ベアトリスの見解
ジュディスとレイは周囲には物好きと言われながらも占学の講義を受講している。占学のマーティン助教授は数年前に甥っ子が誤爆した研究棟の修繕費捻出の為に多額の借金を背負っていた。学院と折半したにも関わらず研究棟は全壊したので、一個人にとっては痛い出費だった。しかもその甥っ子は自主退学し家族とも連絡がつかずマーティン助教授は自分の未来に限っては正確に占えないことを皮肉に思うしかなかった。更に昨年から教員に支払われる給与は変動制になった。受講人数と生徒の評価が影響する。受講人数が十人以下になった場合、マーティン助教授は講師の地位に転落する可能性すらあった。
「第八王子…本当にありがとうございます」
毎回のように拝まれてレイは苦笑した。レイがジュディスについてきて再受講したことにより今年度は転落の危機を免れている。
「あの…どうかお腹には気を付けて下さい…」
マーティン助教授はどこまで見えているのか分からないが時々鋭いことを言う。
「ジュディスさんは…特に…頭に…注意した方が良いかと…」
言われたジュディスは思い当たる節があり過ぎて思わずレイと顔を見合わせた。二人が屋敷に戻ろうとしていると、クレメンスと車椅子のベアトリスに会った。レイは急に姿が元に戻ったことで今日は一日中周囲から騒がれていた。特に魔術騎士科の観覧席の少女たちがうるさかったのだが、男装したアドリアーナがちょうど現れてくれたことで程よく話題が変わって、ジュディスのモヤモヤも解消された。
(いや、そもそもなんでこんなことでモヤモヤしてるんだ…全部この角のせいか?)
ジュディスの様子がいつもと違うことにいち早く気付いたのはベアトリスだった。
「ジュディス、どうしたの?神妙な顔しちゃって」
「うーん、これがきっと女子特有の悩み…なんだろうな」
自分のことなのに自信なさげにジュディスはつぶやく。
「クレメンス、レイと先に行っていてもらえる?ちょっと二人で話したいことがあって…」
「分かったよ、行こうか」
クレメンスはあっさりとレイを連行して足早に離れてゆく。ジュディスは周囲を遮断した。
「…ベアトリスはクレメンスとはどうなんだ?うまくいってるのか?」
不意にジュディスに訊かれてベアトリスは車椅子を押すジュディスを思い切り振り返った。
「私、そんな話したかしら?ジュディスって時々変なところに鋭いわよね。それに今は私の話じゃなくてあなたの話を聞くはずだったんだけど」
「いや…ベアトリスもクレメンスが他の女子から熱い視線を送られているのを見たらどんな気持ちになるのかな?と。まぁ、そんなとこだな。けっこうクレメンスは人気があるんだぞ?知ってたか?」
「あぁ…そういう話?いやだ、もっと深刻な話かと思ってしまったじゃないの」
「いや、深刻な方もあるにはあるんだ。公表していないだけで。私に角が生えてレイとの間に子どもができた。ただし精霊としての交わりだったから、その卵は今レイのお腹の中にある」
「は…?えっ…?ちょっと待って。理解できない。あなたじゃなくてレイなの?」
ベアトリスは驚きを隠せない様子でジュディスの顔を見つめた。
「うん。レイは蔦を飲んだ影響で先祖返り状態になって建国の始祖と同じ両性具有になったんだ。精霊の交わりは一回全部溶けて元に戻る感じ…羽化の守の教育を受けたならなんとなく掴めると思うから言うんだけど。繭期の状態みたいに二人ともなっちゃって、元の姿に戻るときにちょっと間違えてレイの方に卵が回収されたんだ」
「はぁぁ…何よそれ」
ベアトリスは車椅子を押すジュディスの顔を仰ぎ見る。深刻と言っている割には淡々としていた。
「よくそんなめちゃくちゃな状況に耐えられるわよね。繭期の説明は聞いたけれど、私は正直不安になったのよ。だからそれ以上のことを一緒に体験しているジュディスの話を聞くと、やっぱり私に羽化の守は向いてなかったんだわって心底思うわ。で、あなたが知りたいのは、クレメンスが他の女の子からキャーキャー言われているのを私が見たらどう思うのかってことなのかしら?合ってる?」
「そうだな…どう思う?」
「そうねぇ…確かにクレメンスがカッコイイのは認めるけど、クレメンスの内面のことを何一つ知らないくせに、顔だけ見て盛り上がってんじゃないわよ、あんた方は本気でロウの家に入る覚悟があるの?バカじゃないの?って思うわよ」
「フハッ…」
ジュディスの口から変な声が漏れる。振り返るとジュディスは腹を抱えて笑っていた。ひとしきり笑ってジュディスは立ち上がる。
「じゃあ私のこのモヤモヤも同じようなものなんだな。女子としては正しい思考回路なのか?元に戻ったレイを見てヒソヒソ囁きながら熱い視線を送る女子たちに、そいつは両性具有で今腹の中に私との間にできた卵を抱えているんだが、そんな相手に抱かれたいと本気で思うのか?ってモヤモヤ考えながら指導していたんだ」
「ふふっ、合っているのかどうかは分からないけれど、見た目が気に入って近づいても、そんな薄っぺらい表層のみでしか相手を見れない人なんかすぐに去ってゆくわよ。でもそういう人に限って君は僕の思っていた人とは違った、幻滅した、なんて平気で言うのよね。一体私の何を知ってるっていうのよ?私は私の汚れた内面もきちんと見て受け止めてくれるクレメンスのことが好きよ。まだ付き合い始めたばかりだけど」
「そっか…クレメンスからは聞いてるか?ベアトリスも精霊の実を食べるか種を取り込む必要があるって話」
ベアトリスはドキッとした。クレメンスにも念を押されたからだ。欠片の話題には決して触れないこと。
「えぇ…聞いているわ」
「クレメンスはすでに実を食べている。この先ベアトリスも蔦持ち…種や実を取り込んだ者をそう呼ぶんだけど…になった場合、もしかすると精霊の領域と近くなるから、私とレイみたいなことが起こる可能性があるんだ」
「えっ?どういうこと…?」
「その…二人の気分が盛り上がると…蔦が出て絡まり合うんだけど…その延長上に…お互いが溶けて一つになる可能性が出てくるってこと…」
「えっ?」
ベアトリスは沈黙した。
「ベアトリス…?大丈夫か?」
ジュディスがベアトリスの顔を覗き込む。
「…それは…かなり盲点だったわ。先に教えてくれてありがとう。ジュディスとレイだけの話だと思って聞いていたら対岸の火事じゃなかったってことなのね。もう足元に火がついてるじゃないのよ。危なかったわ。知らなかったら私、また正気を保てなくなるかもしれなかった」
ベアトリスは深呼吸をする。クレメンスは一見すると物静かなのにブリジットに似て好奇心が強い。自ら候補でもないのに蔦の実を食べてしまうほどに。そうしてその好奇心の延長に自ら溶けてみようと試すのも容易に想像ができてしまったからだった。
「クレメンスなら、多分嬉々として蔦を出して溶ける気がするのよね…」
ベアトリスが苦笑いしながら額に手を当てる。
「そこまで理解できてるのは、この学院内ではベアトリスくらいだと思うよ」
ジュディスは遮断を解く。少し先を歩く二人に向かってジュディスは足早に車椅子を押し始めた。振り返ったレイが二人に眩しい笑顔を向けた。




