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呪いと祝福の子らは女神の掌で踊る〜南からの使者〜  作者: 樹弦


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告白

「エステルさんはいますか?」


 庶務課を訪れた補助講師のブラッドウッドに窓口にいた女性は思わず居住まいを正した。今日は休みなのか彼は私服だった。私服になってもいつも乱れのない整った装いで、職員の中には密かに想いを寄せる者もいる。だがどこか近寄りがたい雰囲気なのもあって気軽に話し掛けられる者はなかなかいなかった。


「エステル、ブラッドウッド先生が来てるわよ」


 同僚に呼ばれて奥で作業をしていたエステルが出てくる。


(こちらを。すぐに飲んで下さい。アリシアが血を欲しているので、私の血を取り込んだ後だと悪影響が出ても困りますから)


 口には出さずにそう伝えられる。


「急ぎの用があるので、こちらを学院長に直接渡してもらえますか?」


 大きな封筒と共に小瓶に封じ込めた血をひっそりと渡された。


「分かりました」


 同僚に少し外す旨を伝えてエステルは書類を片手に人通りのない柱の陰に来た。すぐに小瓶の血を口にする。僅かにピリリとした刺激が舌に残る。少し身体が火照るような感じがした。書類を改めて見ると本当に学院長宛だった。

 一方でブラッドウッドはジュディスに勧められた中庭を目指して瞬間移動した。中庭は昼間でも本当に人気がなく静かだった。その奥の魔力で遮断した木陰のベンチにアリシアがもたれ掛かっていた。呼吸が荒く苦しそうだ。手首をきつく握って衝動を耐えていた。


「すまない、待たせた」


 ブラッドウッドが隣に座るとにアリシアはすぐに抱きつくようにして血を求めてくる。抵抗なく首筋にアリシアの牙が刺さって貪るようにブラッドウッドの血を飲み始めた。飲んでいる間はそっと肩を支えている方が彼女が落ち着くと、何度か繰り返すうちにブラッドウッドは分かってきていた。アリシアはジュディスと違って有角種ではないが、最近になって仄かな花のような香りがすることにブラッドウッドは気づいていた。強い訳ではないが雄を刺激する香りの一種であるのは間違いなかった。


「アリシア…」


 名前を呼ぶと少し潤んだ瞳がブラッドウッドを見上げた。綺麗だと思ってブラッドウッドは自身の感情を慌てて打ち消す。生徒を相手に自分は何を考えているのか。


「あまり誘惑しないでくれ…」


 ブラッドウッドは思わず目を逸らした。


「…ごめんなさい…でも…先生の血を飲んでいたら…こうなっちゃうんです…」


 ブラッドウッドは目を閉じて上を向く。理性を保てと自身に言い聞かせた途端にアリシアから溢れ出る花の香りが更に強くなった。


「君は…二次成長期の衝動を…恋と…勘違いしているだけだよ。君と私は十歳も…離れているじゃないか」


 ブラッドウッドはやっとのことで告げたが、アリシアはまるでイヤイヤをする子どものように首を横に振った。


「勘違いでもいいです…先生は私じゃ…ダメですか?」


 アリシアはすがるようにブラッドウッドを見つめた。


「他に…恋人がいないのなら…お願いです…私を…恋人にして下さい…先生のことが好きです」


 今にも泣き出しそうな顔でそこまで言われてしまってブラッドウッドはついに諦めた。目を開いてアリシアの美しい顔をもう一度きちんと見つめる。黒耀石のような瞳が自分を強く求めているのが分かった。頬にアリシアの指が触れる。今の今まで耐えていたのに理性が呆気なく崩壊する。気付けばアリシアの手に自分の手を重ねていた。


「…君はそれで後悔しないのか?」


「しないです…私は…先生が、いい」


 アリシアは呟いてブラッドウッドの唇に自分の唇を重ねた。



***

 

 

 魔術騎士科の講義が終わって生徒たちの姿がまばらになる。クレメンスがやたらと色気のある青年に変装したアドリアーナに文句を言っているのを見るのは面白かったが、ふと心ここにあらずといった様子でブラッドウッドが歩いてくるのにジュディスはいち早く気付いた。首から僅かに流れている血にも気付いていない様子だった。


「どうした?何かあったのか?」


 呼び止めたブラッドウッドの身体から花のような香りが立ち上る。他の雌を牽制する香りだ。ジュディスは瞬時に察した。不快とまではいかないが、僅かに心の奥がモヤッとした自分にジュディスは驚いた。おそらく角のせいだ。まったく厄介な角だ。


「アリシアと何かあったのか?とりあえず首の血を止めるぞ」


 観覧席の端に座らせて止血しているとレイがやってきた。


「ブラッドウッド先生…?ん?何この香り…ジュディスじゃないね」


 匂いを嗅いだレイが慌てて鼻と口を押さえる。それなりに刺激を受けたようだった。レイは片手を振って匂いを散らすような素振りをする。風の魔力を放って何とか気にならない程度にまで匂いを減らすと、レイはようやく大きく息をした。


「…耐えられなかったんです…理性を保とうと…したんですが」


 ブラッドウッドはやっとのことでそう告げると、顔を覆ってそれきり口をつぐんでしまった。


「あぁぁ…ブラッドウッド先生、分かりますよ。僕もジュディスの香りに我慢出来なかったので。あれに耐えろって方が無理だと身をもって実感しました」


「えっ…そう…なのか?」


 ブラッドウッドは僅かに声を上げてレイの顔を見上げた。そういえば角が出たとの説明はしたが何が起こったかまでは言ってはいなかったのをレイは思い出す。レイは遮断して口を開いた。


「あっという間に香りに飲み込まれて僕は耐えられませんでした。素直に衝動に身を任せましたよ」


「うん、まぁ、それ以外の選択肢なんてお互いなかったよな。で、アリシアとは?どこまで?」


 ジュディスが訊ねる。ブラッドウッドは思わず口元を押さえて小声で呟いた。


「…キ…キスを…」


「ん?キス?」


 ジュディスが胡乱な表情になる。


「はい…キス…されました」


「…ん?それだけ?え、しかもされた?」


「…はい…それで…耐えられずに…自分からも…そのキスを…」


「なんだよ、もう!それなら別に問題ないじゃないか!」


 ジュディスが思い切り脱力する。けれどもレイは察したので助け舟を出すべく口を開いた。


「でもブラッドウッド先生は真面目だから生徒とそういうことをしてしまった、って今猛烈に罪悪感に苛まれてる…そんなところですよね?」


 ジュディスは通路を挟んだ反対側の観覧席にもたれ掛かると、急に可愛らしい顔をしてブラッドウッドに告げた。


「キスで止めれるんなら優秀だよ…私たちには無理だった。まぁ…そうは言ってもアリシアはまだ在学中だしそれに多分大学の方に進学する予定なんだろ?今後は万が一ってこともあるから色々と気をつけておいた方がいいだろうな…って、私たちもひとのことを言ってる場合じゃないんだけどね」


 ジュディスは困ったように今日は比較的装飾のない地味なヘッドドレスで塞いだ額の上に触れた。


「だって…この角は残念ながら私の意志じゃどうにもならない上に誰でも彼でも誘惑する危険な角だ。でもアリシアって有鱗種だろ?確か有鱗種は好きな相手の前でフェロモンの量が多くなるんだ。香りが嗅ぎ分けられるくらいに濃くなったんなら、それはもう告白してるのと同じだよ」


 ブラッドウッドは自分の前で一層香りが強くなった瞬間を思い出して思わず目を泳がせる。


「良かったじゃないか。前に私に相談したことの答えが見えたんじゃないのか?理性よりも今回は感情の方が動いた。それならその感情を大事にしたらいいと私は思うよ」


 ジュディスが笑う。こんな話を再びブラッドウッドとすることになるとは思わなかった。案外呆気なくアリシアはブラッドウッドの壁を崩したとジュディスは思った。


「なによりお互い魔族の血が入ってるならエステルみたいに毒の耐性をこれから高める必要もないしな。アリシアとなら万が一が起こっても相手を死なせる心配もないだろ?」


 そう言ってブラッドウッドを見上げるジュディスの印象がこれまでとは何となく違うような気がしてブラッドウッドはこれが魔族の血の二次成長期の影響なのかと思い至る。ジュディスは以前よりもどこか女性らしくなったと思った。一方でジュディスはというと、どこからともなく取り出した細長い紙に自分の血を滲ませ、何かの液体を垂らしていた。


「はい」


 唐突にジュディスがまだ血の滲む指先をレイの口に近付ける。


「もう、今ここでやること?」


 言いながらもレイはジュディスの指先の血を舐める。


「…大丈夫。痺れる感じもないし、いつも通り美味しいよ。まだ反応なし、と」


 そう言ってレイは中空に紙を取り出し日付と時間の書かれた一覧にチェックをつけた。


「果たしてこれを後世の誰かが利用する機会があるかどうかは分からないけど、モリス先生たちが有角種のデータも集めたいんだってさ。確かにこっちには事細かに伝わってないからね」


 ブラッドウッドは同じ紙をベンチにいたアリシアも持っていたことを思い出す。何かの講義の資料かと思っていたが、あれは自身の血の変化を確認していたのだとようやく理解した。


「でもこれって、相手がいる場合は相手とも具体的にどんなことをしたか記録しなきゃならないんだよね。何が血液内の毒性を高めるきっかけになるのか分からないから。つまり今日はブラッドウッド先生がアリシアにキスされてキスを返したってこともモリス先生には筒抜けになるってこと」


「ええっ!?そ、それは困る!」


 そのときのブラッドウッドの情けない表情をジュディスはしばらく思い返して笑うことになる。レイには失礼だよと言われたが、滅多なことでは感情が動かないブラッドウッドがあんなに取り乱したところを見たのは初めてで、可笑しくて仕方なかったからだった。

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