレスの胸元を一気に破られる。ヘッドドレスも乱暴に剥ぎ取られ角を触られそうになった。レイの魔法陣がバチッと激しい音を立てて弾く。相手は一瞬怯んだ顔をしたが、強引に手を伸ばして魔法陣を破り、角に執拗に触れてきた。魔法陣を破った反動で相手の手から血が滴る。ぬるぬると角の上を滑って余計に気持ち悪い。なのに触れられると身体から力が抜けるのが分かった。
(嫌だ…レイっ!!)
「すごいな…ここまで淫らな香りだとは…」
自分でも分かるほどに濃厚な甘い香りが辺りに満ちる。有角種であることをここまで呪ったことはなかった。相手の明らかに興奮した顔を見て、怒りのあまりジュディスは拘束された両手から蔦を出して斬りつけていた。
「…っ!」
片腕から鮮血が飛び散る。両腕を狙ったつもりだったが位置が逸れた。激昂した相手にジュディスは殴られた。口の中が切れる。が、不意に相手はそこで不自然に動きを止めた。そのまま信じられないという顔をして相手はバタリと倒れて気を失った。
「私に…この程度の媚薬を打ったって効かないのよっ!」
後ろに立っているのは肩で息をしているベアトリスだった。ベアトリスは壊れた歩行器をようやく離す。相手の頭目掛けて振り下ろしていたのだった。
「ベアトリス…?」
どういう訳かベアトリスを押さえていた二人の青年も周辺で倒れて気絶していた。一人は血が出ている。
「ジュディス、何も…されてない?大丈夫?」
ベアトリスは髪もドレスも酷く乱れていたが、むしろジュディスの心配をしていた。
「ジュディス!?」
「ベアトリス!!」
乱暴に扉が蹴破られてレイとクレメンスが現れた。やや遅れてウォードとフロレンティーナも姿を現す。
ジュディスは手から出したままだった蔦をようやく引っ込めるとレイに抱きついた。ウォードが素早く倒れている三人に拘束の魔術を施す。
「ケイレブ、本物の三人、ケイトリンとジュリアンと…ライリーが無事か今すぐ確認して…」
ジュディスの言葉にフロレンティーナの方が動いた。
「任せて、今すぐ確認するわ!」
フロレンティーナはすぐに姿を消す。
「ジュディス、ごめん、本当にごめん」
レイは最初ジュディスが頭から出血しているのかと思って目の前に倒れた相手に殺意が湧き起こった。が、近付くとそうではないと分かって少し落ち着きを取り戻す。ジュディスの腫れた右の頬に触れて水の魔力でゆっくりと冷やした。
「…こっち…より…角…気持ち悪い…触られた…」
レイは水の魔力で角を洗ったが、ジュディスはなおも痕跡を消すかのようにレイの胸元にぐりぐりと角を押し付けた。ウォードはおもむろにマスクを取り出すと口と鼻を覆う。服用している抑制剤のみでは心許なかった。そのくらい室内には濃密な甘い香りが漂っていた。クレメンスの様子もどこかおかしいことに気付き、レイは慌てて室内に充満する甘い匂いを集めると掴み取って封印した。
「すっごい…強烈…これでも…レイは平気なのか?」
いつになく顔を赤らめてぼんやりしたクレメンスが鼻を手で覆ったままつぶやく。話を聞くのと体験するのとではやはり全く違うとクレメンスは思った。よくこの香りでレイは平気な顔をしていると内心驚く。ものすごい自制心だ。
「三人は連行しますから、お二人を早くこの場から連れ出してあげて下さい。いつまでもこんなところ、いたくはないでしょう」
床に散らばる手錠や魔術道具、注射器を一瞥してウォードが眉をひそめた。
「ケイレブ…ケイトリンの格好のそいつ、左利きだ…多分…」
その後にジュディスは魔術騎士科の補助講師の名前を口にする。ウォードの瞳に冷酷な怒りが過ぎるのをジュディスは初めて見た。いつも穏やかな笑みを浮かべているウォードとは真逆の顔付きにクレメンスまでが僅かに目を見張ったのが分かった。
「お嬢…本当に申し訳ありません」
ウォードは深々と頭を下げた。魔術騎士科の講師として管轄内の者がしでかした罪の重さにウォードは拳を握りしめる。誰もいなかったら壁の一つでも殴りたいところだった。
「ケイレブのせいじゃない…多分私が…剣を捧げると…言われたけど断ったせいだと…思う。ベアトリスまで…巻き込んでしまった…」
レイにしがみついたままジュディスはそう告げて辛そうに目を伏せた。
レイとクレメンスはジュディスとベアトリスを抱き抱えたまま瞬間移動で屋敷に戻った。レイは到着するとすぐにジュディスの角を入念に再び洗ってから角にしばらく口付けをした。その間ジュディスは恐ろしいほど静かだった。再度封印の魔法陣を描く。
「レイ…触って…」
不意にジュディスが小声で囁いた。
「えっ、でも…」
「角に触られたら…嫌な相手なのに…身体から力が抜けたんだ…そのとき思った。なんで…レイに…さっさと初めてを捧げてなかったんだろうって」
「いや、それは…だって」
「結婚してないからか?ブリジットだって言ってたじゃないか、もっと先に進めって。レイの手の届かないところで誰かに滅茶苦茶にされるかもしれないって思ったら…耐えられないんだ…」
ジュディスの懇願するような紫と濃い緑の瞳に見上げられてレイは断れなかった。モリス教授に念の為に角の触り方を聞いておいて良かったと内心では思った。
そっと触れるか触れないかのギリギリでさらりと指先を滑らせる。絶対に押すのは禁止と言われた。砂山を少しずつ崩すように優しく触れること。
「レイ…」
繰り返すうちに次第にジュディスの呼吸が乱れる。再び甘い香りが漂った。レイは力の抜けたジュディスを抱き上げてベッドに横たえると強固に周囲を遮断した。
「これで外に香りは漏れない。ジュディス、大丈夫?」
「うん…少し…このまま…」
ジュディスは目を閉じる。レイはゆっくりと両手を絡めて唇を重ねた。
「なんか…注射されたせいか…ふわふわする…変な気分…」
床に転がっていた瓶のラベルをちら見したレイはかなり強力な催淫成分が含まれているのに気づいていた。薬物耐性がなかったら変な気分どころでは済まないだろう。けれども少し酔ったような美しい瞳に見上げられると、レイも冷静ではいられなくなっていた。
「ジュディス…蔦…出して。絡めよう」
「ん…」
ふわふわと頼りない蔦が揺れながら出てきてレイの蔦と絡まる。それだけでジュディスはもう心地良くなっていた。レイにもそれが伝わってくる。そうやって口付けを交わしているうちに互いの身体の境界が曖昧になってきた。
「ジュディス…溶けそうだよ…」
「うん…私も…」
二人は淡く輝きながら再び一つに溶け合って心ゆくまで混ざり合う。そうしていると一気に体温が上がった。その熱が冷めないうちにレイは再び元の姿に戻ると、まだ輝いて戻り切っていないジュディスに囁いた。
「本当に…いいの?これから…この姿で抱くよ?」
「ん…」
レイはジュディスを抱きしめる。次第に元の姿になったジュディスの身体を優しく愛撫した。ジュディスの腕がレイの首に絡まる。
「レイ…来て…」
ジュディスも囁く。レイは今まで触れたことのない場所にそっと触れた。うまくできるか不安だったが、それを押し隠してレイはジュディスに触れて優しく丁寧にほぐしてゆく。腹部の傷と焼き印の跡はまだ輝いていてよく見えなかった。無意識にジュディスがそうしているのかもしれなかった。
(何って前戯が一番大事に決まってるでしょ?初めての女の子を相手にするときは、自分の快楽なんか正直どうだっていいのよ!いい!?そこ絶対に忘れちゃダメよ!)
なんでこんなときにモリス教授の赤裸々な話を思い出すんだとレイは自分に少し呆れた。けれどもそのお陰で本能に流されずに済んだ。
途中で一度ジュディスは溶けた。やはり怖かったのかとレイは思った。再び元に戻ってから、ようやくおずおずと二人は繋がった。
「ジュディス…熱いね…」
レイはつぶやいた。レイの腕の中でジュディスが切ない表情を浮かべる。愛おしさが込み上げて、レイは両手を絡めるときつくジュディスの手を握りしめた。甘い香りが立ち上る。
「レイも…熱い…」
レイを受け入れたジュディスは、少し苦しそうにか細い声を出したが、レイを見上げて僅かに笑みを浮かべた。
「レイ…愛してる」
「僕もだよ…ジュディス、愛してる」
レイはそれからも決して衝動に身を任せたりはせずに優しくジュディスを抱いた。精霊の繋がりを先に経験していたお陰もあってか、レイは本能を剥き出しにしてジュディスにぶつけることはせずに済んだ。一方でジュディスは有角種の本能が働いているのか、初めてなのに、それがとても気持ち良くて、痛みを想像して身構えていたせいもあって逆の意味で困惑してしまった。自分の身体がおかしくなってしまったのかと思ったくらいだった。レイにしがみついてジュディスは思わず喘いだ。自分が自分ではなくなってしまったような、恥ずかしさでその瞬間はいっぱいになった。
「ジュディスっ…!」
レイの額から流れ落ちた汗がジュディスの少し切れた唇に落ちた。僅かにしみてジュディスはそれを舌先で舐めながら、レイも同じ感覚に飲まれているのに気付いて安堵した。やがてレイはジュディスの上に被さるとついに身体の力を抜いた。呼吸がとても荒い。ふわりとジュディスの好きなレイの香りが漂った。ジュディスも息が上がっていたが、その香りは嗅ぎ分けられた。
「レイ…」
互いの鼓動を感じ取りながら二人は静かに重なったままずっと抱きしめ合っていた。




