酒場にて
その頃ウォードは王立学院の外に出掛けていた。今日の夕飯は不要とアマロックには伝えてあった。日々の鍛錬は先に済ませて、久々に街外れの酒場に向かう。身なりは酒場に馴染むように変えてある。外では大概別の身分を使っていた。
「ジョン!久し振りだな!元気だったか?」
酒場の丸顔の亭主が破顔して声を掛けてきたのでウォードはジョンの顔でにっこりと笑った。
「あぁ、こっちに帰ってきたばかりだ。いつもの」
ジョンとしての稼業は雇われ者の傭兵になっている。ジョッキについだエールで近くにいた者と乾杯をした。
「エテルネルに栄光を」
「栄光を」
ジョンの目にはその人物に付けられた特殊な印が見えているが他の者には見えていない。ジョンが現れるまで隣の席に誰も座りたくならないように牽制していたことに気付く者もいなかった。
しばらく当たり障りのない話をしてひたすらエールを流し込む。ジョンは酔わないが、隣の若者は早くも酔った気配でジョンにもたれ掛かってきた。ジョンは亭主に目配せをする。
「親父さん二階を借りるぜ」
この店はそういうことを容認する店だった。ジョンは男女見境なく手も出すし金も盗む。その何割かを親父に渡してなかったことにするロクでもない男、その昔、自暴自棄になっていた頃に思い付いた別の顔だったが、今となっては我ながら酷いとウォードは自分のことなのに半ば呆れた。
「ま、せいぜい楽しんできな」
若者を介抱する体で二階に消えるジョンに亭主が小声で耳打ちをして下卑た笑みを浮かべた。
***
軋む扉を閉めて部屋を遮断し、あまり清潔とは言い難いベッドの上に相手を転がす。ぐったりした様子だった相手は、だが意識ははっきりしており、口元に皮肉な笑みをうかべてジョンの顔を見上げた。黒髪が金髪に変わる。
「本当に噂通りのロクでもなしだな…」
低く笑い出した相手は元通りの青年の姿に戻って起き上がった。酒に関してはこちらの方が実は強い。
「まさかリオンが選ばれるとはね」
ジョンの姿からウォードに戻ると二人は抱擁を交わす。リオンは王国の影の手の一人だった。ウォード自身が影の手だった頃からの旧知の間柄だ。そして彼とウォードはジュディスとレイの種を飲んでいた。
「で、種を飲んだ感想は?」
ウォードが尋ねるとリオンは肩をすくめた。
「特に変わりない…と言いたいところだが、むしろ調子が良過ぎて、いくら夜更かししても早起きできるようになったな」
夜更かしとは夜陰に紛れてやってくる暗殺者の始末のことだった。
「僕が非番のときに取り逃がした者がいてね…少々騒ぎになっていたらしいが、第八王子の婚約者だと後に分かって合点がいったよ。通りで君が入れ込む訳だ」
「本当は手合わせしたかったか?」
「まぁね…でも、君ですら負かした相手だろう?刺し違える覚悟でいっても…勝てる気がしないな。で、今日はいったい何の用があったんだ?」
ルビー色の瞳がウォードを見上げる。最近ジュディスの近くにいる少女の面影を思い出して、だが余計な質問は控えようとウォードは話を続ける。
「リオンの蔦を引っ張り出せと国王陛下から王令が下ってね。そろそろ育っているはずだろうと」
「引っ張り出す…!?」
ウォードの言葉にリオンの瞳に初めて動揺の色が過った。百戦錬磨の手練れでも未知の領域は恐れるらしい。
「大丈夫。僕も初めてのときはお嬢にやってもらったから。ちょっと行き過ぎた魔力交換みたいなものだよ。利き手を出して。君、ちなみに潔癖症とかではないよね?」
「あ、あぁ…」
軽い口調のウォードにリオンは僅かに緊張を解いたようだった。この先に起こることは知らない方がいいとウォードは思った。口で説明するよりやった方が早いとブリジットにも言われていた。
リオンの掌にウォードは自分の掌を合わせて自らの蔦を呼び出す。
「…っ!」
掌に蔦が触れてリオンが息を飲んだ。
「ちょっと我慢してよ」
ウォードは蔦でリオンの魔力中枢に繋がる魔力の管を遡る。
「ちょっと…待て…」
リオンが青ざめて空いている方の片手で口を押さえた。鳥肌が立っているのが見えた。
「待てないよ。ここで止める方が気持ち悪いでしょ」
すでに蔦は上腕にまで届いている。
「…逆流してる感じが…すでに気持ち悪い…ゾワゾワする…」
「もっとしこたまエールを飲ませておけば良かったかな。今更だな、一気に魔力中枢まで入るよ」
「えぇっ!?うわっ!止めろっ!」
「この程度のことで生娘みたいに騒がないでよ。大丈夫、力を抜いて僕に任せて」
ウォードは一気に魔力中枢まで蔦を伸ばして流し込む。根幹を探るとリオンの口から小さな悲鳴が上がった。
「…やっ!ちょっ…あっ!」
普段は物静かな方なのに意外だと思いながらウォードは根幹を見つけて少し執拗に刺激を与えた。蔦の先端が顔を出す。悲鳴を上げていたリオンが急に静かになった。潤んだ瞳が恨みがましくウォードを見上げている。
「見つけたよ。この場所をよく覚えておいて。蔦の根がある。蔦を出すときはここを意識するんだ」
「…分かった…から…もう…触るな」
「じゃ、引き出すよ」
リオンの蔦の芽の先端にウォードは自分の蔦を絡ませた。一気にそこから引っ張り出す。リオンの口から叫び声が漏れる。魔力の流れと共にリオンの蔦が掌からようやく姿を現した。
「無事に出たよ」
蔦を絡ませたままウォードが笑うとリオンは呼吸も荒くなりすでにウォードにもたれ掛かってぐったりしていた。魔力中枢の中まで触られることになるとは思ってもいなかったようだった。
「全然…無事じゃない…これを…王子の婚約者とやったっていう…君の神経を疑いたくなるな…被虐趣味なのか?」
「まぁ…僕はお嬢の犬だからね。すでに壊れた魔力中枢も治してもらって、身体の中も外も全部見られてるし恥ずかしい姿も晒してるから、今更どうってことはないよ」
ウォードは笑いながら絡めていた蔦を離す。この状況でよく笑っていられるとリオンは思いながら、掌から出た己の蔦をしげしげと眺めた。薄っすら青白く輝いている。綺麗だと思ったが、ウォードの蔦の方が青みが濃くて輝きも強い気がした。
「宮廷魔術師の一人も飲んだんだろう?彼にはリオンがこれをやるんだよ」
「えぇ…ウソだろ。知ってたらこんなこと引き受けなかったよ。嫌だなぁ…人格を疑われそうだ」
リオンは蔦の出ていない方の手で顔を覆う。ウォードは慰めるように背中をぽんぽんと叩いた。
「今のがこの程度って思うようなことがこれから次々に起こるんだよ。この蔦が育ったら、蔦持ちの性別に関わらず交配して種を作るようになるらしいよ。君と僕の蔦が交配する可能性だってあるんだ」
リオンは更にゾッとしたようにウォードを見返した。やはりふとした瞬間に浮かべる無防備な表情が似ているとウォードは思った。
「君は…ベアトリス・キャンベルの血縁なのか…?いや、答える必要はないんだ。忘れてくれ」
互いの出自を語るのは厳禁だ。リオンはやはり沈黙する。が、不意にリオンは珍しく笑い声を立てた。
「そうか、あの子は今、第八王子の屋敷に保護されているんだったか。やっとあの悪夢のような家から解放されたんだな」
ウォードは答えを期待してはいなかったので驚いて相手を見た。
「僕はベアトリスの亡くなった母親の方の血縁だよ。まぁ、あの家も色々あって僕は死んだことになってるからあの子に何もしてはやれないが、幸せになってほしいと思ってはいたんだ」
「ベアトリスは、ブリジット・ロウの息子のクレメンスといい感じになりつつあるよ。よりによって父親の因縁の相手の元に嫁いで復讐を果たすつもりでいるようだ。ブリジットも手を貸すと言っている。なかなかロウの家も複雑で一筋縄ではいかない家系だけど、ブリジットは世間の噂よりはまともな人だと思ったな」
「ブリジット・ロウか…彼に睨まれた者は翌朝死体も残らないという噂なら聞いたことがあるが。昔、両手両足の指を全部切り取られて城壁に吊るされた宮廷魔術師がいたが、あれもロウの家が関わっていたんじゃないかと言われていたな。死体を晒したのはあの事件一度きりだが」
リオンは首を捻る。実に不可解な事件だった。
「僕の聞いた噂とは違うな。宮廷魔術師の事件はクロフォード家が関わっていると…あぁでも時期的に合わないのか。学院長は正当な手段を選ぶ人だしなぁ…どっちにしろ幼い第八王子に魔術的後遺症を残すほど酷いことをしたんだ。吊るされても仕方ないと僕は思うよ。お嬢も彼が生きていたなら魔力中枢を破壊するくらいのことはしただろうね」
「第八王子の婚約者を見たことがあるが、華奢で美しくて、とてもそんな苛烈な性格には見えなかったな。なのに戦闘時の動きには全く無駄がなかった…あんなに武術に秀でた婚約者は歴代の妃の中にもいないんじゃないかと見惚れたよ」
ウォードの表情にリオンは自分がうっかり口を滑らせたことに気付いた。いつどこで見たのかとその目が雄弁に語っている。
「羽化の守の儀式の祭りのときだよ…合成獣が押し寄せて、ちょっとしたパニックになったじゃないか。あのとき僕は屋台の店主に変装していて…婚約者に串料理の串を貸してくれと言われたんだ。自分で使うつもりだったのに、あっという間に退治してくれて出番すらなかったから、せいぜい怯えるフリしか出来なかった。あの日、王立学院に入った屋台の店主は皆、腕に自信のある者だったのにその力を発揮することもなく、本当にほぼ食べ物を売っただけで終わってしまったんだ。驚きだったよ」
リオンの言葉にウォードは笑う。ジュディスに魔力中枢を治してもらった懐かしい記憶が蘇ったからだった。お陰で屋台の料理は食べ損ねた。ウォードは暗くなった窓の外を見る。
「あまり早く出過ぎても疑われるからなぁ…さっきはリオンがちょうどいいタイミングで悲鳴を上げてくれたから助かったよ。ここの亭主はたまに様子を伺いに二階に来ることがあるんだ。悪趣味だろ」
リオンは思わずウォードの顔を二度見する。普段は気付く気配にも気付けないほどに動揺していた自分が急に恥ずかしくなった。ウォードがわざと聞かせるために意味深な台詞をつぶやいていたことにも今更ながら気付く。
「…そういうことは…先に言ってくれよ…」
「言ったら不自然になるでしょ?リオンがこの手の演技をしたことがないのは分かっていたし」
ウォードの言葉にリオンは飄々としている相手の顔をため息混じりに見上げた。ウォードの暗殺の手段は様々だ。人懐こい犬のような顔をしておきながら息の根を止める手はいつでも迷いがなく的確だった。それを見抜いた上でウォードを飼い慣らしているのだとしたら、第八王子の婚約者も只者ではない、リオンはそう思った。
「リオン、南に潜入する日が来たら多分僕も同行することになると思う。南の第三王子の怪我が治って蔦を使いこなせるようになったらすぐにでも計画は実行されるはずだ。奴隷と人買い商人と正式な使節団と…リオンは恐らくその顔立ちから言っても奴隷の方だろうね。実際に出品したら高値で売れそうだ。人買い商人にぴったりな人相の人材はもう見つかっているしね」
「そう…なのか?随分…詳しいんだな」
「あぁ…僕の身分は今は王立学院にあるが…国王陛下と王立学院とを結ぶ影の手とは別の組織として復帰するように命じられたからね。そしてリオン、君もだ。じきに王令が下る。種を飲んだ僕たちは蔦の盾の一員だそうだ」
リオンは大怪我で影の手を引退した頃のウォードを思い出した。相変わらずその時のように飄々としてはいるのにどこか雰囲気が変わったのを感じていた。目指すものがある、そんな気がした。
「第三王子の番を取り戻す前に地底の悪鬼が目覚めないことを祈るしかないな。リオンも早く蔦の使い方を覚えなくちゃね。じゃあ今度は左手から蔦を自分で出してみて。自在に出せるまでは帰さないよ」
ニコニコしながら平然と次の訓練が始まる。果たして朝までに終わるのだろうか。リオンは諦めて、先ほど蔦で触られた魔力中枢の部分に意識を集中させた。




