女子の話題
アストリアの花もジュディスのときと同じ青い花だった。二つ開花して無事に実となった。もうじき収穫できそうだとアストリアが言ったその日にベアトリスと何故かアリシアが学院長に呼び出された。
「アストリアの蔦の実がなったらベアトリスに食べてもらう話をしていたが、アリシアも一つ食べるべきだとジュディスからの提案があったから二人を呼んだ」
ベアトリスは頷く。アリシアもレイの屋敷に出入りしているのでちらほら耳にしていたし、ブラッドウッドには蔦を出すのを見せて貰っていたから認識はしていた。それが世界の危機に立ち向かう武器だということも。
「私も食べるんですか…?戦力になれるなら食べますけど、お役に立てるかどうか」
アリシアが不安そうに言うと学院長はフッと低く笑った。
「いや、戦力というよりは狙われた際の予防策…と言ったら不安になるだろうが、その意味合いの方が強い」
学院長は不意に憂いを帯びた顔付きをした。
「サフィレットが休学中なのはアリシアも知っていると思うが、サフィレットは実を食していなかった為に身体を乗っ取られて南へ行ってしまった。公にはしていないが、そういうことだ。そしてブラッドウッドの身体も一度狙われたが、蔦の実を食していた為に難を逃れた。だが痕跡が残っている。君たちが今後深い仲になることも踏まえて、実を食すべきと判断した」
「分かりました…」
アリシアは返事をしながら頬に手を当てた。僅かに赤くなっている。
「もう一つ、食す意味があるのだが、これは真っ昼間から私が語るべき内容ではない。ベアトリスはジュディスから詳しく説明されただろう?アリシアにもその辺りの詳細を話しておいてくれると助かる」
学院長はそう告げて話を終わらせた。学院長室から出たアリシアが首を傾げる。ベアトリスは気まずそうにアリシアの顔を見た。
「あのね…私もうまく説明できるかは自信がないわ。羽化の守の教育を受けていたから多少はイメージできたけど、まだ実際にそうなったことはないから…体験したジュディスに直接聞いた方がいいと思う…」
ベアトリスにしては歯切れの悪い言い方だなとアリシアは思ったが、その時はあまり突き詰めて考えてもいなかった。
***
ベアトリスは歩行器を使って自力で歩く訓練を始めていたので、それにアリシアも付き合いながらゆっくりと魔術騎士科の訓練場に向かった。観覧席の端に座るとベアトリスは肩で息をしながらも、素早くその目はクレメンスを探していた。アリシアはもちろんブラッドウッドを探す。
ここ最近観覧席の前方にはケイトリンの一団がいて、その取り巻きが目を付けた学生に向かって熱い視線と声援を送っていた。ケイトリン自身はあまり興味がないのか、つまらなさそうな顔付きで、いつも連れ歩いている二人が打ち合いする様子を見ていた。
クレメンスは隣のリアムと何か話している。すでに打ち合いは終わっているようだった。ブラッドウッドの木刀が生徒の木刀を弾き飛ばす。反対側で生徒の相手をしていたジュディスが見もせずに飛んできたそれをキャッチして、打ち合いを続けていた。
レイはやや退屈そうに手元の紙に書き込みをしている。お腹に卵があるので大事を取っているのだろうなとベアトリスは思ったが、ケイトリンの取り巻きの中にそんなレイを熱心に見つめている少女たちがいるのに気付いた。
「婚約相手がいても、キャーキャー騒ぎたいものなのかしらね…」
やや呆れたようなベアトリスの呟きを聞きつけて、アリシアはクスリと笑う。
「むしろ、婚約者がいるからじゃない?自分のものにもならないけれど、自分の隣にいるライバルに取られる心配もないでしょ?無駄に傷付かなくて済むから無責任に騒げるのよ」
「そういうものなのかしら…私には理解できないわ」
「ベアトリスって羽化の守候補だったときも、何だか超然としてるっていうか、王子に熱烈に恋してる風には見えなかったわよね」
まさかここで昔の自分の話をされるとは思っていなかったので、ベアトリスは驚いてしまった。
「私、そんな風に見えてたの?やっぱりダメよね。そうよ、私は親から命じられた義務としてしか…思っていなかったから。周りから持ち上げられて当然なるべきものとして受け入れてたから、ジュディスが突然現れて本当に驚いたのよ。それまで私のライバルはブルーノだったから」
「えっ?そうだったの?」
「ブルーノもやっぱり政治的な意味合いもあって候補として名前が挙がっただけだったみたいだけど、ジュディスじゃなきゃレイを助けることは出来なかったと思うわ。何だかんだで本物の愛の力には敵わないってことを見せつけられたと思ったわ。でもね…」
「…でも?何?そこで黙らないでよ」
アリシアが不安そうな顔をする。
「羽化の守にならずに避けられたと思った、ちょっと理解が追いつかない状況を、この先私もあなたも体験するかもしれないってこと。学院長先生がさっき言及を避けた話題が関わってくるのよ。だから講義が終わったらジュディスを捕まえなくちゃ」
「えぇ…?そこまで言われると怖くなってくるわよ。いったい何?」
「そうねぇ…蝶が芋虫から蛹になるときって最初蛹の中はどうなるか知ってる?」
「いきなり何?なんで虫の話になるのよ?」
「蛹ってね、一回中で溶けてドロドロになるのよ。羽化する前の王子も繭になってその状態になるの。ここからが本題よ。蔦の実を食べた者もそうなる可能性があるってこと。その…恋人と…するときに…」
最初は毅然とした様子で話していたベアトリスだったが後半は突然小声になった。さすがに顔色までは変わらなかったが、隣のアリシアは理解が追いつかず、間の抜けた表情を晒してしまった。
「えっ…?何?そうなの?えっ、待って!ちょっと怖いんだけど」
だがそのとき鐘が鳴り響き講義の時間が終了になる。観覧席からすごい勢いで女生徒たちが立ち上がり、我先にと訓練場から出る魔術騎士科の学生の方へ向かう。ベアトリスのいる観覧席の隣を通り過ぎた学生の一人が鼻で笑うのが聞こえた。
「ちょっと何よ邪魔」
「おばあちゃんみたいよね」
ベアトリスの歩行器のことを言っているのだとすぐに分かったが、ベアトリスは表情一つ動かさずに座っていた。ケイトリンの一団が近くを通り過ぎる。ベアトリスを笑った生徒を一瞥してケイトリンは言った。
「クレメンスに振り向いてもらえないからって、そういう嫌味を聞こえよがしに言うって、恥ずかしいとは思わないの?」
折しも観覧席に向かって歩いてきていたクレメンスは一部始終を目撃してしまったが、隣のリアムと共に口を挟むのは憚られて、微妙な表情を浮かべて足を止めていた。ケイトリンは後方にいるクレメンスを捉えていたので、あえて自分の大きな身体で遮っていた少女の視界にも彼が入るように避けて見せた。
「全部聞かれてたわよ、残念ね」
嫌味を言っていた学生はクレメンスと目が合って絶望的な表情になった。慌てて踵を返して走り去る。ケイトリンはベアトリスを見て言った。
「あなたが魔力交換会をやらなくなったから、私が仕方なく主催する羽目になってるのよ?早く復帰してくれないと生徒会も人数が減って忙しいから困るのよ」
「えっ…そうだったの?」
てっきりケイトリンは学院内の中心になって仕切りたいのだと思っていたベアトリスは意外な思いで強気な美人の顔を見上げた。
「だって第八王子もブルーノも主催してくれそうにないし…主催条件を満たしてる学生って意外と少ないのよ」
「どうしたの?何か問題でもあった?」
そのとき後ろからレイとジュディスがやってきて、レイが声を掛ける。
「いえ、揉めてる訳じゃないです。ただ…魔力交換会の主催条件を満たしてる学生が少な過ぎて、私一人じゃ回し切れなくなってるって話をしていただけで…」
ケイトリンはレイを前にすると急に自信なさ気な話し方になった。
「そうだったんだ、気付かなくてごめんね。僕たちも忙しくない訳じゃないけど、昼休みの時間帯なら、ジュディスが空いてるよ?」
「ちょっと、レイ勝手に決めないでよ」
横からジュディスが恨めしげな顔付きで相手を見上げたが、レイはジュディスの腰を抱き寄せると屈んで耳元で囁いた。
「だって僕の魔力交換の先生はジュディスだからね」
その光景に周囲から悲鳴ともため息ともつかない声が上がったが、レイはニコニコしながら平然と事実を口にした。
「僕って元から魔力交換が苦手なんだよ。去年から身体が縮んだりで色んなことがあったから、今は僕の不安定な魔力じゃ交換会を主催できないってのが本音。なので婚約者のジュディスなら貸し出し可能なんだけど、どうする?」
「だから…人をモノみたいに勝手に貸し出そうとしないで欲しいんだけど」
ジュディスは文句を言ったがケイトリンはジュディスに向き合って頭を下げた。
「お願いします!この通り!」
強気な美人に懇願されてジュディスはついに折れてしまった。が、条件を出した。
「ベアトリスも一緒に参加してもいいなら開催するけどいいかな?」
「え?なんで、私?」
ベアトリスが慌てる。ジュディスはベアトリスを見て真面目な顔をして言った。
「多分、ベアトリスも色んな魔力を流した方が回復が早まると思うんだ。ケイトリン、後でレイの屋敷に遣い鳥で連絡をくれたら、今日の昼からでも合流するよ」
「分かったわ!では後ほど」
ケイトリンは明らかに嬉しそうな顔をして颯爽と去ってゆく。ベアトリスはケイトリンとは全く接点がなかったので、その派手な見た目によらず案外真面目なのだと気付いて意外な思いでその後ろ姿を見送った。人がまばらになった頃、ようやくクレメンスが近付いてきた。
「女の子のケンカに口を挟んでもいいことなんてないからね。レイみたいにグイグイいけるのはある意味羨ましいよ」
リアムも深く頷く。レイは片方の眉を上げた。
「あのさ、これでも補助講師だから一応それらしいことはやっとかないといけないの。揉め事を見て見ぬふりってのが一番良くないからね。容認してるってことになるから。ところで珍しい取り合わせだけど、何かあったの?」
レイはベアトリスとアリシアを見る。ベアトリスはクレメンスとレイ、それにリアムまで来るとは想定していなかった自分のうかつさに頭を抱えたくなった。
「あのね…ちょっと…女の子どうしの話がしたくて。ジュディスと」
ベアトリスが言うと、後ろにいたクレメンスと目が合う。クレメンスは頷いた。
「じゃ、リアム行こうか。レイも。じゃ後で屋敷で会おう」
クレメンスのこういう所に救われるとベアトリスは思った。
***
「で、話って何だ?」
すっかり静まり返った観覧席でジュディスが訊ねる。が、不意にジュディスは周囲を片手で遮断した。アリシアは見たことがなかったせいか、ものすごく驚いていた。
「えっ?何、今の早さ!!」
「あー気にしないで。で?何の話だっけ?これで誰かに聞かれる心配もない。って、ブリジットには無理かもしれないけどね」
「え?そうなの?まぁ…いいわ。それでね、今日学院長先生から私もアストリアの実を食べるように言われたのよ。で、それはとりあえず納得したんだけど…その…溶けるって話を…聞いて…」
アリシアが目を泳がせたのを見てジュディスは可笑しそうに笑った。
「あぁ、なんだ、そのことか。うんそうだな。まず第一段階はこれ」
ジュディスはそう言うと掌から青白く輝く細い蔦を出した。
「ベアトリスは…クレメンスの蔦を受け入れたことはある?」
「え?あ…えっと、その…掌を合わせてなら…」
「クレメンスは相変わらず何でも早いな。この調子だとベアトリスが実を食べたらすぐにでも溶けそうだな…」
恐ろしいことをサラッと言ってジュディスはアリシアに向き直った。
「先生の方は多分慎重だからすぐにはならないと思うけど…」
ジュディスはアリシアの手を持ち上げると自分の掌を合わせた。蔦で掌をくすぐる。
「別に痛くもないし怖くもないよ。溶けたらあっという間だから、お互いが相手に夢中になってる間に全部終わってた。終わったら…多分もっと蔦を絡めたくなる。何度でも溶けて一つになりたいって思う…」
ジュディスの蔦はアリシアの掌に入りそうなギリギリの表皮を撫でて離れてゆく。悪戯な目をしてジュディスは囁いた。
「アリシアの方から先生を誘ってもいいから、その時が来たら楽しんで。私が言えるのはこのくらいだ」
ジュディスは素早く遮断を解いた。アリシアはふうっとため息をついた。
「私…実は講師を目指してるの。でもジュディスみたいに簡単に遮断できないわ。モタモタしちゃう。まだまだね」
すると隣でベアトリスが苦笑した。
「ジュディスを基準に考えちゃダメよ。羽化の守で王子の婚約者で有角種で、蔦も自由自在に操るのよ?」
「そうやって言語化されると盛りだくさんだなぁ。それにアリシアはきっといい先生になれると思うよ?」
三人はその後、他愛ない話をしながら観覧席を後にした。ベアトリスの歩行訓練に付き合いながら三人でゆっくり歩く。共に歩いてくれる人がいることにベアトリスは安堵する。しかも先に行ったと思っていた三人が少し先のベンチとテーブルが置かれたフリースペースで座って待っていた。三人並ぶと皆長身なので迫力がある。が、レイを見やってクレメンスが不満そうな声を上げた。
「ついこの間まで見下ろせたのに、いきなり大きくなって抜かすとか反則だよ」
「えぇ?そんなこと言われても困るよ」
「男子っていつまで経っても身長で競うものなのかな?」
小柄なジュディスが下らない言い合いを続ける二人を見上げて呆れたように眉を下げた。




