モリス教授の勧誘
「あらあら、ふーん。アリシアったらやるじゃないの。こういうことを見越して講師と生徒間の恋愛を禁止する文言を規則から抜いたのだとしたら、学院長も先見の明があるわよね」
研究棟の小部屋に流れてきた情報を見ながらモリス教授は思わず口元を緩ませた。一昔前は補助講師以上の教員と恋愛関係になった生徒は両者ともに学院から追放されていた。学院から消えた優秀な生徒に思いを馳せる。つい最近王立学院規則の見直しを行った際に多数決でその文言は削除された。勿論モリス教授も賛成に一票入れた。元々はジュディスとレイが補助講師になったことで議題に上ったのだが、昨今若くて才能のある魔術師を学院長が積極的に招き入れていることも理由の一つだった。
今日は一人会うべき大学生が訪ねて来る予定だったので、資料をすぐに片付けてモリス教授は自分の研究室へと戻る。やがて扉を叩く音が聞こえた。約束の時間のきっかり五分前だ。それにしても堅苦しいほどに真面目なあのブラッドウッド先生が?再びニヤニヤ笑いが浮かびそうになるのを必死に打ち消してモリス教授は優雅に扉を開けた。
「よく来てくれたわね。ヒューバート。ようやくこの研究棟に骨を埋める決心がついたのかしら?」
ヒューバートと呼ばれた大学生は灰色の髪に茶色の瞳の一見すると大人しそうな青年だった。よく言えば物静か。だが覇気がなくおどおどして見えるくせに口を開くと辛辣だと就職候補先からは尽く弾かれ意気消沈していたところにモリス教授が声を掛けて今に至る。
「あのっ…僕なんかで…本当に教授のお役に立てるんでしょうか…?」
相変わらず謙虚だが自己評価があまりに低過ぎる。だがそれも彼の生い立ちを思えば仕方がないとモリス教授は思った。
「ヒューバート、あなた就職先が決まらなかったらこの先住む場所もなくなってしまうのよ?いつまでも学生寮にはいられないんだから、もうちょっと切羽詰まったらどうなのよ」
「はぁ…そう…なんですけど、僕のことなんて誰も必要としていないでしょうし、住む場所がなくなったら潔く野垂れ死にでもしますよ」
相変わらずだ。ヒューバートは生きることにも消極的過ぎた。
「だいたい、あなたは変に頭も良過ぎるから、余計に相手を不快にさせてしまうのよね。その頭の良さを研究に活かして欲しいからこそ声を掛けたのよ。今更あなたに人並みの生き方も話術も私は求めてはいないから安心してちょうだい」
分かったような分からないような顔付きの相手にモリス教授は丁寧に淹れたハーブティーを出した。大人しく彼はハーブティーを飲む。
「先生のハーブティーは美味しいからいくらでも飲めるんですけど、この前面接に行った農園に隣接している直営のお店のなんて、不味くて飲めたもんじゃなかったんですよ。高いお金を払ったのに!」
何となく展開が想像できてモリス教授は内心でため息をつく。
「どうせ、王立学院の先生のハーブティーの方が数倍美味しいとかなんとか言っちゃったんでしょ。で、農園の薬草の品種改良の仕事にもありつけなかった…」
言われた相手は目を見張る。
「先生って何でもお見通しなんですね。こんなクソ不味いものにお金を出す方がどうかしてる、って言っちゃって…」
予想よりも数倍酷かったとモリス教授は今度こそ深いため息をついた。
「あなたも不憫な子よね。嘘をつけない呪いって、生きにくいわね…」
ヒューバートは嘘をつけない。本心でしか語れない。それが彼の一族の受けた呪いだからだ。
「ところで先生…何かいいことでもありましたか?前に会ったときよりも魔力が安定してるし、妙に楽しそうですよ?」
「あら、バレちゃった?そうなのよ。最近は生きてることがとっても楽しいのよ。あなたにもそれを是非とも教えてあげたいわ」
「その点については全く期待はしてませんけど…これから…よろしくお願いします」
ヒューバートは小声で伝えると頭を下げた。
***
生徒会執行部の投書を片付け終わってブリジットがセオと学院長室を目指して歩いていると、見慣れない年上の学生が教務課近くに数人たむろしているのが見えた。
「大学生ですね。たまにこちらの教務課にも大学とは別の就職先の斡旋の掲示が出るので見に来ることがあるんですよ」
「ふーん」
けれども通り過ぎようとした際にブリジットは何となく嫌な気配を感じた。同時にいつも変身している際は静かなセシルが突然お腹を蹴って暴れた。
「ヒューバート、なんでお前だけ教授に可愛がられてる訳?どうやっておねだりしたんだよ」
肩に腕を乗せられた灰色の髪の青年は心底嫌そうな表情を浮かべたが無言だった。髪の色のせいか何となく老けて見える。その疲労したような顔付きのせいかもしれなかった。人生で損ばかりしそうな人相だと思いながらブリジットは相手をちら見した。
「おい、なんか答えろよ。それとも俺らみたいな低脳な奴とは口も利きたくない、そういうことか?」
「おーい、聞こえてんの?耳ついてる?」
会話が嫌でも耳に入り一方的に彼が二人から絡まれていることにブリジットは気付く。
「おい、止めろ。嫌がってるじゃないか」
気付けばブリジットは長身の相手に向かって言い放っていた。振り返った青年は相手が美少女なのに気付いて驚いたような顔をした。
「なに、君。こいつの知り合い?」
中の一人がニヤニヤしながらブリジットに近づいてくる。セオは慌ててブリジットの袖を引いたがすでに遅かった。
「いや、少なくとも現段階では知り合いではないな。でも今後知り合う可能性は見えた」
「お嬢さん、何を言ってるのかな?こいつは、ずる賢くて可哀想な自分を売り込むのが上手いんだよ。どうせモリス教授にだってそうしたんだろ?跪いて足の指でも舐めたか?」
「…そんなことしてないし先生にそんな趣味はないよ。呼ばれたから行っただけだ」
これまで黙っていた青年がようやく口を開く。灰色の髪に光のない茶色の瞳。ブリジットには彼を蝕んでいる呪いの鎖が見えていた。個人ではなく一族にかけられた呪いだ。しかもその一族を彼は知らない。
「モリス教授の知り合いか。なら、私の知り合いも同然だな。行こう。私も忙しいんだ。関わっているのは時間の無駄だ」
ブリジットは彼の手を取り歩き出す。
「これから私は学院長に用があるんだ。しかもどうやら人手が足りないみたいだ。ちょうどいいから借りていく」
「ちょっと…君…何?」
光のない瞳に初めて動揺した気配を感じてブリジットはニッコリ笑ってみせた。嫌悪感が伝わってくる。
「口に出さないのは賢明な判断だな。さすがに公衆の面前でそれを言われると、いくらモリス教授の知り合いでも一発ぶん殴りたくなる。行くぞ、セオ」
「あぁっ、はい」
後には呆気に取られた二人の青年が残された。
***
一応の礼儀なので扉を叩いてから返答を待って開けると、近くにいたフロレンティーナが意味深に笑うのが見えた。
「いったい誰を連れてくるのかと思ったら…呪われし子を選ぶなんて、ブリジットらしいわね」
「久し振りだな、ヒューバート。ようやくここで働く気になったのか?」
学院長に言われて、ヒューバートは学院長とフロレンティーナを交互に見やった。
「あの…いつの間にこの学院は竜の巣になったんですか?しかも、この人…というかそもそも人じゃないし、男でも女でもないし、僕以上に呪われてるし、おまけに妊娠してて、お腹の子どももなんかずっとうるさいし…!」
ヒューバートは一気にまくし立てると慌ててブリジットと繋いでいた手を離して頭を抱える。彼は明らかにブリジットに対して怯えていた。セオにはよく分からなかった。セオはセオで精霊の祝福を受けやすい体質なので、ある意味呪われた彼らの対極の存在とも言えた。従って他人が感じるブリジットに対する違和感や嫌悪感もまるごとありのままに受け入れてしまうのがセオという稀有な存在だった。
「相手が呪われてるとお互いの呪いが見えやすいというのは本当だったんだな。いい勉強になったよ。セシルが反応したのは、君のことを覚えているからだな。なんか妙に嬉しそうだぞ?」
「は?セシル?それは亡くなった第三王子の名前じゃないか。腹の子に恐れ多くも同じ名前をつけるのか?」
ヒューバートは震えながらブリジットに言い放ったが、ブリジットはニヤリと笑った。
「違う名前をつけようかと思ったんだが、本人が嫌がるし、婚約者のアストリアも呼びにくくなるからセシルのままにしようと思っているよ。生まれ変わりだからな。君はセシルの友人だったのか?」
「な…!生まれ変わり!?だいたい僕なんかが第三王子の友人になどなれる訳が…」
言いかけたヒューバートはけれども何かを急に思い出したようで、突然小声になった。
「…僕たちは…お互い呪われた身で…それで…少しだけ…分かり合えた気がしていた…多分それだけだよ」
「ふぅん。ま、そう思うならそれでもいいが、セシルはどうやら君に対して特別な友情を感じていたようだよ。先に逝ってしまって悲しませたことを許してほしいと言っている。それとあと数ヶ月で出てくるから、また会おうと」
にわかに信じがたいことばかり告げられてヒューバートの思考回路は停止寸前だった。セシルが友情を感じていた?また生まれてくる?第三王子が亡くなったとき人生であれだけ泣くことはもうないと思うくらいヒューバートは泣いた。そうして、そんな自分がおこがましいとも思った。
「まぁ、少し落ち着いて。ブリジットは私の従姉だ。さっき君が感じた通りの人物…。お腹の子が第三王子の生まれ変わりなのも本当だ。で、そんな君の目にはそろそろ私も人ならざる者に見えているのかな?」
学院長の言葉にヒューバートは頷いた。
「学院長先生にも…竜の気配を感じます…まだ…一応人ではあるけれど…」
応接テーブルの上を見るとガラスの飼育ケースが乗っている。中に淡く光る生き物の姿が見えた。
「今日は指定された場所にこちらの小さな瓶に二匹ずつ入れて送ってほしい。空気穴は開けてある。前回卵を送ったらそこから精霊遣いの間に噂が広まったらしい」
ブリジットは横目で飼育ケースを見て今度こそゾッとした様子で腕をさすっていた。
「巻き込んですまないな。報酬は出そう」
学院長がヒューバートに告げる。
「分かりました。この生き物、何なんですか?見たことないんですけど」
「夜行カタツムリだよ。精霊の前触れだ」
「精霊!?」
ヒューバートは驚いた顔をした。当然だ。この世代は精霊がほぼ消え去った時代に生まれている。
「頼む。学院長、私には今回は別の仕事を与えてくれ」
ブリジットの必死の頼みに学院長は皮肉な笑みを浮かべた。
「そうすると罰にならないのだが…そんなに嫌なら仕方ない。君は梱包が終わったら順番に送る任務を与えよう。まさか瓶すら触りたくないとは言わないよな?」
「…分かった…」
しぶしぶながらブリジットは仕事を引き受けたが、瓶の中を決して直視しないようにしているのが明白な動きに、セオは苦笑した。




