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真昼の懲罰房

「換気をするぞ!吐きそうだ」


 神官と巫女が部屋を出るまで大人しく見守っていたジュディスは三人が去るなり全ての窓を開け、なりふり構わずドレスを脱ぎ捨てた。ほぼ下着一枚に等しい姿になったが、同じくぐったりしているサフィレットのドレスも引き剥がして背中をさすった。


「サフィレット、窓のところで呼吸しよう…」


 サフィレットを連れて窓に移動したジュディスは外の空気を吸って、ようやく思考回路がまともに働いた気がした。


「レイとブルーノは平気か?」


「うん…好きな匂いじゃないけど、君たちほどではないよ」


 ブルーノは苦しげな二人の様子に戸惑っている。


「あの双子の巫女は平気そうだったよね」


「あれは…女子じゃないからな。化粧に騙されるところだったが、二人とも男だ」


 ジュディスは隣で涙目になっているサフィレットの肩を抱いた。


「何の茶番か知らないが、どうやってもサフィレットを偽物に仕立て上げたいようだな。久々過ぎて忘れていたが…この香は確か女にしか効かないんだ。けっこう長い時間吸わされたよな…レイ、ブルーノ今すぐ懲罰房の空き部屋に私たちを別々に放り込んでくれ。頼む。じゃないと…死人が出る…」


 獣のような瞳のジュディスに請われて、レイとブルーノに緊張が走った。すでにサフィレットの目は血走って耳が出ている。沸き起こる本能を懸命に堪えているようだった。ちょうど戻ってきた学院長が異変に気付く。


「二人を急いで沈黙の間へ!」


 ブルーノが叫んで学院長は二人をまとめて片腕で抱えると瞬間移動した。



***



 懲罰房の看守のミシェルは下着姿に等しい二人の少女を抱えた学院長が突然目の前に現れて、驚きのあまり書類を床にばら撒いた。こんな真っ昼間から懲罰房を利用する者はほぼいないので雑務をこなしている時間帯だった。しかも何が起こったのか白髪の少女の方は猛獣の如く唸り声を上げて両手を振り回そうとしていた。


「サフィレット!駄目だ耐えろ!」


 もう一人、荒い呼吸を繰り返す少女の髪色を見て第八王子の婚約者だとミシェルはすぐに気付く。彼女は鋭い爪の伸びた白髪の少女の手を必死で押さえていた。


「二部屋、暴れてもできるだけ怪我のしない部屋を!」


 大急ぎで昼間でも薄暗い廊下を走り奥の部屋にまず白髪の少女を放り込んで鍵を掛けた。


「フレディ…サフィレットが自傷しないように…監視してて。私は私で…なんとかするから…何を見ても…見なかったことにしてくれ…」


 翡翠の髪の少女は自ら扉を開けると中に入った。学院長が鍵を閉める。その重い扉を開けた白い手に見覚えがあるとミシェルは思った。この仕事をしていてミシェルは自分が顔以外のパーツでも人を把握できる能力があることにある時から気付いていた。間違いない。これは、あの満月の夜に学院長と共に現れて魔法薬を差し出した手だ。この少女たちに何があったのだろう。すでに奥の扉からは体当りする音が微かに聞こえる。一方、ジュディスが消えた部屋は恐ろしいほど静かだった。

 ミシェルが監視室に戻ろうとすると、黒髪の青年と第八王子がすでにその前で待っていた。


「お願いします。部屋の様子を見せて下さい。心配なんです」


 黒髪の青年が言う。ミシェルは拒否しようとしたが、第八王子はもっととんでもないことを口にした。


「ジュディスの部屋に僕も入れて下さい」


「レイ、何を言ってるんだ。何のためにジュディスが自ら閉じこもったと思っている」


 学院長の言葉にレイは首を横に振る。


「僕はジュディスと混ざったから大丈夫なんです。ジュディスの眷属には掟があって…その血に連なる者を殺すことは絶対に出来ないんです。逆に言うと、僕は中に入って傷付いたとしても、彼女につけられた傷では死なない。今苦しんでいるジュディスの心が伝わってくるのに、そばにいないなんて気が狂いそうなんです」


「だったら僕も」


 ブルーノの言葉にミシェルは思わず叫んだ。


「半獣人が獣の本性をあらわにして暴れてるのよ?君の力じゃ敵う訳がないわ」


 ミシェルの言葉にブルーノは人差し指に嵌めていた指輪を外す。気配が急に変わり黒髪の間に尖った狼の耳が現れた。


「僕も本性をあらわにしたら彼女よりも強いですよ」


 ミシェルは困って傍らの学院長を見上げた。学院長は諦めたように二人の若者を交互に見比べた。


「本来なら別の生徒を危険と分かっている場所に近付かせる訳にはいかないんだが…どうせ君たちは言っても聞かないだろうからな。その代わり部屋の中の危険信号が最上級まで上がった場合には介入させてもらう」


 若者たちは一礼をして走り去る。扉は監視室からでも施錠解錠が可能だ。ミシェルはその背中を見送って呟いた。


「二人とも熱いわねぇ…」



***



 レイが部屋に入るなり、開口一番にジュディスが言ったのは「何しにきた?」だった。その次に「死にたいのか?」と。


「余計なお世話かもしれないけど少しは頼ってほしいと思って。それに僕が死なないのはジュディスだって知ってるでしょう?」


 髪の大半が光る蔦化してベッドに倒れ込んでいたジュディスは気怠そうに起き上がる。普段は濃い緑の右瞳が闇夜の猫の瞳のように明るい緑に輝いていた。


「昨日だって僕は君を傷つけてしまったから…」


 慎重に一歩一歩近づいてゆく。途端にジュディスの蔦が驚くほど伸びてレイの身体を絡め取り怪力で引き寄せられた。何がどうなったのか判断もつかぬままレイはジュディスの蔦に絡め取られて組み敷かれていた。両手首にも足にも蔦が巻き付いて、もはや身動きすらできない。


「…飢えた獣の前に…自ら餌となって飛び込んでくるとはな…」


 普段は猫のような瞳が今日は猛獣のように鋭い光を帯びて輝いていた。その顔がすっと近づいてきて、何のためらいもなく首筋を噛まれた。鋭い痛みが突き抜ける。光る蔦に絡め取られて動けないレイの首を舌が這う。強く吸われて血を飲まれているのだとようやく理解が追いついた頃にはじんわりと身体が痺れ始めていた。どのくらいそうしていたのか、蔦がゆるりと解けて両手に細い指が絡まり強引に魔力を流し込まれた。血の味のする唇がぶつかるように荒々しく重なる。それでも必死に衝動を抑えようとするジュディスの焦りが伝わってきた。ポタリと雫がレイの顔にこぼれ落ちる。ジュディスの涙だった。


「こんな風に…レイを好き勝手に…したい訳じゃないんだ」


 不意に両手が離れてジュディスはレイを遠ざけるようにしてベッドの隅に膝を抱えて丸まった。レイが静かに起き上がると少し景色が揺れた。襟の辺りは血に染まりいつの間にか服も破れている。見た目はなかなかに壮絶だ。


「後ろから…私を…拘束してくれないか。レイの蔦で…」


 言われる通りに蔦を出してジュディスの身体に巻き付ける。下手に相手を刺激しないようにレイは一定の距離を保ったままジュディスを縛った。


「ごめん…一人の方が良かったね。僕の独り善がりのせいで、もっとジュディスを追いつめた…」


 レイの言葉にジュディスは首を横に振った。


「そんなことはないよ…レイの血のお陰で…思ったより早く…何とかなりそうだから…」


 ジュディスは呟いてレイの蔦に顔を埋めた。



***


 

 その後も時折嵐のような衝動に突き動かされて何度かジュディスは暴れたが、思いのほか強くしなやかなレイの蔦の拘束のお陰で酷いことにはならなかった。香の効果が抜けてようやく元に戻ったジュディスとレイが部屋から出たい旨を告げると扉が解錠された。手近な毛布を身体に巻き付けてジュディスは部屋を出る。

 折しも奥の部屋の扉が開いて、サフィレットとブルーノ、それに学院長も姿を現す。奇しくもブルーノも首を噛まれていたが、獣の姿に転じていた際に噛まれたのか凄惨な傷痕が残り幾分か顔色が悪かった。少女姿のサフィレットもジュディス同様に毛布を被っていたが、自分の行いにショックを受けたのかすすり泣いて目が腫れていた。


「ブルーノ、男前が上がったな」


 レイが声を掛けると、こちらを見たブルーノがフッと含み笑いを漏らした。


「レイだって人のことは言えないだろ?」


 ブルーノの言葉にレイは笑い出す。

 しゅんとしたサフィレットに向かってジュディスは言った。


「私もやらかしてしまったからな。そんなに泣かなくても大丈夫だ」


「…違うの」


 ジュディスの言葉にサフィレットはしゃくり上げながら首を横に振った。


「私たち半獣人の間で…相手の首を噛むってことは…求婚に同意するって意味なの…」


 サフィレットは絶望的な顔をジュディスに向ける。


「正気じゃない間に、私ブルーノの求婚を受け入れてしまったわ…」


「誰が何と言おうと僕は君に求婚し続けるつもりだったし、僕はこの結果をむしろ嬉しく思っているよ。あんな風に乱れたサフィレットを見るのもなかなかに刺激的だったし」


「いやぁぁぁ!!」


 サフィレットは頭まですっぽりと毛布を被ると物凄い速さで駆け抜けて視界から消え去った。


「ブルーノ…」


 呆れたようにジュディスが長身の相手を見上げる。ブルーノは首を傾げている。


「私が言うのも何だが、今の発言はわりと最低な部類だぞ?」


「南方ではこの程度の会話は普通なんだけどな。あぁサフィレットはこっちで育ったから感覚が違うのかな?でも君はこの程度のことは気にしないだろ?興味本位で聞くけど、君もレイの腕に抱かれたのか?」


 挑むような楽しむような表情でブルーノに見下ろされて、ジュディスはムッとした。


「サフィレットは私とは違うだろう?それに残念だが、どちらかというと逆だな。私が押し倒して噛み付いて血をしこたま飲んだ。レイは案外気持ち良さそうな顔をしてたな…」


 不毛な応戦を続ける二人を見てレイは傍らで深いため息をついた。意外にも息が合っているのも何だか癪だ。ある意味似たもの同士だと思って、ジュディスもこの姿になる以前の出身は南方だったことに思い至る。慰めるように傍らに立っていた学院長がレイの肩をポンポンと叩いて消耗した分の魔力を補ってくれた。

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