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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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命の繋がり

 リュイは夢を見ていた。夢の中にはリュカもいて幸せだった。リュカは笑っていた。


(リュイ、色々と面倒事を押し付けちゃってごめんね、僕は先にいくよ)


(待って!リュカ!)


 リュイは目を開いてそれが夢だと気付いた途端に涙が溢れた。


(リュカはもういない…)


 不意に優しい手がリュイの頭を撫でる。首を巡らすとブリジットがベッドの横の椅子に座っていた。


「リュイ、すまなかったな。大丈夫か?」


 ブリジットの指先が涙を拭う。


「うん…大丈夫。夢を見てただけ…」


 リュイはブリジットの青い目を見つめた。今リュイが抱えている魔石の色と同じだ。ブリジットも魔力が強い。身体が竜に変わってきている。


「ブリジットは怖くないの?」


「何がだ?」


「…変わること…」


 リュイの問い掛けにブリジットは思案した。


「恐れていても仕方ないからな。それにアドリアーナ…妻が竜だから彼女を遺して先に逝かずに済むかもしれないと思ったらむしろ気が楽になったよ。私の最初の夫は…子を成して間もなく死んでしまったからな。都合良く充てがわれた相手だったから、本人のこともよく知らないし悲しむ間もなかったが、死ぬと分かっている相手を私の夫に選んだ父をしばらく恨んだよ。そんなに早く逝くと分かっていたなら…もっときちんと向き合うべきだったと後悔した」


 ブリジットの手がリュイの頭を優しく撫でる。リュイはふと遠くを見つめるような顔をした。


「ブリジットも悲しいね。僕と一緒だよ。自分の意思では何一つ決める権利がなかったって意味で。でも、僕は…リュカとずっといられると…勘違いしてたんだ。副神官長はね、神官長に嫌なことを命じられて僕たちにどうしてもそれを行わなければならないときでも、きちんと説明してくれたんだ。だから少し辛いことでも僕たちは耐えられた。でも、ある日神官長に命令されて…僕は逆らえなくて…副神官長に酷いことをしてしまった。その結果、僕はまた記憶を失って…とうとうリュカまで失って…一人になっちゃった」


 リュイは弱々しい笑みを浮かべた。


「僕ね…もう一つ…ブリジットと同じところがあるよ」


「あぁ…そんなことだろうと思っていたよ」


 ブリジットはリュイの手を握る。


「…両方の性を持っている…いや、違うな。リュイはひょっとして変われる…のか?」


 リュイは頷く。


「ブリジットの蔦で身体の中を触られたときに…何となく気付かれた気がしてたんだ」


 リュイは恥ずかしそうに目を伏せた。


「僕とリュカは…どっちも女にはなりたくなくて…揉めてたんだ。でも…稀少種だから早く子孫を残せって…神官長に言われてて…あの夜…リュカはもしかしたら…この先自分の身に何が起こるのか…予想していたのかも…しれない…最低なことされたって思ってたけど…今は…リュカが存在していた証は…ここにしか残ってないから…」


 リュイは魔石を抱えた魔力中枢よりも下の腹部を撫でた。


「だから…僕はずっと結論を先延ばしにしていたけれど…リュカの子を育てる間だけ変わろうと思うよ…女に…」


「よく決心したな。でもリュイは一人ではないぞ?ここにいるみんなが協力してくれる。だから不安にならなくて大丈夫だ」


 ブリジットもそっとリュイのお腹に手を当てた。


「うん…ありがとう…でもやっぱり…少し怖いよ。第八王子さまは…怖くないのかな?お腹に精霊の卵があるんでしょう?」


「どうだろうなぁ。レイは…案外何でも受け入れてしまえるんだよ。一度死にかけてから多少の事では動じなくなったらしい」


「みんな強いなぁ…ガルブレイスさんはもう動けるのかな?決心が揺らがないうちに、伝えておきたいんだ。国に戻ったらリュカを失った責任を取らなきゃって落ち込んでたから。少しは希望を持てる話も聞かせたくて」


「分かった。様子を見てくる。無理なら遣い鳥を貸そう」


 ブリジットは頷いて立ち上がった。失ったように見えても命はこうやって繋がってゆくのだとブリジットは思った。



***

 


 その後知らせを聞いたガルブレイスは、無理をして起き上がりリュイの元へやってきた。そうして、リュイの手を握って人目もはばからず泣き崩れた。


「そうか…ここに…リュカの子が…」


 後で知ったことだが、リュイの種族は受精卵を腹の中で育てずに長期間保管できる。そうして来たるべきとき、つまり妊娠するのに安全な場所を確保できてから身体を変えて出産に臨む習性があるということだった。つまり複数の妊婦及び精霊の卵を抱えた王子までいるレイの屋敷がそれに適した環境だとリュイは半ば種族の本能的に判断したともいえた。

 そうこうしているうちにアストリアの腕には二つの蕾ができた。少しずつ順調に膨らんでいる。それなのにアストリアは相変わらず平気で動き回っていた。それどころか兄の剣術の稽古にまで付き合おうとしたので、モリス教授の方が慌てて断っていた。


「間違ってアストリアの腕を叩いちゃったらなんて思ったら怖くて思い切り振れないわよっ!」


 夕方に毎回王立治癒院に出掛けていた時間が空いたので、夕飯前のその時間帯が必然的にモリス教授とセオの剣術の稽古の時間となった。屋敷にやって来たウォードとブラッドウッドが物珍しそうに、二人の訓練の様子をテラスから見ていた。


「剣筋は悪くないですね。ま、モリス先生の家系は剣豪揃いですから…やはり血は争えないってところなんでしょうかね」


「セオドアもつい最近始めたわりには頑張ってるじゃないか。これはひょっとすると本当に魔術騎士科に合格するんじゃないか?」


「何しろ特別講師がついてますからね」


 二人が話しているところにアリシアが到着する。アリシアが一礼するとウォードはアリシアに向かって片目をつぶって見せて、そこから離れて庭の方へ降りてゆく。アリシアは思わず頬を赤らめた。


「アリシア」


「先生…」


 ブラッドウッドはアリシアを手招いてそっと手を繋いだ。ここ数日で二人の距離は一気に縮まった。ブラッドウッドは屈んで耳元で囁く。


「二人のときはクリスでいい」


 アリシアが今度こそ真っ赤になってブラッドウッドの顔を仰ぎ見る。花の香りが鼻腔をくすぐる。


「えっ…あのっ…ク…クリス…」


「うん?そろそろ血が欲しいか?」


 アリシアが頷くと、ブラッドウッドは手を繋いだままアリシアを二階の寝室へと連れてゆく。大広間から出てきたブリジットがそんな二人の後ろ姿を面白そうに見送った。


「…遅かれ早かれこうなるのは想定内だったが…知らない間に学院の規則を変えていたとは、まったくフレディも隅に置けないな」



***



 夕飯後にウォードとブラッドウッドはいつものようにアマロックの特訓に入っていた。以前はさして興味を示さなかったモリス教授だったが、ここ最近はテラスのソファーでじっくりと観察している。当然のようにセオも隣に座って真剣な表情で動きを追っていた。


「セオもモリス教授も目が良過ぎて眼鏡をかけてるんだもんな。目がいいってことは、剣を扱う上では得だよね。だってあの速さを何気にちゃんと追ってるよ、二人とも」


 地面とテラスの段差に腰掛けたジュディスが面白そうに二人を振り返る。その隣に座っているレイは近くに避難してきた精霊のエルデに気付いて小さく笑った。


「踏まれないとは分かっていても何とも落ち着かないものですな」


 エルデの頭の上にはセオの精霊のアイリスがちょこんと乗っていた。淡く光っている。


「セオったら、急に野蛮なものに興味を持っちゃって…びっくりしたわ」


 アイリスは剣は嫌いなようだった。


「でも明確な目標を持って何かに一生懸命取り組む子は嫌いじゃないわ。毎朝ちゃんと早起きして走ってるのよ。そのせいか、息切れしなくなってきたわよね」


 アイリスは小さな羽を羽ばたかせてジュディスの方に飛んできた。


「セオと毎日おしゃべり出来るようになって私は楽しいわよ」


「良かったな。アイリスは食いしん坊のお陰でこの姿になったからな」


 アイリスを指先に乗せたジュディスは笑う。


「だって、とってもいい香りがしたから、ちょっと舐めてみようって思ったのよ」


「かじってたけどな。くすぐったかったぞ」


「ふふっ。瑞々しくてとても美味しかったわ」


「一滴ならいいぞ?飲むか?」


 ジュディスは指先から細い蔦を出す。しばらくするとその蔦の先から透明な液体が浮き出てきた。


「アイリス、口開けて」


 アイリスが小さな口を開けてごく小さな雫を飲み込む。目を閉じたアイリスは微笑んだ。


「美味しい…」


「あ、アイリス殿だけ…!是非とも私にも」


 エルデが寄ってくる。


「エルデはレイから貰った方がいいと思うぞ?レイも両性になったから出来ると思う」


「え?どういうこと?」


 言いながらもレイも真似して指先から蔦を出す。エルデが下で口を開けて待ち構えていたが、なかなか液体は出てこなかった。


「ジュディス、どうやるの?」


「どうもこうも…うーん、まだ早いか。仕方ない」


 ジュディスはエルデの口にも蔦から雫を垂らす。エルデは嬉しそうに飲み込んだが、途端に震えて一気に巨大化した。


「うわっ!!」


 二階のテラスを越えたエルデはしまったとばかりに頭を抱えた。


「申し訳ありませぬ…久々に興奮してしまいました…」


 エルデは恥ずかしそうにつぶやいてしゅるしゅると縮んで元の大きさに戻る。モリス教授とセオが呆気に取られた様子でエルデを見つめていた。


「びっくりしたわ…こんなに大きくなれるものなの?」


 モリス教授が驚きのあまりソファーから落ちかけたセオを支えて言った。


「多分もっと大きくなれると思うよ。昔はエルデのような精霊を城壁の外側に配置して戦の際に城を守ったなんて記述もあるからね。血生臭い戦いに精霊を巻き込むのは野蛮なやり方だから私は好きじゃないけど」


 ジュディスが言うと、セオは何かを考える素振りをした。


「セオは歴史も気になるのか?図書館の南方王朝史の古代編一巻第三章に書いてあるぞ」


 ジュディスの言葉に慌ててセオは中空に紙を取り出し今言ったことを書き写していた。


「ジュディスの頭の中を覗けたら今すぐ本が読めそうだよね。ジュディスの頭の中の図書館」


 モリス教授が腑に落ちない顔をしていることに気付いてレイは、ジュディスのとんでもない記憶量のことを知らないのだと思い至る。


「ジュディスは一度見たことは忘れないから、以前読んだ本は丸々一冊頭の中に入ってるんだ」


 モリス教授は羨ましいとは言わなかった。あら、まぁ、と言ったきり困ったような顔をしてジュディスを見つめる。ジュディスがいつまで経っても辛い過去を忘れられない理由が分かってしまったからだった。


「どうかしましたか?モリス先生」


 ジュディスは立ち上がってこちらに向かってきたモリス教授の顔を仰ぎ見る。


「レイ、ちょっとジュディスを借りてもいいかしら?」


「えっ?はい」


「ジュディス、抱きしめてもいい?」


「え?あ…はい…」


 モリス教授はジュディスの隣に座ると、ふわりと抱きしめた。


「先生…角…大丈夫ですか?」


 二次成長期に入ってからジュディスは打ち合い以外での異性との接近を極力避けていた。


「大丈夫よ。この時期は魔族以外に半獣人の子も発情期を迎えたりするから、学院内の教員は念の為に薬を服用することにしたのよ。だから安心して。緊急回避用の強い薬も持ち歩いてるわ」


「そう…ですか」


 ジュディスは緊張を解く。


「見てしまうと忘れられないのね…あなたの目をその瞬間塞いであげたいわ」


「でも…先生にとっては多分…いいこともありますよ。消失した古代術式の魔法薬の本…全ページ入ってます。今少しずつ書き起こしてて…」


「えっ?本当に?」


 ジュディスはモリス教授の腕の中から顔を上げて笑った。柔らかい笑みだった。いつの間にかすっかり少女らしく変わったことにモリス教授は目を見張る。


「出来上がった分だけ渡してもいいですか?」


 ジュディスは中空から紙の束を取り出した。美しい文字が並んでいる。モリス教授は微笑んだ。


「相変わらず綺麗な字ね。お手本みたい。大切に保管させて貰うわ。ここから写本も作っていいかしら?」


「はい…これは後世に残した方がいいと思うので」


「ジュディス、本当にありがとう。あなたが今ここにいて私と同じ時間を生きていることに感謝するわ」


 モリス教授はジュディスを抱きしめて優しく囁いた。

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